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zoom RSS 一阿の 「心柱」W−2

<<   作成日時 : 2013/08/30 07:00   >>

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浩安和尚のご子息正興和尚から送られて来た資料に依ると、「当寺の先代住職浩安和尚は安徳天皇は壇ノ浦で崩御されたのではなく、難を逃れられた地で崩御なされたはずだ。そうでないとこのお寺(宝地院)の創建と安徳天皇の崩御された年との間に100年近い開きがある。」といふ確信に近い説を持ってゐました。

以下は昨年対馬に行って調べた資料です。

「この村の古名を大調(おおつき)と言ひ歴史と伝説の多いところである。いまも学校の校名を大調(おおつき)と呼んでゐる。これは良質の銀を調貢したからで、大きな調(つき)の里の意味がある。学校の隣の御所大明神は寿永用保と銘のある古鏡を、寿永帝(安徳天皇)の遺品とし、御神体として祀ってゐる。」

対馬の地頭代であった宗重尚公は壇ノ浦合戦後60余年、帝が70歳の時の寛元4年(1248)筑前与志井からお迎へして、久根の地に御所を営んだのである。それから5年後、建長5年(1253)4月5日帝は崩御された。」とあります。

安徳天皇の母君建礼門院徳子は清盛の娘で、かって頼朝の命を助けてゐる。徳子は頼朝の心を読んで我が子が弑し奉られることのないのを知ってゐたのである。第21世、然誉上人浄阿瑞寶浩安大和尚は最後まで安徳天皇の菩提寺宝地院の歴史を大切にしたのである。

愚老がながながと「心柱」を教へてくれた浩安和尚の物語をしたのは、対馬には深い日本の文化と歴史が流れてゐることを思い出して欲しいからなのです。この美しい島があの朝鮮人達によって荒らされやうとしているのです。竹島の次は対馬だとほざく始末。「いい加減にせい」と向かっ腹が立ってくる。

朝鮮の代弁者のやうだった前民主党政権も代わった事であるし、現政府は何とか法律を改正してでもこの対馬を守らなければならない。 最後に心柱Tに出て来た堀口大学のお嬢さん「すみれ子さん」の文章(定本佐藤春夫全集第25巻の月報)でこの項を締め括りたい。

「・・・その方は、春夫先生の中編小説「前途展く」の歴戦の青年士官、古塚龍彦のモデルだった人です。といえば、あゝ、あの。と知っていらっしゃる方も居られるはずです。神戸兵庫区荒田町の宝地院の先代ご住職の中川浩安和尚です。・・・

(佐藤春夫)先生はあと書きに、 作者の想像も及ばない戦争経験を語りに又原稿を精読して誤りを正すために、えんろをいとわず、なんども足をはこんでくれた。と感謝しています。物語は、寺の子に生まれた主人公が、戦争をとおして、自分を見つめ、人を見つめ、生き方を模索しながら成長する姿を書いています。

作中の主人公の人間像は、モデルの浩安和尚自身と、作者である春夫先生の理想とする青年像が、融合しているのでしょう。晩年の和尚は、たいそう豪放磊落な、筋の通った方だったようです。和尚のことを聞けば聞くほどに、物語が終ったあと、作品の古塚龍彦が、作品から抜け出して、和尚となって、その後の人生をたどったのだと、思えできます。・・・

「前途展く」 は、春夫先生と共に、和尚にとって一生の心のささえであったのです。 春夫先生と父の友情もまたしかりでした。二人の友情を、人に説く時、いつもしまいには感激して泣き出してしまわれたものだそうです。二年まえ人を介して、その和尚が大学の娘の私に会いたい、とおっしゃっていると申し入れがありました。

目の前の煩雑な用事に追われて、一年以上も経ってから父の部屋でお待ちしております、とお返事した時は、時すでに遅く、重い病気と闘っておいででした。私に会う日を楽しみにしていらしたという話を伺うと、何故もっと早くお目にかからなかったのだろうと悔やまれます。春夫先生と父が談笑している、あのパネルの置いてある部屋にご案内したら、どんなにか喜んであただけたかと思うのです。

1995年5月4日、春夫先生の37回忌に先立つこと2日、和尚は白玉楼中の人となられました。」 ここで、すみれ子さんの言葉は終わります。 愚老は最近すみれ子さんに一通の手紙を出しました。そのごく一部を載せます。

「・・・すみれ子様から陛下と美智子妃が堀口邸へお渡りになられた由の浩安和尚お誘いのご配慮を頂いたのは平成11年でございましたから、あれからもう14年になります。・・・「堀口君いい和歌を作ってくれてありがとう。」と仰せになった昭和天皇の大御言葉、そしてすみれ子様の御尊父の「深海魚光に遠く住むものはついにまなこも失ふとあり」の深いお言葉、この昭和42年の召人時の應制歌(おおせごとによりよめるうた)に思いをすすめますと・・・一挙に式子内親王の時代に戻ったやうなホットした心の安らぎを感じます。・・・

天皇と民草がひとつになれるのは、世界の中で日本だけです。国王と国民が対立して出来た立憲君主国でない唯一の国柄が日本なのだなあとつくづく感じられます。もともと、天皇家と国民はひとつなのでせう。そこには人権とか公権といふギスギスしたものはないのでせう。私も「貝の耳」で葉山の物語をこころたのしく伺いました。政治家みたいなことを言ってごめんなさい。私も70年まえ陛下をお護りするために海軍兵学校へゆきました。・・・・・・・。」

愚老は確信します。 我々の祖国 日本の 心柱は 「天皇陛下」 なのだと。

(おわり)


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GHQに勝利した昭和の武蔵 国井善弥
しばらく前に、ネット上で「深イイ話」があったので紹介したい。 ...続きを見る
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