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少し前の日本を知る方々が、手紙をガラス瓶に入れ海原へと流して下さいました。
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一阿の 「澎湃寄する海原の」 14(最終回)

2017/06/30 07:00
敗戦によって、わが国は 帝国海軍聯合艦隊と同じやうに教育の中枢まで撃破され、東京大学はGHQの連れて来たCIE(Civil・Information・and・aducationSection)の共産党どもにより、左傾化して行きました。

頭だけ優秀な人材は、司法 行政 立法の枢要な地位につき、実業・マスコミ・研究機関、また教育畑にばらまかれ、若者の教育に携わりました。戦後72年、今でも、この左傾化は止まりません。害虫が草木の芯深く卵を産みつけるやうに彼等は我が国体の髄に観念の卵を産みつけたのです。五十年や百年でこの卵は死に絶えません。かっての敵(連合国)はわが国の解体が目的ですから当然のことです。

われわれは、もっともっと自分の国が戦争に負けたのだと腹に据えてかからなければ国家の再建は難しいのです。国は元に戻さなければなりません。昔は野党と言っても天皇陛下を中心にしたリベラリスト達であり、マルクス・レーニンを頭に頂く反日集団とは違います。そのことは「昭和精神史」(桶谷秀昭)
や産経新聞の「独立不羈・河合栄治郎とその後の時代」 によく書かれています。

それに日本の国籍を持っていても、台湾や朝鮮半島の血脈を受け継いだ人間が我が国政に関与し、日本国の皇統を論ずる危ふさは、身の毛がよだちます。もっとも、他国の人間であれ、日本国籍を取れば日本人ですから、職業は自由です。問題は彼等の皇統観に在ります。ワールドスタンダードや人権団体の土俵で相撲を取ってもらっては困るのです。私が昨年12月10日 「澎湃寄する海原の・1」を書きましたのは、丁度8月に 今上陛下が御宸襟を国民に垂れ賜うた直後であり、有り難い日本に生を受けて90年、祖国の変わり果てた姿を見るにつけ、この悲しみを少しでも言葉に残したいと思ったからです。

「江田島健児の歌」は兵学校創立50周年記念に50期の在校生徒が作詞したと言いましたが、52期に高松宮宣仁親王がいらっしゃいます。「高松宮日記」は国宝級の歴史資料ですが、宮が大正10年海軍兵学校に入学されてから27年間、市販の日記帳20冊に誰にも知られることなく書き綴られたものです。中央公論社から出版されたこの書籍の編纂には、阿川弘之(予備学生2期)大井篤・豊田隈雄(51期)千早正隆(58期)野村実(71期・一阿の分隊監事)等11人が参画してをられます。

日記について云々する能力を持ちませんが、ただこの中に、マッカーサーによって廃絶された11の宮家の名前が出て来ますので挙げてをきます。伏見宮:閑院宮:久邇宮:山階宮:北白川宮:梨本宮:賀陽宮:東伏見宮:朝香宮:竹田宮:東久邇宮。皇統を断とうとしたGHQが施した施策の一つです。としたら何故日本国民は宮家を元に戻さないのか?。それは彼等が施した教育改革や神社の弱体化や歴史の軽視や極東裁判史観やありとあらゆる巧妙な悪巧みによって国民の本心良心の圧力が低くなっていることに起因すると考えられます。

そして今や、女性宮家の創設とか、女系天皇への議論とか、二千六百年続いた高貴な日本国の解体へのベクトルが固定化しつつあります。民進党の党首や共産党や市民と称するサヨクの人達が皇室典範を変えろと声高に叫びます。しかも国際的な力まで借りて典範の改変を目指します。そう言えば、昔外務官僚だった小和田氏は国際司法裁判所の長官をしていましたね。このチャイナスクールの長老は宮内庁にも力を持っているのは当然です。

私は宮内庁の左傾化が最も危険だと思っています。日本の皇室は人徳があるとか富があるとか至高の美術品の所有とか、西欧の王室、メヂチ家やハプスブルク家と言った方々とはわけが違うのです。御存在そのものが至高の価値であり国の象徴です。二千六百七十四年間続いた男系男子の皇統は世界にはありません。ただ、過ぎ去ったことにだわり、くよくよするのはイケマセン。逆境の中、自らの力で祖国の本質を悟り、力強く進んでいる若い人達と一緒に、明るく勇ましく進むべきは当然です。

何度も言いますが、「有史悠々数千歳皇謨仰げば弥高し♪」(江田島健児の歌)にも歌われているやうに、萬世一系の皇統を70年や80年の浅薄な観念で変えてしまってはならんと言うことです。変わってしまった国体は二度と元にもどりません。 「もろこし我がてうに、もろもろの智者達のさたし申さるる、観念の念ニモ非ズ。又学問をして念の心を悟リテ申念仏ニモ非ズ。ただ往生極楽のためニハ、南無阿弥陀仏と申て、疑なく往生スルゾト思とりテ、申外ニハ別ノ子さい候ハず。但三心四修と申事ノ候ハ、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生スルゾト思フ内ニ籠リ候也。此外ニをくふかき事を存ぜバ、二尊ノあハれみ二ハズレ、本願二もれ候べし。念仏ヲ信ゼン人ハ、たとひ一代ノ法ヲ能能学ストモ、一文不知ノ愚とんの身二ナシテ、尼入道ノ無ちノともがなニ同しテ、ちしやノふるまいヲせずして、只一かうに念仏すべし。」。これは、法然上人の一枚起請文の原本です。

1212年 1月25日に80才で入寂される2日前、衰弱の極致にあって夢に現れた母(韋提希夫人)の求めた浄土ゑの道を諭された言葉です。一般には愛弟子源智に残したものと言われていますが、梅原猛は夢に出てきた母に残した言葉と言っています。母の秦氏は賀茂神社と関係があり、今の百万遍知恩寺の境内には他の浄土宗の寺にはない賀茂神社が祀られています。母は難しい漢字は読めなかったので、分かり易いカタカナを使いました。(「法然の悲しみ」:梅原猛) これは入寂の2日前に示した法然の凝縮した分かり易い教えです。 他力本願とか浄土宗と言った宗教界だけの物語ではなく、我が国の底にある「心」の基本です。「観念」が大切なものを知るのに如何に邪魔になるか、その両刃の愚を説いています。「支那や我が日本国の色々な識者が議論している観念の念ではなのだよ、また学問をして大切なものが何かを研究してわかった観念ではないのだよ。」 と優しく語りかけます。

今やわが国は先進国の仲間入りをし、民主主義国と言われます。戦前は軍国主義で独裁国家と思っている人が殆どです。テレビなんかでは、北朝鮮批判の番組で解説者の落語家が「もっとも、日本も戦前は同じやうなことをやっていたんだから・・・」と鼻でせせら笑いします。彼は戦前生きていたわけではなく、全て聞きかじりか戦勝国(マッカーサー)が施した教育を受けた結果なのです。決してそうではありません。そんなに長くはありませんが、90年生きたこの身体が戦前の方が、静かで豊かで和やかであったと言っています。頭が理解しているのではありません。萬世一系の皇室と共に国家の底に流れて来たそれは潜在意識と言ってもよいものです。

市民の意識の左傾化は戦後だけの物語ではなく、明治維新に西欧から流入した近代意識の害毒の部分とも関連しています。戦後、勝者の文化であった民主主義の上澄の観念と合体してわが国を犯しているのです。勿論徳川時代の末期に洗礼を受けた西欧の文化は、わが国にはかけがえのないものでした。然しこの中にはちゃんと消化しなければ中毒を起こす「観念」が寄生していました。外来文化に内在する害毒を本居宣長は悟っていました。そして69才で「古事記伝」を著します。「観念」の念にもあらず。・・・ 法然上人が諭した言葉は、本居宣長にも受け継がれ、やがて我が国の最高の知性と言われた小林秀雄が
戦後の観念の泥沼の渦の中で、「本居宣長」を書いて生命を終えます。「観念」は共産主義に結びつき、浅はかなマスコミの煽動 に結びつきます。

我々の心の底には観念を超えた日本人の血(潜在意識)が流れています。しかしこれは自覚出来ません。いよいよの時に初めて力を出します。でもそれでは遅いのです。日本人には西欧の「観念」にもまして優れた「何か在るもの」を持っています。それは本居宣長が愛した古事記や日本書紀や万葉集の中に現れています。日本人の誇りを捨てて、共産党の言うやつな平等とか階級とか人間と言った「観念」の麻薬に犯されないやうにしなければなりません。そこには皇室もなければ日本国家もないのです。

ヘーゲルの例の「アウフへーべン」の餅つきの末に出来た「共産主義」 。この観念は地球上の何億の人を殺し、どれだけの国を破滅させたか?まだ分からないのか、と言いたい。その共産党がニコニコしながら、世界の平和と人々の幸せを叫ぶ不思議さ。資本論なんて読んだこともない蓮舫がこの共産党と握手し、自分の嫌いな議員に罵詈雑言を浴びせかける図は正に応仁の乱です。彼等にとって「皇統」なんてどうでもよいのです。これを面白可笑しく好意を以て報ずるマスコミには特に注意したいものです。

こういった集団にとって安倍内閣は生命を犯す天敵です。今の状態は第一次安倍内閣に対する攻撃方法ととてもよく似ています。外交 国防 経済 治安と殆ど関係のないことばかりを取り上げて、共産党的に憲法と結びつけて毎日攻撃するのです。我々は衆愚です。かれらは衆愚をごまかす方法に長けています。前回は見事成功して天下を取りました。しかしこの四年間の恐ろしいまでの国家の衰退ぶりと生活の困窮振りはまだ我々の胸に新しいものがあります。又、そんな世界へ誘い込もうとするのか?と怒りさえ感じます。

やがて世界は一つになるかも知れない。それは神のみぞ知る。人類の心の中の中が本当に一つになった時、世界は一つになる。少なくとも、物理的に一つになっても世界平和とは言わない。そんな時が来るのだろうか。来るかも知れないし、来ないかも知れない。それまで世界の国はそれぞれの国体を信じて進むのが良い。急いで疑わしい観念に飛乗ってはいけない。大怪我をする。日本は日本の国体を鎮るのが一番。それには国を鎮る軍隊が要る。

戦争をしない軍隊。そんなものがあるのだろうか。ある。それは、大日本帝国海軍の条約派の信念だったのです。

淡交とふ / 言の葉に添ひ/ 水温む
先日の産経新聞に載っていた和歌山のある女性の句です。段の一番最後にありました。「これは水交会のロビーだな。」と思いました。山梨勝之進提督の「君子の交わりは淡きこと水の如し」の額書が掛かり、ふと目を落とすと、温い水を湛えた池があります。きっとこの方はご家族かご先祖に海軍の方がをられたんだと和やかな気持ちになりました。



― 終わり ―


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 13

2017/06/02 07:00
聯合艦隊司令長官山本五十六は酷熱のラバウル基地で、連日純白の第二種軍装を着用し、出撃してゆく零戦隊員の一人一人に、心を込めて敬礼を送ってをられました。最初から勝てないと分かっている戦いに、軽薄な政治家や極右の人間や、何にも増してマスコミの無責任な煽動により、ドイツ病にかかったまま国家は、戦うことを決めてしまった。戦うと決めた以上、武人として死力を尽くして国を護るのは自明の理です。祖国を護るため、智胆勇の極致を尽くし、身は鴻毛の軽きに思う存念は江田島時代から出来てはいるが、我が亡き後の日本の運命・・・。

同期の堀悌吉や信頼する米内光政や山梨勝之進はいるが・・・。彼の頭をよぎるのは、あの時の無念の憶いだったかも知れない。昭和15年9月16日、 及川古志郎に聯合艦隊と第一艦隊の分離時自分を第一艦隊に米内光政を聯合艦隊にそれぞれ司令長官として配置するやう頼んだ時のこと・・・。本当の胆は伏見宮ご退任時、 米内光政を軍令部総長にと先の先を告げていたら・・・。希しくも、まさにその日昭和天皇が大本営参謀総長・閑院宮載仁親王と軍令部総長・伏見宮博恭王の勇退を内大臣・木戸幸一に相談なさったのだ。木戸日記からは、木戸の言上した内容は分からないが、昭和天皇の御意図に賛成であったことは確かだ。翌17日、侍従武官長・蓮沼 蕃が天皇に呼ばれ、その実現方を指示される。

蓮沼は、交代を当時の陸相東条と海相の及川に計る。東条は直ちに同意したが、及川は19日朝、蓮沼を訪問して、伏見宮博恭王の交代は「絶対に困る」と確答してしまう。及川は米内を尊敬しその能力を認めていた。しかし、それ以上に伏見宮の影響下にあった。

山本五十六長官の「米内光政・軍令部総長」の悲願はここに潰える。! やがて、(昭和16年1月7日)東条内閣の大本営政府連絡会議で、海相が開戦に賛成しない場合には、避戦主義のもと辞職をほのめかしつつ、最後まで抵抗した東郷茂徳外相が海相を支持することは確実だ。さらに、東郷と歩調をあわせて最後まで納得しなかった賀屋興宣蔵相も海相を支持することはほぼ確実と思える。外相・海相・蔵相が避戦主義に出る場合、海軍が賛成しなければ戦争は出来ないと言明していた東条が、戦争反対にまわる可能性はかなりある。永野の軍令部(伏見宮の御勇退後、永野修身が軍令部総長)は、和戦いずれにも応じ、政府を倒す考えはないと言っているから、問題は杉山の参謀本部のみである。

杉山が抵抗しなければ、昭和天皇が東条の指導力に期待なさったように、連絡会議は避戦で一致し、杉山が抵抗すれば、杉山の辞職か更迭と言うことになる。閣僚の意見が一致しておれば、内閣総辞職には至らないはずである。このやうな場合には、参謀本部や国民の一部からまず海軍が非難され、戦争の出来ない海軍は「無用の長物」との声が起こる。しかし、まさか陸軍がクーデターに出るやうなことはあるまい。陸軍、特に参謀本部には、第一部長・田中新一中将を中核とする何人かの極めて積極的な開戦論者がいたけれども、参謀本部に不穏な動きがあったと言う証拠はない。

戦後、わが分隊監事・野村実博士が当時の海軍大臣・嶋田繁太郎に面談された時にも、陸軍側にクーデターの気配を感じたことは、全くなかったと証言している。日本の戦争計画・作戦計画とそれに基ずく開戦論は、ドイツがヨーロッパで勝利するであろ、最悪の場合でも不敗であるとの大前提で、全てが考えられていた。ドイツが現実の歴史のように敗れるのに開戦すると言うのは、狂人の論である。いくら当時の陸海軍が、精神主義になり、組織が制度疲労に陥っていたとしても、陸海軍の指導部が狂人の集団である筈はない。あとから検討すると、真珠湾攻撃の時にはすでに、ドイツ軍の力は伸び切って、モスクワ前面の作戦では敗退していたのだが、日本の指導者はそれを知らなかった。開戦論の大前提であったドイツの勝利ないし不敗は、必ずしも確実ではなかったのだ。

昭和16年1月7日山本が及川に送った書簡は「・・・自ずから他にその人ありと確信するは、既に曩に口頭を以て意見を開陳せる通りなり。・・ 」とあくまて米内を聯合艦隊司令長官に推薦している。その理由は以前に述べました。 あの東条内閣大本営政府連絡会議の場に、嶋田繁太郎海相でなく山本五十六海相であったなら、そして軍令部総長が永野修身でなく米内光政であったなら日本の歴史は変わっていたでせう。いま、ここに空しいタラレバの話しをしているのではありません。一般に太平洋戦争の研究では、開戦は日本にとって不可避であったと言う意見が多い。しかし、この戦争の不可避論は歴史的にはまだ証明されていないし、歴史をつくるのは人、特に指導者であることを思うと、日本にとり、太平洋戦争を避ける道は真珠湾攻撃の直前まで、決して閉ざされてはいなかったのです。

戦後の自由主義 民主主義の浸透、米ソ冷戦の谷間をぬっての経済的発展から、300万の人命の犠牲を払い祖先伝来の多くの財産を消尽したとしても、日本にとり太平洋戦争があった方がよかったと言う意見が力を得ている。しかし果たしてそうであろうか。? 海軍大臣として示した米内光政の見識と人柄から、昭和天皇の周辺では、米内を健康を害している内大臣湯浅倉平の後任者として、更には主相として考える向きがあった。

これらの情報は、元老・西園寺公望の秘書であった原田熊雄から山本五十六にもたらされた。それは原田が昭和14年11月30日、横須賀に在泊する旗艦「長門」を訪れたときであった。「海軍部内に大将はかなり沢山出たけれども、万一軍令部総長が辞された場合、あとを受け継いでゆく見識人格ともに真に信頼するに足る、軍令部総長は米内大将以外にはない。永野大将あるいは加藤隆義、長谷川大将のごときがあるが、それはとても問題にならん。」「自分はどうしても、陛下の幕僚長として米内大将がご奉公することが、むろん国家のためにもなり、また海軍のためにもよいと思う。」山本の原田に対する言葉だったが、この意見は原田から内大臣秘書官長・松平康昌に通じた。

しかし 米内は昭和15年1月に内閣を組織し、しかも予備役に入ってしまった。首相となるのはともかく、予備役になるのは軍令部総長に就任するのに、決定的な障害となる。ときの海相・吉田善吾や海軍省人事局長・伊藤整一(沖縄への「大和」特攻を指揮し最後は司令長官室に内から鍵をかけて「大和」と共に沈んだ。)は米内を現役に残そうと説得したけれども、米内自身がどうしても聞き入れなかった。

何度も言うやうに、予備役からは軍令部総長に推薦することは出来ない。ここから山本の苦闘が始まる。最後まで開戦を阻止せねばならぬ。太平洋戦争の直前に、責任の立場に立っていた海軍首脳の中で、もっとも早く、またもっとも強く開戦に傾斜していったのは軍令部総長の永野修身であった。永野の代わりに米内がそのポストに就いていたら歴史はどのように転回していっただろうか、この思いが私の脳裏からはなれないと野村実博士(一阿の兵学校時代の分隊監事・大尉・歴史学者・学術会会員)は言ってをられます。

緒方竹虎の米内を書いた「一軍人の生涯」はすがすがしい名著だが、私が八角にインタビューしたとき、八角三郎が協力しなければ、この著書は完成しなかったのでは・・」と。(緒方竹虎が、「朝日」で主筆をしていたころは、まだこの新聞もいまのやうにひどくはなかった。また緒方は首相になる直前病を得て逝ってしまう。) 野村 実は言う。「米内への大命降下は、昭和天皇と湯浅内府との合作と考えていた。」 八角三郎にインタビューした時の彼の言葉であった。(昭和38年12月20日)

私はその後、入手出来る限りの資料を集めて検討し、「米内光政の離現役と復帰」 と題する論文にまとめた。この論文は、日本歴史学会の『日本歴史』に掲載され、さらにあとで、わたしの学位論文(慶応義塾大学)の一部となったが、結論は八角の言明と同様だった。野村分隊監事(オ305) が戦後 膨大な資料を読破分析して、学問的見地から帝国海軍のありようと精神を記述された。それは米内光政・山本五十六を中心にした帝国海軍条約派の歴史的な意義でもありました。おやじ(分隊監事)は分隊会でも押し付けがましいことは一切話されず 「この辺にしておきませうか?、つつけますか?」と聞かれるのでした。

個人的な思いや感情は厳しく排除されました。しかし逝かれる最後の分隊会でポツンと「田結は早くいってしまったからナ〜。」 と独り言のやうにつぶやかれたのでした。 個人的なことは一切口にされなかっただけに、私はふと不安を感じていました。教官はその年の暮れ亡くなられました。田結とは71期のクラスヘッド田結保大尉(府立一中より兵学校まで主席を通した英才。昭和17年10月、軽巡「筑摩」にて戦死・サマール沖。21才)のこと、野村実は同期次席。翌年の分隊会で奥様は「主人は海軍の歴史研究にほとんどその生涯を捧げ、私どもの私的な時間はございませんでした。」と申されるのでした。その時私は、ふと、「教官は信頼する期友田結大尉の代わりに、自分の人生をかけて戦前燻し銀のごとき光を放っていた帝国海軍条約派の歴史を研究されたのだ。」 と思いました。

戦後、戦勝国の対日政策に流された浅薄な評論が横行しましたが、「凡将山本五十六」はじめ目を覆うやうな海軍批判本が氾濫しました。歴史は勝者によって作られます。そのお先棒を担ぐのがマスコミです。司馬遼太郎と仲が良く、産経新聞の主筆から筑波大学に移った青木彰(75期)はよく言っていました。戦後のマスコミが堕落したのは、マッカーサーの言うことを聞いてをけば、兎に角安全だとの安易な風習が染み着いてしまったからだ、と。

我が国は二千六百七四年の歴史の中で初めて外敵との戦いに敗れました。そしてかっての敵の言うままに、 軍備に意を用いず、「平和」「平和」 と言い暮らして72年。防衛費がGNPの1パーセントを超えたと言っては騒ぎ 北朝鮮が優れた弾道ミサイルを開発したと言っては騒ぐざまは、国民の感情を煽って国家を破滅に導いた戦前と何ら変わらない姿です。応仁の乱の頃、「この頃都に流行るもの夜討ち 強盗 偽綸旨(りんじ) 下剋上する成り出者・・・」なる落首があります。公序良俗が乱れた時代です。

粕谷一希が今の世を応仁の乱に準えました。この乱れた時代に畏れ多くも皇室に関する典範をいらったり宮家についての定めを決めてはならんのです。パイプをくわえた敵軍の大将がまずやったことは、国体の解体 つまり天皇制の廃絶です。これは連合国の停戦条件を無視したものです、武装解除した国ではやりたい放題です。

しかし当時の日本国民の一億決死の尊皇の情と共産党勢力が今ほど強くなかったことからあきらめました。まして朝鮮戦争で武装解除した旧海軍の見事な機雷除去能力を見るにつけこれを味方につける利を悟ったのです。そして天皇の御退位を諦めました。まして第一生命ビルでの昭和天皇とのご対面。この時陛下は「私はどのような処遇を受けてもよい。国民の安寧をのみ願う。」 とのお言葉に、心を打たれ、迎えるときは、傲然と自室に座っていましたが、お帰りの時は、わざわざ一階の出口扉までお見送りするのです。

しかしその後彼は宮家の廃絶に走ります。今皇位を継ぐ宮家が少ないと民進党あたりが騒ぎますが、女性宮家創設の前にする事があるだろうと言いたい。国体を考えると安倍首相が皇室典範の基本的な改編を先にのばそうと言う方針は正しいと言わざるを得ない。昭和21年から24年までの東大経済学部の状態は全く共産党勢力下にあったと言ってもよい。河合栄治郎教授を追い出し共産党の教授連がGHQのバックアップの下猛威を振るっていました。口では学問の自由とか言っていましたがひどいものでした。

大内兵衛 有沢広巳・山田盛太郎 国を売った横田喜三郎 共産党ではないけれども 宮沢俊義 や南原繁 数えるときりがありません。推計学の泰斗 増山元三郎がこの手法はわが国のやうな利益主体の資本主義社会では数字が誤魔化されるから正確には有効ではない。本当に役立つのは、中国のやうな共産主義社会です。と講義する始末。日本教育のヒエラルキーの頂点をなす学校がこの始末ですから、後は推して知るべしです。


ー つづくー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 12

2017/04/30 08:07
「澎湃寄する海原の大濤砕け散るところ」で、始まる「江田島健児の歌」は、「機(とき)到りなば雲喚(よ)びて、天翔け行かん蛟龍の、池に潜むにも似たるかな、斃れて後に止まんとは我真心の叫びなれ。」で終わります。

これは大正8年、兵学校創立50周年記念に第50期生徒神代猛男が作詞したのだと、初回に申しました。斃れてのちに、祖国の安寧を見守ってをられる樋端(といばな)久利男大佐は51期です。ブーゲンビル島ブインの上空で戦死されました。

P38が16機、群れをなして待ち構えていました。山本五十六連合艦隊指令長官自ら、前線の将兵を慰励する為、ラバウルから翔び立つ一式陸攻に副官として同乗し、長官を守るやうにすぐ後部の座席に座ってをられたのです。樋端(といばな)久利雄大佐の逸話は沢山あります。海軍部内で、その成績や逸材振りは群を抜いていました。私は幼稚園から85年親しくしている友達がいます。ある日、彼に樋端大佐を知っているか、と聞きました。故郷が徳島の大川だと知っていたからです。

すると、「知るも知らぬも、俺の一番尊敬する人や。」と答へたのです。友とは神戸の長田小学校(菊水が帽子の紋章=楠正成)も神戸二中(会下山の麓・湊川のほとり=正成戦死の場所)も同期、しかし、旧制高校からは別でした。彼は五高(熊本)ー京大、そしてリベラルの路線です。

「親父から樋端さんの名前はよく聞いた。大川・・白鳥で樋端(といばな)の名前を知らぬ人間は居らん。貧しい農家の三男で、海兵に合格し、抜群の成績で卒業、数々の作戦で名を馳せた。「樋端」の名を知らんやつはもぐりや」 全く海軍とは縁もゆかりもない友人の方が、私よりよく識っていたのには驚きました。 「樋端ターン」は有名です。

日支事変の頃、新聞にはよく「重慶、渡洋爆撃」の記事が踊りました。その頃、飛行機はプロペラで時速た400キロが良いところです。まして 深夜何の目標もなく海を越え、千キロも飛んで帰るなんてことは、GPSのない時代には、至難の技です。しかし海軍航空隊にはそれが出来たのです。 航空用の天測を使い、空に輝く恒星を六分儀で捉え自機の位置を知る高度の技術を習得していました。 天測は勿論大航海時代からありましたが、20ノット〜30ノットの艦上の作業です。航空機となるとスピードは何倍にもなります。極めて高速て精密な作業が要ります。

さて、問題は重慶上空の空中戦です。蒋介石はソ連から購入した イ-15 イ-16 etcの新鋭機を多数上空に配備しています。そこで樋端大佐は奇抜な作戦を思いつきます。つまり、戦闘機は長く飛べないので、一旦ターンして引き返すと見せかけ、追って来た敵機の燃料が切れるのを見届けてから、重慶を爆撃し多大の戦果を挙げたのでした。世に言う「樋端ターン」です。 最後の連合艦隊指令長官 小澤治三郎は「わしに航空作戦を教えて呉れたのは、樋端だ。」 と言っています。彼の戦死は中央にショックを与へ、日本海海戦の最高の功労者、秋山真之の死にも例えられました。

51期には 小園安名 大井 篤 実松 穣 の諸先輩もいます。小園安名大佐は敗戦時302空(厚木)の司令で首都防衛の任に当たっていました。海軍最大最強の航空部隊です。首都をまもる司令は樋端大佐が最適だったのです。敗戦時、大佐は国体から考えて降伏は有り得ないと、徹底抗戦の信念を変へませでした。玉音放送は中央の偽作だと考えたのです。「302空は降伏せず。以降指揮下より離脱する。」。まだ厚木には秋水(ジェットエンジン)も零戦も彗星も彩雲も月光も勢揃いしていました。

しかし既に玉音放送があり、わが国は終戦を受け入れております。彼は米内光政や高松宮の説得にも肯んじなかったのです。しかし8月22日ついに302空は武装解除されます。23日山澄忠三大佐等(大本営厚木連絡会)の片付けの後一週間後、マッカーサーがパイプをくわえて厚木に降り立つのです。小園大佐はマラリヤの為40℃の高熱を出し、解熱剤を打とうとした者達を拒否したので、数人で取り押さえ、海軍病院(精神科・現在久里浜の国立アルコールセンター)に閉じ込められた上、精神錯乱として手足をしばったまま飲ませず食わせず放置するのです。よく命がもったものです。

やがて軍法会議にかけられ、海軍の軍籍を剥奪された上、無期禁固刑に処せられます。彼が出所するのは、昭和28年恩赦によってです。(講和条約締結)。 しかし海軍の軍籍は剥奪されたままです。そして、昭和35年昭和11月1日鹿児島の一農民として人生を終えます。奥様に軍人恩給が支給されるのはずーっと後のことです。

小園大佐を悪く言う人は一人もいません。あの坂井三郎(零戦の撃墜王)も生命の恩人と書いています。反抗罪で銃殺を覚悟していたところ不問に付してくれた のは時の副長 小園大佐なのです。ラバウルの下士官・ 兵の食事が余り劣悪だったのので文句を言ったところ、若手の士官が激越な叱責をするので、彼(坂井三郎)は遂に威嚇の発砲をします。副長(小園大佐)の前に立たされた坂井上等兵曹は腹の底から真実を告げます。小園は一言「何故俺に直接言わん」と裂帛の気合いを発し、翌日から下士官・兵の食事は改善され、坂井三郎にはなんのお咎めもなかったのです。更に小園は斜銃の発明をします。

ラバウル航空隊は、マリアナ沖海戦後B17の夜間爆撃にあい被害が増えていました。ラバウルへ赴任した小園は敵機の弱点が機体の下部後方にあることを見つけ、攻撃機前方の銃を斜上方に向け固定させたのです。探照灯の光に照らされたB17の胴体下部は丸見えですが、零戦の機影は見えません。この小園式斜銃によってあれほど猛威を振るったB17は、次々と撃ち落とされ、ピタリと襲来は止まりました。やがて302空の司令として首都防衛に当たった際にも、あの「空の要塞」 「B29」 を80機も撃墜しました。斜銃のお陰です。

B29は8000b を飛行し、 零戦は 6000bまでが限界です。彼はこの敵機を6000bまでおびき寄せたのです。剛胆でしかも温情溢れる小園安名大佐を悪く言う人はいません。けれども正邪から言うと、「邪」であり、君命に反した国賊です。

しかし、レイテ特攻で出撃しながらサンベルナンジノ海峡を出たところでニミッツの反撃に曝され理由不明のまま謎の反転をして帰国した栗田艦隊のあの栗田長官と小園大佐のどっちが好きかと聞かれたら、間髪を入れず「小園」と私は答えるでせう。゛世の中の大切なことは大抵好き嫌いて決まる。と言う人がいます。私もそう思います。

小園さんが何故玉音放送を信じなかったか。当時の中央が乱れていたことを知っていたからだ、と言うむきもあるくらいですから、そうかも知れません。純真で純粋な小園さんのことです。昔(2010・1〜2)瑞雪というブログ名で投稿してくれた友人がよく言ったものです。「大東亜戦争を戦ったのは海軍では50期代だ。」 そう言えば、60期代は大尉 70期代は 候補生上がりでした。75期はまだ候補生にもなっていませんでした。尤も70期の散華率は最も高いと言われています。諸先輩のご冥福を祈ります。

瑞雪はあれからすぐ先輩の後を追いました。いい男だった。それにしても、この最も大事な好き嫌いの感情を煽るのが「マスコミ」です。戦前は海軍の条約派の方々が生命をかけて開戦阻止に奔走しても、「朝日」を始めとするマスコミが如何に国民を煽り戦争へと駆り立てたか。それはこの胸に鮮明です。

そして戦後はマッカーサー万歳 共産党万歳。抗日 反日 リベラルと 驚くやうな変身振り。今や、共産党が胸を張り、平和呆けした観念的な左翼政党が目先のことだけにウロチョロする落ちぶれた日本の姿を見て、大正8年の記念歌「斃れて後に止む」の覚悟そのまま、祖国の為に戦われた諸先輩方は、どのやうなお心で見ておられれでせう。

一阿も小学二年で今上陛下こ生誕のサイレンを聞き、ヒットラーユーゲント と講堂て握手し王兆銘が派遣した少年達と合唱し、二・二・六事件も生でニュースを聞き、山本五十六 長官が亡くなってからだけれども海軍の飯を食い、戦後は河合英治郎を追い出した共産党の教授連中の講義を聞き、企業多角化・高度成長期のサラリーマンをやり、平和 平和 リベラル 軍備反対 軍事予算がGNPの1% を超えたと言っては騒いだ時代を過ごしてきました。

そして心の中にはっきりと残っているのは長い戦後のことではなく、あの一年八ケ月の海軍兵学校の生活です。 粕谷一希が今の世を「応仁の乱」に例えたことがあります。何かどこか狂っているやうに感じてなりません。 早く マスコミでない、もっと本質的な心が日本の心を感じてくれる日の来ることを切に祈ります・・・。


ー つづくー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 11

2017/04/03 07:00
前回は、伏見宮博恭王殿下の御生涯を少し詳しく書きました。それは、戦前帝国海軍が如何に、日独伊三国協定に反対し、開戦を阻止しやうと必死の努力をしたかを具体的に述べるためです。敗戦後、戦勝国の教育や宣伝を信じた日本国の知識層は軍隊と言うと戦争が好きで、まるで暴力集団のやうに思っていますが、そうではないのです。自分の国は自分で守る。全ての国はそれが基本です。

だのに、わが国だけは、よその国に守ってもらうと言う変な憲法を、変と思わないでやって来ました。憲法改正絶対反対と、共産党と一緒に騒いでいたら、二千六百有余年も続いた希有な国も地上から消えてしまうかも知れません。決して大袈裟なことを言っているのではありません。アインシュタインやロスチャイルドやモルガンやテビアスやメニューインやあらゆる学会・財界・芸術界の著名な方の多いユダヤの人達がどのような人生を歩んでいるか。チャンとした祖国を持たない民族の悲哀がひしひしと伝わって来ます。

地球上のあらゆる民族に排斥されたユダヤ民族が流浪の果てに、シオニズムによりイスラエル国を造りますが、どんなに日本が羨ましかったでせう。 ところが、日本の現状はマスコミ始め平和ぼけしたリベラルと称する識者・政治家・市民達は、祖国を忘れた流浪の民のやうに「人権」「人権」と叫び 、兎に角安倍内閣を潰そうと躍起です。

日本をどこへ持って行こうとするのか目標もなく、最近では天皇制を廃止しやうとする共産党と手を組む始末です。安倍政権がなぜそれ程イヤなのか、それは日本が昔のやうなチャンとした国家になってゆくのがイヤなのです。これまで、厳しい世界の動乱をよそに、また、「恨」を民族的習性に持つ隣国や反米諸国の地政学的結束を知ってか知らずか、平和・平和と叫んでをれば、それで飯が食えた時代が過ぎて行くのが具合がわるいとしか思えません。

安倍政権はとにかく、教育法を改正し、防衛省を創設し、集団的自衛権に道をつけ、乱れきった「公序良俗」を何とか立て直し、ささやかですが、国防に力を入れて来ました。最近では、「かが」建艦まで漕ぎ着けました。反日・亡国論文が生活の糧であった人達にとってはそりゃあ憎いに違いがありません。

森友学園に国有地を安く売ったと騒いでいますが、彼らが政権を取った時は、どうだったでせう。北京にいた日本大使(ある商社の社長をやっていた男)は奔走して、東京の一等地(中国大使館に隣接した広大な国有地)を中国に提供したではありませか。8億や10億の話ではありません。 この時、朝日 毎日 等サヨク系新聞は殆ど記事にせず、識者や市民さん達は全く無関心だったのを思いだしませう。

その後この商社は中国の商圏を随分と拡張したと言う話です。あの菅直人の時代です。北朝鮮が益々核武装を高度化し、中国の尖閣列島侵略が現実味を帯びて来ている時に、国家観のない議員達が森友森友と歓声を上げている様を見ると、世界のチャンとした政治家や識者は失笑しているのではないでせうか。

さて、山本五十六長官は、伏見宮博恭軍令部総長が御高齢の為身を引かれる後任に、米内光政海軍大臣をと奔走していました。前回の「澎湃寄する海原の10」でもお分かりのやうに、伏見宮は海軍部内では「艦隊派」的なお考えを持たれ、然も殆ど絶対的な権威そのものでありました。

昭和15年9月15日 夕刻、海軍省構内の南西隅、日比谷公園の反対側にある海軍大臣官邸で、日独伊三国同盟条約についての海軍首脳者会議が開かれました。山本五十六も瀬戸内海の柱島泊地から上京し、会議に参加します。会議の冒頭、軍令部総長の伏見宮が発言します。「ここまで来たら、仕方がないね。」 この発言が、同盟についての議論を封じました。反対するつもりで上京した山本は、わずかに 「この条約が成立すれば、アメリカと衝突するかも知れない。現在の航空兵力では、甚だしく不足している。」 との主旨を述べたに過ぎません。会議は日独伊三国同盟に賛成と決定してしまいました。

山本は翌日16日午後11時には離京し夜汽車で呉に帰らなければなりませんでした。彼は不安を必死にこらえていました。翌16日朝、山本は海軍省へ行き及川海相に会います。「あるいは、ドイツのため火中の栗を拾うことになるかも知れないが、アメリカはなかなか立つまい。」及川はのんびりしている。 これではとても危い。一刻も早く、米内光政を博恭王の後任の軍令部総長にしなければいけない。山本は焦ります。

しかし、博恭王に軍令部総長の席を譲れとは誰も言えない。その上、予備役から現役への復帰と言う難問もある。米内は総理大臣で現役から予備役に編入されている。 ふと、山本に妙案が浮かびます。現在、連合艦隊指令長官と第一艦隊指令長官の分離が検討されている。この案に従って、まづ米内を現役に復帰させ連合艦隊指令長官にする。自分は第一艦隊指令長官に残れば、全てが無難に進む。その時、山本は連合艦隊指令長官と第一艦隊指令長官を兼務していました。

やがて、時期がきたとき、博恭王の退任、米内総長の実現と言うことになるのではないか。山本は及川に、この米内の現役復帰を、思い切って進言しました。16日午後11時、東京駅のプラットフォームには、親友の堀 悌吉が見送りに来ていました。首脳者会議に呼ばれていた第二艦隊指令長官の古賀峯一とは同じ寝台車で同行となります。しかし、堀も古賀も山本の進言はまだ知りません。今から考えると、この時山本五十六は、単刀直入に、「米内総長案」を及川に進言した方が、日本の歴史の為には良かったかも知れません。

昭和天皇が、山本の進言と日時を同じくして、博恭王更迭の意向を開示なさるのです。昭和天皇は9月16日、内大臣木戸幸一に、参謀総長閑院宮載仁親王とともに、博恭王の勇退につきご相談遊ばされたのです。木戸の日記からは木戸が言上した内容はわかりませんが、天皇の両総長勇退の御意図に賛成であったことは確かです。翌17日、侍従武官長の蓮沼蕃が呼ばれ、昭和天皇からその実現方を指示されます。

その時点では陛下はご存知なかったけれども、米内内閣が倒れたのは、参謀次長の沢田茂と陸軍次官の阿南惟幾が共謀して、閑院宮にお書き頂いた辞職勧告文を畑俊六陸相に突きつけ、後任陸相を出さなかったからですが、閑院宮が参謀本部の部下に担がれているだけの存在であったことは、すでに明らかでありました。

海軍部内では、昭和天皇と博恭王とのご見解の相違が表面化したことは度々ありました。また、昭和天皇が国際協調を重視され、博恭王が国家主義的なお考えであったことは、今まで申し述べて来ました。昭和天皇は条約派的であられるのに対し、博恭王は艦隊派的お考えでありました。山本五十六は海軍航空本部長 海軍次官 として長く中央にあり、このことに気づいていない筈はありません。

それにしても、昭和天皇が、博恭王の更迭を木戸に言明なさった日と、山本が米内連合艦隊指令長官案を及川に進言した日が全く一致するのは、運命的でさえあります。

昭和天皇の指示を受けた蓮沼は、総長の交代を東条陸相と及川海相にはかります。東条は直ちに同意するのですが、及川は「博恭王」の交代は「絶対にこまる」として、9月19日朝、蓮沼を往訪して確答します。海相就任後まだ二週間の及川が、いくら天皇のご意向であるとは言え、博恭王に伺候して退陣を要求する勇気が無かったのだと考えられます。やがて、10月3日に杉山元が参謀総長に、伏見宮博恭王は留任となります。あれほど山本が日本の行く末の為熱望した。米内軍令部総長の実現は、ここに潰えます。

私が18才の時、江田島の海軍兵学校の一号時代、分隊監事 野村 実 大尉 (防大教授・文学博士)はこう結んでおられます。 昭和15年9月16日朝、山本が及川に、米内の連合艦隊司長官の先に軍令部総長が最終の目標であることを打ち明けていたら、及川は博恭王につぎのやうに言うことができなかっただろうか。

「侍従武官長が参りまして、陛下の思召しを伝えてまいりました。いまは元帥府は、伏見宮殿下 閑院宮殿下 梨本宮殿下のお三方で構成され、両殿下が軍令部総長と参謀総長であられますから、元帥府は全く有名無実となってをります。陛下は時局の進展とも関連し、軍事上の最高顧問である元帥府の確立を望まれ、両統帥部を臣下から任命し、両殿下がもっぱら元帥府にあられて、陛下をお助けいただくことを、ご期待しておられます。軍令部総長の後任としては、軍令部関係の勤務も多く、連合艦隊指令長官 海軍大臣 総理大臣 を歴任した米内が適任と考えますので、陛下にお願いして現役に復帰させ、総長に任命していただけたらと思います。」

とにかく 絶好のタイミングであったチャンスは空しく去った。野村分隊監事は「澎湃寄する海原の・5」 でも述べましたが、いつも水のやうに透明で静かな方でしたが、この時ばかりは、熱情溢れ、まるで自分が、海軍大臣及川古志郎になりかわったやうな迫力で文字を綴ってをられます。 日本をこの苦境に追い込んだ瞬間が、よほど胸に響かれたのでせう。

銀鷹会の席で70期の三浦 節さんと 「世が世なら、野村さんは海軍条約派の総帥になってをられたろうに。」と話しあったものです。 何故、何度も何度も 無き兒の年齢を数える愚を繰り返すのか。それは若い方々に、かってわが国には、決して戦わない、非常に強い軍隊があったことを知ってもらいたいからです。それは、『大日本帝国海軍条約派』です。私はいつも あの 「河合栄治郎」 の人生と重ねて見ています。


ー つづく ー


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寝言の 「米国新大統領 トランプ氏 雑感」

2017/03/11 07:00
【はじめに】

 昨年末の選挙時から、トランプ氏の発言がアメリカ国内でも、マスコミの影響もあり、大々的に、世界中に宣伝された(日本も例外ではなかった)。

 人間には、多くの性格の異なる人が居る。
㋑ 直情径行型 信ずるままに行動する
㋺ 優柔不断型 ぐずぐずして決心がつかない

 この二つは、正に正反対の性格の人間を表す言葉である。正反対とは云えないが、前大統領のオバマ氏とトランプ氏は、対照的性格の持ち主と云えよう。その違いの段差がトランプ旋風の一因とも云える。
 然しマスコミの宣伝から、彼を極悪非道の人間と判断するべきではない。



 【「西欧文明の晩鐘」今後更に高まる】

 アメリカが「世界の警察官」の役を降りて、久しい。トランプ氏には、その姿の再現に憧れている節が見える。然し彼は「西欧文明の晩鐘」が耳に入っていない。「白人優位の思想」は既に消え去り、小国メキシコでさえ、トランプ氏の暴言に敢然と対応している。西欧文明がパワーで世界を正しく指導出来る時代では無いのだ。

 過去約五世紀に亙る、白人の有色人・後進国に対する、非人道的な行為を、認識、反省しなければ、トランプ氏の憧れは、実現すべくも無い。

 一方日本安倍首相は、トランプ氏が世界に注目される前に、トランプタワーの最上階の私邸に招待され、お互い信頼を深めている。首相の灼眼と云える。トランプ氏が大統領に就任後も、日米関係改善に対等の立場で相談して居り、結果を出している。内心トランプ氏は、日本・安倍首相に一目置いていると思ふ。

 今後の問題は、トランプ氏の補佐役の能力と思想である。直情怪行型のトランプ氏には必須条件であろう。

 日米関係にしても、戦前戦後の歴史を詳細に調べれば、米国が如何に、日本に対して言語に絶する、悪行で対峙したか、明白である。
 その底に、消し難い、「人種差別」、「白人優位」が確認される。科学者アインシュタイン氏の、日本国、日本人に対する評価と期待の正しさが思い出される。結論は「眞実に勝る、策略はない」のだ。


―終わり―


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 10

2017/03/07 07:00
「海軍軍人で政治に関与するのは、海軍大臣ただ一人である。」という言葉は 兵学校時代よく聞きました。青年将校達の最高の憧れは、連合艦隊司令長官であり、決して海軍大臣や軍令部総長ではありませんでした。

さて、 伏見宮博恭(ひろやす)王のことを知らなければ、昭和の日本海軍を理解することは出来ないとよく言われます。博恭王は、明治8年伏見宮貞愛(さだなる)親王の第一王子として生れ、9才の時、華頂宮を継がれます。華頂宮博経(ひろつね)親王は伏見宮から出られ、華頂宮を創られますが、アナポリス(アメリカ)の海軍兵学校時代、訓練中負傷され、これがもとで亡くなります。伏見、華頂両宮家は協議の結果、勅許を得て、博恭王を華頂宮の後継者とします。

やがて博恭王は明治天皇の聖旨により、明治19年4月、築地・海軍兵学校の予科生徒となります。戦前は皇族男子は健康と能力さえ許せば、海軍将校か陸軍将校になるのが原則でした。その後、伏見宮博恭王はキール(ドイツ)の海軍兵学校に入られますが、その経歴は、海軍軍人の尊敬を集め、中心的存在とるのに十分なものがありました。

しかし運命が博恭王を艦隊派的お考えに導いて行きます。そして条約派的お考えの昭和天皇と微妙に違う立場にたたれます。(このことは後で述べます。)当時築地海軍兵学校は、浜離宮に向かい合う広大な地域を占めていました。現在は中央卸売市場 海上保安庁水路部 国立ガンセンター等になっています。博恭王が築地海軍兵学校で学ばれた3年間は、いわゆる鹿鳴館時代で生徒が華美に流れ、自由民権思想に影響されて、政治に興味を持つことを慮って、明治21年8月、江田島に移されました。

さて、博恭王は少佐のとき華頂宮から伏見宮に復帰されますが、 宮のご性格をよく現している事件が起きます。昭和2年8月24日 夜半、島根県 美保ヶ関沖の暗夜の海上で、連合艦隊の基本演習が行われていました。ワシントン軍縮条約によって、主力艦・空母を劣勢比率に制限された日本海軍では、必勝戦法の一つとして、夜戦が最も重視されていました。美保が関事件として知られるこの夜の大惨事は、水雷部隊の暗夜高速の襲撃運動中に起きました。駆逐隊の一番艦「神通」と後方から突進して来た駆逐艦「蕨」が衝突したのです。 「蕨」は火炎を発し、艦体が切断されて沈没、104人が死傷しました。

次いで軽巡隊二番艦「那珂」と突進中の駆逐艦「葦」が衝突しました。「葦」は三番砲から後部を切断され29人が死傷したのです。二隻の軽巡にも大損傷がありました。「神通」 艦長 水城圭次大佐は責任を感じて、同年12月26日、自刃して果てました。このとき、軍事参議官であった伏見宮博恭王は水城大佐の自刃に深く感動され、自ら水交社へ赴いて礼拝する意向を示されました。

海軍軍令部長 鈴木貫太郎は、岡田啓介海相と相談し、御付武官の差遣が適当であろうと御進言申し上げたのですが、伏見宮は自分の礼拝によって遺族が迷惑したり、世間が騒ぐことのないことを確認すると、通常礼装で、水交社に赴き、水城の霊に深く礼拝されたのでした。当時の皇族のお立場は今と全く違います。伏見宮と水城大佐は生前何ら特別の関係はなかったのです。

お若いころ、伏見宮は海軍少佐で、第三分隊長として「三笠」の後部砲塔を指揮されますが、東郷平八郎司令長官のもとに黄海海戦を戦って負傷されます。殿下(伏見宮)は海軍軍人として最も重要な操艦の技量にも優れ、周囲の敬意を集めるのに充分な能力を持ってをられたのです。やがて昭和7年2月海軍軍令部長に親補され、大東亜戦争前の日本海軍の政策決定に、重大な影響を与えるやうになられます。

ところで、第一次・第二次の世界大戦の基調をなすのは、イギリスとドイツの対立ですが、特にウィルヘルム二世の海軍政策とヒットラーの東方政策が、イギリスを刺激したことに起因すると言われています。日本は第一次世界大戦では、イギリスと同盟してドイツと戦い、第二次大戦ではドイツと同盟してイギリスと戦いました。前者では、勝利者の列に連なり、後者では国家を滅亡の淵に投げ込みました。

さて、昭和天皇が、国際協調を重視され、常に平和をお望みであったことは疑う余地がありません。昭和天皇の御生誕は、明治34年、翌年には日英同盟が締結されています。爾来20年間は、日英同盟の全盛期でした。また大正デモクラシーの時代でもありました。皇太子時代には、イギリスに外遊遊ばされ、イギリス王室とのご親交もお有りになりました。陛下が海軍条約派的お考えの持ち主であったことは、これらの背景と無関係ではありません。

しかし一方、伏見宮は、海軍軍令部長・軍令部総長であり、大東亜戦争の直前約10年近く、海軍部内ではほぼ絶対的な権威を持っておられましたし、昭和天皇といえどもこれを無視することは容易ではなかったのです。 日本を奈落の底に突き落とした日独伊三国同盟に昭和天皇は反対のお立場をとられ、伏見宮は賛成の側に回られます。前にも申し上げましたが、陸軍は明治以降ドイツに学び、海軍はイギリスを範としましたので、必然的にこの同盟に対して、採るべき道は違っていました。

陸軍は日独伊同盟に賛成し、海軍は反対でした。ただ既述のやうに、海軍の中でも、艦隊派は賛成の気持ちを持っていました。 ここで申し上げたいのは、観念的に是非善悪を決めつけ、サヨクリベラルのえらいおじさん達のやうに、戦争責任を追求して、極東裁判がどうの軍部がどうの、軍国主義がどうのと、「歴史の綾」 を無視して、無国籍人のごとく、子供っぽい断定で結論をだすことだけはしたくないのです。

日本の軍隊は万葉の「防人(さきもり)」の時代から歴史の中を流れてきました。それは、歴史と共にあります。進歩的有識者達が簡単に軍部を批判し、返す刀で「反省」「懺悔」のビラを撒き散らす様を見ると、私は詩人那珂太郎(海軍兵学校・国語教官)が「鎮魂歌」(藤村記念・歴程賞)で書かれた一節を思い出します。「・・・戦後の高みから、平和時の正論をもって、自らの心の痛みなしに批判し断罪する者が・・・」と。

我が分隊監事・野村 実 大尉(歴史学者・文学博士)も開戦までの微妙な成り行きを「万事塞翁が馬」という表現を使って歴史と対応させてをられます。 前ブログで述べましたが、山本五十六長官は、この日独伊同盟には絶対反対でした。全力を尽くして同盟阻止を画策します。しかし ほんの僅かの齟齬がこれを阻みます。

ところで、明治天皇はお年齢(とし)を召されてから、ご病弱な嘉仁親王(大正天皇)の行末を案じられ、伏見宮博恭王を親王の「相談相手」として起用なさるお心を持ってをられたと拝察されます。ある時、戦艦「朝日」の艦長であった伏見宮が士官室にこられた時、士官一同の前で、「自分は艦長としては、これがおしまいかも知れない。実は明治天皇の思し召しもあって、皇太子殿下の御相談相手になるかも知れない。それで、皆しっかりやって、『朝日』の成績を揚げてもらいたい。」と述べてをられるのです。

(明治44年) 昭和天皇は少年時代から、明治天皇や大正天皇とそのやうな関係におられた伏見宮博恭王の姿を見聞して成長されました。昭和天皇の即位大礼は、昭和3年11月でしたが、すぐあと12月4日に横浜港外で、大礼特別観艦式が行われます。伏見宮は即位大礼に参列された後すぐ海軍大将・軍事参議官として、お召艦、戦艦 「榛名」に乗艦し、昭和天皇が東京駅につかれるまで、ずっと天皇と共にありました。大正時代の日本海軍にとって、博恭王は昭和天皇の分身でさえありました。

博恭王が海軍軍令部長に就任すると、昭和天皇と博恭王の距離は益々接近され、博恭王の御発言は、海軍部内ではほぼ絶対的な権威を持っていましたので、前にも書きましたやうに、昭和天皇といえどもこれを無視することは容易ではなかったと、拝察されます。博恭王は日本海軍の誕生と共に歩まれ、日本海軍が消滅した敗戦の翌年亡くなりました。日本海軍の齢(よわい)とほぼ同じなのです。

しかも、昭和天皇は条約派的お考えを持たれ、博恭王は艦隊派的なお考えで進まれました。山本五十六、米内光政、各提督と伏見宮軍令部総長御退任の問題は次に述べます。昭和15年 ドイツの快進撃を見て、マスコミを始め国民の殆どが、ドイツ病にかかり、熱病に我を忘れていた時に、昭和天皇は如何に御宸襟を痛められ、日本海軍の条約派の提督達が苦慮したか。

大切なことは、目に見えないところにあります。 我々の先祖が国を守り国民を守るのに、どんなに苦労したか、そして命を擲ったか。それは歴史の底を流れて、日本国の潜在意識になっています。「やまとごころ」です。他の国の意識や観念に染まり、目に見えることだけに現(うつつ)をぬかし、リベラル リベラルと叫ぶのはとても危ない。日本は共産主義国家でもなくアメリカでもロシアでもありません。戦後70年間、我が国は変な方向に行ってしまっています。

早く元に戻らないと子孫に桜の美しい祖国を引き継げなくなります。北朝鮮が弾道ミサイルを三発日本の排他的経済水域に、正確に撃ち込んだその日に、小さな地方問題を手柄顔に、安倍叩きに余念のない共産党や民進党等々の面々をみていると、背筋が寒くなります。


ー つづく ー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 9

2017/02/13 07:00
「Fleet in Being」 と言う言葉があります。戦前の帝国海軍が守ってきた考え方です。攻撃するのが目的ではなく、存在自体が国力であり国防になると言う考え方です。

僅か1年8ヶ月の兵学校生活では、海軍の幼稚園生で、とても戦前の深い帝国海軍の事情は語れません。ただ、戦後分隊会で話された野村実分隊監事(大尉・文学博士・「澎湃寄する海原の」5参照)のまことの言葉は伝へたいと思います。

海軍には、「艦隊派」と言われる海上艦艇に重きを置く保守的なグループと、大鑑巨砲にこだわらず国際条約を重視し「Fleet in being 」の考えを重視するグループがありました。この方々は、航空戦力を重視しました。山本五十六長官(元帥)もその一人です。生命をかけて終戦の工作をされた、鈴木貫太郎、米内光政 井上成美 、と言った提督は条約派です。人口に膾炙している方々には 堀 悌吉 山梨勝之進提督がいます。

堀悌吉は山本五十六と同期(32期)であり親友でした。山梨勝之進は今でも表参道の「水交会」のロビーに掛かっている扁額「君子交淡如水」(君子の交わりは淡きこと水の如し。=水交会の由来。)を書かれた方です。戦後、学習院院長、皇太子(今上天皇)の御養育係をされました。例のヴァイニング夫人が米国から派遣され、軍国主義にまみれた文化的後進国 日本の皇太子に民主主義を注ぎ込むのだ、と手ぐすね引いてやって来ますが、山梨勝之進に触れ、すっかり心が変わり、自分は思い上がっていたと反省しながら帰米したと言われます。

さて、山本五十六は何時艦隊派から条約派に変わったのでせうか?ロンドン海軍軍縮会議は昭和5年4月22日に調印され、山本は一行と共に北野丸で神戸に帰着しますが、その日(6月17日)港内の船上から反町栄一にあてて、「会議の成績に鑑み、汗顔の至りに御座候」と書簡をしたためています。これは前にも書きましたやうに、ロンドン ブロクナーハウスでの対立で、彼がこの条約に不満を抱いていたことを表しています。

この対立が、東京の海軍省と軍令部の対立に移り、やがてそれが倒閣運動に絡んで、政友会と民政党の対立に移行して行きました。帰国した山本は、かっての海軍大学校時代の尊敬する教官であった海軍次官・山梨勝之進や、同期の親友・海軍省軍務局長 堀悌吉が、気性の激しい軍令部長 加藤寛治や政治的策動の多い末次信正などに、「統帥権干犯」のスローガンのもとに攻撃されたのを知ります。山本は自分のいない6ヶ月間に海軍中央部で起こった変容ぶりに衝撃を受けたと思われます。山梨は末次と喧嘩両成敗の形で、軍令部出仕に退いていました。

「統帥権干犯」の言葉を新造したのは、後に二二六事件の黒幕として刑死した、北一輝です。 もともと、「統帥権」などと言う魔物には海軍軍人は関心はなかったのですが、政争には絶対中立であるべき海軍が、不用意に巻き込まれて行きます。前述しましたやうに、山本五十六は、純軍事的な考え方と交渉技術の上から、条約調印に反対したのですが、「政友会」の代議士達が、未熟な軍事理論を振りかざし、倒閣の目的だけの論陣をはるのを正視出来なかったでせう。

今もそのやうなことが、「民進党」の代議士あたりの発言にほの見えます。山本は帰国後、病気と称し、一切の面会を断ち、鎌倉の自宅に引きこもります。しかし 山本は条約調印が軍事的には、大して問題はない、と気づいたはずです。かれは航空兵力のことを考えておりました。気を取り直した山本に待っていたのは、海軍航空本部技術部長のポストでした。こう考えると、山本がロンドンから神戸に帰着した、昭和5年6月17日が、その考え方が艦隊派的から条約派的に移行した分岐点と考えられます。山本が本当に残念がり、後悔の臍を噛んだことが一つあります。

なぜこんな死んだ兒の歳を数えるやうなことばかり書くかと言いますと、今の識者と言われ、サヨクリベラルの人達が、一度も軍隊の経験もなく、軍隊がまるで国家や平和を壊す魔物のやうに思い込んでいる様子を見て、決してそうではないことを告げたいからです。

「戦闘」と言う言葉で、頭のテッペンから黄色い声を出して倒閣の目的だけの為に防衛大臣にくってかかる姿を見るにつけ、まるで87年前に逆戻りしたやうな錯覚に陥ります。軍隊と言うものは。共産党の言うやうな人を殺す集団でもなく、侵略を目的とする集団でもありません。帝国海軍はマスコミや政府の戦争指向に対し、昭和天皇の大御心を体して、最後まで戦争に反対したのです。昭和天皇は条約派的なお考えを持たれ、伏見宮は艦隊派的なお考えでした。このことは後で述べます。

陛下が如何に米内光政を信頼されたかは、よく知られています。「軍隊」と言うと、陸軍も海軍も混合し、艦隊派も条約派も知らず、反対 反対と叫ぶ人達は、本当に・・・「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して、われらの安全と生存を確保」・・・出来ると信じているのでせうか。? どんなに苦しくても、自分の国は、自分で守る、と言うのが、自然の理ではないでしょうか。米国が守ってくれるのせうか、EUですか。ロシヤですか、中国が守ってくれるのですか。

我々はそろそろ共産党の観念と決別し、共産党と手を組んで倒閣のみに狂奔している民進党やこの種野党のヴェクトルを変えて行かないと、気がついた時には、時既に遅しの危険を味わはないとも限りません。 さて日本の帝国海軍は最後まで戦争に反対をしました。それはまだ国力が戦争に耐えるほど成熟していないと分析したからです。国力と言います。国力は戦力 経済力 外交力 政治力 文化力教養力 健康力等々色々あると思いますが、今でもその50%は戦力が占めているのではないでせうか。日本には戦力はありません。経済力その他、だけで、諸外国と対応するのは無理があります。

再軍備と言っても、航空母艦や戦車やミサイルを造れと言っているのではありません。 宇宙をも含め、日本国民の全知全能を集中して、自分たちの生命と安全と幸せを守る組織を創ると言うことです。機密を守ると言う一つをとっても、民間と軍隊では全く違うのです。戦後どれだけ大切な機密が盗まれたか? 。わが国がスパイ天国と言われる所以です。

さて、山本五十六が、ハワイ空襲の構想を、海軍大臣の及川古志郎に打ち明けたのは、昭和15年11月下旬でしたが、その時はまだ、あとでハワイを空襲することになる第一航空艦隊は、編成されていませんでした。

この時、海軍中央部は、連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官を分離する方針を検討していました。山本が兼務していた2つの司令長官のポストを分離し、また第一航空艦隊を新編する日は、昭和16年4月と計画されていました。山本は次のやうな書簡を、及川に出しています。「小官は本ハワイ作戦の実施に方りては、航空艦隊司令長官を拝命して、攻撃部隊を直率せしめられんことを切望するものなり。爾後、堂々の大作戦を指導すべき大連合艦隊司令長官に至りては、自ずから他にその人ありと確信するは、既に曩に口頭を以て意見を開陳せる通なり。

・・・この書簡の表面上の意味は、4月の編成換えの時、米内連合艦隊司令長官・山本第一航空艦隊司令長官でやって欲しい。と言うのですが、これだけでは、如何にも不可解なことが多すぎます。

その頃は、国家の政策として、まだ全くアメリカと戦争しやうなどと言う構想はなかったし、むしろ対米戦は避けなければならないと言うのが大勢でした。アメリカと戦ってはいけないと言う山本が、自身でハワイを空襲して、戦争を開始すると言うのは、如何にも合理的ではありません。また避戦派の筆頭の米内が、連合艦隊司令長官として対米戦を指揮すると言うのもなんとなく空想的です。しかしその裏をつめて行きますと、米内軍令部総長への深い伏線であったことがわかります。


ー つづく ー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 8

2017/01/31 07:00
第一次世界大戦の後半、ドイツは国際法を破り、無制限潜水艦戦を宣言します。(1917年、2月1日)。 そして、モンロー主義路線を走って来たアメリカも、遂に対独宣戦を布告しました。(同年 4月6日)。日本はこの1週間後、地中海のシーレーン防衛の為、軽巡 明石 と駆逐艦8隻をマルタ島に派遣します。

この艦隊派遣の、政治的 外交的 軍事的成果が大きいことが、証明され日本海軍は、新鋭駆逐艦4隻を増派し、装甲巡洋艦 出雲 ついで 日進 を旗艦として派遣します。このことは、ドイツの無制限潜水艦作戦の撃破に大いに効果を挙げました。そして日本が拿捕したドイツ戦利潜水艦は日本海軍の潜水艦建造能力を急速に高めたのでした。

爾来日本海軍、現代の海上自衛隊の潜水艦能力は世界でも一二を争っています。地中海で活躍したこれら第二特務艦隊は、大戦終了後(1918年11月11日)講和会議の最中に、イギリス・フランス・ベルギー・イタリアなどを訪問し、日本がヨーロッパまで艦隊を派遣していたことを、連合国諸国民に認識させました。日本は五大国の一つとして大いに重んじられたのでした。この大戦て日本はマーシャル・カロリン・マリヤナ諸島を委任統治地として得ます。

さて最近のことですが、近くの床屋の兄ちゃんに、たまたま3諸島のことを話したら、「あれは、日本が侵略したんではないのですか?」と言うので、そうでないことを説明するのに大変でした。 またいつか、言わないでもいいのに、兵学校の訓練の厳しさを話したら、彼は 「まるで北朝鮮のやうだったんですね。」と答えました。これには往生しました。

戦後 幼い子供達に明治 大正 昭和の正しい歴史を教えず、進駐軍のご機嫌を伺い、共産党を同類項と考えてすごして来た時間がとても勿体無く感じます。国家よりも人権を重んじ、自分の国の歴史を疑い、天皇制を廃し共産社会を作ろうと言う不遜な観念 教義を信ずる人達の政策に同調するヴェクトルは、そろそろ変えないと、「日本の国体」の中の桜が枯れてしまいます。

勿論サヨク・リベラリストにも良いところはあり、全て悪いと言うのではありません。ならば、何故「軍隊」の必要な面を考え、悪い面は改め、良い面を残して「軍隊」を存続させてはいけないのでせう。誰が国を守るのですか。自衛隊では守れない、とちゃんと国会でも答弁しています。悪い面だけをあげつらって、再軍備絶対反対を叫ぶのは、何処かの国を利するだけです。

私はかって、戦後左右両輪があって車は真っ直ぐに進むのに、右の車は戦勝国によって破壊され、左の車だけで走って来た。と言いました。戦後私はまだ大学生でしたが、鉄兜に小銃を持ったM・P(ミリタリーポリス)が宮場前、第一生命ビルの入口にふんぞり返って立ってゐたのを昨日のやうに思い出します。マッカーサーがゐたのです。日本は戦争に負けました。武装解除された日本人の物の考え方が、徐々に、徐々に、銃剣によって、その力を気ずかせぬほど巧妙に、変えさせられたとも言えます。自らの自覚と反省によって変わったと言うよりもです。

この様子は戦前をを知っている者でないと分かりません。(戦前と言っても、敗戦時10才や15才では無理でせう)。デレビやマスコミに従事している人は知りません。彼等は観念です。頭の先の働きです。人は意識出来る世界と意識出来ない世界を持ってゐます。そして意識出来る世界のことが、だんだん意識出来ない世界に染み込んで、信念になって行きます。国家で言えば何世代もかかって国体と言うものになります。だからマスコミは非常に大事で、また恐ろしいのです。我々が思う以上に害悪を流します。

先日、NHKが戦艦「武蔵」の番組を流しました。一見良く出来ているやうに見えますが、実に巧妙に「反戦」「海軍批判」が隠されています。そして最後に必ず92・3才の水兵さんを連れてきて「あんな残酷な戦争はいやだ。」と言わせます。勿論この方も命をかけて戦われた立派な人です。ならば何故NHKは武蔵沈没で泳いだ永末英一(旧民社党委員長)を出さないのでせう。海軍批判に不都合なのです。 彼は最後まで「栗田長官」を敬愛し尊敬し続けました。


ー つづくー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 7

2017/01/26 07:00
「見よ西欧に咲き誇る文華の蔭に憂あり。太平洋を顧みよ東亜の空に雲暗し。」 大正8年、海軍兵学校一号生徒 神代猛男 の作詞したこの歌は不思議に現代にそっくり当てはまるやうです。

神代生徒は50期で、兵学校創立50周年を記念して作詞したことは、前に述べました。大正8年と言うと、ベルサイユ条約で第一次世界大戦の結末が決まった年です。第一次世界大戦は日本は大して戦わず、漁夫の利を得たやうに言われますが、そうではなく、帝国海軍は連合国の中で重要な役割を果たすのです。

大戦前期の帝国海軍の役割は、ドイツ太平洋艦隊を撃滅して太平洋・インド洋の連合国のシーレーンを守ることでした。当時ドイツ皇帝 ウィルヘルム二世は大海軍の建設を目論み、太平洋にも強力な艦隊を送り込んでゐました。その上、黄禍論を唱えるのです。マーシャル・ カロリン・ マリヤナ諸島は独領でしたし、また青島にドイツの軍港を構え、太平洋艦隊の母港にしてゐました、その司令官は音に聞こえた猛将シュペー中将です。連合国船舶16隻を撃沈したあの軽巡エムデンも青島におりました。

青島作戦では、第一艦隊(旗艦・摂津が全面支援。第二艦隊(旗艦・周防)は封鎖と上陸援護です。イギリスの支那方面艦隊の戦艦 1 駆逐艦 1が日本の第二艦隊の指揮下に入り、1914(大正3年)11月7日 ドイツ軍は降伏します。その後シュペー艦隊撃滅とシーレーン確保の為、4つの艦隊が派遣されます。

第一南遣支隊(旗艦・鞍馬・山屋他人中将)。第二南遣支隊(旗艦・薩摩、松村龍雄少将)。 特別南遣支隊(巡戦・伊吹・加藤寛治大佐)。遣米支隊(旗艦・出雲・森山慶三郎少将)です。第一南遣支隊は、シュペーを追って、マーシャル諸島へ進航しますが、シュペーはマリアナ諸島で臨戦準備を完了し、南米に向かっていました。第二南遣隊はカロリン諸島方面でシーレーンの確保に当たりました。特別南遣隊は、主にインド洋でシュペー艦隊が分派した「エムデン」から連合国側の艦船の保護に当たりました。遣米支隊は北米西岸のシーレーンを守ったあと南下してシュペー艦隊を追うことになります。

シュペー艦隊は最初はイギリス艦隊と戦い、コロネル沖海戦で勝ちますが、勝ちに乗じて大西洋に回りフォークランドを占領しようとして接近したとき、イギリス本国が派遣した強力なスタディー艦隊と遭遇し、フォークランド沖海戦(1914・12月8日)で惨敗し、シュペー提督も戦死します。サッチャーが何故フォークランドにこだわったかは、この歴史的事実によるのです。シュペー艦隊が敗れ、極東のドイツ勢力は一掃され、大西洋 インド洋の制海権は連合国側の手中に収まりました。

イギリス海軍は、太平洋をほぼ日本艦隊に任せ、イギリス本国を中心に大西洋・地中海方面に全力を注ぎ得る態勢を得たのでした。 大戦後期の日本海軍の大事な作戦は、第二特務艦隊の地中海派遣です。 この時まではまだアメリカは連合国側として宣戦布告をしていなかったのです。 今、トランプが内向きだと言って騒いでいますが、アメリカは、常にモンロー主義にたち戻り、内向きになる習性があります。

どの国も富国強兵路線を歩むのは当然で、口先で平和平和と言っても世界平和はきません。富国強兵策を採る各国の中で、如何に国を守り、国際平和を実現するかは、リベラルと称し識者と言われる人達が唱えるほど簡単ではないのです。彼らの言うことを聞いていると、まるで日本人は敗戦の瞬間から脱皮した蝶々のやうに、「平和」の観念の空を飛んでいるやうに感じます。物事の自然の理として、自分の国は自分で護らなければならない。最低限度の軍隊(憲法で規定された)をもたなければ、腹を割った交渉さえ出来ません。現代で言えば3つの国を除いて自国一国で自分の国土を守れる国はありません。


ー つづくー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 6

2017/01/20 07:28
短いブログの一節で「軍」について語るのは難しいですが、最近でも「軍」と言うと、余程優れた保守の論客でも、噛んで吐き出す口調で切り捨てるので、すこし思いを述べます。

一体この日本の国を誰が守るのだろう。樽俎(酒を酌み交わして話し合う)だけで、国が守れるのだろうか。アメリカに軍隊はないのか。中国に軍隊はないのか。それ程わが国の軍隊は無道だったのでせうか。

日本の首相が他国を訪れるとその国の戦没者の慰霊碑に参拝する。「靖国で会おう」と純忠の誠を捧げられた我が先祖家族友人の安らぎの杜(もり)靖国神社にお参りでもしやうものなら大変です。マスコミは他人ごと。サヨクマスコミは待ってましたとばかり真っ向から批判する。不思議なことです。

敗戦後70年も経ってこの様(ザマ)はないだろうと思います。蓮舫なんかは勝ち誇ったやうにわが国の防衛大臣を攻め続けます。軍隊について如何に間違った情報が流されたか少し述べてみます。(昔のことですが。) 昔はGNPの概念がありませんから、国力を海軍力で計りました。軍艦は世界中の何処へでも出掛けて戦えるからです。

進駐軍は、予想以上に強かった日本の海軍を二度と立ち上がらせない為に・・・軍縮会議 ― 海軍の反対 ― 暴走 ― ハワイ真珠湾攻撃 ― 敗戦 と言う見え透いた軽い論理で日本国民に反軍思想を植え付けて来ました。(そればかりではありませんが。)軍縮会議と言ってもワシントン会議 第一次ロンドン会議 第二次ロンドン会議 と三回ありますが、山本五十六が無念の打電をした第二次ロンドン会議予備交渉について言いますと、 昭和5年3月13日所謂松平ーリード案が得られますが、この松平は駐英大使で以前から上院議員リードとは親密な関係にありました。

案と言うのは、1. 大型巡洋艦・軽巡洋艦・駆逐艦・潜水艦 トータルのトン数 対米 7.0割 を 対米 .6.975割 大型巡洋艦 対米7.0割を6.022割に 潜水艦 対米 68.497トンを52.700トンにと言う妥協案でした。ロンドン トラファルガー広場のブログナーハウスにいた山本五十六達は熱心な交渉や研究を続けて勝算を得つつありました。

当時フランスは日本より不利な立場に立たされてをり、英米日仏の比率は5:5:3:1.75 でした。フランスの誇りはナポレオン、イギリスの誇りはネルソンです。この両国はいつも争っていました。それにイギリスはアメリカに優越感を持ってをり、これとパリティーになることに微妙な感情を持ってゐたのです。(昔も今もそんなに変わりません。)

クローデル(駐日大使)はかってこんな事まで言うのです。「フランスは海岸や領土を守るため、多くの小艦艇特に潜水艦を必要とする。日本もご同様ならんと思う。各国は自国の安全を主として国防を計画する自由がなければならない。総トン数を決め、その枠内で各国が自由に国防を行うのが良い。フランスは5:5:3:1.75(フランス)の比率は到底忍ぶことは出来ない。」 「この際、アングロサクソンと対立して日本とフランスの関係はあい似たものと考える。」 潜水艦の必要性を強調したフランス海相デュメニルに日本の財部全権は尋ねます「イギリスはどの程度までトン数切り下げを要求してきたのか。」。

デュメニルはいささか戸惑い、随行の海軍将官と目配せし、66.000トンと答えます。 日本政府の妥協案は 52.700トンでしたから 山本五十六始め日本海軍サイドはもう一押しすれば英米は譲歩するとの確信を得ます。更に、フランス主席全権クルディユ主相は3月16日「我々は急ぐことを必要としない。。成功を必要とする。満足な結果に到達出来ると信ずる。」との声明を発表します。

山本五十六以下の日本側海軍随員は日本側の有利な状況を確信します。山本は随員を代表して、日本側の全権 財部に具申します。財部の指示によって、山本五十六は主席全権若槻礼次郎元主相に意見を述べます。ところが、若槻は、その情報はオーソライズされていない。と妥協案以外は受け付けないのです。

その頃英米は慌てて、駐日大使に命じ、当時(昭和5年)の外務大臣幣原喜重郎と外務次官吉田茂に工作します。若槻はこれ以上英米に妥協を求めるのは無理として、政府の全権四人だけで合意のあと,全権顧問や海軍随員に知らすことなく、妥協案を最終案として東京へ請訓するのです。日本は軍縮会議にやぶれ不利な条件を呑むことになります。この時の山本五十六、山口多聞、三川軍一等々の憤懣は計り知れないものがあります。

この時の海軍の軍人達は昭和史の映画などでは、たいてい悪者になっています。石原慎太郎でも、山本五十六が賀屋興宣を殴ったとか殴らなかったとか、くだらんことを言って、当時のリベラル官僚を擁護する愚を繰り返すのです。海軍の横暴を官僚が如何に苦労して食い止めたかの明かしに軍縮会議を例にするのです。こういう人達も今は保守と言われます。前掲の吉田茂や幣原喜重郎の戦後の行動は申す必要がありません。日本国の保守の源流です。

しかし昭和の10年代から敗戦までは明らかにリベラルの側にいました。日本は明らかに大きく「左」に寄ってしまったのです。(左とか右という言葉は使いたくないのですが) 軍の横暴で国民は迷惑し国敗れてやっと人権が認められ、民主主義の有り難さがわかったと再軍備反対、憲法改正反対を唱えるのも議論の一つでせう。

しかし 時々思うのです。このままで本当に我が国は百年後二百年後、いや千年後、子々孫々に残せるのだろうかと。緑の好きな多神教の美しい国が一神教の国に犯されていくつ地球上から消えていったでせう。

軍縮会議の模様は、江田島時代の分隊監事、野村実(大尉)文学博士が、あらゆる資料を精査して得た事実です。かっては航空母艦「瑞鶴」で実戦に参加し軍令部に在籍された方です。戦後、人の話しの又聞きと資料だけで、海軍の長老のやうな格好をしている人が多い中で、貴重な存在と言わなくてはなりません。

「 去年今年貫く棒の如きもの 虚子 」 大晦日から新年に向かって流れる不思議な時間への美意識を虚子は「棒のごときもの」と言いました。 これは虚子の無意識領の物語です。上っ面な観念の世界ではありません。 国家にも潜在意識があります。平安時代からずーっと流れて来た日本人の心。民主主義とか共産主義とか人権とか観念の物語ではありません。日本の大黒柱です。虚子の真似をすると、「戦前戦後貫く棒の如きもの」とでも言いませうか、万世一系の天皇を中心に美しく続いて来た国体です。大和の心です。中国の人々や韓国の人々や台湾の人々にはとても理解し難い心です。

しかし最近我々はこの大切な大黒柱を削って暖を取っている感があります。やがて雪の重みに耐えかねでわが国の屋根が崩れ落ちることはないでせうか。大黒柱を守るために軍隊はあるのです。共産党がいうやうに、人を殺す集団ではないのです。かって、稲田朋美さんの講演を聴い時、彼女はこう切り出しました。「私は法律を学びましたが、先ず学生が読むのは、イェーリングの『権利の為の闘争』です。その第一頁に『相接している国がその境界線の1平方マイルを侵略されて、放置すれば、やがてその国は全土を侵略されるてあろう。』とあります。」と。 ああ、この人はほんものだなと、久しぶりに心の安らぎに似たものを感じました。


ー つづく ー


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 5

2017/01/09 07:00
その上、航空母艦「瑞鶴」には我が分隊監事 野村実大尉が乗ってをられた。分隊監事と言うのは、旧制一高に例えると北寮の寮長だった木村健康教授(後、東大名誉教授)のような存在、つまり我々分隊員の親父でした。

野村教官は彦根中学開闢以来の秀才。兵学校 71期 の次席。主席はこれも東京府立1中の伝説的な英才田結保大尉。 彼は前線から一時帰国したとき、母校で短い話をしています。「君達は戦争に心を奪われずに、静かに勉強するのが良い。」と。軍令部は田結大尉戦死(巡洋艦「筑摩」にて)の報を受け、慌てて野村大尉を「瑞鶴」から召還します。二人も海軍の逸材を失う訳にはゆかない。そうして昭和18年我々海軍兵学校の教官になられます。

原爆が落ちた時、野村教官は我がオ305分隊に「情報」の大切さを教へてをられた。今でもあの瞬間の紫の不思議な閃光と地の底から湧き来るやうな振動は忘れ難い。生徒はビリ動きせず、教官の話を聴いてゐた。広島と江田島はそれ程遠くはない。 昼食時、食堂の屋根の上に不思議な雲が湧き上って行くのが見えた。戦後我々生徒は廃墟と化した広島の街を歩いて、復員列車に乗ることになる。

昭和23年以降、幾度も野村教官をお迎へして分隊会をひらいた。帝国海軍の特色や歴史を静かに話された教官は決して大きな声を出されなかった。 海軍と陸軍の差は、国際法を熟知しているが否かにある。海軍は帆船の時代からスクリュー船の時代に急速に移行して、国を護る必要があったので、殆ど直輸入の形でイギリス海軍の手法を学んだ。だから大和魂の上にアングロサクソンの物の考え方があり、陸軍はドイツに学んだので、ゲルマン民族的な思考方法があること。大和魂では何ら変わりがない。そうして話を続けられるのでした。軍縮会議で山本五十六長官の果たした役割の大きさとマスコミや時の政府の誤解の大きさを諄々と説かれるのでした。

野村教官は、戦後東京裁判被告弁護事務に従事ー防衛庁戦史編纂官ー戦史研究室長ー防衛大学教授兼図書館長 を歴任。慶應大学で歴史学を専攻されます、文学博士 日本学術会会員です。彼ほど海軍に関係のある書籍を多数研究した戦史学者はありません。門外不出の宮内庁内部の図書も全て読まれました。そして 感情を交えず極めて客観的に戦史を書かれました。

それを知っていたアメリカのマスコミが、かのハルゼー(大東亜戦争の米国側機動部隊長官)の一代記を編纂するに当たって、真っ先に訪れたのは野村実氏のご自宅でした。最後に「ハルゼーについてどう思うか?」の質問に、教官は「海軍軍人としての戦術・判断・実行力は優れたものがあるが、人間としては尊敬できない。」と答えれれます。「何故か?」に対し、彼は、「キル・ジャップと言う言葉を創り、全軍に流した。人間として如何なものか。」とキッパリ応えられたのでした。マッカーサー万歳の時代にです。

これは教官が亡くなられた後の分隊会で、ご夫人がその場に同席して聞かれた言葉です。「キル・ジャップ」 と 「鬼畜米英」 は変わらんじゃないか、と言う人があるかも知れないが、これは決定的に違う。「人種差別的に虫ケラのやうに踏みにじる所作」と「こん畜生。鬼のやうな奴メ」とではその本質が違うのです。あの静かな主人がキッパリ言い放ったのには驚きました。と御夫人は言われるのでした。

その頃、まだ黄色人種に対する蔑視があった。(トランプ が キル・ジャップ でなけりゃー良いんだが?!(笑))戦争に負けて72年 「平和」 「平和」 と言い暮らして72年。本当に平和になったのか?勝った国が言うならまだ分かるが、負けた国が勝った国に教育され洗脳されて言うのは、どんなもんでせう。観念では何事も変わらない。

資本主義は悪いと批判して観念と憎悪でできたマルキシズムが失敗だと分かるのに地球上のどれだけの富と人命を犠牲にしたか? そしていま資本主義の行く末が問われてゐる。誰も何も分かってはゐない。ビッグバンがあって138億年、やっと ダーク マター なる実態がほの見えて宇宙や生命への半歩前進を開始する時に、何もかも分かった顔をして、72年や100年前の事柄をアンシャンレジームで切り捨てることだけはやめてもらいたい。

地球に生命が生まれて何億年。72年は瞬間の出来事です。昨日の事のやうに切り捨ててはなりません。ちゃんと自国の近現代史を知らなければならないとおもいます。このごろ天気予報がよく当たります。宇宙から見てゐるからです。昔は人工衛星はなかった。国際情勢や国内事情もあまり目先のことばかりに現をぬかすと、「山が動いた。」と糠喜びする愚を繰り返すことになる。リベラルと称するマスコミや学識経験者の皆さん。こういう方々はとても良くもの事をご存じだが、一つだけ大切なことを間違うと我々はそれも信じてしまう。皇位継承問題。 恐ろしい事です。


― つづく −


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寝言の 「年頭所感」

2017/01/07 07:00
 今年の正月は気候も温暖。割合穏やかの様だ。所感も「今年こそ」と云ふ気負いも無く、昨年末の、ブログで「来年は明るい希望の年だ!」と書いた、予想の進行を少々見守りたい気分だ。

 唯、世界の動乱は、今も世界各地で起こり、とても「平和な空気が広がっている」とは云えない。然し突如、安倍首相のオバマ米大統領との、パールハーバーでの戦死者慰霊と演説は「同盟」の強化を計り、協力して世界平和への努力を強める」意志を明らかに世界に宣言した。

 「過去を捨て、未来に向かう」この重要で、然し現実に実行することの困難に対し、大きな第一歩を踏み出した。第二次世界大戦の主役として、相対して戦った、日本とアメリカ、の間で為された、ことの効果と意義は、特筆すべきことだった。然し、ロシアのプーチン大統領との、平和条約締結・領土問題の同意、は未だ進展していない。プーチンはヤルタ協定(一九四四年十二月十四日成立)は百も承知している(米、英、露、三国の協定)。

内容は、
1)日本、ロシア間の「不可侵条約の廃止」。
2)樺太、千島列島等、領土問題
3)満州の権益問題
 等々、戦後の陣取り合戦? と云える。

 プーチンは国内での支持は高く、相当強気の態度で臨むが、ロシア人は元々「話し合い」はしないが、「利益」に対しては弱い。そのあたりが突破口となるか? 原油価の低落は大きな弱点だったが、最近回復したのは、日本にとって稍々不利な条件となる。然し本質的長期的に見れば、日本の技術力と経済力、の魅力は依然として高い。

  
―終わり―


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 4

2017/01/06 07:00
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。・・・さて、プーチンがやってきて、したい放題をし、言いたい放題を言って、帰って行った。安倍ちゃんも善くやったが、随分とやりにくかったろう。自国に軍隊がないんだもん。昔から樽俎折衝と言う。外交のことだ。相手の戦車の尖った角(つの)をへし折り、それから酒を酌み交わして交渉する。これが外交だ。軍国主義でも何でもない。今も昔も変らない。

さて、母校(神戸二中)に早川(仮称)という優秀な先輩がいた。その頃、勿論塾はなく学校以外で勉強するなんて、思いもよらない時代だ。ただ学費のない若者は師範学校(先生になる学校)や兵学校や高等商船を受ける手が有った。授業料が要らなかった。「英国人の見た海軍兵学校(セシル・ブロック著)」は、次のやうに言ってゐます。

「・・・兵学校の新入生は、真に日本国民のあらゆる階級層を代表する青年の集まりと言ってよい。私が最後に見た新入生の中には、お二人の、皇族宮殿下がゐらせられたと同時に、漁夫の息子もゐた。・・・・」

彼は大変羨ましがって、「我々イギリス国民は、民主主義的な制度を有することを誇りとして来たが、ダートマスの海軍兵学校へは、特権階級と富裕層しか入れなかったことは否定出来ない。・・・日本の兵学校へ入るのは、大変な競争が行われる。今年(昭和9年)の入校者240名。これに対し受験生は7,138名。30人に1人の割である。」と言っています。

さて、中学の四年・ 五年の期末試験成績はズラリと廊下に張り出され、何時も真っ先に早川先輩(仮称)の名前がありました。それに、先輩は人望があり、何か近寄りがたい優しさと言ったものを持ってゐました。大正天皇が崩御遊ばされたのは、12月25日ですから。昭和元年はわずか6日間。私が小学1年生になったのは、昭和7年。早川先輩はすでに5年生でした。旧制中学は5年制ですから、新入生にとって、上級生は兄貴と言うよりはオヤジに見えました。

彼は兵学校に入校します。中学三年の頃、神戸「烏山の水源池」の小高い丘に登ると、兵庫の海岸線が一望でき、川崎造船所のドッグに何やらどでかい艦が繋がれてゐました。船尾がはみ出し、太い棕櫚縄を無数に垂らして、視界を遮ってゐました。スパイ防止です。子供心に胸を踊らせ、「あれは、戦艦かな航空母艦かな。?」と想像したものです。航空母艦 「瑞鶴」 でした。

そして奇しくも、早川少尉は「瑞鶴」に配属されるのです。「瑞鶴」は昭和19年 第二艦隊の栗田機動部隊が捷一号作戦で出撃したとき、囮艦隊(敵ハルゼー艦隊を栗田艦隊に近寄せないため)として出撃した小沢治三郎長官の第三艦隊の旗艦として、最後まで、奮戦しました。

真珠湾攻撃に参加した 赤城 加賀 蒼龍 飛龍 翔鶴 瑞鶴 の内 最後まで戦ったのは、この瑞鶴 だけです。ハルゼー(敵機動部隊の司令官)は小沢中将の見事な陽動作戦に引っ掛かって、囮艦隊を、最強の艦隊と間違へ、総攻撃をかけます。瑞鶴艦上の小沢長官は。囮艦隊の役を見事に果たすのです。

然し 瑞鶴は三次にわたる敵の波状攻撃(130機を越える雷爆撃を三回受ける)により、この歴戦の空母の武運も遂に尽きます。昭和19年10月25日 13時55分 軍艦旗降下 総員退艦。貝塚艦長は静かに艦長室に入り、中から鍵を閉められます。艦と運命を共にした士官49名 下士官・兵は794名。

早川先輩(海軍大尉)は瑞鶴艦上で飛行甲板直撃弾により戦死されます。20度の傾斜、館内の爆発、火災、折り重なる戦死者、負傷者、 その中で、沈着に軍艦旗を下ろし、「総員退去」 を命ぜられる貝塚艦長の心中は、如何ばかりであったでせう。

「玲瓏聳ゆる東海の/芙蓉の嶺を仰いでは/神州男子の熱血の/我が胸更に燃ゆるかな/ああ光栄の国柱/鎮らで止まじ身を捨てて」 あの江田島の大芝生で高らかに謳った「江田島健児の歌」の第二節です。

ああ 光栄の国柱、護らで止まじ身を捨てて。・・・ 生命を捨てて祖国を護られた父や兄や先輩のお陰で、こうして有り難いお正月が迎えられる。関ヶ原で島津義弘が家康本陣の中央突破をしたやうに、山本五十六長官がハワイ真珠湾を急襲していなければ、どこかの国のやうに。今頃日本列島は分断されていたかも知れないのだ。敢えて彼等にそれが出来なかったのは、このハワイ真珠湾攻撃によるのです。

ハワイを攻めていなくても、コミンテルンの二重スパイがバレたあの米国国務長官ハル(戦後の米国の赤狩りの原因)があらゆる手段を捻出して日本を立ち上がらせただろう。ハワイ真珠湾攻撃により、彼等は真底わが国のこわさが骨身に応えた。喧嘩は最初の一撃が大事。常識だ。とは言っても、山本長官はこれで勝てると思われたのではない。敗戦直後のあらゆる文献をみても分かる。

長官ほどわが国の実力を識り、戦争反対を力説された方はない。米内光政海軍大臣は、山本次官が右翼や陸軍の一部やこれにかぶれた政治家どもに生命を狙われるのを防ぐため、海上の聨合艦隊司令長官への転出を考えられた。これは人口に膾炙している。

評論家さんや学識経験者さんが、ハワイ真珠湾攻撃はは間違いで、山本長官の独断専行だ。と異を唱へるが。 軍事に詳しくないこれらの人々の推論は間違いで、軍令部でも、南方決戦について、三回も図上演習を行ってゐるのです。何れも利あらず、長期的には押されるとでます。山本長官の頭には、圧倒的な国力の差をもつ米艦隊に対し短期的な戦い以外に、祖国を有利に導く戦術はなかったのです。(彼の頭の中にあったのは祖国を有利に導く講和でした。) 勝てないことを承知で鬼神の戦いを挑んだのです。

あの頃どこのどいつが勇ましい記事を書きまくったのか。朝日じゃないか。NHKじゃないか。サイレント ネービーとよく言われる。これは政治に対してサイレントと言うことです。勿論言い訳しないと言うこともありますが、戦前の帝国海軍ほど政治嫌いな軍隊はなかった。然し帝国海軍はマスコミではない。国家が戦うと決めたら、戦う。「2・3年は大いに戦ってみせませう。・・・なんて言わずに戦えない。と言えというが、長官は軍人だ。評論家ではない。それを察知せにゃならんのは政治家じゃないか。」

そう言ったのは。年末に乗ったタクシーの運転手くんだった。彼は長岡出身で、山本元帥と同郷だったのだ。私は嬉しくなって、「釣りは要らねぇ?!」と森の石松を決め込んだ。ところがどうだろう。またぞろ、蓮舫が、日本の歴史をご存知なのかご存知ないのか、山本五十六が祀られている靖国神社へ詣るのはどうとかこうとかおっしゃる。もういい加減にせい、と言いたい。米国や中国の心証ばかりをチラチラ伺うのはよしにしようよ。瑞鶴の祖霊が泣いてをられる。「ああ光栄の国柱/護らで止まじ身を捨てて。」


― つづく −


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平成29年 あけましておめでとうございます

2017/01/01 00:00
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明けましておめでとうございます。
旧年中はこのブログへのご訪問、誠に有難うございました。

新春を迎え、本年もガラス瓶に入れられたお手紙を、
丁寧に開封し、皆さまへと届けて参ります。

本年も日本の国の安寧と、このブログをご訪問下さるすべての方の、
より一層のご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


平成二十九年元旦


   ブログ「ガラス瓶に手紙を入れて」
     執筆者一同
     ブログ管理人  まだまだひよこの🐣〔しーたろう〕

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一阿の 「澎湃寄する海原の」 3

2016/12/19 07:00
旧制一高は、戦前 若者たちの知性の花園でした。 私の中学では、年に一名トップの生徒が入るか入らぬか。兵学校と一高へは、交代で合格しました。今年は一高、今年は兵学校と言った具合です。

勿論73期までの話しですが。兵学校は消滅し、旧制一高は東大教養学部として残ります。まあ言えば一高は「左の車輪」兵学校は「右の車輪」、国を導く実質的な両輪です。しかし、戦勝国によって、片方の輪は壊されました。だから戦後70年「左の車輪」のみで走ってきた恰好です。この一高も、敗戦のどさくさで、浅薄な識者どもに壊されました。

昭和25年3月24日、阿部能成、天野貞祐、歴代校長が、門札(第一高等学校)を外しました。そうして、日本本来の教育制度と大和民族の「旧仮名づかい」は無くなりました。共産党の いいだ もも、上田耕一郎 もご存知のやうに、一高を出ています。

2003年 2月2日の「赤旗」には、第一面に「ワッハッハ対談」と称し、小柴昌俊さん(ノーベル賞)と上田耕一郎氏の記事が、デカデカと載っています。全紙に広がる二人の握手した会心の笑顔が掲げられ、小柴さんの前には「60年の付き合いだもんね。」、上田氏の前には「ノーベル賞、うれしかった。」とあります。この新聞は同じ仲間・寅の会(一高、大正15年生まれの会)の網代兄(厚生省)が送って呉れました。

中には、いいだ・もも(共産党) 中村稔 (詩人) 松下康夫(日銀総裁) 林義郎(林義正の父・蔵相、厚相)達がいます。何故こんなことを書くかと言うと、共産党員は或いはそのシンパ達は胸の前に「共産党」とぶら下げているわけではなく、一見実に好人物に見え誰にも分からず、政界 財界 文化 あるゆる分野の上層部に食い込んでいるからです。

最近、共産党の政治基盤は拡大し、国会議員の数も随分増えました。野党第一党は民進党なのか共産党なのか分からぬくらいです。FNNの調べでは、共産党の政党支持率は3.8%から5.7%に上昇しています。考へなければならなのは、共産党綱領の第一が「天皇制の廃絶」だ、と言うことです。それを言うと、国民の人気が下がるので、彼等はあまり前面に出さず、まるで容認のやうな恰好をしています。

とんでもありません。マスコミは人権、格差、汚職、のみを俎上に、この大切な問題に口を噤んだままいます。そして、まるで共産党が国家の為になるやうな発言をします。考えても見て下さい。1927年のコミンテルンが日本共産党に発した行動綱領の第一は「天皇制の廃絶」」です。

戦後、日本共産党は「朝連」=朝鮮共産党連盟の莫大な資金援助で再建されたことは、昨年7月14日の 「問わず語り 1」で述べました。もう随分前の話になりますが、共産党の過激派が三菱重工を爆破し沢山の死傷者を出したことがあります。この時、岡 潔(数学者、奈良女子大教授)は 「今の教育の欠陥は、何を教えたかではなく、何を教えなかったか?にある。」と喝破しています。この爆破の影の指導者はいいだ もも、と言われています。

網代毅の「旧制一高と雑誌:世代:の青春」の発行で縁のあった私は一度彼と食事を共にしたことがあります。隠れた名店で、帝国ホテルの村上シェフの兄弟子が包丁を持っていました。大げさなフランス料理は作らず、オムレツが有名でした。赤坂の路地の小さなビルの四階にありました。ここで彼は美味いので、女房に持って帰りたいというのです。

戦後、彼は鵠沼の豪邸に住んでおり、毎年、春になると 網代 松下 中村各氏のご夫妻を招いては、広大な竹林の一角で、宴を張るのでした。

先ず、美味そうな筍があると、その上に蓆をかける。周りに炭を熾して蒸し焼きにするんや。最後に上等な葡萄酒を惜しげもなくかける?!。これがコツや。網代は何時も嬉しそうに言いました。根を焼かれた竹林の一画は死滅するがそんなことは、なんでもない。 共産党と言えば貧者の味方が定説ですが、決して貧しくない。貧しい者ばかりではない。私は何時も「だまされまいぞ! 困った者の味方だ、なんて考えて共産党に投票することだけはするまい。」と肝に銘じるのでした。


― つづく −


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一阿の 「澎湃寄する海原の」2

2016/12/15 07:00
海軍兵学校の神代生徒が十八才で作詞した 「澎湃寄する海原の大波砕け散るところ常盤の松の翠濃き秀麗の国秋津島」を口ずさむと、いつも蕪村の 「稲づまや波もてゆへる秋津島」を思い出します。

有名なこの句は明和五年、讃岐から帰る途上、蕪村が舟から海岸線をうち眺め、詠んだものです。日本人には平安時代からずーっと大和島根に対する大らかな美意識がありました。その中心は皇室です。

最近、二重国籍をごまかしていたどこかの党首が、こともあろうに、わが国の防衛大臣に、靖国神社の例大祭に詣らなかったと罵詈雑言をあびせる場面を見ました。お前にだけは言われたくない。と心の中で叫んでいました。

この女性は日本人と言うなら一体天皇陛下にどの程度の忠誠心を持っているのか?陛下に対する真心は二位ではいかんのだよ。美意識は言い尽くし難い。言い尽くし難いものを、言い尽くそうとすると得てして取り返しのつかぬ間違いを犯します。

さて、生前御退位の問題ですが、これは学識経験者の意見や、まして間違ったことばかり言ってきたマスコミの識者と称するおじさん・おばさん達の意見で悪影響を受けた一般市民の意識統計なんかで決まるものではありません。二千六百有余年、長い歴史の中で、わが国は初めて戦争に負けました。そして、国家がどんなに変わってしまったか。それをよくよく考えなければならないのです。

昭和21年3月、私は大学の一番最後に受ける面接試験の為、教授連がずらりと並んだ広い部屋の真ん中に座らされていました。「君は海軍兵学校の生徒でしたが、何故この大学を受けたのですか?」 最初の質問が飛んできました。

大内兵衛す。私は答えました。「復員後、父の蔵書は焼けて無く、何故か、机の上に二冊の本が置いてありました。河合栄治郎のトーマス・ヒル・グリーンの思想体系と第二学生生活です。」 「本を読んで、このやうな立派な先生がおられた学校で学びたいと思いました。」と答えたのです。

と急に部屋がざわつき、教授連がお互いに顔を見合わせました。70年前の出来事です。何故なのか分からぬまま忘れていましたが、最近、産経新聞の名企画「独立不羈=河合栄治郎の生涯」で、その理由がはっきりしました。

私の前にいる教授連は、見事な自由主義の騎士・河合栄治郎の裏切り者達だったのです。つまり「天皇を戴く自由主義」を裏切って「マルクス・レーニンを戴く自由主義」に堕ちた教授連だったのです。大内兵衛・有沢広実・山田盛太郎・大河内一夫・舞出長五郎と言った人達です。

端の方に木村健康助教授が座っておられました。彼だけが唯一河合栄治郎教授を護って法廷で最後まで闘われた「天皇を戴く自由主義」者でありました。他は共産党員であるか否かに係わらず「マルクス・レーニンを戴く自由主義」者であったのです。

前に何度か書きましたが、マッカーサーが連れてきたCIA(Civil・Informatin・and・Educatin・Section)の連中がかっての敵国日本の教育の赤化大改造を目論んだのです。何事、教育が基本です。雀 百まで踊り忘れず。小さい時から叩き込まれた観念は信念になる恐れがあります。彼等は結構頭が良くて、日本の教育制度を熟知していました。この国の教育制度は、東京帝国大学を頂点に見事なヒエラルキーを描いている。このヒエラルキーは世界中で一番よくできている。ここを変えれば、国民の考え方を根底から崩すことが出来るかも知れない。

戦艦 大和 は 昭和20年4月7日 数百機の雷撃と 爆撃を受け、魚雷12本、爆弾五発以上を受け九州坊岬沖に純忠の士伊藤整一中将、及び半数の乗員と共に、沈みました、

一方、目立たぬまま、最も大切な教育の戦艦大和はマッカーサーによって撃沈されていたのです。人は目に見えないことを軽んじる傾向があります。左傾化された東大が如何に国を過ち、国体を揺るがし、かっての敵国の望む通り、見かけだけの繁栄に導いたか。戦後直ぐ「英国労働党のイデオロギー(河合栄治郎)」や「マルクス死後五十年(小泉信三)」が刊行されましたが、学生達は見向きもせず、「資本論」に貪り付き、毛沢東語録を読み漁りました。

卒業した優秀な?!学生達は、官僚に朝日新聞に国会図書館に財界に散って行きました。赤旗かと思うやうな朝日新聞が現れました。面には現れません。隠された思想は真っ赤なのです。共産党や彼等はとっても頭が良い。そうそう尻尾は出しません。


― つづく −


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寝言の 「来年は明るい、希望の年だ」

2016/12/14 07:00
【はじめに】 
今まで小生の投稿は「戦後脱却を如何にすべきか」で一貫していた。然し、国連主導の世界の大変化もあり、日本の立場は急速に回復している。(ねごと)は「新生日本の誕生」と表現したい。 

白人が主導した、四〇〇年の歴史。パワーに依る「覇権主義」の没落が対比される。
今年春に鹿島神宮「穏やかな国譲りの心」(西欧の歴史に無い)を参拝した。秋には「国民を宝と考える、皇室の祖神でもあり(八紘一宇)世界平和の理想も持つ、伊勢神宮を参拝した。此の事は、標題を決める、原因と自信につながった。


【隣りの国はどんな国かな】
最近韓国では朴大統領に対する、国民の反感が高まり混乱は極限に達している。理由はともかく、「統治能力」 が不足している。「嘘を言うことを恥じない」国民性が大きく影響している。この国民性は後述の中国も同じで表面は繕うが襤褸が何れ出る、運命を持つ。韓国の将来を占う、つもりは無いが並みの国として、存在することは無理と考える。

一転するが、中国はどうか。
最近の二ユ―スで日本に大量の留学生が入って来ている様だ。日本の文化を学びたい人や、就職したい人も多いようだ。政権は「アジアの大国」と自画自賛している。然し国民の生活は三等国と見て良い。共産国の常として、権力で国の弱点を外部に隠蔽しているが、−経済も国民感情も自然の道理に流される―現に経済成長も頭を打っている、

韓国ほど早くないが、方向は同じ、国連常任理事国の任は基より中国を尊敬する国は皆無と言える。
これに、対比するが第六回アフリカ開発会議にて日本安倍総理の心の籠った方針演説は参加、アフリカ全首脳の拍手、喝采を浴びた。
更に別の面で題名に沿った、事実、安倍総理は世界主要国リーダーで在任期間が長い。彼の発言が、重くなる。
戦後七〇年の忍苦は決して無駄ではなかった。(ねごと)九〇年の歴史もやっと黎明を迎えた。「捨てたもので無い」「捨てたもので無い」。

  
―終わり―


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一阿の 「澎湃寄する海原の」 1

2016/12/10 07:00
澎湃寄する海原の
大波砕け散るところ
常盤の松の翠濃き
秀麗の国秋津洲
有史悠々数千載
皇謨(コウボ)仰げば弥高し。

これは、戦前帝国海軍の士官を養成する海軍兵学校の歌です。大正8年 創立50周年を記念して、第50期の神代猛夫生徒が作詞しました。

江田島の海軍兵学校は旧制中学の4〜5年生からゆきましたので、当時十八〜十九才でしよう。「ああ玉杯に花うけて・・・」(旧制一高寮歌)や「紅萌ゆる丘の花・・・」(旧制三高逍遙の歌)と共に若者によく歌われました。 ただ一寸違うのは、この歌には国の尊さが謳われていることです。

皇謨(コウボ)は天子さまのおこころと言うほどの意味です。大正8年と言うと第一次世界大戦が済んだ翌年で、好景気に湧き自由・民権・洋風に現(うつつ)を抜かしていた時です。この中で、日本の若者が古鷹山の麓で先を見据えながら、国を憂えていました。この歌の 5番は、「見よ西欧に咲き誇る/文化の
蔭に憂あり/太平洋を顧みよ/東亜の空に雲暗し。」 です。

100年ほど前の国際情勢の何と今の世に似ていることよ。歴史は繰り返す、なんて言うのも愚かな気がします。 当時海軍兵学校には一人のイギリス人教師がいました。彼の名はセシル・ブロック。昭和7年から10年まで教鞭を執りましたが、生徒達の国を憶う真摯な態度と、訓練の激しさに感激し、「英国人の観た海軍兵学校」と言う一冊の本を現します。

その中に次のやうな記述があります。「・・・江田島の生徒は、イギリス人が考えているやうな、宗教上の教典を読む意味において、宗教的なのではない。兵学校では、宗教的な礼拝が行われる訳ではない。校庭には、1928年(昭和3年)に建てられたら小さな神社があるばかりである。・・・彼等は仏教徒でも神統家でもキリスト教徒でもない。彼等が信じている宗教の意味は、忠義と孝行との外の何者でもないのである。君に忠ということが、彼等の生活の中心である。人生最高の目的は、天皇陛下の御為に粉骨砕身することであって、この為には死をも辞すべきでないという信念を持っている彼等なのだ。・・・」

セシル・ブロックが当時のイギリス人として、尽忠報国の精神を理解しやうと努力したあとが伺へて微笑ましい。最近産経新聞に「独立不羈」と言う河合栄治郎の生涯を解説した名企画がありましたが、その中で、鶴見祐輔と河合栄治郎そして関嘉彦のことが語られています。「河合門下の関嘉彦は、その鶴見から河合と同じ天皇に対する強い崇敬の念があることを感じていた。いわば『天皇を戴く自由主義』である。・・・昭和16年12月8日宣戦の詔勅が放送される直前、関はうっかり机の前で椅子に腰をかけたまま聞いていた。その瞬間に、鶴見が大声で、『関さん!』ととがめる声が響いた。慌てて起立すると不動の姿勢をとった。彼が鶴見から怒鳴られたのはこの時の一度だけである。・・・」

戦前は軍人だけでなく、一般の民間人も自然にそうなってしまう風に、陛下に対する尊崇の念を持っていまた。小学校の高学年ともなれば、皇室に対する崇拝の心を身体が知っていたのです。頭とか気持ちではない。今の人達に尊崇の念がないと言うのではありません、戦前とはどこかが違っていると感じるのです。 経済現象や人情にはワールドスタンダードとか国際化なんていうことがあります。しかし、国体にはワールドスタンダードや国際化は絶対ありません。これだけは各国独自のものなのです。アメリカにはアメリカのイギリスにはイギリスのフランスにはフランスの独自の国体があります。

日本の国体の心柱は二千六百有余年脈々と続いた万世一系の天皇であることは言うをまちません。最近「生前御退位」のことが、竹の園生から漏れ、畏れ多くも、マスコミでよく執り扱われます。

― つづく −


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寝言の 「90歳の誕生日に際し、雑感」

2016/11/09 07:00
【お伊勢参り】
 今年の春、「鹿島神宮」参拝に関連して、10月13、14、15日の3日間、「伊勢神宮」参拝をした。

 お伊勢参りは、「一生に一度は行うべき」と古来云われてきた。それは皇室の生みの親と言はれる、天照大御神が祭神だからだ。

 13日は下宮、14日は内宮、を参拝したが、共に関連した、多くの社が在り(合計百を超える)一巡するのが、年寄りに酷であった。

 特に印象に残ったのは、神木の想像に絶する巨大さと多さ、で雰囲気が神代に繋がつている、と感じた。

 然し終ってみれば義務を果たした、喜びが残った。

 先日サミットで来日された、方々も日本国の原点に触れ、感動されたことであろう。


【日本の歴史】
 「お伊勢参り」を無事済ませ、改めて我日本の歴史の素晴らしさ、寧ろ、神々しさ、云うべき、印象を感じます。

 現在世界は、覇権主義が横行して、平和を望む庶民を戦果で苦しめている。

 日本の立場は段々、現状の改革者として、期待されると思う。現実に「消去法」で検討すると日本に比肩、する国は無い。然し平和な世界を築くことは至難の業だ。1例を挙げれば国連ユネスコの「記憶遺産」である。

 事実を検証すること無く、運営されている、「南京大虐殺」の登録に日本は遂に、運営費の支払いを、「保留」した。

 国連の運営費も「敵国条項」廃止をするまで、「保留」すべき時がきている、と(ねごと)は確信する。国連改革、に大変有効な手段と思います。


【終りに】
 歴史を書くには、2つの方法が有る。1つは、考古学的アプローチで在る、一般的に古きから順を追って、書かれる。もう1つは現在の状況を正確に把握して、その成り立ちを遡って書かれる歴史である。「ガラス瓶に手紙を入れて」は現在の状況を正確に把握する、ことを目的にしていた、と(ねごと)は理解している。

 此処から戦後の歴史が正しく、書かれて行くことを期待している。

 現在保守賢者の方々の、正しい戦後史が数多く、出版され大東亜戦争の正当な原因。戦勝国の不法な、戦後処理。等、正しい歴史が書かれ始めた。此の流れは小川の段階は終り、現在は大河になっている。

 90歳の誕生日は、あまり目出度く無いが、(ねごと)は社会に祝福されている気がする。

  
―終わり―


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寝言の 「国連憲章・オリンピック・ナイロビ宣言について」

2016/09/12 07:00
【はじめに】
 少し前、国連問題について、三回に分けて、当ブログに問題点を提起したことがある。二年は経過していないと思ふが、世界の混乱状況は激化するばかり、世界中の庶民の生活の安定は全く得られない。

 仮に、これが或る国内の問題であれば、当然政府の責任で、「内閣改造」、「政策革新」等が行はれる。

 国連が世界の「平和繁栄の責任者」と自覚するなら、政策の決定、その実現をしなくてはならない。

 唯、主力となる、常任理事国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国であり。アメリカは国内事情(人種問題)もあり、既に世界の警察官の役は辞退しており。イギリスは、EUを離脱、自国の独立安定が当面の課題となっている。フランス、ロシア、中国は共々、世界動乱を公正に収める適任者と思えない。今稿では以上を念頭に置いて、順次、筆を進める。


【国際連合憲章】
「はじめに」で問題の要点を相当深く探った。然し、最も重要なことは、常任理事国の拒否権が、世界の平和と安全の政策決定と実践を妨げてきたことだ。自国の権益を優先するからだ。

 国連運営最大の欠陥と云って過言ではない、拒否権行使は、各国合わせて実に三百回垂んとする。犠牲になった罪無き庶民は数百万人と試算されている。

 原貫太氏も「拒否権が紛争下の人々を殺している」と明言されている。

 次に未だに我日本国に対し、「敵国条項」を適用していることだ。戦後七〇年が経過し、その間、我日本は、国連運営費をアメリカに次ぎ二番目の多額を負担している。又、O・D・Aで、後進国の発展を期して、(平和の基となる)国連の代行をしている、と自負して、決して過ちと云えない。後述するが、アフリカ開発会議で「ナイロビ宣言」が採択されたことは、正に、日本ならではの快挙であった。


【オリンピックについて】
 ブラジル、リオデジャネイロで、南米初のオリンピックが開催され、世界中の庶民が期間中、熱狂した。それに加えて、閉会式に於ける、小池知事、安倍首相の次期開催国としての振る舞いは、万人の意表を突き、「ユーモア」と「持て成し」の心が歴然と万人に伝わった。

 世界の政治状況は改善の兆しは全く見えないが、オリンピックの効果は庶民に楽しみを与え、将来への希望を与えた。

 先述の拒否権など一刻も早く撤廃するべきだ。


【ナイロビ宣言】
 八月二十七日、二十八日。第6回アフリカ開発会議がケニヤの首都ナイロビで開催され、日本の安倍首相の熱と誠意のこもった演説は、アフリカ諸国の代表全員の喝采と拍手を起した。現在、中国の自由利益を隠し、見せ金で関心を集める進出がボロを出し始めているが、恐らく、アフリカは日本との親交を更に深めることになろう。

 日本にとって、全世界に二百国の約四分の一の国々が、親日化することの意義は大きく、恐らく、戦後計画的に貶められた日本の立場の回復は、急速に行はれる。

 日本の常任理事国入り実現の可能性も空想ではなくなる。


【おわりに】
 日本の立場は世界の中で更に重要になる。期待も大きくなる。それにしても「好事魔多し」と云うが、最近日本社会の乱れはひどい。家族の結束は薄くなり、祖先崇拝の気持ちが無くなっている。

 これは(ねごと)年寄りだけの心配だらうか? 少なくともアインシュタイン氏の、そして、「当時の日本社会に対する好意」に背くことになる。庶民の一人として、幸福な人生を希望して、駄文を終わります。


  
―終わり―


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寝言の 「九十歳男の愚考」

2016/07/31 07:00
 今年に入って、世界各地は様々な、原因から大混乱となり、有効な対策も無く、善良な庶民を苦しめている。問題の一つは、庶民の数が、圧倒的に多いことだ。

 又、イスラムテロ集団に対する、国連側の無人機による爆撃等は、パワー対パワーであり、解決の手段としては、もっとも原始的である。

 西欧(白人)文化は約500年間、パワーに依る、領土拡大と、現地人も、意の儘に働らかせる「奴隷」として扱った。

 『人徳と道徳』という、人間として、社会生活に最も必要な『徳』を失ったのだ。

 更に、『人種差別』が西欧の宗教(キリスト教)すら、これら実利獲得に対し、批判忠告すること無く、宗教としての本質を、失ってしまった。

 『因果応報』これは、仏語であるが、一般的日本人は、心のどこかに、この言葉を自戒の言葉として持っている。

 小生も又、然りと考える。然し今稿では、西欧文化に対し、仏も怒りをもって、キリストに替り、彼等に、投げかけた。と理解すべき、と考えている。

 この乱世を解決する国、それは日本である。そして日本しか無い。

 別の面から考えてみる。この乱世の大きな一因として、中国の存在が在る。

 中国のエリート達が、佛教に入信した情報を得て、本ブログに紹介したことがある。彼等も「人生の眞の幸福は金を得ることでは無い」と悟ったのだ。政権側も、理解を示し、寺院の復興を認め、ガス抜き政策を実行している。庶民の隠然たる力を認め、パワーで押し切る愚を避けた。

 日本の責任と、平和に対する、貢献に世界の期待は増々大きくなる。

 では、「日本は何を実行すべきか」その答えは簡単には出ないが、「何も特別にすることは無い」が小生の答えだ。

 アインシュタイン氏は今日の世界の状況を必然と考えて「日本に頼るべき」と述べて居られる。まさに最高の予言者であった。
 
 神仏の存在を信じて、愚稿を閉じます。

  
―終わり―


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寝言の「年をとる楽しみ――私欲が少なくなる――」

2016/06/30 07:00
【T はじめに】 
小生は「老後はこの様に生活すべきである、」 と云う、忠告する能力は皆無であり、その資格も無い。唯人生を、山登りにたとえると、確かに9合目を超え、頂上も間近に見える所まで来ている。

人生の終わりも、意識している。(ねごと)も今年10月、90歳になる。然し10年前では「死期が近づく」、「遣りたいことが出来なくなる」が強く意識され、年を重ねることは、嫌なことだった。

所が、最近では、年を重ねることが、別に不快では無くなった。
原因の1つは、日本の世界での立場が、年々向上していること。G7伊勢志摩ミットで議長国として、共同声明を出し、日本文化の宣伝も立派に、果たした。

原因の2つは、私的のことだが、私欲が段々少なくなる、のを感じたことだ。言葉にするのは、難しいが、心が「楽になる」のです。

性欲・名誉欲・金銭欲、等々、諦めに似た心境、なのです。前東京知事、の「公私混同」事件は私欲の肥大の為せる業と思える。人間は私欲に右左される本質があるのではないか。


《参考まで》
小生、当ブログ第1回投稿の題名は「民族性」でした、前知事はご自分で在日韓国人と云っていますが、韓国人の民族性の立場から、検討対処する方が、本質を突くと信じています。
      
前ブログで「朝鮮民族性」について、当時「保護国」として、近代化に尽くした、伊藤博文公の合併後の総督府に対する、注意書きに、明白に書かれています。

今稿では同じ環境の台湾原住民と比較します。後者では現在でも、日本の統治に感謝、戦後の中国統治に決然と抗議しています。民族性とは、50年、100年、で変わらないのです。戦後占領軍の指示もあり、朝鮮人、が多く在住していますが、真の日本人として国に貢献している人は少ない。

日常はともかく、「一旦緩急」の際、日本人の真価が問われる。安っぽい「人権」「ヘイトスピーチ」論に惑わされては、 ならない。

最近パチンコ業者に自粛を求める、指導が入った。遅きに失する、感もあるが、これも「戦後体制」の改善の1つだ。


【U】 
何れにしても、日本は、朝鮮民族「韓国。北朝鮮」、支那民族「中国」と云う、大変似た、「日本とは殆ど正反対の民族性」の国に囲まれている。

アメリカは戦後処理に、日本を主権国家にしないため、(1)不当な、東京裁判。(2)憲法の強制。(3)反日国家の育成。をした。「慰安婦問題」「南京問題」は国連の、支持もあり、日本の立場、意見、は無視されている。

 「真実に勝る、捏造は無い」は真理だが、何れ、日本の立場は、国連の立場、を貶めることになる現在ヨーロッパ連合は大混乱になり、結着の見通しはつかないが、彼らの統治能力が問われている。

 「西欧文化の晩鐘」が段々大きくなっているが、一方、ロシアが支那に接近する動きが注目され、強大な軍事力が有るだけに、日本として、警戒しなくては、ならない。国連無能化、を見越した動き、であろう。

日本の立場は当然、ジタバタ。パワーゲームに参加しては、不可い、というアインシュタイン氏の予言の時が来た、(ねごと)は信じます。長い歴史。尊い国柄。日本は、小賢しく動く必要は全くない。

日本の存在、そのものが、益々、世界の中で輝きを増すのだ。然し思慮を欠いた、乱暴が日本に向かって来る場合に備え、「寄らば切る」の気迫と軍備は常に必要だ。現在の世界動乱はその可能性を軽視してはいけない。「治に居て乱を忘れず」だ。
安倍政権は怠りないとみている。年寄りの、でる幕ではないのだ。(笑い)。


【V 久し振りの旅行】
5月6日――9日まで、懸案の旅行をした。(1)出雲大社(2)大和ミユ―ジアム。
(1)は神代時代、日本(大和)発祥の空気に触れる為。(2)は(ねごと)も経験した、戦時の空気に触れる為。共通の感想は、日本人の美意識に、感激したことだった。「自己を省みず目的を達成すること」だ。

(1)は大国主命の「国譲り」であり、(2)は「敗戦の責任を果たした大和の特攻である。

一見、無謀に見える行為であり、理を重視する西欧人には、考えられない、美意識である。近世では「忠臣蔵」が江戸市民の歌舞伎熱を盛り上げた、武士・町人、問わずであった。

年齢を重ねると、日本人の美意識、に心から誇りを感じるようになるものだ。


  
―終わり―


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寝言の「日本の立つ位置――世界は日本を必要としている――」

2016/04/28 20:10
【はじめに】
 今年に入って、益々世界は混沌として、世界の庶民が平和な世活を望めなくなっている。「国連」の質が劣化し、必要な政策立案、と実行力が無くなっているのだ。

 「日本は泰山のごとく、静かに、世界の流れを観察すべき時」と前稿で主張したが、西欧の衰退を表す晩鐘は、益々強くなるばかりだ。素直に考えると、人間で、圧倒的に多いのは庶民である。庶民を意識しない政治家・統治者は、生き伸びる資格はない。

 「国民を宝」と表現される皇室を戴く日本国民は世界一幸福な立場あることを、改めて痛感する。
          

【庶民が心から望むもの】
 昨年(平成27年度) 訪日外国人は約2000万人に達した。今年も、現在、昨年同期を上廻っている。彼ら庶民の卒直な「日本社会」の印象は殆ど全員が好感を持ち、リピーターも増え、親日家が増えている。

 当然自国の社会と比較してのことだ。バイアスは掛かっていない。憧れすら感じているようだ。この傾向が続けば、東京オリンピックまでに1億人に達する。この知日家・親日家は、それぞれの母国に日本の印象を広げる。それは、「意図的なもので無いだけに」力強いものとなる――目は口ほどにものを云う――。

 要するに庶民は 「治安が良い」、「生活が便利」、「人々が親切」、「明るい社会」、を望んでいるのだ。
         

【民主主義と共産主義】――近代世界が作り出した、政治機構――
 現在日本は民主主義陣営に属しているが、共産主義は問題外として、民主主義陣営は健全な国々で構成されているだろうか?
ドイツ。ヒットラーは国民の選挙に依って、総統となり、独裁者となった。そして、人道に反する残虐行為をして、世界の顰蹙を買っている。 
 
 つまり庶民が幸福に暮らせる世の中は、制度では無く道徳の問題である。アメリカも民主主義の元祖を自認しているが、わずか200年前に「奴隷制度」の国だった。何より「大東亜戦争」での日本に対する仕打ちは、戦後の含め、とても納得できるもので無い。
  
 結局、制度より、運営の「心」の問題が重要なのだ。
 
 日本は聖徳太子の世界最古の憲法17条をもっている、その第1条は「和をもって貴しとなす」であり、我我は、此の事に自信を持つべきだ。1000年以上昔のことだ。

 先日NHK「クローズアップ現代」で中国では、仏教信者が急速に増え、現在3億人に達するそうだ。政府も重く受け止め、寺院復興に助成金を出しているそうだ。拝金主義に疲れた庶民生活者動きが今後注目される。作り出した、政治機構、の問題だ。庶民は心の安らぎを求めている。
         

【「道義国家」を日本は目指すべき】 
 此の言葉は自民党参議院、稲田朋美氏の主張です。氏の存在と正義感には「100人切り裁判」で示した弁護士活動当時から、尊敬しています(氏の紹介は本論から外れますので略します)。

 現在の日本は自然と世界の注目を集め、頼り甲斐のある国になりつつあります。アメリカ大統領選挙候補が「日米同盟は対等にすべき」と云っています。これも日本の存在が大きくなった証拠です。

 しかし、日本の世界への貢献は、軍事力では無く正に、稲田氏の云う「道義国家」として、です。戦後、日本はアメリカのスケープゴートにされ悪辣な国と憎まれ、主権もないがしろ、にされた。70年間耐えた日本は、力に依る復讐でなく、平和の為国連に「協力」した。運営費はアメリカについで、2番目出している事に触れ、折に触れ、日本は、世界に道徳を重んじる、国として、認識されてきた。70年は長かったが無駄ではなかったのだ。

 然しまだまだ、世界には、パワーに価値観を持つ国も、人も、多い。G7外相会議で、原爆被害者に献花が行われ、心が洗われたが、伊勢志摩での首脳会議の成果が待たれる。

 世界は1歩1歩、日本の本質を見直し、理解し始めた。これは「東京裁判史観」否定することでもある。だが此処で、安心し切ってはいけない。パワーに価値観を持つ国は、まだまだ、多い。凛として、「寄らば切るぞ」の心を示すことも大切だ。その1つとして、20年の経過を経て、X-2・次世代ステルス戦闘機、が試験飛行に成功。日本の戦力に大きなパワーが上乗せされる。純国産の持つ意味は大きい。特に原爆を持つ国、に強いメッセージとなる。オリンピックと同様、日本の存在感、は大きくなり、責任も大きくなる。

 国内世論も、大きく好転することを祈って、本稿を終わります。

  
―終わり―


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寝言の 「『戦争とは何か』 雑感」

2016/02/29 17:25
【はじめに】 
 前稿で(ねごと)は現在、日本は動かず世界の動きを、 じっくりと観察、分析、すべき時、と主張した。

 日本の望みは一口でいえば、「建国以来世界最古3千年になんなんと、する歴史と、一系の皇室を含む国体」を守る こと、と言える。

 現在国連加盟国は約200。それぞれ国体を守る意志は持っている筈だ、然し其の為に、国力のパワー、アップを必要としている。

 世界は、未だ覇権を争っているのだ。
 ISテロ集団対国連の戦争は、そのことを証明している。これを「第3次世界大戦の始まり」と称する人もあり。 「西欧文明の晩鐘」分析する人もある。

 どちらも、穿った見方だが、異を唱える気はない。戦争について、改めて、考えて見るのも、この際無駄ではない、と思って、一文を纏めることとした。


【戦争の原因】
 古来、人間は人口が増えると集団を作り、リーダーを選び環境に適応しようとした。此の集団は動物と同じく「縄張り」を作って、生活の安定を図った。作物を作り、水を引き森林を確保した。此の「縄張り」が交錯して争い、自己主張したのが戦争なのだ。長い年月を経過して現在に至るが、その本質は殆ど変わらない。


【日本の場合】
 日本は世界の国国にくらべると、「非常に特異」と言える。立地条件は島国で隣国と海を隔てている。四季の気候も恵まれ、農産物。海産物。も豊富で「縄張り」争いも、深刻にならなかった、と推定される。神話に依る、国作りでも、他集団とは、血なまぐさい争いは記録されていない。
 世界最古の聖徳太子の憲法、第1条は「和をもって、尊しと為す。」であり、国体の基本ともなつている。又、史上最も荒れた、戦国時代でも、勝者は庶民、農民、は殺していない。


【西欧列強の海外植民地政策】
 一寸横道に逸れるが15世紀末以来、約500年、の間、西欧白人が未開の世界に行った、侵略・略奪・残虐の数々は、日本ではあまり知られていないが、西欧白人の、世界史上最大の汚点である。

 此の流れを阻止したのは、終点であり、小さな島国、である日本であった。「西欧の晩鐘」は此の時から鳴り始めた、と云ってよい。爾来「大東亜戦争」に至る。

 戦争の本質は、「自己の思いを遂げる」事だから天皇陛下の国民をお労りになる御心の決断で終戦になったが、結果として、連合国は海外の植民地を失い日本は思いを遂げることとなった。「戦争は総て悪」の思想は日本を占領した、連合国が彼らの為に、日本人を洗脳したものである。連合国のその後を見れば、世界に紛争が絶えたことはない。子供にも理解できる。終りに、対日戦の総司令官マッカーサーの議会での証言、「日本は自衛のため、戦った」の一言を加える。


【戦争の種類】
 さて、標題について、その原因、とか、戦争が齎した結果、等を述べ、「日本の独自性」についても述べた。戦争と云う、角度から観察しても、確かに日本は古代から、世界との間に全く異なる経緯を示している。日本の存在は確かに、世界の道標になりうる。
稲田朋美、政調会長の主張する「道義国家」である。

 「覇権国家」では、世界平和は100パーセント作れない。
所で、中国は1999年「超限戦」なる表現で、国家戦略を発表した。戦争には今までの、ドンパチだけでは無く、「国家テロ」、「諜報戦」、「金融戦」、「ネットワーク戦」、「法律戦」、「心理戦」、「マスコミ戦」など何でもあり、と云うことだ。当然、担当者は一般人も含む。従って戦略研究も長期、必要としている。

 挑発的意図を感ずるが、時代錯誤とも感ずる。いずれにしても、隣国として、警戒すべきだ。


【終りに】
 論調が定まらず、御迷惑かけました。何といっても、国防の最大の要件は国民の、「覚悟」です。憲法が国を守ることはありません(笑い)。

 既に、「超限戦」は国内で熾烈に戦われています。マスコミ、国会、その他、平静によく見てください。
 国民の覚悟が国を守り繁栄を図るのです。      


―終わり―


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寝言の 「年寄りの繰りごと 2」 補足

2016/02/05 07:00
【はじめに】 
 前稿は大雑把に纏めると、 国連の無力化が進んで、世界全体が大混乱になり「その前途が予想出来なくなっている」と分析している。

 然し、「果報は寝て待て」の部分は多少ふざけた、印象を与えたと反省しているが、現在    の世界を見ると、正に日本の採るべき最善の態度と、改めて考えている。「急いては事を仕損ずる」と云う教訓もあるが、世界の大変化の進行を今は、ジックリ観察する時、と信ずる。

【物の見方と考え方】
 小生も今年90歳になる、年寄りの繰りごとも「味わい深く」なるべき、と思うが、寧ろ少し、短気になった気がする。然し「乗りかかった船」。人生の経験を土台にして、これからも、頑張りたい、と思います。 

 今年も年頭から、世界中で騒乱が起こっていますが、1つ1つに「拘る」ことなく、長い目で流れを見ると、その本質が理解できるのです。

 国連とIS テロは双方とも関係のない無辜の民を殺害しているが、テロを非難するが空爆の非難は少ない。
  「何方が残忍で野蛮人」と思いますか?スポーツでも勝負を争い、勝利を祝福するが、スポーツにはルールが有り公正な審判の判定に依り、成果が定まる。

国連は、大東亜戦争で原爆を、広島・長崎、に落とし、全国的に、焼夷弾で街を焼野原とした。国連は、本質的に(西欧人と云ってもよい)残忍な野蛮人と理解する。敵対する、相手を強く非難して、(嘘を含む)自己擁護する。卑劣な組織。少々厳しい、表現だが小生の本音です。

【日本の役割】
 日本は、敗戦後、70年、コツコツと世界に貢献してきた。先ず70年、と云う年月の長さ、の人間的感覚。評価。を土台にすべきだ。

 国連運営費。世界第2位。ODA(政府開発援助)を中国にまで、行っている。しかるに、「敵国条項」は未だに、残っている。これは国連が戦勝国の集まり、にすぎない、証しである。世界平和の推進等、夢物語。下世話に言えば 「ぶったぐり、強盗の集まり」。と言える。憲法問題と並べ、日本の真の、独立に必要な2本柱だ。

然し風向きが、幸い変ってきた。経済問題である。経済は国力の基本。国連の主要国の経済力は、並べてよくない。

 中国は株の暴落で世界経済に大きな、影響を与えたが、通貨(元)の信用も大きく下がり、破産は必至。

ロシヤは、原油の世界的暴落を受け国の減収が大きく、前途は暗い。ユーロは移民難民問題。経済も牽引役ドイツの経済の停滞、で対策に困窮している。

アメリカは既に国連の警察官の役を辞している。恐らく、世界平和の確立と云う国連憲章の  旗は下ろさざるを得ない。日本の立場はどうなる。重ねて云うが此処は静観すべき、と思います。アインシュタイン氏の「西欧が自己の利益の為、争い戦いそれに疲れた時、日本が必要になる」という此の予言は流石。恐れ入る。

【まとめ】
 先日、両陛下は、ヒリピンを御訪問されました。戦争で亡くなった、御英霊と戦いに巻き込まれた、100万と言われる、ヒリピンの人々、の御魂に敬虔な祈りを捧げられたのです。そのお姿に、ヒリピンの方々は感動され、スペイン、アメリカ、の植民地から、独立した現在、日本に心から、感謝したのです。

 御皇室の存在は今後も、世界中に言葉で表せない感動を与えると思います。世界では、「言論の自由」を大切にしますが、自由を利用して真実より虚構を大声で訴える国が多い。両陛下のお姿を拝見して、言葉より大切な「心」を拝見したのです。

 最後に御高齢の両陛下のご健康を祈り、皇太子殿下に御公務を少しずつお譲り下さるよう、お願いして終ります。    
     

―終わり―


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寝言の 「年寄りの繰りごと 2」

2016/01/06 11:16
【はじめに】 
 昨年の、「年寄りの繰りごと」は現在読み返しても、昨年の世界状況を表している。占いでは無いので、「当り」とは思わないが、世界は「大変革を必要として」大きく動き出していることは、事実だ。その方向は、多小の差はあっても多くの人が、感じている。

具体的に云うと、世界を動かしている、主体は国連であり、国連、対テロ集団、は明確に戦争に入っている。お互いに、原因について、言い分が有るのは、当然。然し、国連は、積極的に話し合い、をせず、空爆を激化している。恐らく、パワー、対パワー。では国連の平和維持の役割は、達成が困難、と見る。

 「年寄りの繰りごと」2では及ばずながら、(ねごと)の考えを披露します。


【歴史は真実に依って確定する】  
 歴史は真実に依って確定する。これは当たり前の事で、改めて、主張すべきことではない。然し現実の国連の対日政策は、全く事実に反している。

(1)「憲法成立の真実」。 国連は20万人の公職追放をして、議員の質を替え、行った。
(2)「東京裁判の欺瞞」 。裁判成立性。事後法。ともに、世界法違反。 
(3)「マッカーサー宣誓、証言、の重要性」
「対日戦(大東亜戦争)は自立の為戦った。」国会での証言、で歴史的な価値ある事実である。残念ながら、現在アメリカ国会議員も知らないものが多い、と云う。
 日本では殆ど「侵略戦争」と信じる、国民・議員、が多い。

 前国会で憲法学者の意見が尊重されたが、(ねごと)は国連の洗脳に感心するが、歴史の真実を知らない国民に唖然とした。
 平成21年出版の本で「日本人よ、もっと悪人になりなさい」 (上坂冬子、小林よしのり著 ワック出版)は、面白くとても参考になる。 悪人に対しては、「強くなれ」とする意味が有ると、思う。
 
 歴史の大切さに付いて、愚論を主張しました。


【天は自ら助ける者を助ける】
 今の日本は真実の歴史を、あらゆる手段で、世界に広報すべきだ。
 プロパガンダの盛んな世界に対しては、強い意志で、然も大量な主張が大切だ。宣伝は日本の最も不得意、の分野だけに、「悪人になる」覚悟が求められる。
 況して、真実の歴史である。
 標題は深く心に刻むべき、事だ。


【世界の大変革】 
 国連は日本に対する、プロパガンダを訂正しなければ、その存在意義を失い世界の大動乱を治めることは、不可能となる。数世紀にわたる、欧米の神を恐れぬ、悪業は、いまや、世界史の汚点として、テロ、移民の大移動。に証明されつつある。


【果報は寝て待て】 
 日本には面白い格言が有る。長い歴史の経験、の知恵。だろう。欧米主導の歴史は、日本の先人が、世界史に踊り出てから、今は、無駄な、動きより、寝て待つ時代に入っている。(ねごと)の感想で今稿の終り、とします。
      

―終わり―


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謹賀新年

2016/01/01 00:00
画像


明けましておめでとうございます。
旧年中はこのブログへのご訪問、誠に有難うございました。

新春を迎え、本年もガラス瓶に入れられたお手紙を、
丁寧に開封し、皆さまへと届けて参ります。

本年も日本の国の安寧と、このブログをご訪問下さるすべての方の、
より一層のご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


平成二十八年元旦


   ブログ「ガラス瓶に手紙を入れて」
     執筆者一同
     ブログ管理人〔しーたろう〕

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寝言の  「日本の黎明は世界の昏迷か?」

2015/11/30 20:23
【はじめに】
 前稿にて「戦後70年にして日本は黎明を迎えた」と題し、世界が日本を必要とする、要因を書いた。

 今稿では、その直後、I・Sのパリでの悲惨なテロ事件を初め、ユーロに対する大量移民問題。中共のシナ海における、傍若無人の軍事基地作り。等々、世界は時とともに昏迷の度合いを深めている。これは人類の宿命だろうか?


【平和について】
 平和とは、「戦乱が起こってないこと」と云う笑い話のような答えが有る。これは戦乱が常に起こっている、証拠でもある。現在は勿論平和では無い。
 
 しからば、人類は如何に為すべきか?が今こそ、問われているのだ。

 前稿で(ねごと)は「アインシュタイン氏の予言」に触れた。今読み返しても、氏の世界観が本質をついていることに感動する。それは世界の情勢判断ではなく人類の性を理解されているからだ。

 戦乱を収めるために、パワーを使用する現在の方法では、形を変えて、更なる、戦乱が起こる。それは日本の敗戦後の世界を観察すれば、歴然としている。
           
 安倍総理はアメリカとの同盟強化を約束した時、一般庶民が安心して生活できるため」と目的を入れた。中国を牽制するためだけで無い、立派な具体的目標だ。尤もアメリカ側が理解したか、どうかは不明である。前稿でも安倍政権への期待を述べたが、「法律を守る積極的平和主義」正しい発言だと思う。


【日本精神とは】
 少し別の観点から日本と欧米諸国の違いを検証してみる。「カミカゼ」と云う言葉で欧米では、人間性を無視した無駄な行為と揶揄しているが、事実は違う。海軍トップは許可・命令、をしていない。前線部隊の判断で(国家国民を守るために、窮余行った作戦だった。 

 英国のリチャード氏は著書の中で神風特別攻撃隊の驚くべき戦果を書いているという。それはアメリカの公式発表であるという。次の表にまとめている。
     
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     一般の攻撃による戦果  神風特別攻撃隊の戦果
戦艦        0              10
空母        1              12
駆逐艦      13              63
その他      24             104
==========================
合計       38             189(件)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 神風特別攻撃隊は、決して無謀で、犬死、では無く、志が立派に果たされていた。上記の米国の公式発表を見て、先輩方の敢闘と真心に言葉を失った。勿論国難に際し、殉死された、英霊に心から、哀悼の意を捧げ無くてはならない。出来得れば、天皇陛下、政府要人も、他国を気にすることなく、靖国参拝されることが1日も早く実現することを熱望する。他国とは国連のことである。

 国連の現状は正に「昏迷」の極み、政府が理を以て要求すれば、断る理由はない。安倍政権に進言したい。

 神風特別攻撃隊は、正に日本精神の権化である。


【終りに】
 日本と国連諸国との違いを述べてきたが、世界最古の歴史・皇紀2千7百年・万世一系の皇室・此の国体、こそ、彼らが、絶対に近付くことすら出来ないものだ。此の事に誇りを持ち、戦後彼らから受けた屈辱感を払拭し心から(日本こそ、世界を「昏迷」の底から救うために存在する、唯一の国である)、自信と自覚を持って活動すべきである。

 幸いにして、安倍政権は長期継続の見通しで、外国に対する、発言も重みを増している。条件は整った、後は、神仏に祈るだけだ。


―終わり―


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寝言の  「戦後70年にして、日本は黎明(新時代)を迎えた」

2015/10/29 07:00
 【はじめに】
今年は戦後70年、反日国(中国・韓国)の動向は予想していましたが、世界的に、各国、各地域、で予想外の事件・紛争、が頻発。その原因や実情の報告も、入り乱れています。(ねごと)は国連の存在が全く機能せず、昨年、当ブログで心配したことが、予想以上に早く、実現したことに、驚いています。

 結局、国連は第2次世界大戦の勝者の集まり、に過ぎず、 覇権主義から脱した、新しい真の世界平和の構築が出来なかったのです。


【アインシュタイン氏の予言】
 氏は20世紀を代表する、科学者であり、教養人であります。
 1922年、訪日の際日本に託した言葉、と言はれております。 下手な解説は抜きにして、その全文を紹介します。

 「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは、繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は、真の平和を求めて、世界的な盟主を揚げなくてはならない。此の世界の盟主なるものは、武力や金力では無く、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古く、又尊い家柄で無くてはならない。
 世界文化はアジアに始まり、アジアに帰る。それはアジアの最高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 我々は、神に感謝する、我々に日本と云う尊い国を作ってくれたことを――。」

 此の予言は「何時どこで為されたか、実証出来ない」と云う人もいるそうだ。(ねごと)は此の全文を読み感激した人は全く気にしないと思う。当時世界の実情を心から憂い、日本の歴史を深く研究した、氏にして初めて出来る予言だからだ。

 然し問題はこれからだ。氏の日本に対する、憧れと期待に答えることは、容易ではない。
 日本は第一に、全国民が歴史と国体に誇りを持つことだ。

そして「人類が求める真の平和」を実現しなくてはならない。
 「安保法」はやっと、成立したが、議論を通じて、議員は更に、更に、目線を高くし、政局に拘るより、世界情勢に意識を高めて欲しい。更に「歴史認識」も国民の選良として、自覚すべきだ。
 戦後の日本人は謂われない罪悪感に犯されている。「大東亜戦争」は各国に迷惑をかけた。例の、「村山談話の歴史認識」だ。(ねごと)は開戦時、中学三年生。此の戦争は聖戦だと信じていた。

 現在では実証するのは簡単だ、開戦時、独立国は50に満たなかった。現在、200国を超える。戦後独立した国は150である。近代世界史上空前絶後の事件と言えよう、原因は大東亜戦争、以外考えられない、此の戦争は聖戦そのものであった。

 アメリカが戦後、太平洋戦争、と呼び名を強制した、のは歴史の真実を恐れたのであろう。
 戦後バンドン会議に出席した、日本代表が心温まる、歓迎を受けたのも心すべき、事だ。

 旧白人国家の植民地が先を争って独立したのだ。真の世界平和を実現するための、地政学的地ならしが完成した。
 次の問題は、残存する、人種差別問題だ。

遡って第1次世界大戦に視点を移す。当時、日本は国際連盟の理事国であつた。軍事的には山東半島のドイツ軍を壊滅。海軍は地中海に進出。連合国の安全航行に寄与した。

 本稿に関係する面では戦後、パリ平和会議において、日本は、理事会で「人種差別、撤廃」を提案した、賛同国も多く理事会では賛成多数、 成立確実と思われたが、議長国アメリカに反対され、成立しなかった。

 以来「人種差別撤廃」は国是となっている。その源流は恐らく、幕末にある。と見ている。今日では世界の常識となったが、日本の貢献は大きい。これで、真の世界平和を考える条件が進捗したと思う。

 シュペングラーは西欧文明に絶望し(西洋の没落)を書いたが、現在、 日本も西欧文明の影響を受け、自然の恵みを軽視する、流れに乗っている。

人口減もその1つと言はれている、先進国の悩み、だ。日本も大きな問題を抱えている。世界平和、問題から脱線して申し訳ない。


【安倍政権の誕生について】
 第一次政権は、体調悪く短期にして終わった。然しその志は、誰の目にも明らかに見えた。
 第二次の誕生は神懸かりと思えるほど「幸運」に恵まれた。以後選挙は全勝。安倍晋三は運もよいが、運を最大に生かす、力量の持ち主だ。

 安倍政権は「地球儀外交」に成果を上げているが、健康に留意し日本の黎明を迎える担当政権になることを期待する。


―終わり―


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一阿の 「問わず語り」8 (最終章)

2015/09/29 07:00
第一章で、降る雪や/明治は遠く/なりにけり(草田男) をあげ、昭和20年8月15日以前と以後では、いふにいはれぬ違ひがあると申しました。そして「問わず語り2」で、桶谷秀昭さんの「昭和精神史」の一読をお勧めしました。

日本は理屈の国ではなく、問わず語りの国です。戦前と戦後では、古木を斬ったときの年輪のやうな不思議な差があります。以下は「昭和精神史」の最後の頁です。


「 ・・・・生活の場は焼け跡の廃墟に建てられた掘立小屋であった。空腹をかかへ、乞食のやうな身なりの日本人が、進駐米軍兵士が惜し気もなく路上に捨てた煙草を拾って吸った。あちこちの闇市に人はむらがって、不潔な食べ物にむさぼりつき、あやしげなアルコオルに渇をいやした。

粗悪な用紙に米語と日本語を併列して印刷した手帳のやうな米会話本が飛ぶやうに売れた。中学校は再開されたが教科書がなかった。やむなく戦前の教科書の占領政策に都合のわるい部分を墨で塗り潰したのを使った。それを怠った学校があれば、CIE(Civil・Information・and・Educatin・section/一阿注.)から憲兵を連れて視察にきた米人調査官から、叱責と廃校を暗示する威嚇を浴びた。

米軍兵士がもたらしたアメリカ文明の物質的ゆたかさが、日本人大衆を幻惑した。占領のはじまった頃、日本人婦女子の性的防波堤に殉ずる悲壮な米軍兵士相手の淫売婦が募集されたが、やがてその悲壮感は消えて、パンパンといふ名の日本婦人が、米兵士の腕にぶら下がって嬉々として街を歩く風景がみられるやうになった。

「アメリカ軍とパンパンは日本から出てゆけ。」 といふビラが、革命の前衛を自負する政党によって電柱に貼られた。パンパンは日本人である。「人種的同胞感覚」 を欠落した残酷が感じられる。「みんな濁流に押し流されてゐる。」 と 河上徹太郎は 『1946年』(「新潮」昭和21年11月号) に書いてゐる。「然し、汚濁は語るに適しない。といふのは、不愉快だからでも、無価値だからでもない。それは無限定だからである。全く悪夢の如き歳月である。」

しかし、精神的廃墟と汚濁の地下に悲しみだけが流れてゐた。それをこの年の12月に発表された小林秀雄の『モーツァルト』に見る。瞬時にあらはれては迅速に消えてゆく言葉にならぬ悲しみ、朝焼けの流れゆく雲に明滅するおそろしく透明な永訣の感情。《一阿は二十歳のころ、このど真ん中に住んでゐたので、いちいち身につき刺さる。》

すでにいったやうに11月に日本国新憲法が公布された。非武装を宣言し、絶対平和を世界に懇願する米文和訳憲法である。明治憲法は消滅し、 極東において十九世紀末に最初に創建されたアジアの草花の匂ひのする近代国家は完全に崩壊、消滅したのである。 そして平安朝以来の歴史をもつ国語体系の破壊をもたらす現代かなづかひが制定された。

さらに翌12月には米国式6・3・3 制の新学制が予告された。この決定的な事態にたいして注目すべき反応はなにひとつ起らなかった。あの悲しみにくらべればそれは何事でもなかった。いはんや汚濁と精神的廃墟にとってをや。八月十五日以降に生き長らへた者に、さらに決定的な別れの時が、すでに過てゐたのかもしれない。

夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が/気のとほくなるほど澄みに澄んだ/かぐはしい大気の空をながれてゆく/太陽の燃えかがやく野の景観に/それがおほきく落すしずかな翳は/・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・/・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・/いちいちさう頷く眼差のやうに/一筋ひろがる街道をよこぎり/あざやかな暗緑の水田の面を移り/ちひさく動く行人をおひ越して/しづかにしづかに村落の屋根屋根や/樹上にかげり/・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・/・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・/ずっとこの会釈をつづけながら/やがて優しくわが視野から遠ざかる。 (伊藤静雄「夏の終り」)

この詩が発表されたのは昭和21年8月、敗戦より1年目の夏であった。」


わたし(一阿)は「問わず語り」の1から7で、今の日本の国に対して抱えてゐる心配を綴りました。それはわが国の進歩的知識人や市民と称するサヨクな人達或はマスメディアが、平和に馴れて、自国を護る安保法制にたいしてさへ、戦争・戦争と騒いでゐる実態を目にするからです。

桶谷氏は「絶対平和を世界に懇願する米語和訳の憲法」と書きました。野党はこの憲法を盾に安倍潰しにやっきです。「昭和精神史」には「平安朝以来の歴史をもつわが国の国語体系の破滅をもたらす現代かなづかひ」とあります。新憲法の制定とよく似た粗雑な方法で決まった現代かなづかひ公布の実態は、阿川弘之と那珂太郎の対談で書きました。

あまつさえ、在日韓国人が国籍や名前を変へ、或は一代前は在日であった国会議員が野党の名のもとに反日亡国の論を為す現状は敗戦直後と何ら変っていません。大正の末期に生をうけ、戦前と戦争と戦後、そして平成を経験した私は、紛れもなく、祖国の嘆きが体感として身体の底に流れてゐます。本や人の話ではありません。戦前は良かった。本当に良かった。決して軍国ではありません。

小学生のころ叔父がクラリネットを祖父に買ってもらってボレロ(1928作)を練習してゐました。いい曲だなあと子供のこころで思ひました。マスコミによればそんな外国かぶれの者は憲兵にしょっぴかれることになってゐます。スケートの真生ちゃんが世界大会で滑るあのトーランドットも小学生のころ(昭和13)箱型ラジオで聞いたことを思ひだします。あの歌劇の文句を真似して家のものを笑はせた思い出があるからです。

戦前は軍国主義でギスギスしていたなんて大嘘です。昔の日本は豊で静かで温かかった。国家は命がけで国民を守ったし国民は国家を心から尊敬した。何よりも国民の心、国家の中心にはしっかりした心棒がとおってゐました。それが今では民主党や野党は言うにおよばず自民党でさへサヨク的な言動をなす人がゐます。靖国神社の新社屋分離を画策してみたり(極東裁判史観に毒され)、女帝と女系の差さえ知らない首相がゐたり嘆かわしいかぎりです。

もっとも、保守の源流のやうに言はれる吉田 茂 でさへ戦前はリベラルに位置した外務官僚だったのですから。GHQがちゃんとした保守の政治家を容認するわけはありません。それでも彼は世を去る前に自分の唯一の失敗は自国防衛の軍隊をつくらなかったことだと言ってゐます。これは海上幕僚長をしてゐた故吉田学氏から直接聞いたので間違ひはありません。

「昭和精神史」には更に「・・・翌12月には米国式6・3・3制の新学制が予告された。」とあります。これが如何にわが国の教育に弊害を及ぼしたかは昨今マスコミで騒がれてゐる事象を見ればよくわかります。先祖が考え抜いて作った徳川時代の寺子屋、明治維新以降日本人が自ら考へた6・5・3制。 戦争に負けたと言う理由だけで何故変へねばならんのだ。と言ひたくなります。国家、呆然自失のうちに最も大切なことが次々に変わってゆきました。憲法・ 言葉(新かなつかひ)・ 教育(6・3・3制)。「この決定的な事態にたいして注目すべき反応はなにひとつ起こらなかった。あの悲しみにくらべればそれらは何事でもなかった。(8月15日)」

今、新しい政治家が出て、本来の自然な日本人の国にもどさうと呼びかけると、過半数の日本人と称する市民達が絶叫する。まるで進駐軍のやうに。「憲法を守れ!」 「教育制度改悪反対!」 「軍国主義反対!」 世の中は、たいてい目に見えることより目に見えないことの方が怖いものです。マスコミは馬鹿らしいですが馬鹿にできません。それは目に見えないからです。

マスコミのおかげで、今や共産党が音頭をとって安倍おろしの狼煙をあげるまでになりました。喜んで応ずる政党もあれば、安倍はおろしたいがそれは・・と風見鶏を決め込む政党もあります。ただ、共産党が一頃の十倍にまで勢力を伸し政界に音頭をとるまでになったことを忘れてはなりません。彼等の最終目標は「天皇制廃止」なのです。早くあの富安風生の句のやうな・・・

よろこべば/しきりに落つる/木の実かな

の明るく楽しい国になって欲しいものです。


― おわり ―


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