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zoom RSS 一阿の 「年始の言葉」 6

<<   作成日時 : 2012/01/12 07:58   >>

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詩人 那珂太郎は昭和40年(43才)「音楽」を書いて30年後、73才で「鎮魂歌」を上梓します。これは極東裁判で死刑判決を受けた若い医学生をテーマにした 静かで壮大な叙事詩です。長いので要点のみとします。

「鎮魂歌」
1993年3月も終りちかい日、新聞の死亡欄記事に私は見た。

/「鳥巣太郎氏 元九州帝国大学医学部助教授。

/27日午前10時6分、 急性呼吸不全の為福岡市内の病院で死去、85才。

/太平洋戦争末期の昭和20年5月から6月にかけ、米軍捕虜の8人を九州帝大医学部で生体のまま解剖し、 死に至らせたとされる 「生体解剖事件」 に助教授として連座。

/戦後東京の巣鴨プリズンに拘置され、23年8月横浜軍事裁判で絞首刑の 判決を受けたが、

/再審査請求の結果、「軍の命令を拒否できなかった」として重労働10年に減刑、のちさらに減刑されて29年1月に出所。

/以後福岡市中 央区大名町外科病院を開き、院長をつとめた。。事件は遠藤周作氏の小説「海と毒薬」のモデルになった。」

(新聞の記事は時として正確を欠き且虚偽を含む。右の文中減刑の理由を記すがそれは公表されてをらず、少なくとも右に記す理由である筈はない。他の被告は 同等に減刑されてはゐないのだから。また最後の一行は、「事件は」 とは書かれてはゐるものの、さも鳥巣氏がモデルであるかの誤解を生みかねないが、小説は「九大事件」に状況設定を借りたとはいへ、作者も断る通りそこに描 かれる人物はすべてフィクションであり、実在の人とは無関係である。)

鳥巣さん、私の脳裡にはっきり浮ぶ、若かった日のあなたの顔が。/昭和12年12月私は15才、高校受験間際の中学4年生だった。

/虫垂炎のた九州帝大 赤岩外科に入院。/そのとき担当医だったあなたは30才、医学部を主席で卒業して5年目の颯爽たる青年医師だった。/私が憶えてるのは、すらっとした背丈 に白衣をまとった姿、

/あまり感情をおもてに表さない淡々とした話しぶり、回診のとき/私の枕元の文庫本のチェエホフの短編集に視線をおとし

/そんなもの 読んでるの? と好奇の目をむけたこと。

/ー―そんなあなたが8年後/あの悪夢にも似た事件に巻き込まれようとは、だれが予測できただろう。

/・・・ ・・・

/石山教授に呼ばれ米軍捕虜の手術を手伝ふやうに要請された。

/・・・ ・・・

/その手術現場ではじめてあなたは、

/それが治療の為ではなく、実験目的のものであることを知った。

/・・・ ・・・

/軍の命令? それが石山教授の口実に過ぎなかったか、

/それとも事実、軍上層部からの至上命令だったか、

/あるいは橋渡し役の小森軍医の恣意的唆しだったか、

/それは永久にわからない。

/軍と大学との仲介の要だった小森軍医は、四回目の手術実施直後の、

/6月19日のB29福岡大空襲の時の焼夷弾の直撃がもと で死亡し、

/石山教授は事件発覚後の昭和21年7月、福岡市土手町の拘置所で、

/「一切は軍の命令、責任は全て余にあり」の遺書を残して縊死した。

/しかしのちに法廷では、軍の当事者は〈命令〉したことを否定する。

/とまれ、あなたは石山教授に正面から逆らふことを畏れながらも、その後の手術に参加するのを回避した。

/・・・ ・・・

/戦後の高みから、平和時の正論をもって、自らの心の痛みなしに批判し断罪する者が、

/あの時のあなたの立場に置かれたとして、果たして、あ なた以上の冷静な行動をとり得たかどうか、すこぶる疑はしい。

/ 新聞の記事には〈捕虜〉としか書かれてゐないが、

/当時西部軍の言分では/無差別爆 撃によって国際法を犯したB29搭乗員は通常の捕虜とは見さず、

/戦時特別重犯罪としていづれ処刑さるべき者であった。

/(無論そのことが〈生体解剖〉を 正当化するなんの根拠ともならないとはいへ。)

/「さんざん爆撃で人を殺しておいて、自分はパラシュートで降りてきて助からうなんて、虫がよすぎるわね。」

/同じ時期に名古屋で空襲を受けた一主婦の「いつはらざる」感情を、

/『ながい旅』の作者大岡昇平氏は書きとめてゐる。

/事実、九大に送り込まれたB29搭乗員の仲間の一人は大分県と熊本県の県境の墜落現場で村人たちに猟銃で射殺され、

/別の一人は、包囲する村人たちに怯えてピストルで自殺した。

/B29による空襲が日に日に激化し、米軍の本土上陸に備へ各地で竹槍訓練が行はれてゐた当時、

/無差別爆撃した搭乗員を処刑することは、 〈悪〉とは見做されなかった。

/・・・ ・・・

/ときの東海軍管区司令官岡田 資陸軍中将は横浜軍事裁判の法廷で、

/無差別爆撃=盲爆をしたB29東海を斬首処刑した責任を一身に負ひ、

/戦時下でのその正当性を主張して、これを〈法 戦〉と称した。

/(のち、あなたは巣鴨プリズン第5棟で、岡田資氏の法華経の講筵につらなることになる。)

/あれから半世紀、事件当時37才だった あなたは、

/出所後40年間、85才の命終まで沈黙を守りつづけた。

/・・・ ・・・


(続く)


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