寝言の 独り言3 「ビールの一気飲み」

 花見の季節、に加え、新入学、新入社、の季節が重なって、世間は冬から明るい春へと走り出した感じだ。今年の春は出足が遅かった為、一層その印象が強い。然しその裏側で若人の中で、歓迎会の「一気飲み」でアルコールによる事故が多く発性している。例年のことだが、一向に改まらないのは何故だろうか?

(ねごと)は此の現象に我が国の良い民族性の裏側を見ることが出来ると思う。「長幼の序」を大切にするという教えは民族性の良い面として昔から守られて、「年長者から若年者に長い人生経験と昔からの伝統を」伝えることが行はれてきた。

然し最近此の教えを具現することは殆ど消え去った感がある。年長者として愚痴るわけではないが、戦後の社会で価値観が百八十度転換された為通用しなくなったのだ。少し横道にそれたが「一気飲み」は先輩、後輩、といっても殆ど同年輩の間での問題である。先輩は年長者的健全な常識が無く、後輩も年長者として尊敬しているわけでもない。唯今後の生活上、トラブルや損得を考えて、自己主張を控えているのでは無いか、と思はれる。

健康上此の弊害は一時的でもあり、社会的大問題とは云えない。若者の打算的判断は「長いものには巻かれよ」と云う昔からの権力に対する庶民の知恵、でもあるのだ。
その意味では納得する面もあるが、権力の非を正すことは出来ない。

 本稿の(ねごと)の主張は「長い物には巻かれよ」の裏の教えにあるのだ。戦後、敗戦、降伏、と云う未経験のショックを克服できず、政府政治家は占領政策に対し「長いものには巻かれよ」的対応に終始した。此の事が今日の日本社会を作りだした、と云って過言ではないと思う。   

東京裁判、新憲法発布は今日まで多大な影響を国民の心に与えている。そして、その影響は数十年を過ぎた今日、対中国、対韓国、対朝鮮、外交にまで及んでいる。正は正。邪は邪。天地の公道を歩けない無気力な政府。一種の不気味さを感じるのは私のみではないはずだ。

 現在我が国は前述の国から飲みたくないビールを何度も飲まされている、幾ら飲んでも、外交関係は良くなってない。これによる国の経済も損失が増え国の健康も悪くなっている。然しやっとと云うべきか、此の事に目覚めた人も最近多くなり前途に光明が見えてきた。実例を二、三、あげます。

名古屋市河村市長。中国からの訪問団に対し「南京問題は存在しない」と発言。中国の反応も、我が国内反日勢力の反応も(及び腰)でした「長い物には巻かれよ」から一歩踏み出した結果でしよう。
大阪市長橋下氏も長い歴史を持つ、労働組合、日教組、の横暴を制しました。東京都では今年から高校教材にマッカーサーの上院での有名な証言「今次大戦において日本は自衛のため闘った」を明記しました。此の流れは教育の本丸である文科省に必ず影響を与えるでしよう。侵略国家だった、と思いこんでいる、戦後世代にも広く伝えることが大切。


 追加:
 17日の情報によれば、石原知事は「尖閣列島を都が購入する」とアメリカ訪問中に発表した。本稿の執筆時点ではまだ中国の反応は不明ですが、我が国政権に対してのメッセージとしても大きい。最大の影響は平和ボケの国民にその意味の論議が起こることと思う。

以上光明の実例を挙げる。標題の「ビールの一気飲み」からやや強引に結論に誘導して申し訳ない気がしますが、(ねごと)の独り言として御了承下さい。 


(了)


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寝言の 独り言2 「失敗は成功の母」

 現在、大きく分けて世界は「民主主義」「共産主義」の二大政治制度の対決の色合いが強い。

 主要国で見ると、アメリカ対中国となっている。ともに世界の覇権を目指している、本稿では省略するが、双方とも国内に矛盾を抱えており、特に経済面でその感が強い。恐らく双方とも其の強化に全力を傾注すると思う。我が国の軸足確立が大切な時代に入っている。

 さて標題の格言は物作りを始め、人間活動の総てに有効な教えである。今日の社会文化は此の格言の実践によって、達成されたと云って過言ではない。

 然し今回の福島第一原発事故に関して考えると、事故(失敗)を成功の母としているか?考えてみよう。事故はマグ二チュード9と云う大地震(主電源を失う)と歴史的大津波(予備電源を失う)によるものだった。此の史上最大とされる天災が大きな原因であることは事実である。

 然し予想を超えるトラブルの中、担当所員の決死的な働きにより、チエノブイリ化は防ぎ通し、現在は炉の静止状況を保っている。最後は核燃料の処分と廃炉の工程が残っている。

 ここで標題の歴史的格言が生かされているか、否かが問題である。政府は此の緊急事態に度を失って、早々に「原発反対」を表明した。「プロ的運動家」の声に惑わされた感がはなはだしい。

 失敗を成功に転ずるには、真っ先に―原因の調査検証―を正しく行うべきである。民間では既になされているが、肝心の政府は一年過ぎて検証が出来ないのだ、先日当時の政府責任者菅氏が委員会に呼び出されたとの情報が有った。政府は検証にたたらを踏んでいるのだろうか?

 いずれにしても検証抜きで基本的政策を打ち出すことは、軽率である。より安全な原子炉の技術改善と運用制度(立地を含む)を確立すれば、原発の製造、運営に関し最高の国として全世界に貢献できたはずである。又、安全保障としての、国家エネルギー問題の安定化に貢献したと思ふと、その失はれた機会損失は計り知れない。改めて標題の諺の大切さを痛感する次第である。現政府はそもそも今回の天災による緊急事態に対応する能力欠如が甚だしい。

「泥縄」的対応の二〇ともいわれる検討会議に議事録も無いという醜態が明らかになるに及んで怒りすら覚える。然も有識者の人選も偏って首をかしげる。緊急事態に対応する決断力、広い視野、を持つ人間が求められる。机上の学者だけでは役に立たない。

明治元年天皇御親政初年度に「五か条の御誓文」が発布されている。明治政府の国家経営の基本理念であるが、その第一条は「広く会議をおこし万機公論に決すべし。」―広く―の真意を理解すれば放射能対策にも見られる現政府の対応は民主主主義の理解不足と断じて良い、と思う。

 更に厳しく云えば、憲法の制度疲労が端的に表れた事に注意すべきである。違憲とされ、「暴力装置」と軽蔑された自衛隊は正式命令(最高指揮官)前に発災直後、災害状況偵察、人命救助、在日米軍との打ち合わせ、をスタートさせている。対ロシア、対中国に向けた国防も意識、その義務を果たしている。アメリカ空母の三陸沖進出は安保の運用として適切であった。空自のスクランブルも適切で隙を見せなかった。本来なら、海自が国防の主力になるべきところだが現在では残念だがやむを得ない。

原発問題と同時に国防問題も「失敗を成功の母」とすべく、国民世論の喚起に努力しなくてはいけない。国防問題は今回は失敗ではなかったが、自主防衛の力不足を自覚させる、良い機会であった。正常化の母としたい。


(了)


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一阿の 「紀元節」 4/4

 北朝鮮が人工衛星を打ち上げるといって騒いでいる。国辱ものの防衛大臣・田中・がイージス艦の配備を命令したといふ。わが国は、今 最も信頼される海上自衛隊の頭脳と技術と精神力(文句があるなら集中力)に頼るほかは無い。然し考えても御覧なさい。このイージス艦は誰のお陰でここに存在するのですか。 約30年前、米国ではレーガン時代 我が国では政府はイージス艦導入には無関心で、大蔵省のごときは、この予算措置を絶対受けつけなかったのですよ。進歩的知識人や左翼評論家(殆どそうだが)達は防衛予算が国家予算の1%を超へてはならん(今は0.9%)と大合唱して。

このイージス艦の導入に反対したのです。アメリカも昨今のP35問題と同様、最新鋭のイージス艦をわが国に渡そうとはしなかったのです。それをおめず臆せずコツコツと説得して廻ってやっと国内の予算を取り付け、アメリカの国防総省(国防次官補アーミテージ)と渡りあって最新鋭のイージス艦に切り替へさせたのは時の海上幕僚長 吉田学 兄(兵学校75期)なのですよ。勿論彼だけの働きではありませんが。そのことは日本人よりも尊敬の念を以って彼を慕っているアメリカ人、ジェームスE・アウワー が「日米ネービー友好協会会報」に書いてゐるのでここに載せておきます。

「元米国国防総省 日本部長J・Eアウワー ・・・戦後日本の大蔵省/財務省は、日本の防衛政策に異常に強い影響力を与えてきました。このことは、どの民主国家でもある程度あてはまるとはいえ、国防上の必要性よりも、武器システムのコストの方が重要視されることがよくある日本の場合は特異です。吉田提督が海上幕僚長になられた1980年代の半ばは海上自衛隊の自衛艦隊と米国の第七艦隊がウラジオストックを基地とした100隻に及ぶソ連太平洋艦隊の潜水艦に対して、鋭意奮闘これを探知し、追尾しそしてそれらの作戦を定常的に監視し続けていた冷戦の絶頂期でした。

負担は非常に大きく、当時の日本の防衛予算は非常に限られていましたので、21世紀にまで日本の防衛を考える人はほとんどいませんでした。対潜水艦戦及び防空戦は引き続き重要でした、しかし一方ミサイル防衛の重要性も増しつつありました。誰もソ連の脅威が急激に消滅するとは思わず、20世紀の終わりから21世紀の始めにかけて、中国が台頭することを予測した人も殆どいませんでした。然し吉田提督は、米海軍のイージスの対空及び対ミサイル・システムの機能を理解し、日本の将来の防衛の必要性に関連付けて認識しておられました。

吉田提督はソ連の潜水艦の脅威に対して、自衛艦隊と第七艦隊米海軍の緊密な連携を確保すると同時に、イージス・システムをその機能に関らず単に高すぎるとする当時の大蔵省(現財務省)と防衛庁内局の高官達と孤独な然し勇気ある戦いを繰り広げました。そして吉田提督はこの自国防衛のための大切な戦いに打ち勝ちました。海上自衛隊はアジアや欧州のどの海軍よりも大きなイージス艦を保有しており、地域及び世界の平和と安全のために準備が整い、有能な米海軍の抑止パートナーなのです。吉田提督が、海上自衛隊を退官した後、米国を訪れたことがありました。私は当時小さかった長男を連れてお迎えに行きました。私は、吉田提督が、長男の手をとり廊下を歩いてゆくのを見て、大きな誇りを感じ微笑んでおりました。私は将来長男に、日本のイージス艦のゴッドファーザーにお会いした思い出話をしたり、それをまた、私の孫に語ることを楽しみにしています。」

此れを書いたのは、全て物事には「ゆきあし」(海軍用語)があるといふことを言ひたかったからです。戦艦大和は両舷停止でスクリューの回転を全く止めても艦は何百メートルも進行します。此れは全ての艦固有の血液型のようなものです。これを「ゆきあし」といひます。国にも「ゆきあし」があります。だから坂道から転げ落ちるやうに崩壊しかかったときにも、このゆきあしを読んで手を打たなければ、いざといふとき間に合ひません。今は痛痒を感じなくても、手を打たないと、国は必ず国民を乗せたまま、沈んで行きます。爺さんはそれが耐え難いのです。早く国の基礎である教育を日本固有の姿に取り戻し、保守本来の道に乗せなければなりません。 何十年かかろうとも、紀元節には心から日本に生れたことを喜び合ひ、翩翻と国旗を掲げて日本の歴史を寿ぎ、噛締める日が来ることを切に祈ります。


(了)


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一阿の 「紀元節」 3/4

 政治のことを昔から「まつりごと」といってきました。国の安泰と民草の幸せをお祈りされる天皇陛下の厳かな秘儀は神武の昔から脈々と続いてきました。然し最近チャイナースクールと称する外務省の左派一派が小和田を首魁として宮内庁を支配していると聞きます。勿論羽毛田も小和田の弟子でこの一派です。彼が宮内庁長官といふ立場を利用して、この一派の代弁といふべき進言をしたことは良く知られています。所謂「女性宮家」の創出です。陛下の公務の御多忙を理由に女性宮家を新しく創ろうといふのです。

それならば国の主席でもない支那人をわざわざ陛下にお会わせすると言った愚は厳に慎むべきだ。陛下の御公用は外交 政治上の諸事万端から順に減らせばよい。何故「まつりごと(神事)」から手をつけようとするのだ。かって小沢は無礼にも副主席習近平の参内強行を手配したが、彼が純粋には日本人の血統ではないことを考へると、さもありなんとは思うが。

では羽毛田や小和田はどうなんだ。こう考へると進駐軍(GHQ)がわが国に残して行った汚物が畏れ多くも宮内庁にまで浸透していることが思ひやられる。普通に考へると宮家については戦勝国が無理やり廃絶した旧宮家の復元こそが本筋のように拝察されるが、国体意識を失った市民にはそうは写らないらしい。ここに参考までに旧宮家を挙げておく。

「江戸時代から四つの世襲親王家があった。伏見宮家  閑院宮家 桂宮家 有栖川宮家 である。このうち閑院宮家は継嗣がなく伏見宮家から出て継承し、桂宮家は明治14年、有栖川宮家は大正3年継嗣がなく廃絶した。明治維新前後、伏見宮家から多数の宮家が分立した。梨本宮家 山階宮家 久邇宮家 小松宮家 北白川宮家 華頂宮家 東伏見宮家 である。その後、久邇宮から賀陽宮家 朝香宮家 東久邇宮家が分立し、北白川宮家からは竹田宮家が分立した。このうち小松宮家 華頂宮家は廃絶し、昭和22年当時11宮家が存在していた。大正時代以降 大正天皇皇子が秩父宮家 高松宮家 三笠宮家 をつくり、これを直宮といった。」以上が現存宮家である。

腹の底まで「ワールドスタンダード」に成り下がった進歩的知識人は我が軍隊を、ミスばかりした愚劣な悪の集団のやうにいふが、そうではない。最後はこの小さな島国が全世界を相手に戦ったのだ。独や伊はすでに降伏していた。何故それほど強かったのか。それは日本が万世一系の天皇のもとに珍しく美しい運命共同体であったからだ。皇統を廃絶して御覧なさい。あっという間に日本は相対的なワ-ルドスタンダード世界の中で、強大な支那か米国の属国に落ちぶれてしまうせう。それはワールドスタンダード文化の論理的帰結だからです。

それゆえにこそ、列強(戦勝国)は日本の特殊な文化を変へやうと必死になっているのです。


(続く)


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一阿の 「紀元節」 2/4

 平成23年11月23日の新聞に小堀桂一郎東大名誉教授の含蓄のある小論が載ってゐるので以下転記します。

「皇室の御安泰を真剣に考える秋 。平成21年元日の本欄において、筆者は(皇位継承に制度的安定を)と題して見解を述べる機会を得た。・・・・・ところがその夏に政権交代といふ事態が発生し、新たに政権の座に就いた民主党内閣の下では、この問題についての正当性に則った議論は到底望めないと判断し、以降 皇室典範の再検討に関る議論には公の場での発言を控へ、沈黙を守ることにしてゐた。宮内庁長官の発言には疑問 ところで、宮内庁の羽毛田信吾長官は去る10月27日の定例記者会見で、

現行の皇室典範には皇位の安定的継承といふ意味で課題がある、との旨を述べた由である。課題といふのはこれから解決しておかなくてはならない問題性、難点といふ意味であろう。この日の会見での羽毛田長官の発言は、英国の王位継承法に、継承順位を男子優先から男女の別を問わぬ長子優先へと改める動きがある、との報道についての感想を求められての答へであったさうである。英王室にどのやうな改訂が行はれようと、それはその国固有の歴史と当面の事情や輿論の動向に従ってのことであらうから、われわれはそれを唯静観してゐればよろしく、何らの注釈も意見も挿む必要がない。

然し、宮内庁長官が右の外国の事情を何故か念頭に置いた様子で、我が国では幾人かの女性皇族の方々が結婚に近い年齢になってをられる時、皇位継承の安定とご活動といふ意味で課題が生じている、と述べている点については、批評と注釈が必要であらう。先ず、皇位継承といふことについては、現在、今上天皇の次代以下の世代に皇位継承権者がお三方居られる。その意味で皇位の将来は実は安定しており、謂わば問題がない。 ・・・・・法改正は些少の修正で済む ・・・・・

以上に記したことは、現行皇室典範の比較的軽微な改正をもって実現できる事項である。肇国以来厳修されてきた我が国の皇位継承上不易の三大原則(1 皇祚を践むは皇胤に限る 2 皇祚を践むは男系に限る 3 皇祚は一系にして分裂すべからず。)の三項については、事新しく再検討を促す必要は全く無い。宮家の増設という目的のためには、法規運用技術上の観点から現行法に些少の修正を施せば済むことである。従って一片の醜聞に終わった曾ての「皇室典範に関する有識者会議」の如き仰々しき委員会めいたものを組織する必要もない。少数の良識ある法曹家及び国史学者に委託すれば然るべき改訂が成就できるであらう。・・・・・・」

 これが小堀さんの言葉です。       


(続く)


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一阿の 「紀元節」 1/4

 二月十一日は紀元節だった。戦後は建国記念日といふ。戦前は家家の門に翩翻と日の丸の旗が翻ってゐた。今はない。テレビではこの休日目当ての秘湯紹介に余念がない。日の丸の旗を立てようものなら、あそこの家は軍国主義だと白い目で見られる。

「変わったものだ」と一人ごちるにはあまりに寂しい。「国家観」とか「国土防衛」とか難しい議論の前に、国民こぞってわが国に生まれた幸せを喜び、家家に日の丸を掲げて国の紀元を寿ぐその情緒が、「国家観」の母胎だ。戦前はそうだった。

小学生の頃から「雲に聳ゆる高千穂の、高嶺颪に草も木も、靡き伏しけむ大御世を、仰ぐ今日こそ貴けれ♪!」講堂に集まった全小学生は、校長の教育勅語奉読の後で、この紀元節の歌を高らかに歌った。子供心にとても心が爽やかになった。この日本固有の美しい情緒を見事に消し去ったGHQの狡知は流石だが、浅はかな欧米人や支那人の論理に、唯々諾々と従った我々国民もそう自慢できたものではない。

それかあらぬか、最近は自らを国民と言はずに市民といふ。67年間も英文で渡された自国の憲法を改正もせず、共産党の跋扈を許し、日本のお陰で独立できた東南アジアの諸国や朝鮮や支那に、「侵略侵略」と謝り続け、ありもしない「南京事件」や「慰安婦問題」を事もあろうに国民の代表たる政府「村山」「河野」あたりが詫びて廻る愚かしさ。ついボヤキたくなる。

敗戦直後、共産党員志賀義雄は言ったものだ。「この国を共産化するのに戦力は要らない。子供のときから教育を通して、コツコツ教へ込めばよい。会社にもぐりこんで一人一人説得してゆけばよい。」「それだけのことだ。」 そして 、その通りになった。

誰も自分から、私は共産主義者だとは言はない。勿論その自覚さえない。子供の頃から「大地主や大きな会社は軍部と一緒になって、貧しいものを搾取し、貯めたお金を増やすために戦争をして周辺の国を侵略していった。その一番上に天皇がいて、神武天皇以来、民を困らせて来た。」日教組が繰り返し繰り返し子供達に教え込み、最後の仕上げに東大で、筋金入りのマルキスト教授がその理論を垂れ給ふ。たまったものではない。これは大げさではない。

小学館発行の「子供用、漫画日本の歴史」を見てご覧なさい。天皇は歴代権力闘争に明け暮れわが国に圧政を敷いてきたやうに書いてあります。孫用に購入しましたが、こんなものを読ますわけにはゆかないので、破棄しました。こういった教育のお陰で日本人の心の中の共産主義は益々肥え太ってゆき、自民党の中にさえハト派と称する目に見へない結界があり、我々の祖国をもっともらしく左へ左へと導いてきたのでした。宮沢であり後藤田であり加藤(紘一)であり河野(洋平)その他諸々のリベラルと称する連中です。

民主党はもっとひどい。仙谷は、昔、革マル派のフロントをしていたし枝野も革マル派で赤旗を振っていた。菅は国家崩壊の哲学に心酔し、鳩山はその血筋もあってか、日本列島は日本人だけのものではないとのたまふ。マッカーサーの思う壺になったのだ。彼が連れて来た共産主義者たちは米国本土では赤狩りで退治されたが、日本ではそうは行かなかった。それが敗戦国の悲しさで、彼らが残して行った汚物はこの美しい国を覆ひ、今やその汚物がが我が国の行政や司法や立法の中に浸透し、2672年脈々と続いた美しい国体の水脈を切断し、全く違った国に仕立て上げやうとしている。

過日、参議院の予算委員会で「たちあがれ日本」の中山恭子氏が東北大震災一周年追悼式典の陛下ご来臨時、全員が事もあらうに着席のままお迎へした不遜な態度を詰り、その無礼の責任を政府に追及したが、野田はなんと「このようなことは今回が初めてではない。」と嘯いたのだ。テレビで見ていた私は愕然とした。国家基本問題研究会で松下政経塾同期の山田宏氏(創新党党首)が「野田総理は世間から色々言はれるが最後は民主党反日分子の掃除をしてくれると期待する。」と発言したので、その目で見ていたが、甘かった。

今から70年前、祖国のため戦って散って行かれた300万柱の英霊は、こんな国にするためにわが祖国に生命を捧げられたのではない。敵艦に体当たりされたのではない。自らを囮にしてまで敵艦をひきつけて潔く散って行かれたのではない。「天皇陛下万歳」のなかには、悠久2600年。

一点の曇りも無く続いた皇統のもと、世界で唯一万世一系の皇室を持つ国民の誇りとこの誇りの下に仲良く暮らす家族への心からなる思ひがあったのだ。戦後、口を開けば、戦争の被害と犠牲をのみあげつらひ、国を護るため誇りを以って戦って死んでゆかれた、父や兄弟や友や同胞に対する感謝と慰霊とそしてご恩返しを忘れてゐる。

年金も大事、勿論原子力問題も大事。然し何よりも大事なのは国体だ。万世一系の皇統を絶やしてはならんといふ事だ。此れが我が国の世界に最も優れた美意識なのだ。そして地政学上でも珍しい世界唯一の文化圏。どの地域にも属さない文化圏を構成してゐるのです。男系男子の御血筋を絶やしてはならんということは自明の理です。


(続く)


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寝言の 独り言 「物事はなるようにしか成らない」 2/2

 此の民族性は世界の七大文明を区分けする際、要因の一つなのです。浅学にして、詳述出来ませんが、「制度疲労」は文明の闘い、文明の接触、による衰退と思います。国内では他文明の影響を強く受けた、民主党と保守勢力の闘いであり、国外では欧米(民主主義)中国(共産主義)イスラム圏(イスラム教を信ずる)その他、中後進国多数以下略。此の中で現在、アメリカ対中国と云う二大国の対立が周辺の国々に大きな影響を与えています。

 これも文明の闘いとなります。強力な原爆を持つ二国ですから、経済的覇権の争いとなるでしょう。したがってイスラム圏のエネルギーの確保をはじめ、資源国の動向が問題となります。我が国は今大変重要な時点に有るのです。少し論点がそれました。此の二大国は我が国の文明に対してどう考え、どう処してきたでしようか。中国は中華思想により、我が国を東夷としております。アメリカは戦後我文明の抹殺を図っています。

 両国とも、我が国の戦後体制の持続を願っているのです。然しともに世界に対する自国の立場、と国内の統治理念「共産主義と民主主義」に陰りが見えます、特に経済問題に現れています。シュペングラーは「知性は空洞化した民主主義とともに破壊され、経済が思想(宗教、政治)を支配し文明は没落する」と予言しています。

 その後アメリカの台頭が世界の情勢を変へ、二次世界大戦に突入したのです。ヨーロッパでの闘い、と東亜の闘いに分かれますが、特に(大東亜戦争)は正に文明の戦いと云って過言ではありません。そして前述の如く、今日に至っています。此の状況を変えるにはどうすべきか。アメリカとは(同盟関係)にあり外交関係が複雑ですが我が国文明の復活を率直に要求することです。正に「なるようにしかならないのです」

 河村名古屋市長は「南京問題」に己の信念を率直に伝えました、国内、国外ともに反応は大きく、特に中国の反応は真実の前で、当惑しているようです。対韓国問題でも竹島、慰安婦、同じケースです、日本外交最大の欠点は率直に発言しないことにつきます。日本人以外の外国人、にははっきりと意見を率直に云うことです。

 「結果はなるようにしかならない」、それが歴史を作るのです。


(了)


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寝言の 独り言 「物事はなるようにしか成らない」 1/2

 当ブログ、昨年12月7~9日にて投稿した「今の日本はピンチを迎えているのか?チャンスを迎えているのか?」以来早3月を経過しました。その間、国内外ともに社会の不安定を表す現象が数多く起っていますが、前稿での(ねごと)の判断(チャンスを迎えている)は変わっていません。

 ところで今回の標題の説明ですが、(ねごと)が新聞やテレビの報道を見て何時もぼやいている時、家内が煩がって言った言葉なのです。非難と思ったのですが、良く考えると歴史も、後知恵ですがそれなりの原因が作用した結果と思います。

 現在の社会の不安定現象は、今後さらに大きくなると思いますが、これは内外を問わず社会を支えてきた制度、規約、常識、習慣、等に人人が違和感を持ってきたからと思います。一口で表すと「制度疲労」の結果でしよう。少し厳しく佛語で表現すると「因果応報」の面もあります。

 さて、東日本大震災から早くも一年が経過しました。政治家、官僚、有識者、等説明や弁解は上手でも復興の実績は上がっていません。結局多くの国民(震災時、世界の賞賛を受けた国民の英知、と頑張りが力となるのでしょう。

 此の民族性は他の生物と同様、それぞれの環境に影響されて作られたものです。百年や二百年で出来るものでは有りません。生物では生態系と云いますが、その地域の環境にあつた生き方が出来ているのです。

(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ⑦/7

◆司 会 
最後に「私は日本を守りたい。」という、本日の稲田先生のご講演のタイトルですが、
総理大臣になられたら命懸けでこれだけはやりたいということを一つだけ披瀝して頂きたいと思います。

◆稲田朋美衆院議員
一つだけ直ぐに出来ること、「村山・河野談話を撤回すること。」私は、麻生政権誕生の時、総理に対し、直ぐに出来ることとして、二回目の選挙の時の勉強会で、私は麻生総理に対し、今直ぐに出来ることして、「村山談話の撤回、集団的自衛権の行使を認めること、八月十五日靖国神社参拝は直ぐに出来ることですからやって下さい。」と提言を纏めて持って来たのですが、残念なことにやって頂けなかった。これをやれば、あんな無様な負け方はしなかったと思います。また学習指導要領は、大臣の告示に過ぎないものです。

ですから総理が大臣を通じて「今直ぐ、子供達の歴史教科書を国定にして、日本の固有領土についてキチンと教えなさい。」と書いた途端に、日本の教科書は全部変わります。私はそれを直ぐにやりたいと思います。我国の主権が制限されている時に作られてしまった憲法を後生大事に持っているということは、日本が未だ主権国家でないということです。
憲法の改正をしなくてはなりません。

◆渡部昇一氏
付け加えることは有りませんが、具体的に言うと、自民党は、どうしても防衛問題で、田母神さんと和解しなければいけません。
田母神さんは、まっとうなことを言っている。色々聞いてみると、中国とも対立して筋を通している。またアメリカとも筋を通している。アメリカの空軍も人達が、あんな立派な日本人は居なかったと言っている。武器を買う時でも、日本は物凄く損をしている。それを具体的に何処を直せばよいか知っている。自民党の情けなさ。田母神さんに謝るべきです。

◆稲田朋美衆院議員
私もそう思います。田母神さんのしたこと何も間違っていない。それで更迭してしまった我が党の責任だと思います。しかも委員会で田母神さんに殆ど喋らせなかった。何故だと思いますか。喋ると国民が皆感動するからではないか。田母神さんに謝らなければいけないのではないですか。これに限らず、900兆の借金を含め、我が党の責任なんです。

◆渡部昇一氏
先進国で女性が首相になったのは、サッチャーさんです。あの頃私はイギリスに居たので、首相になる直前のイギリスの政局を、毎日テレビで見ていました。あの頃のイギリス内閣は保守党なんです。然し何も出来なったのです。一方野党の方は、ストライキやるのです。

山猫ストライキでも何でもやるのです。結局正論でも何でも通らなくなるのです。そこで解ったことは、これは個々の政策ではなくて、社会主義を潰さなければ駄目だという認識があったのです。社会主義と論争して勝てる人は誰かという時、三人居たのです。一人は、名前は忘れましたが、ユダヤ人の某氏、頭の切れる人、イギリスではユダヤ人はかまわない、そして、パウレルという人、物凄く頭の切れる人で労働党から煙たがられていましたが詰まらないことで揚げ足取られていました。も一人はサッチャーです。この人は弁護士です。

よく勉強して揚げ足取られないで、偉かったのですが、も一人偉かったのが保守党のボスでした。このボスは、真正面から労働党を叩き潰す理論家でなければならないということでサッチャーが一番良いといって「お前に頼むぞ」と彼女を推した。翻って日本のボス達は自分がやりたいと出てくる。サッチャーさんが何故出て来たかということを、ことある毎に書いたり、喋ったりしているところですが彼らの耳には届かない。

稲田さんにはサッチャーさんを見る思いがあるので応援団長を引き受けています。サッチャーさんは労働党をぶっ潰したのです。彼女は労働党を見据えて、あなた方の肩には赤旗、私の肩にはユニオンジャックと叫び、サッチャーを相手に討論する労働党員が居なくなった。それまでに至る、彼女の言動の凄さを彼女に見る思いです。

◆司 会
我々の旗は、日の丸です。何が無くなったら、日本人で無くなるのか。これだけは日本人として護らなければならないものは何か、ということについて稲田先生に披瀝して頂いて閉めたいと思います。

◆稲田朋美衆院議員
今回の、3・11の時も阪神大震災の時もそうでしたが、被災地の普通の日本人の姿が世界中から賞賛されています。野田総理の所信表明演説の中でも、23歳の、役場の若い女性が、自分は津波に呑まれて亡くなるのですが、「津波が来たから逃げて下さい。」と繰り返し放送しながら津波に流されてしまいました。これは、戦後60年、戦後の民主主義と、戦後の教育にどっぷり浸かった筈の若い女性も私達日本人の美しいDNAを受け継いでおられたことを証明したと思います。野田総理の所信表明演説を聞きながら悲しかったのは、こうした青年が靖国神社に沢山祀られているのですということを聞きたかったのです。
私の伯父も21歳の若くて素敵な青年が特攻隊に志願して亡くなってしまった、こうした人達の積み重ねで今の日本がある。これが連合国は怖かったのです。こんな国が世界の中にあり、その中心に天皇陛下がいらっしゃって、世界中の平和と幸福を祈って来られたそういう民族なのだということを私達は自覚して道義大国を目指していかなければならない。そして、日本は、日本のみならず世界中の人々の幸福を目指していかなければならない。そしてその為に私達は強くなければならないと思うのです。

◆「ふるさと」の大合唱
                               

(終り)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ⑥/7

◆司 会 
アメリカに対する立場について

◆渡部昇一氏 
日本にとって何が脅威かというと、矢張り中国、韓国、ロシアが脅威であってこれは実質的脅威です。日本が独りで対抗出来るかというと戦前は出来た。日露戦争には勝った、支那など目ではなかった。ところが今は、アメリカと組まなければ、外交的に何も出来ない。ただTPPで良くなるという保証は無い。私も専門家から色々聞いたのですが危険な方が大きいよう感じがします。TPPは総ゆる分野が網羅されます。

アメリカはこの中に入れようとする小さな国がありますが、要するに、日本を口実で入れたいといった感じがありますね。専門家が議論をオープンにしてやって欲しい。もっと簡単に言えば、菅さんがやりたいようなことは危険だということです。せめて今は、見通しうる限りにおいては日米関係でいくしか仕方が無い。50年後か100年後のことは解らない。アメリカが崩れるかも知れない。その時は、日本は日本で動けるような覚悟と、要件は整えておくべきだと思います。

◆司 会 
私から言うのも恐縮ですが、今自民党で稲田先生に対する期待が一番大きいのですが、もうひとかた、安倍晋三先生、一寸、線が細過ぎて失敗したのかなと聞いたことがありますが、最近、元官僚の人が書いた本に、安倍先生は官僚制度改革をやろうとした第一人者であると書いてあり、も一度期待したい人と思いますが、大きい政界再編も視野に入れて両先生のご意見をお伺いします。

◆稲田朋美議員
私が安倍先生のお誘いを受けて政界に入ったから言うわけではありませんが、今、自民党の先輩の国会議員の中で、総理大臣をやる資格がある人は、安倍先生だけです。安倍先生は未だ若いです。しかも誰も出来なかった教育基本法の改正、防衛庁を防衛省に昇格、憲法改正の為の国民投票法の制定、公務員制度の改革など様々な業績を残されていますので、再登板を期待しています。

◆渡部昇一氏
全く同感です。ただ、残念だったのは、大変お腹を壊されて殆ど失神状態であったそうです。議会の壇上で倒れられたら良かったかもしれない。であれば悪意のある宣伝が無かったと思う。あの時安倍さんは逃げたと言われた。安倍さんを葬りたいというマスコミ報道は朝日新聞を始め物凄く強かった。

安倍さんは、「体調が悪く、この侭では登壇出来ないので病院に行った。」とは言わない人、そのことが解っているのだから、側近の者がもっと知恵を出して対応しておけば復活も早かったと思う。安倍さんの偉いところは、あのような形で総理をお辞めになったのでショゲておられると思っていた。ところがあの人は全然トラウマが無い。あの人は普通の人ではない。だから何代もの内閣が出来なかったことをポッポ、ポッポ変えていく。

例えば防衛庁を防衛省にすることは当たり前の話、何処の国でも、閣議に国防の担当者が出ないなどということはあり得ない。解っていても誰も手を付けない。又教育基本法等は日教祖が気が狂ったように一番先に反対するわけでしょう。今回の育鵬社の教科書の採用は、前回の採用の百倍以上です。育鵬社の担当者から聞きました。

教育委員会に話をする時、教育基本法に近いものであることを口実にして採用して呉れと交渉するのです。あの教科書は日教組を始めとして左翼は皆反対しています。だから同じような内容でも前回は厳しかった。安倍内閣の時作った教育基本法に則っているということで勇気ある人達が採用したのです。そんなことも有ってあの人は勇気があります。あの人のお祖父さんの岸信介と言う人は、私が戦後の総理大臣を全部調べて本を書いたのですが、時間が経って見ますと解るのです。山は近くにいると解らないものです。岸さんという人は断トツ偉い。岸さんほど、何度も死にかかった、死を決心した人は居ませんね。

東條内閣の時、サイパン島がアメリカ軍に占領された時、戦争を止めるべきだと言って、東條さんに盾突いた。その為憲兵からやられるのだけれども、辞めなかった。明治憲法では、総理大臣は大臣の首切れないのです。自発的に辞める外ない。東條さんを引き摺り降ろした。その時は自分も殺される覚悟で。東條内閣の主要大臣ですから、東京裁判では、目の前に絞首刑がぶら下がっていた筈。

私は、笹川良一さんから話を聞いたのですが、自分は、獄中の人を励ますために、何で俺を入れないのかと進んで入ったのだそうですが、始めから度胸が据わって立派だったのは東條さん。一番元気だったのは岸さん。3回目は、安保改定のあの怒涛の如きデモ。自衛隊の治安出動を、赤城長官は断った。

警視総監が、首相官邸の此処は危険だから避難して欲しいと言ったが、首相が此処で死ななくて何処で死ぬのかと、結局官邸に、最後まで残ったのは、後に総理になった弟の佐藤栄作と岸さんの二人だけであった。結局改定協約を通し、その枠組みで今迄続いている日本の平和と繁栄があるわけです。3回4回と死ぬ覚悟で、4回目は、総理を辞めてからだが、刺された。岸さんがもう10年首相やっていてくれたら、今問題になっていることは殆ど解決しているでしょう。その岸さんに近い人は安倍さんしか居ません。
男性では安倍さん、女性ではこの人です。


(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ⑤/7

◆司 会 
有難うございました。続いて渡部先生と稲田先生による対談を行いたいと思います。
私の方からお伺いしたいことがあります。稲田先生は韓国に入られたわけですが、その動機と目的そしてそれが達成されたかどうかについて、また政治的意味などについてお伺いします。
 
◆稲田朋美衆院議員 
私が今回行って判ったことは、日本の政治家で、韓国に行って、竹島は日本の固有の領土だということを正面切って言った人は居なかったということです。安倍総理が仰っていましたが、ノムヒョンなど会った途端四十分位日本の侵略戦争について話をした。本当に気が狂っていると話された。竹島の問題など一寸出そうものなら、大変な騒ぎになって会談全体が出来ないくらい物凄く微妙な問題なのです。ですから、今回の意味は、日本の政治家が正面切って韓国に行って、竹島は日本固有の領土であると言ってきたことにあります。韓国は領土問題は無いと言っている。日本の政治家がこういうことを言うことが出来ないようにしている。今回、世界に向けて、韓国と日本の間で領土問題となっている竹島は日本固有の領土であるということを主張していることを世界に向け発信出来たことが一番の成果であったと思っています。

◆司 会 
日本の政治家が、同様に、何故中国に対しても物が言えないばかりか、ペコペコ頭下げるのですか。渡部先生ご出身の山形県の加藤紘一先生についてとかく言われています。何故なのですか?

◆渡部昇一氏
私は加藤紘一議員の父親を知っています。彼は中学の後輩でもあります。ずっと親しくして来たのだけれども、途中から彼との接触が無くなった。何故かというと、一つは、彼が宮沢さんと一緒になって、天皇、皇后両陛下のご訪中を実現させた。そうすると、中国の方では、日本を正式に降参させた、朝貢に来たと見た。蒋介石だって、毛沢東だって、周恩来だって、日本が好きだったとは言えないにしても、日本を軽蔑したことはありません。一種の怖れを懐いていたと思います。

ところが天皇皇后両陛下のご訪中の後、江沢民は、傲然としていました。宮中晩餐会に来ても、礼装もしなければ、ご馳走になりながら、勝手な歴史認識を述べたり無礼なことをした。従って宮沢、加藤のコンビは国賊であると思います。何故そうなったかというと、これからの話は私の推理で証明は出来ませんが、彼は、外務省ではチャイナスクールです。若い時、ハニートラップに引っ掛かったのではないかと思います。中国とか韓国とか、質の悪い国では、偉くなった人は引っ掛かり難いのです。用心しますから。余り偉くない内に写真を撮っておくのです。20年位経って偉くなった何かの時、こういうのがありましたねと見せられたのではないかと思います。

◆司 会  
今アメリカのニューヨークで最近デモが行なわれて格差社会への警告、大阪では、生活保護の予算が増え、また生活保護支給額が年金を上回っていると言われることなど格差社会問題について。

◆稲田朋美衆院議員
私は日本に居ますと、右翼と言われます。私は右翼ではなく、当たり前り前のことをしているのです。私はアメリカに行ったら、真ん中よりも、左ではないかと思います。今、仰ったアメリカでのデモ、私は大変注目しています。そのデモと日本の生活保護の問題は全く違うと思います。

アメリカの資本主義は世界の現在をぶち壊していると思います。物を作って売る、製品開発して儲ける、これであれば平常です。ところがアメリカのデモが行なわれているウオール街ではコンピュータを駆使して先物取引などをして、実体経済とは全く懸け離れた所で、一部の人が、考えられないような巨額の富を得て、それが、世界の実体経済をぶち壊していると思います。

日本は、アメリカや中国のような市場原理主義ではないのだ、自主貿易の名の下のTPPなどアメリカが独り勝ちするようなことは止めて、汗を流した者が報われるような経済にしましょうと、日本が言って行かなければならない。これを言う為には日本が強くないといけない。アメリカに護って貰っていては、正しいことが言えない。普天間の失敗でTPPに入るといった民主党のやりかたは問題。日本が強くなって、アメリカに対し正しいことが言えなければならない。その問題と大阪の生活保護の問題とは全く違うと思います。大阪の生活保護の問題は厳しく是正しなければならない問題です。外国人に生活保護を与えて平気というのはいけない。

◆司 会 
産経新聞で社内が割れているのではないか、と思う節があります。TPP反対の記事を見たのですが社説では賛成と言っています。日本の国柄としては、どういったことが大事で我々は如何すれば良いのかといったことについてお伺いします。

◆稲田朋美衆院議員 
一つは動機です。菅さんが、いきなり、昨年の所信表明演説でTPPを言い出したのです。昨年の参議院選挙のマニフェストにTPPは全く無かったのです。何故言い出したかというと、普天間の失政を挽回せんが為TPPに入ってアメリカに迎合しようとしているのです。アメリカは、オバマ大統領の演説を聴くと、輸出が拡大し雇用が増大するからTPPを進めるとはっきり言っているのです。日本にとってはアメリカのものをどんどん輸入してアメリカの雇用を拡大させることが目的だということを認識しなければなりません。TPPに関しては、バスに乗り遅れるな、乗り遅れないよう早くやれといっていますが、皆さんどうですか。

私は納得してからでないとTPPに入れないと思います。農業の問題もそうです。どんどん安いものが入って来て、TPPに入るということは、正しくお金さえあれば世界から食料を集めるという前提に立たなければ、自分の国をほっといて、食料を他所の国に売るおめでたい国は無いと思います。医療や医療保険など、日本が世界に誇る皆保険制度お金さえ出せば良い医療が受けられるとなると、お金の無い人の医療は押しやられる。

公共事業が入って来て大丈夫なのか、労働者が入って来て本当に大丈夫なのか、アメリカの弁護士がどんどん無制限に入って来た時、一体私達の訴訟の社会は大丈夫なのか、など考えるとそんなに簡単に同意できません。それを言うと、取り敢えず入っておいて日本にとって利益が無いと言って席を立って帰って来いと言うのですが、出来ますか。それが出来るのであれば良いのですが、私は色々な分野への影響をしっかりと踏まえた上で対応すべき問題で焦る必要は全くないと思います。



(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ④/7

(稲田朋美議員 前回からの続き)
国際法的には一応、侵略戦争してはいけないという法律は有りました。然し、侵略戦争か自衛戦争かは自分が決めることが出来ることになっていました。先程渡部昇一先生が仰っておられましたように、マッカーサー自身は、日本側の戦争は侵略戦争ではないと証言しているわけですから、あれは侵略戦争ではありません。

然し国際法では侵略戦争を禁じていたのですが、指導者の個人責任を問うなどという国際法は何処にも無かったのです。ですから、そんなことを事後的に作って処罰するというのは、正しく野田総理が仰るように罪刑法定主義に違反をしております。又、野田さんは趣意書の中で、ポツダム宣言のことも言っておられます。日本はポツダム宣言を受諾して降伏しました。然しドイツと違って無条件ではないのです。有条件降伏です。

教科書は嘘ついていますが、その中の一項目に、「われ等(連合国)の捕虜虐待をした戦争犯罪人を裁く」と書いてあります。然しその当時「侵略戦争を指導した指導者の個人責任を処罰する」というのは何処にも無かった。だから罪刑法定主義という近代法の大原則にも違反しているし、ポツダム宣言という連合国と日本との間の条約にも違反している、二重の意味で国際法違反している東京裁判だから、この法廷で被告人を処罰する管轄有りや無しやの管轄動議を出したのが清瀬一郎さんなのです。正しく、正しい動議です。

この動議について裁判官は答えることが出来ず、判決の直前になって、「この法廷は、東京裁判所条例で開かれたものなのでその管轄の動議について答える立場には無い」と全く以って答えにならない答えです。こんな形で却下されたのが東京裁判です。“東京裁判”などというからおかしいので、あれは裁判ではなくて、裁判の格好した”茶番“なのです。私達は「東京茶番」と言いたい。あの東京茶番で、あのA級戦犯は処刑されてしまったのです。野田さんは、「A級戦犯は戦争犯罪人ではない。A級戦犯が靖国神社に奉祀されることを何ら非難される筋合いは無い。にも拘わらず小泉総理が、A級戦犯は戦争犯罪人だと言いながら靖国参拝すれば、中国、韓国からの非難に対して答えられないではないか。そんなパフォーマンスの参拝は止めろ。」とそんな素晴らしいこと言っていたのです。

しかも質問趣意書は二回に分けて出されていて、先程、渡部昇一先生が指摘されていた、多分、渡部先生の本読んで野田さんは書いたのかもしれない。「東京裁判の判決の訳文が間違っている。諸判決とすべきだ。」と其処まで書いている。小泉さんの靖国参拝を批判して質問趣意書を出している。私はこの事を予算委員会で取り上げて、野田さんが質問趣意書の中で質問した総てのA級戦犯の名誉が国内的にも、国際的にも回復されれば、東條大将以下A級戦犯14人が靖国神社に合祀しているところに如何なる問題があるのか、また靖国神社に、内閣総理大臣が参拝することに如何なる問題があるのか、野田さんが野党であった時代に、小泉内閣に出した質問と同じ質問を、一万円かけて、パネルにして出したのです。

皆さん、何と答えたと思いますか。「自分は今、内閣総理大臣になって、政府の立場になりました。その時は一議員としての質問をしましたけれども、今、自分は政府の立場になったので、だから政府の答弁書に従って行動し靖国神社にも参拝しません。」と言ったのです。自分が批判して止まない小泉政権が出した政府のの答弁書に従って靖国神社に参拝しませんと言ったのですよ。私は呆れました。そんなこと言うのならあなたは、総理大臣でいる必要は全くありません。あなたが批判して止まない政府の答弁書を引き継ぐだけなら、官僚が総理大臣になったら良いのではないですか。一市民として言って来たことを、総理大臣になって実現する為に、総ての国会議員は、総理大臣を目指しているのではありませんか。総理大臣になれば可なりの事が出来るのです。

政府見解を変えることも、靖国参拝することも出来るのです。そして自分が野党議員として正しいと思っていること、国を良くする為にやりたいと主張していることを総理大臣になって実現する為に総理大臣になることを総ての国会議員は目指しているのです。それを昨日までの一野党議員としての見解で、今日から政府の見解に従いますと聞かされ私は唖然と致しました。

集団的自衛権も同じです。野田総理が総理になられる一ヶ月くらい前に、財務金融委員会で質問時間があったので、「あなたが総理になられたらという前提で、集団的自衛権の行使はどうしますか?」と質問しました。野田さんは「個人的には、認めるべきだ。」と仰った。立派な見解だと思います。総理になられて、或る時同じことについて聞きますと、「それは、個人的見解で、今は総理大臣だから違う。」と仰ったのです。こんな人総理大臣の資格がありますか。そうしたところを鋭く衝くべきだと思います。

小沢さんはA級戦犯を分祀して自分が総理になったら靖国神社に参拝すると言っている。麻生さんは宗教法人を外して靖国神社に参拝すると言っている。歴代総理は、A級戦犯の問題と憲法20条の問題をクリアして何とかして靖国神社参拝をしたい皆苦心しているのです。ところが野田さんは、理屈が正しくて行けない理由がないのに行かないのです。野田さんは、保守のような顔して、A級戦犯は戦争犯罪人ではないと言ってまた、東京裁判は国際法違反だと言って正しいことを言いつつも、靖国神社参拝をしないことの方が、私は罪が深いと思います。野田さんは総理として相応しくないと思いますし、もっと谷垣総裁には、こうした点を批判して欲しいと思いますがどうでしょうか。民主党のマニフェストについても、財源ですね。子供手当て、高校授業料無償化、など何もかも財源が足りないから出来ません。無銭飲食みたいなものです。

子供手当て、高速道路料金、個別保障とか勿論間違っていますし、私達の同志が落選していることもあり、大連立には大反対です。国内的ばら蒔き政策など間違った政策というのは政権交代して直すことが出来るのです。でも外交防衛政策となると取り返しがつかないのです。この前民主党の代表選で誰一人として代表候補者が外交防衛政策について語らない。総理大臣候補者が外交防衛政策について語らない代表戦なんて有り得ないです。でも語れない。余りにもやっていることが酷いから。日米関係をガタガタにするような事をやってしまって本来ならば切腹問題です。

谷垣総裁から腹を切れと言ってもらいたい。普天間で日米関係をガタガタにした上に、あれだけ失敗しておいて尖閣問題で弱腰外交をやって世界から足元見られているのです。こんな外交防衛上の失策をやっておいて、のうのうと総理大臣を変えていて未だに政権の座についていていいのか、“腹を切れ”と何故、自民党総裁は、総理大臣に対してもっと厳しく迫らないのか。全く取り返しがつきません。何時までこんなおめでたいことを続けて行くのか。菅さんは、次々と間違った指示をしました。浜岡原発を止めたり、最後になって高校授業料無償化を朝鮮学校に適用する手続きを始めたのです。北朝鮮が韓国との国境の延坪島への砲撃で、一旦止めました。そこは評価しましょう。それを自分が辞める直前になって解除したのです。おめでたい国ですね。

他所の国の領土を砲撃して、死者まで出して、時間が経ったから元に戻すなんてそんな国なんて何処にあるのですか。私は有り得無いと思います。然し問題は我が党なのです。例えばこの間、韓国に行って入国を拒否されましたね。悲しかったですね。私は始めて公用パスポートを取って意気揚々と出国して韓国に入れて貰えなかったのです。最初党の領土に関する特命委員会で、鬱陵島にある竹島の記念館を見て来ようということでした。7月20日頃から韓国で大騒ぎになりました。毎日大使館の前で、私と平沢先生、佐藤正久先生、進藤団長の4枚の写真が毎日焼かれるのです。

韓国大統領も4人の入国は認めないことを通告してきて、我が党にも圧力が掛かって来て、参議院議員は行っても良いが、衆議院議員は国会日程が迫っているのでいけないといって少しぶれたのです。それでも私達は行きました。入国拒否をされました。理由は私達の身の安全が計れないということでした。では証拠を示せということで、書いてあったものを見ますと、韓国の公共の安全を害する怖れのある人物つまり、私達はテロリストになった。本当のこと言って呉れと言いました。列挙している理由以外の理由で入国を拒否すると同じ理由でこちらも拒否出来るのです。韓国が拒否した真の理由は、私達は竹島が日本の領土であることを主張する日本の国会議員であるから入国を拒否したのです。だとすれば、韓国は大臣が竹島に行っています。国会議員も竹島に行っています。

そしてあろうことか、韓国は、国会議員がロシヤのビザを取って我国の固有領土である北方領土に行っているのです。こんなことを我国が許して良いのですか。私はもっと怒らなければいけないと思います。私はそんなことで9時間閉じ込められました。そして窓からデモが見えるのです。空港敷地内でデモが出来るということは政府が許しているということです。4枚の大きな写真が持ち込まれています。可哀想なのは平沢先生です。来ていないのにですよ。棺桶が用意される、唐辛子をかけられる大騒ぎです、「帰れ」のシュプレヒコールなどを見ながら韓国は変な国だなと一寸思いましたが、韓国が正しい。日本は地元に行きますと、「竹島のようなちっぽけな島、呉れてしまえ」なんて言うのですよ。そんなことを日本人は言う。韓国は歴史認識の問題であり、民族の自尊心の問題だから絶対譲れないと言って写真を焼いている。どっちがおかしい。私は日本の方がおかしいと思います。

私は弁護士出身ですから、厄介な訴訟の一つに境界算定?訴訟があります。10センチ位の境界で隣同士が争い最高裁まで行くのですが、土地価格の10倍位の弁護士料を払っても最高裁まで行き、それでも絶対に和解出来ない。というのも歴史認識の問題です。これを譲るということは、家の自尊心を傷つけられる名誉の問題だと言って争うのに、領土の問題となると、何故そんな大盤振る舞いをするのですか。「呉れてやれ」などおかしいと思いませんか。私は法学部の学生であったので一年生の時読んだ本に「権利の為の闘争」がありました。

1行目からぐっと心に魅かれるものがありました。その一行目に、「権利の目標は平和である。然しその手段は闘争である。」と書いてあり、次いで「辺境の1平方哩の領土を奪われ、それを奪い返せないような国民は、何れは総ての領土を失い、国であることを止めてしまうだろう。然しその様な国民はその様な運命にしか値しないのだ。」と書いてあります。

正しく我が日本がその状態に在るのではないですか。そこから目覚めることが戦後レジームからの脱却の第一歩だと思います。本当に日本は危ない状況にあると思います。冷戦は終わったと言うけれどもアジアでは寧ろ帝国主義が復活しております。人のものでも、取ろうとしている、尖閣を取りに来ている中国、そしてロシヤ、プーチンさんは、北方領土は第二次世界大戦の成果であり、これを返還する理由は全く無いと広言して憚らない。

北方領土は一回たりともロシヤの領土になったことのない我が国固有の領土であり、ソ連が日ソ不可侵条約を破り、戦争が終わってから我が国を侵略して来て、60万人の同胞をシベリアに抑留して6万人以上を殺害した極悪非道の国が近くに在り、領土返還の意思が全くないと広言しているということを考えれば、私は民主党政権に一日たりともこの愛する国を任せることは出来ないという思いで一杯です。本来の保守に立ち戻って此の国を守る強い国民運動を広げて参りたいと思います。本日は誠に有難うございました。


(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ③/7

◆司 会 
渡部先生有難うございました。続きまして稲田先生からお話を頂きます。テーマは「私は日本を守りたい」でございます。稲田先生ご登壇をお願いします。

◆稲田朋美衆院議員
皆さん今晩は。衆議院議員の稲田朋美です。今日は私が尊敬しております、また私の全国の後援会であります朋美組の組長でいらっしゃいます渡部昇一先生から御講演を頂きました。私も其処で聴いておりましたけれども、痛烈に我が党の批判を頂きました。私が此処にいるのは産経新聞にお支え頂いて来させているのだと思い、産経新聞を購読者している方々に来て頂いて有り難い気持ちで一杯です。私は、政治家になろうと思ったことは一度もありませんでしたけれども、子育ての傍ら雑誌「正論」の読者の欄に投稿致しまして、それが切掛けで産経新聞にも投稿しまして丁度私が選挙に出る年の初めに、産経新聞の「正論」欄の執筆者になり、そういった御縁で平成17年の選挙直前に、私が当時やっておりました小泉総理の靖国参拝関連の訴訟、南京大虐殺の象徴的事件と言われております百人斬り名誉毀損の訴訟について、自民党の若手の議連でお話する機会がありました。

そこに偶々安倍元総理がいらっしゃいましてそれが御縁で、平成17年8月15日、小泉総理が、大東亜戦争60年目の8月15日に、靖国神社参拝をするかのテーマで、雑誌「正論」の記者と取材をしているところに自民党本部からお呼びがありまして、其処に安倍元総理、当時幹事長代理でしたが居られまして、小泉総理の郵政民営化反対の総ての処に刺客を送らなければならないので私に福井から立ってほしいとのことです。

私は福井で生まれましたが、4歳までしか育っていないのです。そして1区ではなくて2区の生まれなのです。とそんなことまで安倍さんに話しましたら、福井で生まれているだけで上等だと言われました。そして又、「選挙に勝てる自信など全く有りません。」と言いましたら、「あなたが選挙に勝てるなど、誰も期待していません。」と。40数年振りに福井に帰って一回目の選挙を戦いました。「私は落下傘ではありません。国家観です。」と言って、373票の僅差で勝ったのが一回目の選挙でした。皆さんのお陰です。二回目の選挙は本当に厳しい選挙、でした。あの八十三名の小泉チルドレンが居てなんと七十三名が落選しました。詐欺とも言うべきマニフェストで政権を掠め取られた。

でも皆さん、政権を掠め取られた我が党は情けないですよ。だらしないですよ。でも下野して良かった。折角下野したのだから、本当の意味で立党の精神に立ち帰って、本当の保守政党に生まれ帰れば下野したことが良かったなあと思えると思います。然し、未だそれまでに至っていないのではないかと思います。それが我が党の情けないところだと思います。野田政権になった途端に、支持率が68%です。未だ何もやっていないのに68%です。何故こんなに上がったのか。菅さんが余りにも酷かったからです。菅さんが最低だったから、野田さんになって上がったのです。

菅さんの内閣不信任案が否決されましたね。これは前代未聞のことなのです。これは菅さんを信任したわけではないのです。辞めるという総理大臣を信任したのです。6月2日の民主党の総会を見ていて、民主党の本質を見ました。何故民主党が一致団結したか。3項目挙げています。一番目は民主党を壊さないこと、二番目は、自民党に政権を戻さないこと、三番目に漸く、復興復旧が大変だということを仰っている。重要なのは一番と二番、特に二番目の自民党に政権を戻さないことだけで一致しているのが今の民主党なのです。民主党は綱領の無い政党です。政党とは言えないと思っています。そのことを民主党の所信表明演説に対して、谷垣総裁は、代表質問で指摘したのです。

野田さんは何と仰ったか。「我が党にも綱領は有ります。立党時の基本理念と基本政策が在ります。」これが綱領なのだそうです。然し予算委員会で石破政調会長が、「民主党の綱領は何ですか?基本理念を三つ挙げて下さい。」と言いましたら、総理、閣僚、誰も手を挙げることが出来なかったのです。綱領の無い党なのです。ですから野田さんは、「自分は金魚にはなれません。」と誠実そうな演説で国民はコロッと騙されました。ですから私は、野田さんは、“泥鰌”ではない、正真正銘の“金魚”だと思っています。見せ掛けだけだと思います。

野田さんのことを、「保守」だと思っている方も多いと思います。何故そんな誤解をしたのかと申しますと、小泉さんが毎年、曲がりなりにも、靖国神社にお参りしていました。その後の談話で変なこと言うのです。日本侵略戦争したとか、A級戦犯は戦争犯罪人であるとか、盧溝橋に行って花輪を上げたとか、理屈は滅茶苦茶です。間違っている。でも行動は正しい。理屈が目茶目茶でも行動は正しい政治家と、理屈は正しくても、行動しない政治家のどちらを評価するかといいますと、私は理屈は目茶苦茶でも、行動の正しい政治家を評価します。ですから、幾ら高邁な理想を述べたところで政治家として全く価値が無いからです。

野田さんは、野党時代に立派な、立派な質問趣意書を出されています。立派なことを仰っておられました。小泉総理の靖国参拝は偽者だとか、あんな仕方ならしないほうが増しだとか、あんなパフォーマンスの参拝をする位なら保守の堕落だとまで言い切ったのです。そして物凄く立派な質問趣意書を出されたのです。私は今回予算委員会で質問する時に、野田さんが嘗て野党時代に出していた質問趣意書を大きなファイルにして2枚予算委員会に持ち込みました。一枚1万円で2万円掛かりました。

これは野田さん自身のお言葉です。一つ目に、A級戦犯と呼ばれた人達は戦争犯罪人ではない。二つ目、内閣総理大臣の靖国参拝は、国際的に非難される根拠が無い。そして三つ目、平和に対する罪、人道に対する罪に該当するA級戦犯とは、極東東京国際軍事裁判所当局が自己的に考えた戦争犯罪の分類であり、法の不遡及や罪刑法定主義を保証される包括的根拠を持たないものであると解釈出来る。」立派なものではないですか。こんな立派な質問趣意書を出しているのですよ。そして私が尊敬して止まない清瀬一郎先生のことも書かれているのです。

此処にいらっしゃる方々、百もご承知だと思いますけれども、清瀬一郎先生は、あの東京裁判の主任弁護人ですね。そして戦後は衆議院議長にもなった方です。敗戦国の一介の弁護士が、キーナン検事の冒頭陳述の直後に、管轄の動議を出しました。一体この法廷で被告人を裁く管轄が有りや無しやという堂々たる動議を出したのです。先生は罪刑法定主義という近代法の大原則に違反しているではないかと述べたのです。罪刑法定主義とは何か、一寸説明します。小宮山さんというトンチンカンな人が居るでしょう。今日作った法律で三日前の行為を裁けないというのが罪刑法定主義というのです。


(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ②/7

(渡部昇一氏 前回からの続き)
その時、もう日本は侵略国ではないと正式に決まっていた。これを聞いて喜ばない日本人は居なかった筈なのですが、非常に沢山の人は喜ばなかった。ですからこれを報道した新聞は一つもありません。マスコミは一つもありません。先程の記事を十数年前出しました時、東大の小堀先生もこれは重要なことだと言って、講談社の学術論文に、英文に翻訳文を付けて出して下さったので直ぐに誰でも読めるのです。だけど十数年来一生懸命、機会ある毎に言っているのだけれども、これを報道した新聞は未だ無いのです。これを報道したテレビも無いのです。それで先月、産経新聞の「正論」誌が、この記事を出したのがあるか、共同通信配信の地方紙で全部調べてくれたのです。二つの県では読者の投書、も一つは山形市、私の出身地です。

それしかないのです。恐れ入ったことではありませんか。例えばこれを、囲みでも良いから育鵬社に載せて欲しいと頼んだのです。勿論育鵬社は入れて呉れました。ところが、文部省はそれを取り除かなければ検定合格させないといって除かれました。何処からか圧力が掛かっているのです。それは戦後、日本が悪いことしたと言い続けて、得した奴がいるのです。占領下に於いては日本の悪口しか報道出来ませんでした。報道して7年間も経ちますと、上役は出世していく。同じようなことが続くわけです。上役と反対のこと言えませんしね。後は惰性です。

NHK以下皆そうです。これを引っ繰り返す手は無いものでしょうか。有ると思います。首相が文部省に対してあれを入れない教科書は検定を通さないと言ってくれれば入ります。私は最近、つくづく思います。首相の権力の大きいこと。あの菅さん、日本のあの災害まで菅さんの災害です。あのような首相でも、首相が言えば日本中が動かざるを得ないのです。2年後に教科書改訂があると思いますが、その時、次に首相になる人が、「国際的に、日本人が悪いことしたわけではないのだと日本人の子供に教えないのは怪しからん」とマッカーサーの言葉を入れない教科書の検定は通さないと言えば絶対出来ると思う。

今迄、10年位以上前、小堀先生達が良い教科書作っていたのですが、それが駄目になったのは、外務省からの圧力で、外務省はペコペコ外交をやっていましたから、それに合わない教科書は困るといって潰されたと言っていました。潰したのは勿論当時の首相中曽根さんです。知らされていない二つ目を申し上げます。私は腑に落ちないのは、敗戦直後の東京裁判で日本は悪人ということになって肩身の狭いような時代でしたが、当時の首相は中国や韓国にペコペコしたかと言うとしていないのです。

何時もしゃんとしていました。日韓基本条約の時、韓国は日本が侵略したと言わせようとしたけれども、断固として拒絶した。そうしたことによって賠償金は払わない。当時の韓国は朝鮮戦争の後で、国民生活のレベルはアフリカ並みでした。最貧国の部類でした。それで日本陸軍の将校でもあった朴大統領からは、世論としては、日本から賠償金を取りたいことであったが、日本政府としては、断固として払わない、日本は悪いことしたわけではない、世界中がそれを認めていたとして賠償金ではなく、復興資金として上げようと筋を通して支払った。

ところが高度成長を遂げ世界的に尊敬されるようになりましたら日本の政治家の姿勢が突如として変わった。これが不思議なのです。終戦直後さえペコペコしていなかったのに、何で今になってペコペコするのか。といって私は或る国会議員の先生にぶっつけました。昭和60年(1985)、11月8日、国会の外務?委員会で土井たか子委員、(当時の社会党)が居ました。

この人の、質問がおかしいのです。「侵略戦争をどう思うか。」という質問です。

平和条約締結から30年も経って平和条約締結以前の日本の行為を「侵略」と断じて、「侵略戦争をどう考えるか」という質問なのです。そんなもの受け付けなくたってよいのにと思うのです。これは出来レースだったと思いますが、外務省の政府委員が答弁しました。「日本は東京裁判で告発条項27条により有罪となっています。等々」と述べるのですが、結局「日本は東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と答え、これが政府見解となった。

日本はそんな馬鹿なことしませんよ。日本は、サンフランシスコ条約に調印して国際社会に復帰したのですよ。サンフランシスコ条約は「平和と信頼によって・・・・」とアメリカ政府見解はマッカーサーの意見と同じで、日本が悪いとは言わなかったのです。ただ、日本の敗戦に対する領土割譲はありましたけれども、あの戦争のあれこれは一切抜きにしての条約であったのです。しかも、サンフランシスコ条約には、蒋介石は色々事情が会って参加しませんでした。

然し、翌年に日華基本平和条約を締結、日本は完全に戦争から開放されたのです。ただ、第11条のことを言う人がいます。これは普通の平和条約には無い条項だそうですが、「日本は東京裁判及びその他の軍事裁判のjudgements を 受託しこれを実行する・・」とあって、judgementsを外務省は「東京裁判を受託し」と訳した。然し訳した外務省の人は、訳したものの、その内容は、時既に東京裁判で判決が下っている人の判決はこれを最後までやらせるということであり、それ意外には読めないのです。

しかもjudgements と複数になっていますから諸判決です。そして11条の後半にはこの判決は日本が関係諸国と話し合って、話が付けば変えることも出来る、と書いてある。それに従って日本は諸外国と交渉したわけです。国内でも、社会党まで賛成して日本には、戦争犯罪人は居ないことになりました。そしてアメリカ始め諸外国とも交渉してA級戦犯等全て無くなったのです。国際的にも国内的にも無くなったのです。A級戦犯有罪終身刑であった賀屋興のり、この方は東條内閣の大蔵大臣であったが、戦後池田内閣の法務大臣になっています。

重光 葵、東條内閣の外務大臣、この方もA級戦犯有罪、戦後、鳩山内閣の副総理、外務大臣で日本が国連に入る時は日本代表として総会に出席して講演、日本は東西の架け橋になると言って、万雷の拍手を受けたのです。これで私の日本に対する義務は終わりました、と述べました。その後亡くなったら国連は黙祷をしたというのです。A級戦犯有罪になった人ですよ。マッカーサーの言った自衛の戦争であったことは戦争した各国が認めていることです。だから、戦争犯罪人は国内的にも国際的にも無いのです。

政治家には、有ると言う人が未だ居ます。ところが、昭和60年11月8日、中曽根内閣の政府答弁者は、日本は東京裁判を受託した、因って日本は一人前の外交は出来ません。ハンディキャップ外交しか出来ませんと言ったり、本に書いたりしているのです。それがいつの間にか、外務省の見解になったのです。日本の外務省は、いつの間にか、サンフランシスコ条約は飛んでしまって、東京裁判史観になったのです。私が気付いたのが、去年か一昨年です。福田内閣の時の外務大臣麻生さんは、テレビか何かの話で、「東京裁判の「judgements」は、「判決」とも「諸判決」とも訳す人も居る。然し、日本は東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と言ったが、そこに居てこれを聞いていた学者は何も言わなかった。大問題ですよ。麻生さんのお祖父さんは、サンフランシスコ条約を結んだ方ではありませんか。その孫がサンフランシスコ条約を忘れて「東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と言うのですよ。

ああ、解ったと思いました。日本がペコペコし始めましたのも、考えてみれば、中曽根内閣からであった。それまでは、靖国神社に参拝して、中国がガタガタ言うからこれを止めると言う人は一人も居なかった。クリスチャンの首相だってちゃんと靖国神社に参拝しました。中曽根さんは、中国から言われると、悪かった。と。何故行かなかったと聞くと「中国の自分の友人の立場を助ける為」と、馬鹿なことを言った。何処の国に、他所の国を助ける為に、自国の為に戦い、亡くなった人達への参拝を止める人が居ますか。それだけでも、資格が無い。だから、常日頃自民党は駄目だと思う。今だって駄目でしょう。何故駄目か。中曽根内閣の時の外務委員の発言以来、自民党も社会党も区別が無くなった。

自民党と社会党の一番の区別は何処に有ったか。それはサンフランシスコ条約を認めたか、認めなかったか。サンフランシスコ条約を結んだ時の総理は吉田茂であった。東西冷戦下、この条約の締結で日本は西側に付くと考えたスターリンとその衛星国、チェコスロバキア、ブルガリア等の東欧圏はこの条約締結に反対した。ところが、スターリンの意思が其処に在ると知った共産党は反対した。このことは、理解出来ますね。ところが、当時野党第一党の社会党まで反対したのです。スターリンにオベッカ使って。その反対運動の中心が岩波書店にあり、東大総長以下全部反対、主だった学者は皆反対でした。後で判ったことですが、負けると思わなかった日本は負けたことだし、ヒョットすると、これから共産党革命が起きるかも知れない。起きたら、共産党のやり口として、大量虐殺をやるであろう。その時証拠になる様な物を残すと怖いなあというのが当時の学者達の考え方でした。こういったことを書き残した良心的な人も居ます。

慶應大学の小泉総長などは偉かったですね。世界の四十数カ国との条約で反対は数カ国のソ連の家来、絶対多数講和であると仰って反対の人達には、文芸春秋か何かで言って居られましたが、「日本は占領されたままで良いのか。」と。相手は黙ったが、社会党は野党第一党のくせにサンフランシスコ条約に賛成しなかった。日本は独立を果して高度成長を遂げました。然しその間でも、参加しなかった連中はグサグサグサ言っていて発見したのが外務省の、誤訳した部分、東京裁判を受託。最後まで読めば判決を最後までやらせることだけであり、つぎにこれを変えることが出来るまで書いてあるのに読まない、読ませなかった。況や英文です。一見すれば、東京裁判受託とあるではありませんか。これだ!と言い続けたのです。

これに、いつの間にか外務省は乗ってしまった。外務省の小和田さんです。その時の答弁者は小和田さんで、それを許したのは中曽根さんです。それ以来の自民党を見て下さいよ。ペコペコペコペコではありませんか。文句言われると直ぐ靖国神社の参拝を止めるではありませんか。それが続いているのです。教科書についても侵略を進出に変えないというインチキ報道がありました。産経新聞だけが、「あれは誤報でした」と真の報道をして中国も韓国も抗議を取り下げたのです。そしたら、宮沢官房長官が、日本のこれからの歴史教科書には、「近隣諸国の感情を害する様な事は書かせない。」所謂、近隣条項に関する規定を作ったのです。日本は[東京裁判を受託して国際社会に復帰した]ということが内閣の伝統になったのです。

政府の見解というのが、国民の知らない間に、サンフランシスコ条約は無くなってしまって東京裁判だけ残ったのです。国民の知らない間に。内閣は粛々として東京裁判だけを認めて、だから韓国や中国が文句言ったら、日本の歴史教科書も最終検閲権は、ソウルと北京に在るようなことになった。

色々な人が首相になりました。細川さんという人が居ました。あの人は私の後輩になりますが、首相としては初めて、日本は侵略戦争をしたと言った人です。マッカーサーは取り消しているのですよ。何という不勉強な人でしょう。決定的に害を与えますね。次の村山さん、社会党ですから当たり前。東南アジアに行って謝り、彼方に行って謝り、此方に行って謝り、そして自民党になっても、彼方でも此方でも謝り、極め付きが最後の自民党の首相です。中山通産大臣でしたか、日教組を批判したということで、麻生首相はいきなり中山大臣を首にしたのです。

皆、あっ!と思ったのです。自民党は日教組に反対ではなかったのかな?と。田母神さんも、日本は悪い国ではなかったと書いたら首になった。田母神さんは、「自分は何処が悪いか解らない、懲戒免職にしてくれ。」と言ったのです。懲戒免職には出来ない。それで幕僚長だけ外した。そうすると、自衛隊の定年は60歳で、幕僚長は62~3歳なので、いきなり定年になった。そういうだらしないことをした。更に麻生さんまでも靖国神社に参拝しない。何処が自民党か。社会党と同じではないか。そんなら変えて見ようか、ということで民主党にしたら、揚句ひどいことになっている。

自民党も民主党も本質的に、差は無い。個人的には稲田朋美先生のように真正保守の人も居ますが、然し、党としては今の処、差が無い。党としてもう一度復活させる為には、解りやすく国民に訴えなければならない。その為には、中曽根さんが、私の様な者が間違って酷い目に遭わせました。あの時外務委員の答弁を許したのは私の責任です。大勲位を返します。と言って大勲位を返したら良い。東京裁判で有罪とした裁判に百%の権威を持って居たマッカーサーが、正式の場所で正式に取り消している。もう一つ、日本はサンフランシスコ条約に調印して全く平等の立場に立ったのです。それを東京裁判受託としたのは、中曽根さん以降の自民党の首脳です。この二つだけは是非忘れないで欲しいと思います。


(続く)


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仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ①/7

烏山講演会「私は日本を守りたい」
衆議院議員 稲田朋美議員と上智大学名誉教授 渡部昇一氏  講演記事


日時 平成23年10月18日(火)18:30~
場所 世田谷区 烏山区民センター

◆渡部昇一氏
私は、稲田朋美議員の応援団長ということで、今日、議員がお話なさるということで、前座を務めさせて貰います。テーマはマスコミということですが、非常に重要なことでマスコミが伝えていないこと、二つばかりお話したいと思います。それはどう言うことかといいますと、日本の歴史教科書がおかしい、育鵬社という会社が割りと増しな日本史の教科書を作っています。

私も監修者の一人でしたが、特に監修したわけでなく注文を一つ出しました。その注文は、教科書の中の本文でなくてもよいから、マッカーサーが、昭和26年3月アメリカの上院の軍事外交合同委員会で証言した、証言の言葉を載せて欲しい、それはどう言うことかといいますと、

「・・・・したがって、日本が戦争に入ったのは、主として、自衛の為即ち安全保障、Securityの為である」と、アメリカの最も公式の場で証言したのです。皆さん、これは超重大なことではありませんか。

東京裁判でマッカーサーが連合軍から全責任を与えられたものです。ですから、東京裁判には法律は有りません。マッカーサー条例という、マッカーサーの名前を取った条例です。インタナショナルという言葉を使っていますが、国際法とは全く関係ありません。責任は全部マッカーサーです。裁判長は、最初、清瀬弁護人からこの裁判の裁判権は何処から出ているのかと聞かれて答えられなかった。そんな裁判は出来ないのではないかと。

裁判長が答えられない質問を突きつけられた時、結局マッカーサー元帥の指令により続けますと言う他なかった。ですから東京裁判というのは、100%マッカーサーの責任です。一つ一つ裁く条項も全部マッカーサーの責任であって法律の責任ではない。国際法とは関係ありません。その後マッカーサーが突如といっても良いでしょう、反省致しました。それは朝鮮戦争の時です。朝鮮戦争では攻め込まれてびっくりしたわけです。

初めのうちは、アメリカ軍は負けに負けて、朝鮮半島の隅っこに追い遣られました。それを逆襲したわけです。そのプロセスの間において日本が東京裁判に於いて述べた弁護団の意見は悉く正しい、彼らはそう考えたのでしょう。それで、満州まで爆撃するとか、東支那海全部を封鎖するとか、これをトルーマン大統領に言ったら、第三次世界大戦になる怖れがあるからと止められて、それでも頑張ったら首になって帰って来た。

アメリカの上院というのは、日本の参議院とは全然違う。アメリカでは州が一つ一つ出来る、その時、出来る度に、州は半分か三分の二くらい独立国みたいなところがあるのです。州毎に法律が違ったりしています。各州から二人ずつ上院議員が集まります。カリフォルニアのような、日本の総面積と同じ位な州から二人、ニューヨークのような非常に重要なところからも二人、ノースダコタのような人がいるのか熊がいるのか判らないようなところからも二人、そして集まった人達は何処の州でもないコロンビアなどに集まるのです。

そこでアメリカ合衆国全体に関わることを主として議論するのです。下院は日本の国会のようなもの。上院の権威は凄く高いのです。全米州の代表権を持っているようなものでその公聴会ですからこれは凄い。其処で彼は非常に重要なことを言っている。

私はこれを十数年前、英文で或る雑誌に紹介しました。VOICEという雑誌ですけれども。非常に重要なことは、英語でも書いておくことが必要であると思いました。
Their purpose ,therefore, is going to go to war largely dictated by security

日本が戦争に入ったのは、自衛上、止むを得無かったものであると述べたのです。昭和26年のことですよ。これを聞いて喜ばない日本人が居るでしょうか。日本は侵略国だ、残虐だと東京裁判でやれました。日本が悪い国だと正式に言ったのは、東京裁判だけです。その東京裁判の本尊が、公の場所で日本がこの前の戦争に入ったのは、主として自衛の為だ、といっている。そしてその理由も述べている。その理由は、東條大将が裁判長に提出した最終宣誓供述書内容とそっくり。戦争が終わって6年目になっています。


(続く)


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一阿の 「焚火」 ②/2

海軍兵学校の生活の中で唯一ホットする時間は、就寝後のひと時でした。二分三十秒で服を脱ぎ褌ひとつになり、衣服をキチンとたたみ、チェストの上に90度(直角)になるや うにそろえ、ベッドの足元の毛布を広げ、夏は蚊帳まで釣って2分30秒です。勿論帽子は海岸の方向に一斉に揃っていなければなりません。 「自習室」「寝室」の掃除は15分。木の床にはバケツから雫が分散するやうに手で散水し部屋の隅々は直角に掃き一片の塵さへ残しません。何時か、永平寺の禅僧の修行をテレビで見 ましたが、兵学校の生活によく似ていました。

寝てから、一号生徒が聞きます。「エー~三号・・・エントロピーとは何か。知っている者は言ってみろ。」「・・・T生徒。・・・」「ハイ。外国の豆であります。」一号生徒はくすくす笑い出す。勿論寝たままの姿で、である。今日、一号生徒は熱力学の時間 に「エントロピー」を習ったのだ。然しこのやうな時間が三号に許された唯一の緊張緩和の時間であった。前座が長くなった。

私は今だにエントロピーは分からない。然し50年ほど前、ある会社の親しかった技術課長がこんな事を教へてくれた。
「鉄鉱石があるだろう、その鉄鉱石を溶鉱炉で焼いて鉄板にすると、鉄板のエントロピーは鉄鉱石より高いんだ。この鉄板を機械にかけて鍋を作ると、この鍋は鉄板よりエントロピーは高くなるのだよ。」
「なーんだ。それ じゃー、文明が進めば進むほど人類はエントロピーの高くなる方向に歩んでいるのではないか。」
「そうなんだ。人類は本当は出来るだけエントロピーを低くする努力が必要と思うんだ。」友人はそう答へました。」

蕎麦屋の室内のクリーンヒーターより焚火の方がずっとエントロピーは低いのです。原子力発電による電力より風力発電や地熱発電のの方がエントロピーは低いに違ひありません。けれどもここまで放漫と言へるほど文明生活を享受している我々が、来年から自動車が今の5割upになると言はれればどうなりますが。本当にクーラーがたやすく使へなくなるのに耐えられますか。戦後あまりに異常な世界にならされすぎました。軍事からまったく絶縁され、平和と言えば平和が来るやうな、安易なものの考え方が、大流行です。

昔、亡くなった兵学校の友人が言ったことがあります。彼はFRPの世界的権威でしたが、アメリカからの帰途、飛行機の中で、年端も行かぬ貧しそうなアメリカの女性に会ひます。何処へゆくのかと問うと、ベトナムにいる自分の主人に会ひに行くのだという。東京で会うのだそうです。心配そうで苦労に満ちたその顔は、戦争に負けながら派手な化粧で嬉々とはしゃいで居る高度成長のど真ん中のわが国の娘さんと格段の差がありました。「こんなことでいいのかな」彼はつぶやきました。冥土からか彼は今どう思ってうゐるでせう。

此れは極端かも知れませんが、一遍上人は「捨ててこそ」に思ひ至り、遊行行脚の旅に出ます。自分の妻や幼い 娘を連れてです。そうしてこの超一 超ニは行脚の途上で文献からその名を消します。栗田 勇の「一遍上人」によれば彼女達は餓死をするのです。捨ててこそ と言ふのは、言葉だけではないのです。良いことをやろうと思ったならそれを実行し責任を取るのに生命をかける覚悟が要ります。

原発反対を叫ぶ人は、本当に昔の生活に戻れる覚悟があるのですか。無ければ、やっと人類が辿り着いた文明の宝を害の無いやうに必死に改良努力をするのはあたりまえじゃないですか。


(了)


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一阿の 「焚火」 ①/2

 神代植物公園の深大寺門口をでたところに蕎麦屋がある。蕎麦屋の庭で焚火をしている。何時からか私はこの焚火のとりこになった。桜や杉や椎の 木の丸太を一尺くらいに斬りそれに薪割りしたのを三本立てかけて燃やしているのである。薪を少し塩梅するだけで一日中燃えている。手をかざす、背中を炙る、やがて床机のいすに胡坐をかく、なんとも言えず温い、心の芯までほぐれる。蕎麦屋の呼び込みは、「中は暖かくなっております」と言ふが中には入らな い。暖房の暖かさと全然違う。

小さい時(昭和8年ころ)「おいど炙り三年ぬーくい」と言って、このとんど焼きの仲間に加わったものである。年齢 (とし)のせいがあるかも知れないが、この「とんど焼き」の暖かさが忘れられない。深大寺の白鳳佛や植物園の蝋梅よりも私には魅力的だ。ファーストフッド とおふくろの味の違いのようなものがある。ただ不便なのはこの「とんど」にあたる為には蕎麦を食わなければならない。

私は神戸で育ったが、関西で は焚火を「とんど」と言ひ、尻を「おいど」と言ひ慣わした。昭和8年は陛下がお生まれになられた年だ。あの頃は、神戸のやうな都会でも、暖は炭団「タド ン」の炬燵にはいるか、火鉢によるしか無かった。中産階級でも完全には鉱石ラジオ(4石)は行き渡っていなかった時代。然し「とんど」と言ふ豪華な暖の取 り方があった。今はこの貧しいが故の暖「焚火・とんど」に金がかかる。

考へてみると、電気やクリーンヒーターを止めて焚火や火鉢の生活に戻るほうが、生活にもほのぼのとしたものが味へてよいかも知れない。今はNHK始め殆どのマスコミが勝ち誇ったやうに、「統計によりますと返事を寄せた半数以上の 住民が、原子力発電所の再開に反対のようでございます。」と言ふ。

「然し待てよ。・・・我々は出来るだけ安いコストで出来るだけ楽をする方法を必死に考えて、ここまできた。それが間違っていたからと一段前に戻してくれといって、それが何を意味して居るのかを知っているのかナ。」「殆ど耐え難い苦労を伴うことを覚悟で言っているのかナ。」

軍備も持たず、「平和」「平和」と言い暮らして67年。・・・。それが今の現状だが、それとよく似ているのではないか。革命とか進歩的とか言はれる人達は、 観念的なある思想に左右されている。その思想で動かされているのが、中国でありかってのソ連であった、彼らは自由主義経済圏の日本が経済的に強大になるこ とを好まない。まして原爆製造の技術を秘めた原子力発電技術は破砕しなければならない。進歩的知識人とか日教組、自治労といった左派の人達で、原発再稼動 賛成といったのを聞いたことがない。人類とか市民生活とかエコとかいいますが、実は中国との共同戦線と言うほうがいいのでせう。


(続く)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 後記

六回に亘って述べてきましたが、この論議は海軍が良いの陸軍が良いのと言った局所的な事を言っているのではありません。海軍も陸軍もそれぞれに如何に国家を守るかの根本の心がありました。その上でのリベラルと保守です。しかし今は違ひます。国家が無いのです。保守とリベラルの差は国を守るか国を壊すかの差で す。今のリベラルという人の多くは皇室に対する尊崇の念は無く、二千年脈々と続いてきた国体への感謝の心はありません。昔、吉田茂は大の軍隊嫌ひでありましたが、上呈文書の末尾には「臣、茂」と書いたものです。

厚木に降り立ったマッカサーは、この不思議で美し国を恐怖と羨望の気持ちを以って考へました。二度と立ち上がれないやうには、どうすればよいかを考え、狡猾な深謀遠慮を実行しました。その第一が、陸軍海軍に対する暴走侵略のレッテルを張ることでした。

我々国民に陸軍海軍の非を針小棒大に訴え、反軍思想の育成に励みました。司馬遼太郎に海軍の知識を教えた青木彰(75期・産経論説主幹~筑波 大)は「戦後のマスコミはGHQの言うことを聞いてをればまず安全」といふ安易で怠惰な癖がついてしまった。とよく言ったものです。

「ヨーソロ」 (海軍酒場)マスターの金森さん(海軍上等兵曹)はバリックパパンで終戦を迎へましたが、ボルネオ島で飛行場を造った際、島の人達と一緒にモッコを担ぎま した。そうしたら島の人は「日本の兵隊さんは優しい、今までオランダの軍人は鞭を持って立っているだけで、一緒にモッコを担いでなんかくれなかった。」と いった、と話してくれました。

南方に進駐した日本の兵隊さんは我々の国民性もあってインドネシヤの人達に親しまれていたのです。然しこの種の心温まる話は 新聞には一切載りません。海上自衛隊の艦艇の事故はまず調べもせず、まず海自の悪者論がでっち上げられます。兵学校で私の隣に座っていたK海将は、「なだしお号」事故のとき、潜水艦の甲板に自衛官が並んで事故で泳いでいる被害者を見下ろしている写真が載りましたが、あれは明らかに合成写真だと悔しがりまし た。その潜水艦の甲板には人は立てなかったのです。

一昨年靖国会館で国士と言われる保守の有名人が話をしましたが、彼は「山本五十六は統帥権を悪用して勝手にハワイ真珠湾を攻め、敗戦の原因を作った。軍令部の予定通り南方を攻めて居たら日本は戦いに勝っていた。」等と見当違いのことを言ふものですから、さすがに私は手を挙げて、統帥権の問題はロンドン会議の海軍軍縮会議の問題であり、そのような間違ったことを言うと貴兄は立派な人であるだけに影響力が強いので謹んで欲しいと説得しました。NHKや朝日新聞は事あるごとに、海軍陸軍の非を論い、わが国の再軍備を阻止しやうとします。平成21年8月9 日から3日間に亘り「日本海軍400時間の証言」と称してNHKが例によって作為に満ちた反戦放映を行ったあとだけに私も心配だったのです。

水交会とこの番組とのかかわりは、雑誌「水交」の平成21年11・12月合併号に詳しく出ていますが、NHKは殆ど騙りに近い方法で水交会から資料を借り受け、初期の約束に反して別の資料から自分に都合のよい所だけをつまみ食いしたのです。

水交会には・小柳資料・水交座談会・海軍反省会の膨大な資料があります。NHKは最初この中で・小柳資料 に関心がある様に装いながら、実は反戦的なニュアンスのある「海軍反省会」の中から自分に都合のよい資料だけを取り上げたのでした。「小柳」資料のほうには次に掲げる先輩達の言葉が取り上げられているのです。

NHKの意に反したのでしょう。・・・・高橋三吉大将 長谷 川 清大将山梨勝之進大将 左近司政三中将 草鹿任一中将 三川軍一中将 井上成美大将 福留 繁中将 吉田善吾大将 島田繁太郎大将 野村直邦大将 豊田貞次郎大将 新見政一中将 栗田健男中将 中澤 佑中将富岡定俊少将 草鹿龍之介中将・・・・等等の言葉です。NHKはこれらの方々の貴重な発言は振り向きもしないのです。

映画「山本五十六」の考察は私の分隊監事 野村 実教官の著書から入りましたが。教官は平成13年5月18日に亡くなられました。その直前の分隊会で、3つ印象の深いことを言われました。

1  日本海軍が急速に成長を遂げる為にはどうしても英国の海軍の教えを請う必要があった。何度も言いますが帆船から外輪船 スクリュー船と海軍の悠長な自然 発生的な道を歩むわけには行かない。帆船から即スクリュー船へとその技術を上げなければならない。日本海軍はアングロサクソンの英国海軍の直輸入なので す。和魂洋才で言えば、武士道の上にアングロサクソンの文化を植えつけたようなものです。
此れに比べ陸軍は軍事技術を最初フランスから学びましたが、普仏 戦争で仏が負けるや陸軍はその師をゲルマン精神の独に乗り換えました。したがって海軍と陸軍の差は取りも直さずアングロサクソンとゲルマンの差なのです。 それが分かっていないと、日独伊三国同盟も対米海戦反対も深い所では分かりません。

2 それからもう一つ。敗戦の原因の大きな要素に宗教の差があ る。日本は神道と仏教の国で一神教ではない。彼らはキリスト教といふ一神教を信じている。この宗教は粘りがある。悪く言えば「しつこい」ところがある。日本人はおおらかで、淡々としたところがある。死んでしまえばみな仏だ。この差は大きい。

3 そして71期のクラスヘッドの田結保大尉の事をつくず く言われるのでした。彼は早く死んでしまったからなあ。田結大尉が新鋭巡洋艦筑摩で戦死されて以来、常に彼の頭の中には戦友のことが頭にあったのです。分 隊会で友人の個人の名を出されたのは初めてでした。考へて見ると野村大尉が完成した精密で膨大な海軍の歴史に関する研究は、田結大尉を慰めるためだったかもしれないのです。前にも申しました通り、田結大尉はクラスヘッド、野村大尉は2席(71期)だったのです。ご冥福を祈ります。


(了)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ⑥/6

「山本が艦隊派から条約派へ変わった日」 私はかって、「統帥権」の話の時、「条約派」については後日述べる。と申しましたが、お分かりのやうに、「艦隊派」と言ふのは、英米に対して艦隊の比率を 高め外敵にあたらうとする侵略に対しての戦争容認派であり、今の言葉で言へば「右派」でせう。

これに対して「条約派」は国際情勢を冷静に観て、外交を主体として国を守る。所謂「Fleet in Being」(艦隊は存在することに意義がある) の立場をとる人達です。映画のなかでも堀 悌吉の言葉として出てきます。

米国に対する開戦反対派です。さて野村 実教官(先に詳細は説明)の本に戻りませう。「ロンドン海軍軍縮条約は昭和5年4月22日に調印されたが、山本が全権一行と共に北野丸で神戸に帰着したの は、6月15日であった。帰着の当日、北野丸船上から反町栄一に宛てて、「会議の成績に鑑み、汗顔の至りに御座候」 との書簡をしたためてゐのを見ても、山本がロンドン条約に不満を抱いてゐたことは明白だ。

山本達のブログナーハウスでの対立は、東京の海軍省と軍令部の対立に移行して行っ た。帰国した山本が、かっての海軍大学校時代の尊敬する教官であった海軍次官 山梨勝之進や、同期の親友である、海軍省軍務局長、堀悌吉が、気性の激しい海軍軍令部長・加藤寛治や政治的策動の多い軍令部長、末次信正などに、「統帥権 干犯」とのスローガンのもとに攻撃されたのを知って、どのやうに考へただらうか。

「統帥権干犯」について、・・・ この言葉を新造したのは、後に2・26事件の黒幕として刑死する北 一輝であった。もともと「統帥権」などと言ふ魔物に、海軍軍人は関心がなかったのだが、政争には絶対中立てあるべき海軍が、不用意に政争に巻き込まれて 行った。山本が帰国した時はすでに、加藤末次の軍令部の陣容は、谷口尚真 永野修身と代わり、山本帰国の翌日には第一班長 加藤隆義 第一課長 中村亀三郎も更迭され、及川古志郎少将 近藤信竹大佐が発令されて軍令部の課長以上は一新された。

堀はまだ海軍省軍務局長に残ってゐたが、山梨は末次と喧嘩両成敗となって軍令部出仕に退き、小林躋造中将があとを次いでゐた。帰国した山本が不在の六ケ月の間に起こった海軍中央部の変容ぶりに衝撃を受けなかったといふことはないだろう。純軍事的な考へ方と、交渉技術の上から条約調印に反対したのだが、政友会の代議士達が、未熟な軍事理論を振りかざして、倒閣の目的のためだけの論陣をはるのを、正視出来なかった筈だ。

山本は帰国後、病気と称して鎌倉の自宅に引きこもってしまった。一時は海軍を退くのではないかといふうわさも流れた。ロンドンで山本が妥協案に反対したのは、もう一押しすれば英米が潜水艦量で譲歩するのではないかといふのが主な理由であったが、山本が重視するやうになった航空兵力のことを考へると、条約調印が軍事的にはそれほどの大問題ではないと気づいた筈だ。気を取り直した山本に待ってゐたポストは、海軍航空本部技術部長であった。

やがて「日本海軍航空育ての親」と言はれるやうになる。山本がロンドンから神戸に帰着した昭和5年6月17日が、山本の考へ方が艦隊派的から条約派的に移行する分岐点の日と判定してよい。」 以上は私の分隊監事であり71期の生存者中のクラスヘッド(第2席)で あった野村実大尉の「天皇・伏見宮と日本海軍」 のなかの一節です。先にも書きましたが、彼は文学博士、日本学術会会員であり、文筆で生計を立ててゐるのではありません。(防衛大図書館長、教授) 大変冷静で公平です。

戦後70年間あまりにもひどい一方的な左翼の論調に慣らされてきた私はこの本を読んだとき、戦いに負けると言ふことの実感に曝され、何かが違うと感じつづけてゐた実態につきあたった気かしました。海軍が「統帥権干犯」なんて叫んだのではないのです自ら好んで真珠湾を攻撃したのではないのです。それは「聯合 艦隊司令長官山本五十六」の映画を観ればわかります。

そして何故井上成美校長が陸軍士官学校生徒との文通を禁じたのか。 それは海軍士官に政治の世界から断絶させ、本道に戻すためだったのです。井上はその後海軍次官になり最後まで戦おうとした右翼や陸軍と交渉しながら、命がけで終戦に持って行きます。終戦は、山本亡きあと条約派の総帥米内光政、そして時の総理鈴木貫太郎海軍大将の三本柱で行はなれたことは人口に膾炙して います。NHKや朝日新聞が如何に海軍を批判しやうとも、海軍の良心は条約派であり、日本の良心は海軍であったと私は思ってゐます。


(了)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ⑤/6

「フランスの動き」」―現在のやうにGNPの観念の発達していなかった戦前は、国力を軍備で計る傾向があった。世界の洋上のどこにでも出て行ける海軍力の方が陸軍力よりも国際的な尺度となりやすい。

ワシントン会議で最も面目を失ったと感じたのはフランスだった。イギリスの五に対して一.七五といふ比率は我慢のならないものだった。フランス人のイギリス人に対する感情は微妙なものがある。戦後の極東裁判でフランス語は公用語として認められなかったのに、断固としてフランス語を使用し、裁判所とトラブルを起こした検事もいた。

フランス人はナポレオンを誇りとしイギリス人はナポレオンの艦隊を破ったネル ソンを英雄とする。そしてナポレオンの陸軍を破ったウェリントンを誇りとする。加藤友三郎がフランス側に、補助艦比率破棄を提案すれば、「反対しない」と 内意を伝へる。やがてフランス全権の首相ブリアンが破棄案を提出し、日本が反対せず、イギリスが賛成したので、補助艦制限は流れてしまった。

イギリスも国家の名誉を考へてゐたのだ。イギリス人が「成り上がりもの」と考へるアメリカとパリティーとなり面白くない。補助艦でアメリカより優位に あれば何とか世界第1の面目を保てるわけだ。 初めての補助艦制限会議(昭和2年)がジュネーブで開かれたが、この時もフランスは日本に近づいて来た。

会議に先んじて駐日フランス文学者大使クローデル(詩人・文学者・「ロダンの言葉」の訳者)はのちに第1次ロンドン会議で全権となる財部海相を訪問し(大正15年11月3日)次のやうに語ったのは記憶に値する。

「フランスは海岸や領土を守るため、多くの小艦艇、特に潜水艦を必要とする。日本もご同様ならんと思ふ」
「各国は自国の安全を主として国防を計画する自由がなければならない、総トン数を制限してその範囲内、各国が自由に国防を行ふのがよい。」
「フランスは多くの駆逐艦、潜水艦を必要とするので、5 ・ 5 ・ 3 ・ 1. 75 の比率は到底忍ぶことは出来ない。」
「この際、アングロサクソンと対立して、日本とフランスの関係は、あい似たものと考える」

第1次ロンドン会議の時もフランスは日本に歩調を合わせるやうに近づいて来た。フランス海相デュメニルは、潜水艦必要論を強調した。そこで財部はイギリス はどの程度までトン数切下げを申し込んで来たか、と探りをいれた。彼はいささか緊張して、随行の海軍将官と目配せしたあと、「六万六千トン」 と答へた。

これは妥協案よりも多い。更にフランス主席全権首相クルディユは3月16日我々は急ぐことを必要としない。成功を必要とする。満足な結果に到達 できると信ずる。」との声明を発表した。このやうなフランス側の情報に、イギリス海軍将校から得た情報を加へて、山本以下のに海軍随員のほとんどは「今一 度、日本側が強く出れば、英米は譲歩する」と判断したのである。

資料によれば安保や左近司も冷静であったが、ほぼ同じ判断であづた。山本は随員を代表し て、以上の見解を財部に具申すると、財部は完全に動揺した。財部の指示により山本は、若槻に意見を開陳した。外務省からの随員で、山本と 同じ長岡市出身の斎藤 博はその時の状況を「日本全権団員の息の根を止めるやうな猛烈果敢さがあった。」と述べる。斎藤は後に駐米大使となり、任地で死去し、その遺骨はアメリカ 巡洋艦アストリアで、日本に礼送された。

若槻は海軍側が得た情報は、責任の立場にあるものとの交渉でないとして「妥協案以上の見込みなし」との姿勢を崩さない。更に英米は各大使に命じて外相幣原 喜重郎や外務次官吉田茂に工作する。日本が強く出れば英米は譲歩しただらうか、それは入手出来る資料に関する限り現在も分からない。

しかし、日独防共協定交渉中の日本陸軍の暗号文書が、ドイツにおいて、ソ連の通信諜報陣営に窃取されてゐたことを考えると、この時も諜報の問題が気になる。

いつの時代も、政治家の判断によって、国益が大きく左右されることは変らない。ともあれ戦後は、戦勝国が日本の海軍を二度と立ち上がれないやうにするため、軍縮会議ー海軍の反対ー暴走ーハワイ真珠湾攻撃ー敗戦 と言ふ見えすいた、軽い論理で敗戦国に憲法と共に押し付け指導してきた間違 いがはっきりわかる。

更に左翼マスコミが虎の威を借りて約70年間国民をミスリードしてきた。共産党だけではない、進歩的と称する知識人そして市民層、全てかつての敵の手の上で踊ってゐるに過ぎないやうな気がする。


(つづく)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ④/6

「ロンドン軍縮会議とフランス。そして山本五十六」

山本は条約派、非戦派として知られてゐるが、第1次ロンドン会議の時は先鋭な艦隊派的態度をとってゐるが、その背後にあった考え方を探るのは、歴史的に意義が大きい。

山本は昭和4年11月30日 サイベリヤ丸でアメリカ経由ロンドンへ向った。出発の日に少将に進み、46才、アメリカ駐在武官、「軽巡五十鈴」艦長、空母「赤城」艦長、を経験して脂の乗りきった時であった。会議場となつたのは、バッキンガム宮殿にほど近いセントジェームス宮、海軍省の隣にあるアドミラルティーアーチをくぐれば、すぐネ ルソン像のそびえるトラファルガー広場だ。

会議前に英米両国の対立点が調整されたあと、日本が招かれたので、日本はこの両国に圧倒されやすい立場にあっ た。会議は難航し決裂寸前であった。ジョージ五世が親臨した開会式から五十日を経た昭和5年3月13日、いわゆる松平・リード案が得られ た。(駐英大使松平恒雄・上院議員リード)両全権はかなり前から友人関係にあった。山本は海軍随員の意見をまとめて鋭く反対するのである。念の為、三大原 則の妥協案をしめす。

1 大型巡洋艦・軽巡洋艦・駆逐艦・潜水艦の総括量。 原則ー対米七割 妥協案ー対米 六.九七五割
2 大型巡洋艦 原則ー対米七割 妥協案ー対米六.0二二割
3 潜水艦 原則ー対米七八.四九七トン 妥協案ー対米 五二.七00トン

主席全権 若槻礼次郎(前首相)は、英米にこれ以上の譲歩を求めるのは不可能と考へ全権四人だけで合意のあと、全権顧問や随員に知らせることなく、妥協案を最終案として、東京へ請訓した。若槻のやりかたは強引に過ぎた。

やはり上層部だけにでも誠意を示す必要はあった。また財部 彪(たけし)は内心は反対でありながら、若槻に同調したのだが、ワシントン会議の時の加藤友三郎のやうに、その威信で海軍部内をまとめる 自信がない限り、簡単に同調することなく、安保清種大将、主席随員の左近司政三中将、次席随員の山本少将には誠意をもって説明すべきであった。

このときの ロンドンにおける海軍随員達は、昭和の歴史を説明する映画などで、たいてい悪者に書かれてゐる。山本の名が具体的に出ないのは不思議なほどだが、随員の中 には山本の後輩達も沢山ゐた。後に外相となる豊田貞次郎、海相となる野村直邦、岸・佐藤両首相の長兄に当る 佐藤市郎、開戦時 比島に進行した第3艦隊司令長官高橋伊望、第1次ソロモン海戦の第8艦隊司令長官三川軍一、ミッドウェイ海戦で名を挙げる第2航空戦隊司令官の山口多聞などなどである。

ブログナー・ハウスの海軍省顧問や随員達は、自分たちに知らされることなく、妥協案が請訓されたのを知って、衝撃を受けた。反対の急先鋒は山口多聞で、全員の取り纏め的役目の山本もこれに劣らず強硬だ つた。 このときの山本の強硬態度を解く鍵は、フランスの態度を分析することにある。


(つづく)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ③/6

山本は堀と違って、ワシントン会議海軍軍縮会議には直接関係はない。軍縮会議で活躍するのは第一次ロンドン会議と第二次ロンドン会議予備交渉である。

ワシントン会議の結果から山本は、航空軍備について鋭い観察を加へるやうになった。海軍大学で戦艦と航空機の攻防問題を論じ、必勝戦備は軍縮の対象とならない航空機にあると言ってゐる。

ワシントン条約成立(大正11年)の翌々年、もともと砲術専攻であった山本は、自らの希望で航空分野に転身した。初めてのポストが 霞ヶ浦海軍航空隊副長であった。第2次ロンドン会議予備交渉にをいて、山本はアメリカのスタンドレー大将、イギリスのチャトフィールド大将と交渉してゐる。いづれも海軍軍令部長である。

この交渉における山本の態度はほとんど諦観的だった。会議参加国についての共通最大限度案の訓令を受けてゐた山本が、交 渉終期の昭和9年12月11日ロンドンから東京へ「必然的決裂を期し、主義に殉ぜんとするもの、 尤もこの案は国交に影響を及ぼすべきこと申すまでもなし。」 との達観的、抗議的な電報を送ったことは、山本の考え方をよく表してゐる。

第2次ロンドン本会議の全権となつた永野修身は随員として、山本を希望し た。しかし、山本はこれを固辞しロンドンへは行かなかった。これらの状況からも、山本が条約派とみられるのは当然かも知れない。


(つづく)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ②/6

戦後70年近く経って、最近保守と言はれる人人でも海軍について正しく理解してゐる人が少ない。これは100年前の遠い思い出話ではなくて、現実に混乱した今の日本を再建する為には、かって祖国の良心であった日本帝国海軍条約派の考えを知ることは大変重要であります。

戦後色々の人が海軍について書きました。しかし彼らは「もの書き」ですから、時には情緒的になり私怨が入ることも間々あります。71期野村実大尉はクラス次席(主席は田結大尉戦死)で、私の分隊監事(305分隊)で した。

野村大尉は彦根中学時代は抜群の成績で一年から五年まで主席で通し、田結大尉は府立一中の五年間常にトップでいまも後輩の語り草になってゐます。野村さんは戦後極東裁判海軍被告弁護事務に従事、防衛庁戦史編纂官、戦史研究室長を経て防衛大学図書館長兼教授。歴史学を研究し文学博士、日本学術会会員でもあります。この方の著書を参考にして、山本五十六元帥と海軍条約派を俯瞰しませう。

生計を立てる為に文章を書いてゐるのではない為、論旨が冷静公平です。国の為に書かれたのです。

「条約派 山本五十六、 昭和1ケタ時代に活躍した提督たちはは一般に艦隊派・条約派といふ色分けをされることが多いが、山本五十六は通常、条約派といふことになってゐる。山本の尊敬する人物は、先輩では山梨勝之進や米内光政であり、最も心を許した期友は掘 悌吉であった。山本が条約派と見られるのは、これら提督達が条約派の中心的な存在であることと無関係ではないだらう。又山本が大東亜戦争の開戦に反対であったことも、影響してゐると言へるだらう。・・・」


(つづく)


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一阿の 「映画 聯合艦隊司令長官「山本五十六」 を観て」 ①/6

昨年、暮れ、何十年ぶりかで映画を観た。聯合艦隊司令長官「山本五十六」だ。まことに申し訳ないが、観るといふより検証しに行った感が強い。

原作者の半藤一利は帝国海軍について豊富な知見を持っているが、1930年生まれで海軍の生活を実体験するには幼すぎる。敗戦の時は、15才だ。立派な人だとは思うが、地についたものといふより、頭の中で考え出した結論があって、膨大な文献や聞き取りによる衣装を纏わして世に出すと言ったところがある。何を言ひだすか分からないので安心ができない。

事実、澤地久枝の資料集めをしてゐだ時代がある。リベラルは結構だが、帝国海軍のリベラルではなくて戦後の似而非リベラルでは困る。山梨勝之進 反町榮一 堀 悌吉 高木惣吉野村 実とは本質的には異なるところがある。(マスコミでは海軍の長老といふことになってゐるが)。

しかしこの映画は俳優の熱演もあって当を得たものになってをりホットした。昨年のNHKのひどい反戦海軍批判の軽薄な左翼番組があったので、安心が出来なかったのだ。さて、まづ画面にでた場面、陸軍の一個小隊の兵士が三八銃を構え、海軍省の正門を狙ふところがある。

日、独、伊三国同盟に最後まで反対する海軍に対する陸軍の嫌がらせの場面だ。それで思い出したこと がある。昭和18年12月1日私は江田島の海軍兵学校へ入校したが、間もなく井上成美(しげよし)校長の意向で、「生徒の陸軍士官学校の友人との文通を禁 ずる」と言ふお達示があった。

これを伝へたのは、分隊監事の鹿山 誉大尉(65期)であった。彼の著書「帽振れ海軍兵学校」「駆逐艦村雨の最後」は神田のしかるべき古本屋では希少本になってゐる。お達示を受けて、私は 思った「陸軍も海軍もわが国を護る同じ軍隊ではないか。何故文通してはいけないのだらう。」

我々は未だ16、17才の少年だった。゛尤も一号生徒になる頃 にはお達示の本意は良く分るやうになってゐた。戦後一号時代の分隊監事野村実大尉の分かりやすい講話で、映画に出て来る海軍の苦しい立場はよく理解してゐたが、あくまで後知恵と言へやう。「鎮魂歌」の中で詩人那珂太郎が謳った「・・・戦後の高みから、平和時の正論をもって、自らの心の痛みなしに批判し断罪する・・・」評論家が多すぎるのではないか。


(つづく)


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一阿の 「年始の言葉」 8

詩人 那珂太郎 (福田海軍中尉) は「鎮魂歌」で歴程賞を授与されますが、平成7年7月その日の毎日新聞夕刊に次のやうな記事が出てゐます。「詩人 草野心平を中心に設立された詩のグループ 「歴程」の設定する第33回藤村記念歴程の授賞式がこの程飯田橋で行はれた。

今回の授賞は那珂太郎氏だったが、これは戦後50年を経た人間の運命を主題にした力作であり、授賞式での彼の発言は現代詩の現況にも触れて意義深いものとなった。「那珂氏は言葉の『かたち』と『ひびき』について繊細鋭敏な感受性をもち、多くの傑作を生んで来たが、ここ十数年来新しい実験を重ね、特に鎮魂歌は人間の運命について考へる未踏の深く重い新境地を開いた。」といふのが、選考委員による受賞の理由だ。」

・・・「当の那珂氏は、昭和40年に、詩集『音楽』を出した時以来『詩に主題は無い。書くこと自体が主題である。』と考へてゐた。時の世界は言葉の響きと音による映像的なものであり、あえて主題といへば日本語そのものであった。」と語りだした。そして代表作「音楽」 から30年近く経て 「いま過去の作品と違ふ印象を与へるとすれば、それは主題が向ふからやって来たといふことだらう。明瞭な意味の下で書いた。

・・・芸術もまた言葉の先端を 模索して・・特殊なところに入り込んでしまった。・・・言語形式をもう一度原点に立ち戻そうとした結果かもしれない。」と述べた。・・・ そしてその主題とは「若い時代に触れた人たちの人生であり、いまはこの世にゐない人がそそのかし、詩集を書かせた。そのうえ死者よりも自分自身の魂を鎮め るものだった。」と参列者に深い感銘を与えた。」 以上が新聞の記事です。

私は詩については暗い。しかし那珂教官から招待状をいただいて恐る恐る出席した。そしてこの耳ではっきりと聞いたのだ。「この詩は亡くなった私の戦友や敵の艦(ふね)にみずから身を挺してゆかれた特別攻撃隊の方々の霊魂が、わたくしに筆を採らせたのかも知れません。」 私の中に感銘の閃光が走りました。戦友や特別攻撃隊は詩の世界では「死者」と表現するのかも知れません。或いは記者が小さい時から反軍の思想を叩きこまれ たから単に「死者」と表現したのかも知れません。ともあれ、「那珂太郎」 は 「なかったろう」 から来ていると言はれる程日本語の音韻の美しさのみを追求して(虚無のやさしい保留=清岡卓行)ゐました。

彼がはっきりとテーマを持って詩を作るのは刮目 すべきことだつたのです。これは本当の日本の国の詩であり、日本人の詩です。ドイツにはドイツのフランスにはフランスのイギリスにはイギリスの詩がありま すヘッセやリルケやバイロンは我々が若かった頃心踊らせて愛読した詩人です。今の進歩的知識人達は戦前は、軍国主義で偏った教育を受けて侵略へひた走ったと、見てきたやうな嘘をつきますが、決してそうではありません。

確かに教練は厳しかった。しかし若者は自由に西欧のあらゆる書物を読んでゐました。今よりもずっと自由でした。私がいつも言ふやうに静かで豊かで温かでした。那珂太郎さんの言葉、「生まれ育った日本とその言葉」を国民は愛して ゐました。そして自分の国に対する誇りを持ってゐました。その上で諸外国の文化を咀嚼して行きました。ところが、戦後少しでも祖国防衛を語らうものなら軍 国主義と喚き散らし神国日本と言う首相はきちがい扱ひで、マスコミ総掛かりの引きずり下ろしを敢行します。「昔陸軍今総評」と言ふ言葉がありました。

「昔陸軍今マスコミ」です。現在の方がずっと偏ってゐて不自由なのです。敗戦後「平和を愛する諸国民の公平と信義」に頼るしか自国を護ることが出来なく なった我が国は、詩や文学もワールドスタンダードで、いろいろの国の文化を混ぜ合わせた雑炊のやうな観念で浮遊してゐます。一歩引いて庶民には思想の自由 があるとしませう。しかし国家を率いて行く政治家はどうか。これが一番ひどい。

戦後レジームからの脱却を高らかに謳ったのは、安倍晋三総理だけで、中には日本人の心の支柱をなす皇室に対し「早く座らんから我々も座れない」と不平をぶちまける不遜な、「国家公安委員長(中井洽)」がゐたほどです。今度はこんな男が何の目論見か二元外交で北朝鮮へ単独行動をしました。しっかりした国家観も持たぬ者共が国家を牛耳るひどい国になりました。「鎮魂歌」は完全な旧仮名で書かれた詩です。話し言葉で書かれてゐますが、日本人にとってこころ休まる音韻の一点の狂いもない世界です。

先月開かれた萩原朔太郎 展の図録にご高齢(90才)を押して巻頭の辞を述べられ「例へば、日没が日の終りを祝福する様な、又は、末期の目にほのかに永遠が姿を現はす様なそんな一 瞬が、確実に、天恵の様にあるのだらう。それが朔太郎の詩だ」と書かれました。ご自身目は殆ど光を失ってをられるのです。詩人那珂太郎は鎮魂歌のあと8年 後畢生の大作「現代能 始皇帝」を刊行します。

コロス《限りなき権力への欲はなほ滄波と共に渺々/永遠の命への望みは白霧の如く果しなし/なほ鎮め得ぬ皇帝の霊は/こがる る夢の/こがるる夢の 海のかなた/虹の桟(きざはし) のぼりゆき/虹の桟のぼりゆき/大虚の雲に紛れつつ/宇宙の塵となりにけり/宇宙の塵とぞなりにける/ 始皇帝の亡霊、橋掛りから幕に入る。徐福の後裔、一人舞台に残り、コロスの声が、虚空に響き、木霊してゆく。 これが最後の一節です。


をはり


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一阿の 「年始の言葉」 7

/ あるいは巣鴨の同じ死刑囚第5棟の親しい隣人の、絞首台上に去って行く姿が瞼に迫っただらうか。

/ 鳥巣さん、私にはあなたの内部の闇の深みを測る ことば出来ません。

/ あなたをお訪ねしたいと思ひながら、私はつひに敢てすることができませんでした。

/ 十年前に一度だけ、病院にあなたを訪ねたことが あったけれど、

/ 折あしくあなたは仙台の学会に出張中で会ふことができなかった。

/ その後も何度か福岡に行くたびに訪ねる機会がなくはなかったのに、気お くれして、果せませんでした。

/ あなたが死ぬまで負はされた沈黙の重みの奥を、窺うことがためらはれたのです。
・・・ ・・・
/ 1981年、夫人の蕗さん(その6年後の87年に他界された)に手記『再審査』を送ってもらひました。

/ 「先日74才の誕生日を迎へました 夫は、朝8時半から午後6時まで、毎日患者の診療にあたり、お誘ひがあれば、日曜日は朝からゴルフを楽しみ真黒く日焼けしてをります。」

/ おそらくその通りの日常を、あなたは過されたのだらうと思ひます。

/ しかしそれはけっして平安な日日ではなかったに違ひない。

/ ときとして「近寄りがた いきびしさを感ずる」と蕗さんは書いてをられますが、・・・・

/ 「かって同囚として、幾年か獄舎に呻吟し、家郷に逃された家族の身を案じつつ、刑場の露と 消えられた方方の苦しみや悲しみ」

/ を思へば、あなたの戦後の人生が安穏だった筈はない。

/ 鳥巣さん、私は巣鴨での7年半ーーとりわけ絞首台の宣告を受け たあとの、6年間のあなたの毎日を思はずにをれません。/刑場に去り行く隣人への思ひを日記に書き留めてゐます。

/ 凍てし夜を永遠(とは)に死に就く幾人か静かに廊を去り行きにけり。 大廊下のさかひの鉄扉閉まる音牢に響きて夜半のしづもり。

/ あなたが敬慕の念をこめて日記にしるし留めた陸軍中将岡田 資氏。/ はじめて巣鴨の獄舎で遭ったとき、

/ あなた方の事件は中中やっかいなものに聞いてゐますが、どうならうと、動揺せぬ心の準備だけはしておくことですな。」 と言ひ、

/ 「ここにも人生がありますよ」とあなたを励ました人、

/ 昭和24年9月14日、いよいよ処刑前の別棟に移るとき、

/ 最後の別れにあなたの房の前に立ち、

/ 「来なさんなや」と、しづかに、満身の力をこめて言った人、

/ その岡田さんについて大岡昇平氏が『ながい旅と』とい ふ記録作品を書きました。・・・・・

/ また沖縄石垣島で米軍捕獲搭乗員3名を処刑した同じ棟の7人も、/昭和25年4月5日夜、突然別棟に移る為の呼び出しを受ける。

/ 「井上乙彦氏、井上勝太郎氏、田口泰正氏、成迫忠邦氏、藤中松雄氏、榎本宗応氏、次次に挨拶に見えた。皆元気である。『お世話になりました。お元気で。』 と笑ってお別れの言葉をかけてゆかれる。誰も誰も気軽ないで立ちであった。」

/ とあなたは書いたが、その中の田口泰正少尉は、

/ 学徒動員の海軍予備学生出身で事件当時22才、任官して間もない身で〈斬首〉を上官に命令されて米兵を処刑し、

/ 満5年後にその責めを負ひ絞首台上にのぼったのです。

/ かれは私より1期おくれて入隊した学徒兵、

/ 田村隆一や北村太郎と海軍予備学生の同期だった人、・・・・・

/ あの時期私か同じ立場に立たされたら、同じ行動をとることを果して避け得ただらうか。

/ この絞首刑7人のうち5人までが20代の独身青年、

/ 戦争がすんで5年も終らうとする今頃に、若い人たちが次次に犠牲になって行くのを目のあたりにしては、『あんまりだ』 とも言ひたくなって思はず涙が出る。」

/ と獄中であなたは軍事裁判への疑問をおぼえ、

/ 戦勝国側の報復的処刑にもまして、同じ日本人の世間一般が、

/ 「奴らが悪いのだ。よい見せしめだ。」 と処刑に同調する冷淡な態度に、割り切れぬ思ひ、やる方ない憤りを書き記してゐます。ー― 確かに、この人たちは<戦犯>といふ名の 戦争犠牲者でした。

/ 海軍兵科第4期予備学生会名簿の 「戦死・戦没者」の欄に、

/ 「 田口泰正/戦死年月日/昭和25年4月7日」

/ と記載された日付は巣鴨で刑を執行された日、

/ 戦友たちは絞首刑となったかれを、戦死 と認めてゐるのです。・・・・・

・・・
/ かつての巣鴨プリズンの辺りには、いまサンシヤイン60 と呼ばれる60階建の高層ビルが聳えてゐます。・・・

/ 戦後日本の経済成長の、さながら化身です。

/その隣につくられた公園には、人口の滝が緩やかに水を流してゐます。

/ その公園の奥まった隅の、灌木の植込の前に、

/ 重さ6トンの黒御影石の碑が据ゑられてゐて、

/ ここがA級戦犯7人のほか、BC級52人の絞首刑が執行された/絞首台の跡だと、公園事務所の人が教へてくれました。

/ 鳥巣さん、あなたが未決囚の頃、「壁こすりの使役」に出され、心をこめて磨いた絞首台のあった場所、

/ はね板の真中にあせしひとところ見つめてあれば足跡に似る

/ と昭和23年2月6日の日記に歌を書き留めた場所です。

/ いまは間断なく表の街路を走る車の音が、

/ 不気味な地鳴りのやうに響いてきます。

/ 公園で遊ぶ子供たちも、ベンチに憩ふ男女の若者たちも、

/ この片隅の石碑にはまったくなんの注意も向けません。

/ 碑の前には4基の花筒が立ち、黄菊白菊深紅の菊、竜胆(りんどう)や桔梗や西洋撫子(せいやうなでしこ)が活けられていゐますが、

/ 立ち寄る人の姿はほとんど見かけることがありません。

/ しかし、もし霊魂といふものがあるとしたら、

/ あの世のあなたは、きっとときどき此処に来られるのではないか、

/ そんなことを思ひながら、じっと私は佇んでゐました。



(続く)


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一阿の 「年始の言葉」 6

詩人 那珂太郎は昭和40年(43才)「音楽」を書いて30年後、73才で「鎮魂歌」を上梓します。これは極東裁判で死刑判決を受けた若い医学生をテーマにした 静かで壮大な叙事詩です。長いので要点のみとします。

「鎮魂歌」
1993年3月も終りちかい日、新聞の死亡欄記事に私は見た。

/「鳥巣太郎氏 元九州帝国大学医学部助教授。

/27日午前10時6分、 急性呼吸不全の為福岡市内の病院で死去、85才。

/太平洋戦争末期の昭和20年5月から6月にかけ、米軍捕虜の8人を九州帝大医学部で生体のまま解剖し、 死に至らせたとされる 「生体解剖事件」 に助教授として連座。

/戦後東京の巣鴨プリズンに拘置され、23年8月横浜軍事裁判で絞首刑の 判決を受けたが、

/再審査請求の結果、「軍の命令を拒否できなかった」として重労働10年に減刑、のちさらに減刑されて29年1月に出所。

/以後福岡市中 央区大名町外科病院を開き、院長をつとめた。。事件は遠藤周作氏の小説「海と毒薬」のモデルになった。」

(新聞の記事は時として正確を欠き且虚偽を含む。右の文中減刑の理由を記すがそれは公表されてをらず、少なくとも右に記す理由である筈はない。他の被告は 同等に減刑されてはゐないのだから。また最後の一行は、「事件は」 とは書かれてはゐるものの、さも鳥巣氏がモデルであるかの誤解を生みかねないが、小説は「九大事件」に状況設定を借りたとはいへ、作者も断る通りそこに描 かれる人物はすべてフィクションであり、実在の人とは無関係である。)

鳥巣さん、私の脳裡にはっきり浮ぶ、若かった日のあなたの顔が。/昭和12年12月私は15才、高校受験間際の中学4年生だった。

/虫垂炎のた九州帝大 赤岩外科に入院。/そのとき担当医だったあなたは30才、医学部を主席で卒業して5年目の颯爽たる青年医師だった。/私が憶えてるのは、すらっとした背丈 に白衣をまとった姿、

/あまり感情をおもてに表さない淡々とした話しぶり、回診のとき/私の枕元の文庫本のチェエホフの短編集に視線をおとし

/そんなもの 読んでるの? と好奇の目をむけたこと。

/ー―そんなあなたが8年後/あの悪夢にも似た事件に巻き込まれようとは、だれが予測できただろう。

/・・・ ・・・

/石山教授に呼ばれ米軍捕虜の手術を手伝ふやうに要請された。

/・・・ ・・・

/その手術現場ではじめてあなたは、

/それが治療の為ではなく、実験目的のものであることを知った。

/・・・ ・・・

/軍の命令? それが石山教授の口実に過ぎなかったか、

/それとも事実、軍上層部からの至上命令だったか、

/あるいは橋渡し役の小森軍医の恣意的唆しだったか、

/それは永久にわからない。

/軍と大学との仲介の要だった小森軍医は、四回目の手術実施直後の、

/6月19日のB29福岡大空襲の時の焼夷弾の直撃がもと で死亡し、

/石山教授は事件発覚後の昭和21年7月、福岡市土手町の拘置所で、

/「一切は軍の命令、責任は全て余にあり」の遺書を残して縊死した。

/しかしのちに法廷では、軍の当事者は〈命令〉したことを否定する。

/とまれ、あなたは石山教授に正面から逆らふことを畏れながらも、その後の手術に参加するのを回避した。

/・・・ ・・・

/戦後の高みから、平和時の正論をもって、自らの心の痛みなしに批判し断罪する者が、

/あの時のあなたの立場に置かれたとして、果たして、あ なた以上の冷静な行動をとり得たかどうか、すこぶる疑はしい。

/ 新聞の記事には〈捕虜〉としか書かれてゐないが、

/当時西部軍の言分では/無差別爆 撃によって国際法を犯したB29搭乗員は通常の捕虜とは見さず、

/戦時特別重犯罪としていづれ処刑さるべき者であった。

/(無論そのことが〈生体解剖〉を 正当化するなんの根拠ともならないとはいへ。)

/「さんざん爆撃で人を殺しておいて、自分はパラシュートで降りてきて助からうなんて、虫がよすぎるわね。」

/同じ時期に名古屋で空襲を受けた一主婦の「いつはらざる」感情を、

/『ながい旅』の作者大岡昇平氏は書きとめてゐる。

/事実、九大に送り込まれたB29搭乗員の仲間の一人は大分県と熊本県の県境の墜落現場で村人たちに猟銃で射殺され、

/別の一人は、包囲する村人たちに怯えてピストルで自殺した。

/B29による空襲が日に日に激化し、米軍の本土上陸に備へ各地で竹槍訓練が行はれてゐた当時、

/無差別爆撃した搭乗員を処刑することは、 〈悪〉とは見做されなかった。

/・・・ ・・・

/ときの東海軍管区司令官岡田 資陸軍中将は横浜軍事裁判の法廷で、

/無差別爆撃=盲爆をしたB29東海を斬首処刑した責任を一身に負ひ、

/戦時下でのその正当性を主張して、これを〈法 戦〉と称した。

/(のち、あなたは巣鴨プリズン第5棟で、岡田資氏の法華経の講筵につらなることになる。)

/あれから半世紀、事件当時37才だった あなたは、

/出所後40年間、85才の命終まで沈黙を守りつづけた。

/・・・ ・・・


(続く)


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一阿の 「年始の言葉」 5

「民主主義」。この日本の国で生え育ったものではない借り物の「思想」。正に「観念」です。明治政府が選び、国民が咀嚼して行ったあの方法ではなく、誠にインスタントな方法です。「憲法」も然りです。新仮名遣ひと言う国語の改変。これもまた大したことではないと映ります。戦艦大和が沈むと国民は大変な衝撃 を受けます。しかし文化が静かに静かに変わっていっても気がつきません。

戦後生まれた人達の中には、この新仮名と新しい教育を受けとくに最高学府では左翼の風に吹かれ、市民と言う層を形成しました。その代表が今の政府です。法務省も文部省も厚労省もこんな人達に牛耳られています。だからいくら国を愛する人 達が「人権法案反対」「外国人参政権阻止」「女帝擁立は国を滅ぼす」と叫んでも次から次と陰険姑息な手段ですぐに法案を出してきます。今 の状態は保守のバケツで亡国の雨漏りを次から次ぎと受けて回っている姿に似ています。

どうしてもこの「亡国」 「観念」の屋根を葺き替えねぱなりません。それは「言葉」を基礎とするわが国の「文化」であり、「歴史」なのです。正に「教育」 そのものなのです。安倍晋三はその方向を指し示しました。慌てた亡国左翼のマスコミは総掛かりでバカみたいな揚げ足とりを行いこの政権を潰しました。そしてなんといまの政権を守る為に「そろそろ野党は揚げ足取りをやめる時機だ・・」等と言い出して、一川 や山岡各氏を守る側に立っているのです。尤もこれは不可能でせうが。

次の選挙では二度とマスコミに騙されないやうに、消費税論議も大事でせうTPPも重要 ですそして何よりも震災後の復旧に意を尽さねばなりません。しかし私は立候補者に「あなたは靖国にお参りしますか」「あなたは女帝に反対ですか」「憲法改正に動きますか」の三点を聞いて投票します。個人の生活も大事ですが、もっと大事なのは国の安泰です。

我々80才代半ばの者が生まれた時代は国家が厳然とありました。だから国家はそうたやすく壊れるものではないと「国家」に甘えて、仕事に熱中して国体護持を蔑ろにしてゐたきらいがあります。そして 敗戦の時まだ少年であった年代より若い方々は国とはこんなものだと考へてゐるのではないでせうか。今のやうな現状は決して「国家」とは言へません。マスコ ミに騙されないやうに、自分の目でじーっと確かめませう。

話が飛びましたが次は「鎮魂歌」(那珂太郎)について書きます。


(続く)


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一阿の 「年始の言葉」 4

愚老は年始早々から、のんびり詩や和歌の話をしているのではなくて、今まで起りこれから起るであらう色々の国家的危機が、我々の言葉の乱れ、心の乱れから 来ていることを言ってゐるのです。

日本の歴史は稗田阿礼(ひえだのあれ)によって語り継がれ古事記で初めて文字になったと戦前小学校で習ひました。やがて 万葉集が完成し日本の仮名が第一歩を踏み出します。爾来ニ千年我々国民はその喜びと悲しみの幾多の歴史のなかで自分自身の文字を使ってきました。この文字 この言葉でなければ表せない日本の情緒や美意識があるのです。

前にも書きましたやうに、戦争に勝った国は必ず敗戦国の文化を壊そうとします。言葉や文化が その国の政治や経済や軍隊(防衛力)の基礎をなしてゐるからです。わが国は歴史上初めて、かっての敵国によって自国の文字を言葉を変へさせられました。し かし那珂教官は厳しく旧仮名遣ひを守って執筆してをられます。出版社は嫌がってなかなか彼の本を世に出しません。

しかし詩人那珂太郎は 「詩は「観念」ではありません。「言葉」で成り立っています」「私は生まれ育った日本とその言葉から離れられない。伝統や過去とつながる必要があると思っ てゐます」と信念にも似た力強さで言ひます。私なんかは、あのノーベル賞を貰ったどこかの国の小説家なんぞは国語を忘れたカナリヤの如くとても軽く写ります。

日本語も日本の国も愛することの出来ない「観念」のお化けとでも言ひませうか。観念と言へば戦後流行って今も続いている「キャッチコピー」と言う奴。 「人間大好き」で一世を風靡したあのコピーライター。爾来この種の宣伝文句がラーメンやキャラメルや家や靴下・・etcを売るのに氾濫しました。彼らに宮沢賢治や金子みすすの心があるのでせうか、物が売れお金が儲かれば良いだけじゃないですか。

これが「観念」の恐ろしいところです。地につかず「観念」と言 う奴は地表をフワフワ漂っているに過ぎません。今の日本国憲法もマルクスレーニンの思想もそうです。母国語と言うものはその国の大地にしっかりと足を着け てゐます。だから那珂太郎は厳然と新仮名遣ひを拒否し執筆し続けるのです。戦勝国はわが祖国に上陸し軍隊を解体し農地を解放し財閥を解体 し教育を変え憲法を押し付け、日本を愛し護る書物を何万冊も焼き、そうして自国の文化を売りつけたのです。


(続く)


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一阿の 「年始の言葉」 3

この詩は昭和40年教官の第二詩集「音楽」の中にあります。那珂太郎を詩人名鑑でひいてみると「ー第一詩集ETUDE(50年)から15年を経た音楽 (65年)では日本語の音韻性を追求、響き合う頭韻や脚韻、掛け詞を駆使して現代詩の新領域を拓き・・・誠実で官能的な一つの哲学で貫かれており、かって清岡卓行は(虚無の優しい保留)といみじくも評した。

ほかに萩原朔太郎研究書がある。新仮名遣いを拒否して執筆している。」としてゐる。この23日で90 才、萩原朔太郎研究会の会長でもある。昔、「選択」と言う雑誌の「古典からのメッセージ」なるコラムで小島直記がこんなことを書いた。「詩人と称する輩 (やから)とはつきあわぬ。」と心に決めたのは50年前、同人雑誌をだしていた頃である。詩人A は、同人会にきて、各自注文した飲み物の代金を払う段になると、コーヒー代自弁とは書いてなかった。とイチャモンをつけて絶対払はなかった。

もっとも早く家を新築したのは、この詩人Aである。詩人Bは、仲間の間に論争が起きると、すぐ行司役に回る。一段高いところから、両者を批判するので ある。そのくせ、自分には、命をかけて護らねばならぬ思想、立場はなかったのだ。詩人Cは、雑誌の校正などのある時は、必ず遅刻した。慰労の酒を出すころ、「一言もありません」といいながら姿を見せ最後まで残って酒肴を平らげる。

同人ではなかったが、学友の詩人那珂太郎は、人柄、詩作品ともに立派で、敬服したただ一人の詩人である。それからの長い歳月、私は萩原朔太郎 三好達治 伊藤静雄 那珂太郎の作品を愛読してきた。」 私は那珂さんの生徒でもあるし贔屓の引き倒しと言うこともあるので、敢えて口の悪い小島直紀の言葉を載せたのです。丁度20年前の9月19日(土)朝日新 聞西日本版に載った「語らい」なるコラムの那珂太郎さんの言葉を書きます。

*****

「(日本語の音韻大事にしたい)・・・
記者:針尾島にいたのは・・・

那珂:土浦 海軍航空隊を経て江田島の海軍兵学校の国語の教官になりました。20年4月に江田島の分校が針尾に開校し、そこに移ったのです。ここでは 珍しく英語教育に力を入れていました。どうも、戦後の人材教育を考えていたようです。江田島では阿川弘之さんがかいた井上成美が一時、校長をしていまし た。すぐれた教育者だったから、その人の影響もあったのでしょう。・・・


記者:詩作を通じて日本の言葉を見直すと言うお仕事をされているようですね。・・・

那珂:戦後の現代詩は、日本の古典の全否定から出発したとも言えますが、私は生まれ育った日本とその言葉から離れられない。伝統や過去とつながる必要があると思っています。詩は観念ではありません。言葉で成り立っています。日本語を自覚的に現代に生かす姿勢が欲しい気がします。・・・


記者:具体的には・・・

那珂:日本語の音韻性でしょうか。和歌の掛け詞(ことば)、響き合う頭韻や脚韻を大事にしたい。それを意識したのが萩原朔太郎ですね。/はか なくて過ぎにし方を数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける/(式子内親王) 「は」という音で女性のためいきを感じさせる、と音韻分析をしています。・・・」



(続く)


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