テーマ:書き手:蒼海さん

蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十五 旅のつれづれ / あとがき

「旅のつれづれ」  一  水泥五千キロの旅での移動では、空路、鉄路、陸路と三種類の交通路を利用した。一回の移動に要した時間は、最長は広州ー茂名間の列車の約八時間で、最短は済南ー博間のマイクロバスの約二時間である。  私は、日本国内の旅行で、何度も往復したところは別にして、新しく利用する路線の場合、それが空路…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十四 おしん

 訪問先の会食などの席で、中国女性の話がよく話題になった。その際、必ず男性の口からでる言葉は、「中国女性は強い」という言葉である。  解放後の中国女性というと、追放された四人組の一人である江青女史が、裁判の場で大きな声でがなりたてている姿を連想し、私の頭の中には自己主張の強い女性像が形成されていたので、中国男性の言葉の裏の意味が一…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十三 亡流とカラオケ

 北京で、私に旅行スケジュールを聞いたEさん(注一)が、南に行くほど治安が悪く、特に広州では厳重に注意した方がよいと助言してくれた。  それまでは、改革解放といっても、社会主義を標榜する政治形態のもとで、犯罪に対する刑罰は重く、治安はよいとの先入観をもっていたが、江夏さんの一言を聞いて、それまでの観念を改める必要を感じた。 …
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十二 二つの世界

 徐州から●博までの移動は、徐州ー済南間を列車、済南ー●博間をマイクロバスで行くよう計画されていた。  徐州西駅に着き、ホームに出ると、そこにはサーモンピンクの瀟洒な車体の列車が、私たち待っていた。  その車体の横の標示板には、徐州発青島行きの特快と記されていた。  この列車の始発地点の徐州は、食品加工を始めとする産業分野で発…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十一 禁煙

 二三十年前から、タバコを吸わない外国人男性が多くなっている。特に、技術系の外国人の喫煙者は少ないので、外国出張中、他の機関を訪問するときは、儀礼上長時間禁煙をせざるをえないような羽目によく遭遇した。  だが、中国人は、比較的喫煙者が多く、前回の訪中時でも、タバコを吸えなくて、我慢した記憶はない。逆に、応接室ないしは会食などの席に…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 十 どこでも料金

 改革解放に伴い、社会主義市場経済の道を辿っている中国では、種々の側面で、かっての秩序が見直されている。  従来無料で開放されていた様々な施設が、有料化されたのもその一つの現れであろう。前回の訪中時には、ほとんどの観光施設は、入場料を徴収していなかったが、今回は、故宮博物院をはじめ、訪れたすべての観光施設で、入場料を支払わされた。…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 九 電圧とコンセント

 調査団に参加することを決めたとき、ノート型のパソコンを持って行くことを考えた。それは、旅行中に処理できるものは、なるべくパソコンで処理し、帰国後報告書の作成の負担を軽くしようとの意図からだ。  そこで先ず問題になるのは、電源電圧だ。中国旅行案内などで調べてみると、ホテル等で使える電圧は二百ボルトなので、減圧トランスを持っていく必…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 八 ホテル

 改革開放政策が採られた直後の中国では、ホテル難といった状態が暫く続いた。  因みに、一九八二年発行の中国旅行案内(注一)には、「最近は十階以上の近代的ホテルが各地に立ち始めているが、各地の一流ホテルは古いものが多い。また、地方では招待所を使用するところもある」と記されている。  一九八三年に中国を訪問したときは、北京ー鞍山…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 七 美人の多い空の旅

 中国の国内航空は、運行時間が不規則なことで有名だ。前回の訪中時、国内の移動スケジュールは煤炭工業部がアレンジしたが、そのスケジュールでは、北京-瀋陽間の移動を夜行列車で行うようになっていた。  新幹線が開通以後、日本では夜行列車を利用することがなくなったので、たとえ寝台列車であろうとも、十四時間余の夜行列車の旅よりは、航空機を利…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 六 三種類の軟座車 3

 広州では四泊し、十一月十三日一時過ぎに迎えのバスに乗ってホテルを発った。  広州駅付近の雑踏ぶりは、ホテルから広州水泥有限公司の往復で、バスの中から遠望しているので、ある程度の予備知識はあったが、駅について、バスを降り、駅前広場を埋める群衆のかき分けるようにして、駅舎に入り待合い室を探す間、異様な雰囲気にただ驚くばかりであった。…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 六 三種類の軟座車 2

 日本では、戦後の早い時期に、車体をシェル構造に変え、軽量化の方向を歩んでいるが、中国では、新しい車両に関しても、従来の設計手法をそのまま踏襲している。外見は瀟洒な姿をしているが、その実、鉄の塊という姿は変わっていない。  石炭資源に恵まれているとはいえ、人口の多い中国で、重い車両をこれも鉄の息吹を感じさせる機関車で引っ張る姿を見…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 六 三種類の軟座車 1

 北京のホテルは、北京駅に近い建国門外の立体交差の近くにあったため、ホテルの窓から、北京駅に発着する列車をよく見かけた。大部分の列車は、前回の訪中の時利用した濃緑の車両であったが、時折、白色の車体に赤いラインを引いた新しい車両で編成された列車を目にし、改革開放で一部の車両が、新しいものに変わっていることに気がついた。  今回の旅の…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 五 黄蝗 2

 黄蝗の登場に伴うもう一つの変化は、流しのタクシーが増えたことである。  前回の訪中時、流しのタクシーは殆ど見かけられず、タクシーを利用する場合には、北京飯店などの主要なホテルで客待ちしているタクシーを捕まえる以外方法がなかったが、黄蝗が増えたので、昼間は勿論のこと、夜の町でも比較的簡単にタクシーを捕まえることができ、旅行者にとっ…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 五 黄蝗 1

 「黄蝗(ホワンホワン)」、黄色い蝗は、黄色い車体の小型タクシーの愛称だ。どこからともなく、群をなして集まってくる蝗、パールバックの「大地」を想像させるこの二文字は、現在の中国の大都市での車社会への移行を表す格好の表現だ。  小型タクシーが、北京に登場した当時、タクシーの車体が、黄色に塗られていたため、この愛称がついたといわれてい…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 四 道路 3

 市街の道路で、若干意外に思ったのは、茂名での見聞がある。  茂名市は、広東省の最南部に位置し、周辺の経済開発区を背景に、石油化学工業の基地的な存在として発展しつつある新興工業都市である。  街は東西に流れる川を境に、北は旧市街、南は新市街と分れている。この新旧両市街では、道路、家屋等の建築物等、すべての面で異なっている。 …
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 四 道路 2

 次に、都会の道路事情についてふれてみたい。  都市改造の進んでいる北京の主要道路は、片側三車線の自動車道路、その両側に約六米の自転車専用道路、さらにその外側に約六米の歩道により構成されている。  このような構成は、新興地方都市でも適用されているようで、徐州、●博、茂名などの新市街の主要道路も、同様な構成で統一されていた。 …
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 四 道路 1

 北京空港から市内までは、高速道路が整備されており、十一年前の片側一車線の並木道という牧歌的雰囲気は一変していた。  また、この高速道路の両側に並ぶ高層アパート群は、ニューヨークのケネディ空港からマンハッタンまでの沿道情景を彷彿させるものがあった。  そればかりではない、北京市街に入って、片側三車線の主要道路は、立体交差にな…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 三 通貨 3

 少額貨幣の追放は、紙幣ばかりではない。コインも貯まると、 小銭入れを膨らますので、やっかいな存在だ。  最近は、経済成長に伴うインフレの進行で、 一元が十二円と、十一年前に比べて、丁度十分の一に下落していた。  そのためもあってか、今度の旅では、一分などは手にしたことはなく、 また、一角なども評価されなくなっており、 …
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 三 通貨 2

 その第一は、朝の散歩で立ち寄る公園等の入園料の支払いに、 汚れた紙幣を充当する方法である。 別項で詳しく述べるが、街の公園の入園料は、 二角から六角までの範囲であり、毎朝行った散歩の途中で、 必ず公園に立ち寄っていたので、 この方法は汚れた紙幣の追放には有効な手段であった。 もっとも、朝食ぎりぎりまで、寝ている人にとっては…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 三 通貨 1 

 通貨に関して、変わったことは、外貨兌換券が廃止され、 人民幣に統一されていたことと、インフレに伴って、元の価値が、 十一年前に比べて十分の一に下落していたことである。  改革開放後間もない前回の訪中時には、外貨を両替すると、 外貨兌換券が渡された。  外貨兌換券は、その字の意味するとおり、外貨に交換可能な通貨で、 貨幣…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 二 簡体字 2

 文字に関して、中国を批判するような話になったが、日本にも略字の使用を強制した歴史が、現在まで四十年以上続いている。  その体系に慣れきった現在、偶に旧漢字を目にすると、異様な印象を受けることがある。 私は、二年前から戦中の回想録を書き始めたが、当時の関係文書を読み返すと、旧漢字が多く並び、初めは若干抵抗があったが、慣れるうちに、…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 二 簡体字 1

 中国は、漢字のルーツの国であり、漢字文化を受け継ぐ日本においては、漢文を、高校教育の正課の一つとして位置づけている。  特に戦前の教育を受けた私どもは、漢文に関する限り、読みかつ解釈することには、大きな抵抗を感じない。  だが、今日の中国は、漢字は簡体字に置き換わり、北京空港に降り立っても、その文字の判読に、先ず戸惑いを感…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 一 同行九人 2

 北京入りした翌日、十月二十五日に国家建築材料工業局を表敬訪問した際、なかなか厳しいものの言い方をする人物であるという印象を受けたが、現地調査の段階でも、中国側の面子にかかわることは一歩も引かないという、強さを感じさせられた。  Rさんは、日本流でいえば、「ボンボン」という感じの好青年であり、現地調査の際にも、粉塵を浴びながら、気…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 一 同行九人 1

 随想を主体とする本稿の趣旨から若干逸脱するする嫌いはあるが、二十五日間の旅を共にした、運命共同体ともいうべきメンバーのプロフィールに触れておく必要があろう。  日本より派遣された調査団は、団長の私と、セメントのプロセス技術担当のN社のSさん、熱管理技術担当のK社のCさん、電力管理技術担当のT社のKさん、業務担当の省エネセンターの…
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蒼海の 「中国水泥の旅」-同行九人、五千キロ- 目次、まえがき

目 次      まえがき      一 同行九人      二 簡体字      三 通貨      四 道路      五 黄蝗      六 三種類の軟座車      七 美人の多い空の旅      八 ホテル      九 電圧とコンセント      十 どこでも料金     十一 禁煙     十二…
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蒼海の 「白鳳-昭和・平成のハイブリッド伽藍 2」

 その後、誰から聞いたか判然としないが、高田さんが管主を引き継ぐ際、橋本さんは、戦国時代の戦乱で消失し仮建築のままになっている金堂をはじめとする伽藍の再建を条件としたという話を聞いた。  それを受けて、高田新管主は、般若心経の写経に納経料を付ける「百万巻写経勧進」を推進した。当時神戸在住の私も、「貧者の一灯」の思いで、般若心経一巻…
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蒼海の 「白鳳-昭和・平成のハイブリッド伽藍 1」

 私が、初めて薬師寺を訪れたのは、昭和二十七年である。  電休日を利用した晩秋の月曜日、奈良の寺院を探訪し、最後に薬師寺を訪れた。  奈良公園周辺は、学生時代に幾度も足を踏み入れていたが、西の京の薬師寺周辺の探訪は、そのときが始めてであった。  そのときの探訪に、薬師寺をルートに加えたのは、その少し前に起こった地震で、…
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蒼海の 「随想 -N氏の言葉-」

 文章を、辞典では、どのように表現しているか確認すると、「文字を連ねて、思想・感情を現したもの」という記述が見いだされた。  表現としては、正確であるが、よく見ると、なにか無味乾燥な文字列のように目に入ってくる。  文章が思想・感情を現すという記述には異論はないが、それ以外にも、自分の意志を人に伝達するなど、現実には様々な使われ…
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蒼海の 「アンダーテーブル」 2

 偶々、私が追いつき追い越せ時代の研究史をまとめた直後でしたので、研究員の自主的な活動がどの程度なのかを知りたくて、前述のT大手電機メーカー副社長の話を紹介し、現在研究所でアンダーテーブルが、どの程度の割合になるかをK所長に伺ってみました。  J鉄鋼メーカーでも、研究管理が強化されてきていることを聞き知っていましたので、10%前後…
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蒼海の 「アンダーテーブル」 1

 約二十年前、T大手電機メーカーのS開発担当副社長と、研究開発について話し合いを行ったことがありました。  その時の話の中で、T副社長は、”私の会社では、研究開発について10%のアンダーテーブルを認めています”といわれました。  私にとって、「アンダーテーブル」は初めて聞いた言葉なので、その意味を尋ねましたら、”テーマを登録…
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