テーマ:書き手:九太郎さん

九太郎の「憂国の詞」 -番外編-

本日は柳条湖事件の記念日とかで中国は国辱の日として騒ぎ、日本は一言も云う事なく過ぎました。 満州事変の本質は日本が日露戦争の結果、清国の承認の許に取得した遼東半島の租借権、及び南満州鉄道と周辺の鉱山の正当な利権を、清国に代わる中国、実際には張学良が認めず勝手な振舞いをした事、 併せて満州地区の治安が危殆に瀕した為に、止むなく…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 11/11

④.中国(張学良)の国際連盟への提訴 満州国の建国を受けて中華民国(張学良)は昭和7年3月に国際連盟に提訴し、之を受けた国際連盟は英国の第2代リットン伯爵を団長とする調査団が現地に派遣されて約6ケ月の後に所謂リットン報告書が作製されました事は後述します。 中国の張学良の主張は、「日本は満州は中国の一部ではないと主張しているが…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 10/11

③.満州国建国 関東軍は国際世論を避け、陸軍中央からの支持を得る為に早くから満州全土の領土化ではなく親日政権の樹立を考えていました。そこで満州事変勃発4日目の9月22日に、予て天津の日本租界に匿っていた清国最後の皇帝の溥儀に決起を促した所、早速に翌23日に使者の羅振玉が奉天の日本軍司令部を訪れ板垣大佐に面会し、宣統帝溥儀の復辟を嘆…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 9/11

②.満州事変 昭和6年9月18日午後10時20分頃、奉天北方約7.5㎞の柳条湖で当方の南満州鉄道の線路が破壊されました。  実は此の工作は前記関東軍参謀の板垣征四郎大佐と同石原莞爾中佐が首謀して行われたもので、関東軍は直ちに近くの張学良の宿営の北大栄を占拠し翌日までに奉天、長春、栄口の各都市を占領しました。  此の時に…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 8/11

⑵.満州事変 ①. その背景 張学良は蒋介石の失権・失地回復政策に迎合しその矛先を先ずは北満のソ連権益に向け、共産党狩りと称し昭和4年にソ連のハルピン総領事館に手入れを行い総領事と館員30名を逮捕し、同じく東支鉄道に軍隊を配置し管理局長と高級職員を追い出して占拠しました。  そこでソ連は国交断絶の上で…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 7/11

B.満州国の建国 ⑴.清国建国以来の満州の状況、及び張作霖、張学良について  先ず当時の満州とは、現在の中国の遼寧省(奉天省)、吉林省、黒竜江省の所謂東三省と内蒙古自治区の一部で成る155万㎢の日本の約4倍の地域を申します。 満州の殆どは元々満州族の居住地でありましたが、満州族の清が1636年…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 6/11

ウ.軍部の変遷 当初の兵部大輔には長州藩下級士族の長男である山県有朋が就任しましたが、之が翌明治5年には陸軍省と海軍省に別れ、陸軍大輔には山県有朋、海軍大輔には薩摩藩士の川村純義が就任し、続いて明治6年には徴兵令が施行されて国民皆兵制となり、明治11年には参謀本部が設けられて軍政と軍令が分離され、之が更に同36年には陸軍参謀本部と…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 5/11

イ.政界の変遷 一方その間の明治6年の政変により野に下った板垣退助は自由民権運動を起して藩閥政治に対抗し、軈て之が国会期成同盟を経て明治15年には自由党の結成となり、同時に大隈重信が立憲改進党を結成しました。 斯くて明治22年には大日本帝国憲法が発布され、翌明治23年には第1回総選挙が挙行されましたが総議席300の内で自由党…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 4/11

⑷.扨て最後に我国の特に産業や政党と社会運動の変遷、そして大正、昭和にかけての特に陸軍(参謀本部)が政治を壟断するに至った過程につき記述します。 ア、経済界の変遷 日清戦争後の我国では主として紡績等の軽工業が、日露戦争後は主として重工業が発展しましたが同時に政府と繋がる三井、三菱、古河などの財閥が勃興し、特に第一…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 3/11

⑶.次にその後の支那の変遷について述べますが、その前に漢民族と満州族の相違についても説明して置きます。 中国は目下五族共和政策を採っていると申しますが、五族とは漢民族、そして満州族、蒙古族、ウイグル族、チベット族であるとされます。中国ではその他政府が認定しているものを合わせると総計で55の少数民族を支配しております。 …
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 2/11

⑵、次にロシアの国情について触れて置きます。   皇帝ニコライ二世の時代の明治37・8年(1904・5年)、日本はロシアとの日露戦争を戦いましたが、その後1917年(大正6年)の社会主義革命によりロシア帝国は崩壊し、レ-ニンを指導者とするソヴィエト社会主義政権が誕生しました。  その後の1924年(大正13年)1月…
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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 1/11

都合により暫くお休みしていました「憂国の詞」の第九回として以下に「終戦と云う敗戦-前編」に続く「後編」を記述して参ります。   ●満州国建国への「義の概念」                       A.満州国建国に至る迄の世界の背景の変化について概括しておきます。      ⑴ 先ず米国であります。  …
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九太郎の 「年末雑感」

皆様、今年も早や年の暮れとなりました。 扨て皆様にはこの1年はどの様な年でありましたでしょうか。 3月11日の国難以来はそれこそ世を挙げて復興に邁進して参りましたが、 賢明で勤勉な日本人は外国の人が見て驚く程の連帯意識を以て着々と成果を挙げております。 嘗て我国は全国が焦土と化しましたが軈て世界に冠たる国となりました。 今…
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九太郎の 「時事解説-『売国奴 菅直人の退陣表明』」

先日は午前中に菅直人は売国奴であると申した所、早速にその午後は退陣表明となり誠に気分を好くしております。 今度新たに総理の座につかれる方は何はともあれ、国民として国家に情熱を持つ者でなければなりません。 私共は軈て終戦記念日を迎えます。 私共は64年前の敗戦により国土の殆どは焦土と化し、国民は老いも若きも選ばすその…
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九太郎の 「時事問題-『売国宰相 菅直人』」

市民上りの菅直人は昨年6月に我国の宰相となりましたが早速に馬脚を表した末、 此の3月10日には遂に外国人からの献金問題が表面化して辞任必至の死に体となりました。 そこへ翌3月11日に東北地方で未曾有の災害に加えて原発問題が起き、日本中は恰も戒厳令下の如き非常体制となりました。 即ち凡ての権力は戒厳司令官・菅直人に集中し…
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九太郎の 「時事問題」

先日からの「日本の大義について」の私の連載を一服している間に世は原発問題一色となっております。 成るほど原発問題は日本、否世界にとり重要問題であり、且つ被災者には多大のご苦労の事と存じます。 然し乍ら内外に重要な局面を抱える日本として、震災より2ケ月余を経る現在も尚之に現を抜かしていて良いものでしょうか。 そこで此の原…
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九太郎の 「時事問題への提議」

最近喧ましく報道されている問題2件について私の意見を申し皆様のご批判に供します。 先ず第一の問題としては小沢問題であります。 凡そ悪事については疑惑の段階から有罪の段階まで、その疑惑の濃さについては色々の段階があります。 些細な疑惑については第1段疑惑と仮定し、それから疑惑の増す毎に第2、第3段疑惑と上昇し、 裁判で…
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九太郎の 『憂国の詞』-第八回- 「北方四島問題」2

そして何れにも日本の領土としては本州、四国、九州、北海道および周辺の島嶼と定められております。 そして南樺太、千島列島の放棄は規定されましたが帰属先は不明の儘となっております。 一方で昭和20年の2月に米、英、ソの首脳、即ちル-ズベルト、チャ-チル、スタ-リンがクリミア半島のヤルタに会しヤルタ協定なる密約を交わしましたが勿論我国と…
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九太郎の 『憂国の詞』-第八回- 「北方四島問題」1

第八回は第七回の続きとして満州事変から満州国建国、そして之に続く諸課題を説明す可く準備中の所、突然に北方四島問題が噴き出て参りましたので、その前に緊急事項として当問題を取り上げます。  終戦間際の8月8日にソヴィエット連邦(ソ連)は日本に対して一方的に宣戦布告をし日本領土に攻め入りましたが、当時の日本としてはソ連とは日ソ不可侵条約…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 7

● 第一次世界大戦参戦への「義の概念」 1914年(大正3年)7月、ヨ-ロッパでドイツを中心とする三国同盟(外にオ-ストリア、イタリア)と、イギリスを中心とする三国協商(外にロシア、フランス)間で第一次世界大戦が始まりました。 日本は当初英国の日英同盟による参戦依頼もあり、更には嘗て日清講和条約に対する三国干渉の怨念もあって…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 6

● 台湾統治への「義の概念」                       台湾及び澎湖諸島は日清戦争により明治28年(1896)に清国より割譲を受けました。 台湾は元々高砂族等の蛮族の住む島であった所、1603年頃(徳川家康時代)よりオランダ人が現れる中にオランダ東印度会社は同30年には台南にゼ-ランディア城を、同50年には対岸の赤…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 5

● 日朝併合への「義の概念」   日朝併合の相手国は、1392年(日本では南朝が滅亡した後小松天皇時代)に高麗を滅ぼして政権を勝ち取った李氏朝鮮(李成桂-太宗)の末裔であり、之が後の1897年(明治30年)より大韓帝国と称しましたが、その僅か13年後には日本との併合となり、斯くて昨今に申す日韓併合ではなく日朝併合と称するのが自然かと…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 4

● 日露戦争への「義の概念」                       満州の利権を狙うロシアは日本の遼東半島進出に異議を称え、下関講和条約締結直後の翌4月にドイツ、 フランスを誘って日本に対し遼東半島を清国に返還する様に勧告する所謂三国干渉がありました。 之にはロシアの東洋艦隊がドイツ艦隊と共に戦闘体制を構える始末に、日本も止む…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 3

『前編』                                                        ● 日清戦争への「義の概念」                       朝鮮は日本にとり重要な位置を占め我国の生存上無視出来ない国であります。 一方東洋の大国の清は中華思想により朝鮮を属国と見做して関…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 2

約260年続いた徳川幕府は対外的には鎖国を貫き、対内的には各藩による封建社会で形成され、政治は華族(全人口の約0.9%)と士族(同約5.5%)、 そして軍事・警察はその僅かな士族のみで形成されていました。 所でペリ-の黒船に目覚めた日本は之に対抗するには統一国家になる必用を感じ、明治維新を断行して天皇の下に糾合し、欧米の文化を取り入れ富…
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九太郎の 『憂国の詞』-第七回-  「終戦と云う敗戦-前編」 1

過日は第65回目の敗戦記念日を迎えました。 この事について些かの感想を述べて見たいと思います。 テレビ等のマスコミは相も変わらず、挙げて自虐的の中にロマン的・懐古的とも思われる論調を以て「終戦悲話」を流しました。 敗戦と云う究極の屈辱的現実を、誰が何故に終戦と言い換えたかについての詳細は私の知る限りではありませんが、私は下記の通…
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九太郎の 『憂国の詞』-第六回- 「尖閣問題」

この事について私が特に申して置きたい事は、中国と云う国は法治国家ではなく人治国家であると云う事であります。  人治国家とは、法が為政者の下に属し常に法が枉げられる国柄であると云う事、即ち中国にも憲法はあるが夫れは先進国の如く政党の上に厳然としてあるのではなく中国の憲法は独裁共産党の下に属しており、況んやその下に位置する法の世界は申…
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九太郎の 『憂国の詞』-第五回- 「市民と云うもの」2

此の様な原点を持つ管直人が厚生大臣となって先ず手がけたのが、それまで7年に亘って係争中の薬害エイズ問題を役所側の責任-敗訴と「自認」した、即ち市民社会の感覚により片付けたと云う丈の事でその他に積極的な実績は見当たりません。 この様に国家を「市民」の一隅から眺めるのみの国家観しか持ち合わせないであろう者が、一国の国家の総理として正面を向…
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九太郎の 『憂国の詞』-第五回- 「市民と云うもの」1

私が当ブログに寄稿を始めた動機は、過去の戦乱の歴史的評価について、当時の皇国原理主義でもなく、その後の自虐主義でもない日本人としての公正な立場での歴史を残して置きたいと願ったからであります。 所がその後の鳩山政権および小沢裏方師の言動を見るに見かねてその記述に係わり少し脱線しましたが、脱線ついでに管直人が創生した「市民」と云う概念につ…
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九太郎の 『憂国の詞』-第四回- 「日本の国民、統治の問題について」6

扨て人々は皆夫々に孤独な存在であります。 従って夫々は目に見えない大いなる存在に対して畏敬の念を抱き信を置く事を念じております。 斯くてキリスト教はエホバの神、イスラム教はアッラ-の神を信じ、之等をゴッドと称して人々とは別格の唯一・絶対の存在として畏敬して参りました。 所で私共日本人は何を畏敬し信じて参ったのでしょうか。 私共は神…
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