テーマ:書き手:しろうさん

一阿としろうのメール ~大震災によせて~

◆一阿⇒しろうへのメール しろう兄・・・・お互い若い頃は神戸の近くにいたのでこの様な大震災の時にはあの神戸大震災を思出す。村山がそのイデオロギー故に自衛隊を嫌い、なかなか被災地に近ずけず亡くならなくて良い人命が多数犠牲になった。あまつさえ米軍の援助を断ったものだ。神戸出身の土井たか子がイデオロギーを振りかざして号令していた時だ…
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しろうの 「ヒロシマ被爆の日に思い出すこと」

8月6日に思い出すことは、その昔、廣島から約10キロ離れた江田島で被爆したことです。 昭和20年のこの日、私は廣島湾の江田島の対岸(能美島)の西海岸で海軍兵学校の水泳訓練に参加していました。 生徒館を出て運動場を横断し、内火艇に分乗して江田内を渡り、能美島を越えた西海岸に集合しました。 海に向かって整列して訓示を受け、…
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しろうの 「日本は何故こんな国になったのか」 3

国全体に対して「公職追放」という国家組織の解体で政治家・官僚のトップを一掃したことは、官吏(集団及び個人)にとって 最大の恐怖だったでしょう。私たちは気づきませんでしたが、彼らの耳や目は完全にGHQに向いていたのです。 我が国の官僚の特質は明治政府時代の「公正無私」の「天皇の官吏」でしたが、此の時以来、 公私ともに「失点を避…
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しろうの 「日本は何故こんな国になったのか」 2

考えてもみましょう。承詔必謹の我が国の軍隊は終戦の詔勅で直ちに武器を捨てて降伏し、世界中を驚かしました。 国民もまた、当然のこととして信頼する政府の命ずるままに戦後の生活を始めたのです。 元々、我が国の国民はナイーブで、昔からお上のすることは何時も正しいと信じて従ってきました。 敗戦後も政府の命令を(占領軍の要求を国民のために…
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しろうの 「日本は何故こんな国になったのか」 1

今、我が国が酷い状態(一々挙げませんが)になっていることに気づいている人が増えています。 私は余りに多い日本らしからぬ事件に、その原因が何処にあるのか?とずっと考え続けて来ました。 現在やっと到達した回答は、前の戦争の負け方にあったということです。 そして現在の考えられないような混乱した国情の真因がこれだということに気付きま…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 7

第2次世界大戦直後、陸海軍諸学校卒業生の進学が当時の内閣の総意であった【閣議決定】を無視した状態で実行されたのは「どう考えてもおかしい!」と書きましたね。 それは、その時高等学校の修業年限が復旧され、卒業予定者は一年間卒業を延期されたからなのです。 結果として、大学受験生は白線浪人と軍関係諸学校と専門学校などの卒業生のみとなりま…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 6

その後、色々調べてみてわかったのですが、聯合国軍総司令部(GHQ)は9月10日文部省に進駐しましたが、日本に関する知識不足もあり、 彼らが数年間かけて研究・計画し、手ぐすね引いて実行しようとしていた、日本の民主化政策の要である教育改革は、既に文部省が先手を打って実行していたのを発見したのです。  彼らは驚くと同時に大いに怒りました…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 5

前回までに、 大東亜戦争終戦直後、我が国の政府は荒れ果てた粗国復興のために、陸海軍諸学校の生徒及び出身者に高等教育を受けさせる【閣議決定】までしたのに、イザ実施の段階になってから、なぜか担当する文部省は決定通りにやりたくなくて、手を変え品を変えて実行を拒んでいるようだと見えるとお話ししました。 もちろん、当時の我々は通達どおりにし…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 4

この研究を始めた時、文部省が9月15日に発表した『新日本建設の教育方針』にはハッキリと「(高校・大学予科生徒の)学力不足を補うための<特別教育>を施すこと」と書き、「軍関係学校出身者にも同じ特別教育を行い、その修了者を大学へ入学させる」と書いているのを発見しました。 私はアレッ?と思いました。 おかしいと思いませんか? 当時の高等…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 3

「陸海軍学校出身者中希望者は、全員文部省の学校に受け入れる」ことを終戦直後に国が決めた話のつづきを書きます。 昭和20年8月28日の閣議決定の議題は「陸海軍諸学校出身者及び在学者等措置要綱」、その要点は次の通りです。 1、陸海軍の学校の出身者と在学者の内、希望する者は文部省管下の学校へ学科試験なしで転入学させる。 2.…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 2

その原爆の報告を物理学の教官に聴きながらも訓練を続けていたのですが、 8月15日終戦の詔勅とともに、 私たちは泣きながら再起を誓い生徒館生活の後始末をして、 およそ10日後に江田島を離れ故郷に帰りました。 私は街と人々にむごたらしい傷跡の残る廣島を通り、 無蓋の石炭貨車で京都に着いたのですが、 京都はまだ空襲に備えての強…
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しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 1

本日は初めて、しろうさまのお手紙を紹介いたします。 しろうさまは当面の間、一阿さまとのコラボレーションでお手紙を下さいます。 では、しろうさま、よろしくお願いいたします。                       ブログ管理人 〔しーたろう〕 ********** 一阿さんの「つぶやき」に触発されて、昔のこと…
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