テーマ:書き手:恕兵衛さん

恕兵衛の 「アジア主義の虚妄と陥穽」 2/2

 併しこの人たちの殆どは、支那及び支那人の、日本人とは根本的に異なる特有の民族性に、無知または無感覚であったようである。支那人の「中華主義」、韓国・朝鮮人の「小中華主義」は数千年の歴史に裏打ちされた抜き難いものである。  併し陸軍軍人の「支那通」の中には支那人の固有の性格を見抜いていた人もいたと最近の研究は教えている。  日本は…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「アジア主義の虚妄と陥穽」 1/2

 我が国は、幕末・維新以来欧米の圧力を凌いで、アジアで唯一独立を達成した。併しその孤立した状況では心許無いため、支那と朝鮮に呼び掛けて、協力して欧米諸国の侵略に対抗しようとした。だが両国ともその反応は芳しく無く、遂に福沢諭吉はあてにならぬ「東方の悪友を謝絶」して「脱亜入欧」を説いたのであった。  その後日清・日露の両戦役に辛勝し、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「日本とは何か」

 日本は地理的にアジア大陸の縁辺に位置し、東北・西南に数千キロに連なる列島で、二千年以上も前から支那から文化的影響を受けて来た。  それだけでなく、軍事的に脅威を受けたことも再三である。古くは「白村江の戦」、元寇、下っては日清戦争前夜の清国艦隊の脅迫。併しそれらを何とか跳ね返し、日清・日露の両戦役に勝ち、五大国の仲間に入ったと自ら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「生と死を巡る若き海軍士官の覚悟」2

 池田氏は石原都知事の神奈川県立湘南中学→高校の9年先輩です。湘南中学は神奈川1中・2中横須賀中学と並んで神奈川県の名門校の一つです。横須賀軍港等の多くの海軍施設の近くだったからでしょう。これ等の中学には海軍軍人の子弟が多く入学していました。先輩・後輩の関係からも話は弾んでいたのでしょう。  戦後は脇目も振らずに、建築の仕事に没頭…
トラックバック:2
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「生と死を巡る若き海軍士官の覚悟」1

 戦後の日本は命と金のみを重んじそれより大切なものもあることを、教えて来なかったし、考えて来ませんでした。  我々兵学校出身者75期でもそれをはっきり自覚していた人は少なかったのではないでしょうか?  福田赳夫首相の時「連合赤軍」の一派がダッカ日航機ハイジャック事件を起こし(1977年9月28日)、人質の身代金600万ドルと日本…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「大東亜戦争頽勢の始まり」

私たち、75期の多数派、大正15年遅生まれ~昭和2年早生まれの年代は、小学校に入る年(昭和8年)の前々年、昭和6年に満州事変があり、翌7年に上海事変があり、爆弾(肉弾)三勇士の話や、上海陸 戦隊の奮戦を聞き、「爆弾三勇士の歌」(廟行鎮の敵の陣…)の歌を歌い、戦争ゴッコで三勇士の真似をして遊びました。実際には「三勇士」は後に言う「特攻」に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「マンモス・クラス」75期の誕生

昭和18年(1943年)12月1日入校の75期3481名(驚くべき人数)の年齢(学齢)上の最大多数派は大正15年4月2日~昭和2年4月1日生まれの、すなわち昭和8年4月小学校入学の世代です。 この世代(旧制中学5年在学中に入校)が75期の約50%を占めると思われます。1学年下の昭和2年4月2日~昭和3年4月1日生れの、すなわち4年…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

恕兵衛の 「初めてのガラス瓶」

本日は初めて、「恕兵衛」(ジョヘイ)さまのお手紙を紹介いたします。 「恕兵衛」さまも海軍兵学校75期生として学ばれた方であり、日本の国を憂い、またとても若者を思って下さる方です。 では、恕兵衛さま、よろしくお願いいたします。                       ブログ管理人 〔しーたろう〕 *********…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more