一阿の 「昨日の空」Ⅱ-3

「私は各地の天風会の中で、神戸と言う街に特別な思ひ入れがある。 」羽織袴で結城の紺を粋に着こなし、陛下から賜った印籠を腰に、あの堂々たる声でゆっくりと話されるのでした。

天風先生はヒマラヤのカンチェンジュンガ山麓の村でヨーガの哲人カリアッパ師に心身を救はれ大悟徹底の後、母国日本を指して帰途につきます。その途上、辛亥革命の最中で、請われるままに孫文の顧問を勤めるのです。

孫文の日本亡命に際しては、彼自ら孫文を舞子の六角堂に匿ってゐます。私は天風先生の話を聞いて六角堂へ行ってみた。昭和30年代 六角堂は無人の廃墟で室内は荒れ放題であったが窓から淡路島が霞んで見えた。布引、徳光院での話である。

講話の会場は東京は護国寺の月光殿、京都は祇園の歌舞練場と大体決まってゐたが、神戸は転々とした。夏の修練会を神戸山手小学校の講堂でやった時のことである。昼食時みんなで笑うことになってゐたので、「笑へ」と言う掛け声で皆が一斉に大声で笑った。

尤も掛け声で笑うなんてことは無粋だが、不思議なもので、いやいや笑ってゐてもその内、笑いの渦に入ってゐるのに気がつく。食事は愉快に越したことはない。さてそれから午後の修練が始まるまでの暫時、天風先生が青年達の質問を聞く時間が設けられた。一人の大学生が立ち上がって「天風先生は『べ平連』をどう思はれますか。」と聞いたのである。一瞬座がサッとしらけた。

このやうな質問は修練会場では不似合いだ。K.Yもいいところだ。困ったことになったと一瞬私は天風先生の顔を見やった。ところが、先生は表情一つ変へずむしろ笑顔で答へられたのだ。「それは大学で教わりなさい。ここはそうゆうことを教えるところではない。」

一瞬の淀みも気まずさも入る隙はなかった。当時「べ平連」は昨今の「原発反対」「オスプレイ反対」以上に強大な勢力を誇ってゐた。ある有名な教授なんかは「べ平連」の組織こそが会社経営の組織として一番学ぶべき形態である。なんてことを言いだす始末。つまり中核が分からず中心がないのに、その回りを守る掴みどころのない群れの力が異常に強大なのである。

当時ホーチーミンと毛沢東を尊敬せぬ輩(やから)は人にあらずの時代であった。
「ヨーガ哲学では人間がどうしても分からない不可思議で偉大なものを宇宙霊と言ってゐる。これは面白い言い方だ。神とも仏とも言っていない。」
「お前達の霊性の中にこの宇宙霊と通ずる偉大な働きがある。」
「そんなものは見たことがないと言ふものがをるが、それは本心、良心のことだ。」
「諸君の潜在意識を積極的に掃き清めれば自ずと霊性は出てくる。」話しは佳境にはいる。
「諸君の心や身体、 理性や感情や心臓や手足はこの霊性が着ている衣に過ぎない。」
「尤も積極的と言うのは肩を怒らせてがむしゃらに突き進むことではない。春の海 ひねもす のたりのたりかな。のあの気持ちだ。」

学生は、この先生に「ベトナムに平和を!市民連合」の良し悪しを聞いたのだ。健康法の話しをしてゐる時に背広の良し悪しを聞くやうなものだ。昭和43年護国寺に天風会館が完成したが、その年の12月1日先生は帰天された。真新しい会館で葬儀は行われた。葬儀委員長は笹川良一であった。

最後は遠山 満(玄洋社)が自分の上座に据えて敬意を払った中村天風(三郎)であったが、この偉人は既に右とか左とかリベラルとか保守と言ったレベルを超えてゐたのである。その葬儀の中で、愚老は一寸違和感を覚えた事があった。笹川良一が弔辞で「天風君」と君づけにしたことである。

勿論笹川良一氏も社会貢献をし立派な人であるが、何か言い得ぬところて質が異なるのである。関東大震災の東京を見事に復興した後藤新平が心酔し東郷平八郎元帥が最後に「死んで行く時の心の持ち方」について教えを乞うたこの中村三郎(天風)先生を「君」と呼んではいけない。

昭和43年以降愚老は一度も天風会を訪れてはゐない。しかし大して健康法もやらないのに87歳で多少は力が残ってをり、少しでも日本の国を美しいまま子や孫に引き継いで行きたい気力だけは残ってゐる。天風先生のお陰だ。「凧(いかのぼり昨日の空のありどころ。蕪村」 この句はいろいろの鑑賞が出来るが、愚老はふと凧は大和魂で昨日の空は神武以来ずーっと続いて来た日本人の美意識そのもののやうな気がしてならない。

そして天風先生は見事に舞い上がった大和魂そのものであり、具現者であった。 三国連太郎が亡くなったがNHKが待ち構えてゐたやうに彼の反戦思想の部分のみを誇大に取り上げて早速放映し頭の先で考えた浅薄な理論に若干の情をまぶして如何にも視聴者の先達のやうな面をして喋る朝日のニュースキャスター、こう言う悪い環境の中で育ちながら、毅然としてわが国に誇りを持ち、国を守ろうと立ち上っておられる40歳代前後以下の若い方々に萬斛の敬意と期待を表します。

天風先生の真の意志を継ぐのは貴男女達ですから。決して明治維新の精神でも西欧の近代文明や民主主義でもありません。それは我々の血の中を流れる日本民族の血なのです。


(つづく)


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一阿の 「昨日の空」Ⅱ-2

1) 観念要素の更改とは 潜在意識を「暗示」を利用して掃除することです。どんな人間でも1日に二度大変暗示にかかり易い時があります。暗示感受性能の上がる時です。それは夜眠りに入る直前と、朝目が覚めた直後、まだ覚め切らないで、ぼーっとしてゐる時つまり実在意識と潜在意識の接点です。

この瞬間に考へたことは確実に潜在意識に沈み込んでゆく。このことを心理学から発見した時の喜びを先生は声をつまらせて語られるのでした。

――天風さんは若いころ頭山満の玄洋社で「人切りで天風」と恐れられ、日露戦争のとき軍事探偵として勇名を馳せましたが、戦争後肺を病み、死ぬのが怖く哀れな男に成り下がってゐました。これではイカンと先ずアメリカのリンドラー博士(心理学)を訪ねるのです。在米中、華僑の富豪のドラ息子の身代わり学生をつとめ卒業論文(心理学)を書きました。――そして「母上、私はこのやうに価値高いことを思いつきました。これも全て母上から頂戴した頭脳のお陰です。本当にありがたう存じます。」 と感謝されるのでした。

「暗示」の方法は、真剣さが薄れるから一日に一度でよい。寝る前に鏡に向かい自分の眉間を凝視して、「お前は信念が強くなる。」と一言いへばよい。 朝 目覚の時は、鏡を見て 「私は今日一日は信念が強いぞ。」と言う。これでよいのです。

念じる言葉は自分がそうありたいと思うことを言へば良い。タバコを止めたければ、「お前はタバコが嫌いになる。」 朝は「私はタバコが嫌いだ。」・・・。 只 私はここで天風さんの話をしやうとしてゐるのではありません。我々の生活はすべて暗示にかこまれ、暗示によって思考が形成されてゆく世の習いを言おうとしてゐるのです。

だからテレビのコマーシャルは洒落た言葉で、気を引き視聴者の心を掴んで暗示にかけます。人の心がまだ何者にも汚されてゐない純真な状態はとても暗示にかかり易いのです。だから小学生や中学生の日教組による反日 左翼 教育が如何に子供達を損ない国を損なうか、考えると恐ろしくなります。

国歌は歌わす起立もしない教師に教へられた子供はどのやうに育つのでせう。私は国の祝日には日の丸の国旗を朝一番に掲げますが、娘は近所に「お宅は右翼の愛国党ですか。」といつもイヤみを言はわれるので止めて下さいと言ひます。「日本国民が日本の国旗を掲げるほうが普通なんだ。」 と言っても通じません。国全体の潜在意識がこれほど左傾化しているのです。

杉並区は山田宏 前区長のおかげで育鵬社の正しい日本歴史教科書に採用が決まっていましたが、民主党の田中 良さんに替わって途端に取り消されました。そして南京虐殺や慰安婦問題を喋々する悪い教科書に舞い戻りました。この区長はよく知ってゐますが、とても真面目でやさしい良い人間です。しかし暗示が良くなかった。幼いとき日教組の教育を受け菅氏と一緒に市川房枝の鞄持ちをやった。環境や友人 教育やマスコミ 暗示が如何に人を変えてゆくか。

昔 安藤仁兵衛と言う人がゐました。知る人ぞ知る「アンジン」全学連の創始者です。共産党の青年闘士として恐れられてゐました。東大の安田講堂事件も勿論先頭にたちました。愚老は蒲田のしらゆり幼稚園で安藤仁兵衛とはとても仲良しで仁兵衛さん仁兵衛さんと毎日遊びました。家族ぐるみの付き合いです。

私が神戸の小学校へ行くので別れる時彼は立派な写真帳をくれました。今でも大切にしてゐます。しかし彼は中学から水戸高校(良い高校だが当時左翼の人をよく出した)へ行きそれから教授に所謂進歩的知識人や共産党員のウヨウヨゐた東大に行きました。

私は楠木正成で有名な湊川のほとりの神戸二中から海軍兵学校へ行きました。そして全く違う国家観や人生観を持ちます。彼は亡くなりますが、歳老いてから共産党を脱党します。「あまりに非人間的だから」 そう言ってたと従姉妹は言いました。

彼女は仁兵衛さんと仲良くしてゐました。夜寝る前にNHKや朝日や左傾化したマスコミの反日番組を見なかったか。例の雨の降る日の宮城前のあの学生行進を、心ならずも国家に殺されたと反戦に誘う悲しい一方的な番組を。NHKの例の「スペシャルシリーズ-ジャパン・デビュー」を。皆さん時々立ち止まって考へませう。

「私は変な暗示にかかってゐないかな。わが国は戦争に負けて敵国(戦勝国)に蹂躙された時代があったらしい。)」 と。毎日毎日一方的な左翼番組を見て寝る恐ろしさ(一番暗示にかかり易い)を知りませう。本心 良心に帰る瞬間を持ちませう。

あさみどり 澄み渡りたる大空の 広きを己が心ともがな 明治天皇御製。

「昨日の空」 は とても美しかったのです。何十年かかろうとも我々国民の手で教育とマスコミを正しくしてゆかなければならないのです。わが国を美しいまま子供や孫に渡してゆく為に。


(つづく)


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一阿の 「昨日の空」Ⅱ-1

「皆さん。潜在意識こそが宇宙の無限の力を我がものにする宝庫なのであります。」 中村天風先生は護国寺 月光殿の演台に立っておられた。昭和27年2月のことです。

当時愚老はまだ大学生で、友人にさそはれて、丸山福山町の中村天風先生宅を訪ねてゐました。私にはどうしても助けて貰ひたい人がゐた。その人は臨終に近かった為既に「終油の秘跡」を受けてゐた。カトリック信者であった。

「その大切な人の写真を見せてごらん。」先生は私から一枚の写真を受け取られ、じっと凝視して、「この人は死なないよ。」 「私が思念を送る。」 「君も必ず元気になる。と一心に思念を送り給へ。」 「明日から護国寺で私の話しがあるから聞きにおいで。」 先生は76歳であった。

天風会館はまだ出来てゐなかった。月光殿での先生の話は続く。
「皆さんがこうして私の話を聞いて成る程と思う。これは実在意識と言うものだ。然し人間には潜在意識と言うものがある。」
「これは寝てゐる時てもちゃんと働いてゐて朝になると目が覚める。」
「中には永久に目の覚めない人もあるが。(笑い)」
「この寝てゐる時に働いてゐる意識が非常に大切なんだ。」
「諸君が私の話を聞いて心洗われ、よしやろう と元気が出ても、あくる朝になると元の黙阿弥になるのは、諸君の潜在意識が汚れてゐるからだ。この潜在意識を綺麗にしなければ病気も直らなけば運命も良くならない。それは潜在意識が微妙なところで自律神経に関わってゐるからだ。」

先生は昭和43年12月1日92歳で帰天された。何度聞いても感銘を新たにした。天風会は財団法人であり宗教法人ではない。人間にとって最も大切な境地に到達する方法を分かり易く教へる所だ。

愚老は数ある本の中で、宇野千代の「天風先生座談」と先生の自著「真人生の探求」(護国寺の天風会館で入手可能)が良いと思ってゐる。私はいままで会った人の中で先生ほど人間として尊敬出来る人はゐないと思ふから教へられた方法を時々実行してゐる。先生の落第生だ。天風会員でもない。

先生は潜在意識を積極的(肩に力を入れずに春の海のやうにのんびりと明るく前向き)にし宇宙に満ち満ちる力を一身に引き受ける方法をわかり易く教へられた。
「人間には自分には思いもよらない力があるものなんだ。火事場の馬鹿力と言うだろう。」

大正時代から昭和43年まで語り続けられた話しをブログの数十行で語り尽くすことは出来ない。ただ大きな本屋には「天風コーナー」があって佳い本が沢山並んでいる。

しかし極めて簡単に言うと天風先生には3つの方法がある。 1)観念要素の更改 2)積極的観念の集中力の養成 3)神経反射の調節 。以上三つだ。

「凧(いかのぼり)昨日の空のありどころ。」 凧は実在意識で昨日の空は、潜在意識だ。紺碧の空に元気な日本の凧を揚げやうと思へば、我々の潜在意識をチャンと掃除をしなければならない。今、北朝鮮がミサイルを撃つかも知れないと騒いでゐる。勿論 現実の対応は必要である。しかし国を守る予算が1%を超えたと言っては罵詈雑言を浴びせかけ、平和平和と言ひ暮らして70年。今になって国防国防と騒いでもはじまらない。

テレビて北朝鮮の脅威は「天然痘」の生化学兵器と小型潜水艦だと如何にも軍事通ぶって言う人がいる。当たり前のことだ。戦前であれば中学生でも分かることだ。スパイ防止法もなく、朝日新聞の如く国際連盟でけりのついたことを今更のやうに蒸し返し「南京虐殺」の一大キャンペーンをはるマスコミもある。菅や仙谷の時代でなくてよかった。国家自体の潜在意識が左に傾いてゐる中で、実在意識の世界(目に見へる現実の世界)で国民を現実に守る。安倍さんもこれは大変だ。

正に実在意識と潜在意識の捻れ現象だからです。ではどうすれば、目に見へない心の中を掃除して、わが祖国を愛し身を捨てて国を守る清々しい潜在意識にしたらよいのか。それこそ天風先生の積極精神による。1)観念要素の更改 つまり暗示を用いた心の奥底の掃除でせう。70年かけてこんな国にしてしまった教育(日教組)とマスコミ(NHK 朝日始め殆どのマスコミ)を国民の力で変へて行くしかないのです。

いつですか? 「いまでしょう!」

(つづく)

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一阿の 「昨日の空」Ⅰ

凧(いかのぼり)昨日の空の ありどころ 蕪村

昭和11年出版の「郷愁の詩人・与謝蕪村」で萩原朔太郎は 蕪村に現代詩のこころを観てゐます。つまり今日の空はこの目で見えますが、昨日の空にたどり着くには、一旦今日の空を自分の空にしてしまわなければなりません。これはもう現代詩の境地です。

だからリルケ も シュピルビェル も 俳句に衝撃をうけ影響されました。リルケは、「マルテの手記」や「悲歌」で有名ですが、シュピルビェルは余り知られてゐません。彼は戦後の大岡 信 谷川俊太郎 飯島耕一等の出発に大きな影響を与へました。虚子は昭和11年5月7日パリ牡丹屋で催された虚子先生歓迎茶会に出席してゐますが、この中には先のシュピルビエルやジャコテほか10人程のフランス詩人がゐました。

後日ジャコテは仏語の原書で「其角 LES HAIKAI DE KIKAKOU」を著はしてゐます。絵画の世界でも印象派のジャポニカ運動は有名ですが、詩の世界でも日本人の美意識は世界の文化の最も高いレベルにありました。蕪村はあのワーズワースやゲーテやバイロンより前に活躍してゐるのです。

ところが、どうでせう。全部とは言いませんが、戦後の芸術家や文化人や識者と言われる人達の日本嫌いやビクビクした態度は目に余るものがあります。ノーベル文学賞を貰った某者なんかは、陛下が下される文化勲章は嫌で拒絶し、ダイナマイトを造った罪滅ぼしの賞には尻尾を振って飛び付く始末です。

彼は最近ではオスプレイ反対だの原発廃絶だのと言って飛び回ってゐます。敗戦直後、芸術家達が藤田嗣治に対してとった態度もよく似てゐます。モディリアーニやスーチンや ピカソやアンリ・ルソーと親交のあった嗣治は戦時中日本人として当然護国の為戦争の絵を描きました。

海軍兵学校の教育参考館には大観の富士山の絵と一緒に空中戦を描いた藤田嗣治の見事な絵もありました。最近観た彼の「ガダルカナル激戦の絵」に愚老は感銘を受けました。モノクロに近い暗いブラウンと闇の中に生と死がうごめいてゐる情景は極限の美とでも呼べるものに思へました。

しかし芸術家と称する当時の絵描き達は言うに及ばず、マスコミ、識者、学者、評論家、市民達は一斉に「戦争協力者」のレッテルを彼に貼り国外に追放してしまうのです。彼は日本人の国籍を捨て、フランス人として生涯を過ごします。昭和43年に82歳で亡くなりますがその2年前80歳であの有名なランスの礼拝堂の装飾としてステンドグラスとフレスコ画を残します。人のこころを安らかにするこの静けさこそ本当の日本人の美意識かも知れないのです。

オスプレイ反対で走り廻るあのノーベル文学者より少なくとも日本人として真っ当です。藤田嗣治はスイスで息をひきとりますが、或は無意識のうちに蕪村の「昨日の空」を夢み少年の日の「凧(いかのぼり)」を揚げてゐたのかも知れません。愚老は時々テレビで「なんでも鑑定団」と言う骨董好きな番組を見ますがあの中島誠之助さんまで「その白磁の壷は秀吉の朝鮮侵略の時殆ど壊されてしまったので・・・」と説明してゐるのに出逢いました。

あの元官房長官 仙谷が自然な貌をして、自衛隊を「暴力装置」と言うやうにです。我々の時代には秀吉の「朝鮮征伐」でした。それが国民の常識でした。今は「朝鮮侵略」です。 敗戦後幾星霜を経て、やっと「防衛省」ができ、憲法改正の話も出来るやうになりました。政府も時には保守になり時にはリベラルになり鷹になり鳩になり社会主義じみた政策を掲げたり保守の姿を取り戻したりします。

しかし国民の潜在意識の底を流れてゐる意識は敗戦直後からどのくらい変わったのか甚だ疑問です。潜在意識に一番影響を持っているのは教育とマスコミです。この二つを変えない限り強力な力を持ってゐる国民の潜在意識を変えることは出来ません。昔の日本人のやうな誇りと自分の国は自分で守る当たり前のこころは戻って来ません。戦争に負けてから68年日本人の潜在意識は再建の方向に向かって殆ど変わってゐません。

今やっと安倍政権が出来、真正保守の芽を出そうとしていますが、マスコミと言う難物が控えてゐます。政治は潜在意識との戦いだからです。自分の国の憲法は自分で作り、自分の国は自分で守ると言うごく普通のことさえままならないのは、我々日本国民の潜在意識が教育とマスコミによって汚されてしまったからです。

潜在意識については次に書きます。余程の覚悟をもってかからないと日本の国を立て直すことは難しいのです。

(つづく)

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一阿の 「友人からの便り 『梅の奥』」2

 少し蛇足を申し述べさせて戴きます。

 天皇を中心に戴き、国民が天皇をお支えし、お守りしてきた国柄、、天皇もまた「国民は大御宝」というお気持であられ、国民を信頼してきた国柄、 このことが、一番よく顕れたのは、終戦の時だったのではないでしょうか。

 ポッダム宣言受諾に際し、日本政府は「天皇陛下を頂く国柄が変わらないと理解して宣言を受けいれる」と回答しました。
 これに対し、連合国側は、「それは、今後、国民の意思によって決められる」と回答してきました。
 我が国の軍部は、これでは、受諾できないといって、陛下に受諾の再考をお願いしました。

 しかし、陛下は、次のようにおっしゃられました。
 「それでよいではないか。たとえ連合国が天皇が治めることを認めても、国民の心が離れたのではしょうがない。国民の自由意思によって決めてもらって、少しもかまわない」

 そして、「終戦お詔書」の中には「忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ」のお言葉があり、

 翌昭和21年元旦の「詔書」にも、「朕ト爾等臣民トノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」とのお言葉があります。

 このあと、9月27日陛下はマッカーサーをご訪問になられます。

 この時、マッカーサーは、陛下の無私のお気持、国民に対する慈愛に満ちたお気持、即ち、国民を「大御宝」と思われるお気持に、大きく感動させられます。

 そして、陛下を退位させ、あるいは戦犯とするなど、天皇を中心とする国の在り方を壊したら、円滑な占領行政は、とても遂行できない、と覚りました。

 以上は、よく知られているところであります。

 私は、この時、マッカーサーは、同時に国民の天皇に対する気持、有史以来、天皇をお支えし、天皇を中心に頂いてきた国民の気持をも覚ったのであろうと考えています。

 このような天皇を頂いてきた国民を、いかに天皇を捨てさせようと煽動しても、この国の国民は、容易に動くものではない、このことを覚ったのであろうと考えています。

 戦争に負けると、王制は滅びるのが通例である西欧の「立憲君主国」とは、全く異なる国柄であることをを覚ったに違いありません。
 私は、このような考えから、終戦の時、曲りなりにも、我が国の国柄を維持することができたのは、 我が国民の天皇に対する気持、いわば国民の力も大きく預かって力あったと思っています。

 有識者と称する人たちの中には、日本は、いつまでも、古くからのものを引き摺ってきている非難する人たちがいます。
 でも、そのように言う彼らは、結局、アイデンティティを捨てよ、と言っていることになるのではないでしょうか。


(了)


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一阿の 「友人からの便り 『梅の奥』」1

 「貴兄の梅の奥を読んで感想を申し上げます。・・・国の在り方を育てるのは、国民である」という命題になりましょうか。

 神話まで繋がる天皇陛下を中心に頂く我が国の在り方は、歴史を紐解けば、古い時代から、幾つかの危機に遭遇しながらも、それを乗り切ってきました。

 皇位を奪い、自ら王位につこうとする者は、歴史上、何回か現れています。
 それを乗り切って、男系による万世一系の皇位継承が育てられ、確立されてきました。

 そのように国の在り方を育て、確立させてきたのは、大きな意味、広い意味での国民である、ということができましょうか。

 有史以来、我が国は、陛下が中心におられ、国民と一体になって、存続してきた国家で、革命による王の交代もなければ、征服者が王位についた歴史もありません。

 古来、代々の陛下に受け継がれてきたお気持は、国民を「大御宝(おおみたから)」とお考えになられるお気持であります。

 このような意味で、我が皇室は、西欧やアジア大陸の王室とは、全く異なるものであり、世界に歴史上存在し、あるいは現に存在する諸王室の中の一つのように説くのは、誤りであると、私は考えています。

 このことに関連するのですが、憲法改正について、「『立憲君主国』と明記すべきである」との意見があります。しかし、私は、このような意見に賛成することはできません。

 「立憲君主国」とは、もともと君主と国民が対立し、国民を代表する議会が憲法を制定し、君主に対し「これに従って、統治せよ」と迫った結果、生まれた国の在り方であります。 君主と国民の対立が根源にあるのです。

 しかし、我が国には、そのような対立の歴史はなく、天皇を中心に国民と一体である在り方をしてきているのではないでしょうか。

 我が国の歴史にも、時に影の部分があることを、肯定しなければならないことは、言うまでもありませんが、・・・


(つづく)

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寝言の 「最近思うこと」 (2) ―自主性について―

 自主性とは、他の指示・援助を受けず、自力で行動すること。これは辞書的解説です。前稿で「手順の重要」について触れ、思いだしたことが有ります、小生囲碁を少し嗜みますが、囲碁では、手順の前後で結果が変わる、ことがあるのです。

今稿の標題に関して云えば、囲碁に「石音の方に気を取られるな」と云う教えが有ります。「相手打った手に気を取られず、冷静に大局的に対処せよ」と云うことです。

 自主性、は「唯我独尊」的「自己主張」を意味していません。現在アメリカや中国は覇権を求め、特に我が国に対し、圧力をかけています。我が国の自主性は、道義の国を目指しています。自国にとどまらず、人々の幸福増進することを願って、行くべきです。

 前例として、敗戦により、歴史上、殆ど無視されていますが、大東亜会議における、「宣言」が有ります。昭和18年11月6日でした。

此の会議は「史上初、有色人種による、首脳会議」であり、正に覇権に対する、道義の抗議ともいえます。

 然し現実は、国内で憲法の自主制定すら、道遠いのです。ここからのスタートです。何を志すにしても、現状認識我大切です。囲碁においても「対局中、2、3回立ち止まって形勢判断する」と教えられていますが、改めて現状に触れてみます。

 現状は『Noと言える日本』(石原慎太郎著)が書かれた当時から一歩も出ていません。
 少し遡りますが、「三島由紀夫氏の死の諫言」すら社会は冷笑したのです。
 主たる原因は占領軍の「ウォーギルトインフォメーション」なる統治方針だと思います。最近は中国の台頭で更に重しが増す状況なのです。

 然し、成果はまだ十分ではありませんが「日本を取り戻す」気運は確実に上がって居ります。政権発足三かとしては寧ろ望外と云えるのです。

 これから、国民の意識を変えるため、最も有力な手順は、政府による、「〇〇の事実検証委員会」の設置でしょう。〇〇については、手順を考え、一つ一つ反応、効果、方法、を考え実行してくれることを望みます。
 教育問題・マスコミ問題に大きな効果、影響が期待されます。

 東京裁判史観は殆ど学者、識者により論破されています。委員会では恐らく事実が捏造を抑え、参加マスコミ、左翼学識者、の立場を失墜させることになるでしょう。
 これにより国民の意識正状化に大きく貢献するでしょう。
 
 さて、ここで、我が国と対峙する国の状況を見ます。素人の見方ですが「アメリカ」は依然として、財政に不安を抱えています。製造業(工業)が弱いのです。移民の流入も多く、アングロ系の白人が50%を割ることは、生活援助、教育、等新たな問題を抱えるでしょう。

「中国」は労働力の安さが強みでしたが、其の特質も少なくなり、大得意先のヨーロッパ等輸出が減少。又不動産、インフラ、等に頼る国内投資による経済成長も鈍化して、内部矛盾が顕在化しそうです。
彼らが力による暴走をしない限り、我が国はアベノミクス効果を経済成長に繋ぎ、自主性を回復する、チャンスと考えます。

 西欧の覇権争いに将来を悲観したアインシュタイン(物理学者)が来日した時「一系の天皇を戴く日本という美しい国を地球上に残してくれた、神に感謝する」といつたことは知られていますが、道義の国を目指して、自主性を追い求めていくことの、意義を心に深く刻みましょう。

何といっても国民が主体です。外国の賢人たちの日本礼賛は数百年の歴史の中に、記録されています。戦後社会の常識が外国のプロパガンダに載せられた、ことを事実検証によって知り、自信と、明るさ、と使命、に目覚めることが大切です。

                 
(終わり)


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寝言の 「最近思うこと」 (1) ―手順を追うことの重要性―

 安倍政権の発足から約3カ月経過しました。早々と政権の撲滅を意図した、マスコミも、「経済浮揚」に重点を絞り、デフレ脱却の為、日銀の全面的人事改革を成功させ、平行して財務官対策を前進させている現状では、株高、円安、の追い風もあり今は、攻め所を失っているようです。

 更に安倍政権の優れた手順の一つに歴史認識の確認が有ります、国会審議の中で、近現代歴史問題を一点一点、正しく断じて国民と、世界に宣言していることです。国会審議ですから、当然質問議員の、問題意識が大切です。最初に(寝言)が快哉を叫んだのは、2月12日、「維新の会」石原代表の質問でした。

独演会との批判もありましたが、「現憲法は我が国に主権のなかった被占領下で、アメリカによって強制施行されたものであった」又「A級戦犯裁判は法理に基ずかない力による断罪であった」と総理、答弁を引き出しています。

3月8日には同党中山議員の質問から「朝鮮(韓国を含む)の創氏改名。従軍慰安婦問題について、共に歴史的事実は無かった」更に日本統治の世界に例のない優れた事実を当時の新聞(朝日)、写真、で説明。子供の教育問題も絡め、国会、政府、対応を迫りました。検討の場に朝日新聞の立ち会いを求めた、のが印象に残りました。
 
安倍政権の対応は、朝鮮問題は質問に反論は全くなく「正しいことも政治的環境を整え手から」と云う信念が見えました。今後此の国民、世界、に国会審議によって発信する、手法を望みます。プロパガンダには事実で、が最高の対策です。
 
NHKが此の中継を(著作権)を盾に削除したのですが、朝日同様「反日マスコミ」に対する国民世論の喚起、認識、に大きく貢献?しました。恐らく政治的環境も整ってくるでしょう。
 
次に安倍政権は尖閣沖で、自衛艦に対する、中国艦船からの射撃用のレーダー照射した、ことに対し事実確認を行った上で、「国として謝罪」を要求しました。此の事は恐らく、戦後初めてのことです。中国では、外務、海軍、党、等、シドロモドロ内部調整の上「艦長の独断」として「国としての謝罪」は避けました。いずれにしても中国の対外的威信の低下になりました。

 改めて聖徳太子の「気概」を思い出します。事実を正確に把握したうえで抗議すれば、これに対抗出来る方法等ありません。安倍政権の「強い日本」を取り戻す、の真の意味は道義に従って判断行動することです。直ぐに軍事問題として、批判する左翼の一つ覚え、浅はかで、底が浅い。軍事としての「強い日本」は手順として、まだ後になるでしょう。政治的環境が今一つと思います。

 以上安倍政権の3カ月で見えた、感想です。まだまだ問題山積です、多くの課題を成し遂げるために、―正しい手順を追う―ことの大切さを改めて感じました。更に中山議員の質問に含まれる、「教育問題、マスコミ問題」も次の手順に入る事を期待して、終わります。


(寝言の 「最近思うこと」 (1) 了)

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一阿の 「梅の奥」

梅の奥 誰やら住んで 幽かな灯   夏目漱石

何気なくめくってゐた句集の中に此の句が目に留まった。流石に漱石は凄いと思った。愚老なんかは、今年も梅の季節が来たか、で済んでしまうものを、漱石は梅の花の奥を覗きこんで、村人の侘び住まいの灯を観てゐる。寂しいけれど何やら温かい。梅の風情そのものだ。とやたらに感心した。

それと言うのも、「梅一輪 この世をのぞき 見るごとく 青星」 と言う 銘吟が頭の中をよぎったからだ。だが、よく考へて見ると漱石の句はそんな深読みをするよりも、「梅林の奥に人が住んでゐて」と素直に解するのが自然なのは当然である。

詩人 那珂太郎は「句はそれを読む人によって育てられる。俳人は読者の鑑賞をいざなう装置をしつらへるに過ぎない。」と言っている。 国家を俳句に例へるのも何だが、日本国を創建した八百万(やおよろず)の神々を俳人に例えると読者は国民と言うことになる。

国体と言うものをどう解釈しどう読むかは勝手であるが、万世一系の天皇を中心にした心の繋がりだと言うことだけは間違いあるまい。

大東亜戦争の戦勝国はキリスト教を信ずる白人であった。彼等は日本人と言う黄色人種を何とか再起不能にしたかった。不気味で静かで恐ろしいほど強靭でそして優しい。山川草木を神とする不思議な宗教を信じてゐる。こんなものを残して置いては我々白人の子孫の為にならない。

中国は当時支那と呼ばれ大将は蒋介石で、北から毛沢東率いる八路軍に攻め込まれ、ボロボロになった自国をなんとか存続させやうと、目に涙をためてルーズベルトに救済を哀願してゐる最中だったし、韓国はまだ我が国の属国で朝鮮と呼ばれ、近代社会のありかたを教へてもらってゐる最中だった。

これらのことは 「九太郎 憂国の詞」 や 水間政憲さんの本に詳しい。つまりわが国は戦勝国=白人達によって日本の国体と思想をねじ曲げられたのだ。俳句で言うなら言葉の装置と読者の鑑賞力を白人風に変へられてしまったと言へやう。 「梅の奥 誰やら住んで 幽かな灯」を、「梅の奥 誰やら死んで 幽かな灯」 「す」を「し」 に変へただけでこんなにも意味が変わってしまふ。

ましてその俳句を鑑賞する人の心まで変わってしまっては漱石の句は支離霧散、どこかへふっ飛んでしまう。例えば、男系男子の皇統を女系に変へやがて大統領制へ移行でもしてごらんなさい。これはもう日本の国ではないのです。荒唐無稽な話ではない。皇室にいささかの尊崇の念もなく他人ごとのやうな共産党や民主党の左派の連中そして朝鮮人や支那人が左翼の集団によって完成した人権法案や地方主権を盾に一県一県乗っ取ってゆく悪夢は悪夢と言い切れない恐ろしさを残してゐます。

昔は白人達の傲慢ですみましたが、今は驥尾についた青蠅が煩く「歴史認識」と唸りたててぶんぶん飛び回ります。世界で最も僻みっぽいと言われるこの民族はなにをやり出すか知れたものではありません。また目的の為には手段を選ばぬ身勝手な民族が軍事力を倍々と増強しながら尖閣諸島の西に控えてゐます。

そして何より怖いのは、かって日教組のドン輿石を幹事長に赤旗を振っていた連中をずらりと並べた民主党が我々国民の上にゐたと言う事実です。俳句でいふ鑑賞者の心を変へて行ったのは実に「日教組」なのです。我々は「アベノミクス」と言って騒いでいますが、安倍さんの「生命がけの道造り」の陰で自民党にはまだかっての鳩派の連中は残ってゐますし、朝日 NHK はじめ進歩的知識人の偉い先生方が隙さえあれば何でもありの自由気ままな左翼社会に戻そうと頑張ってゐます。「わが国」を「この国」と称しながら・・・。

ガラス瓶子は思ふのです。本当に日本の国は敗戦から立ち直ったのだろうか。目に見えない世界では日本の文化や言葉や心はぼろぼろになって復興どころか敗戦直前なのではないだらうか、と。目の前のことや、目に見えることだけでなく、大きな流れの中でわが国がとても変わってしまったことを考え直さなければならないのではないでせうか。戦前を20才前後で生きてゐた年寄り(90才前後)はお迎えが来る直前にそう思うのです。

「凧(いかのぼり)昨日の空のありどころ 蕪村」 「今日の空」 ではなく「昨日」の空なのです。 昭和20に比べると今の世の中は大変便利で楽になりました。しかし敗戦後大事なことを何もやらず間違った方向に走ってゐたのではないだらうか。「戦後レジームからの脱却」を指し示す安倍さんと一緒に先ず第一歩からやり始めなければならない。二度と間違いを繰り返さないやうに。 敗戦直後 共産党や偉い先生方が「反動」「反動」と叫んでお膳をひっくり返した二の舞だけはさせてはなりません。




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寝言の 「年頭に当たって」 その2

---戦後体制からの脱却とは?---

 従来は新政権の発足時に、当面2、3か月は様子を見るのがメディアの常識であり、諸外国でも同じです、お手並み拝見、と云うことでしょう。

 然し安倍政権に対しては、発足まえから反対キャンペーンが殆ど各社から起こりました。此の理由の一つは彼らこそ「戦後体制」の既得権益者だからです。電波使用権問題もその一つでしよう。然し一般の国民には此の事の善悪は理解できないと思います。少しあくどく、例えばN H Kの平均年収が、1800万と云えば、おやっ、と感じる筈です。

 政権は特に給与問題を問題視しているのでは有りません、むしろ、報道内容が反日プロパガンダに沿ったものが多く、加えて、親日的報道をカットしていることを当然の権利としていることです。新聞も同じ傾向です。例えば朝日等は平然と「安倍を潰す」ことが社是と公言する、主幹が居ました。当然報道倫理問題となります。これも「戦後体制」なのです。

 戦後四分の三世紀も経ての挑戦です、国内は勿論国外も含め大胆かつ慎重な行動が大切でしょう。

 政権は経済問題にロケットスタートを切りました。前稿にその成果と反応について書きましたので、略します。大胆な意志が様々な反応を見せ、今後の作戦に大きな情報を得ました。

 其の一つが円安に対する、外国の慌て方です、今まで円高で得てきた利益を失うからでしょう。非難する国が多いのですが、平然とやり過ごすことです、素人ですが、円高も戦後体制の一つと云う面もありそうです。

 いずれにしても、日本のファンダメンタルの強さ回復を警戒しています。(経済)も(外交)も(戦争)も敵を打ち負かすのが目的とすれば同じ性格といつて良いのです。日本の経済ファンダメンタルは人材力、技術力、資金力、です。

何れも強いのですが、小生は人材力に注目しています。他の二点は他国も其れなりに強化しますが、人材力は簡単に追いつかないでしょう。我が国では「働く」ことは「傍を楽にする」ことなのです。自己の収入だけを目的とする他民族との違いは決定的ですグループのチームワークの基となり、客に喜んで戴くことを自己の満足とする、民族の伝統なのです。先日或るテレビ番組の中でアメリカの工場の壁に大きく「KAIZENN」と書かれているのを見ました。

 マニュアルに従って時間内だけ働く他国と、職場の能率、製品品質の向上等も仕事の一部とする日本人の態度を参考にしたのです。

 此の現象は前大戦の開戦前に似ています。日本文明の特殊性に対する他文明の違和感と云う、構図なのです。安倍政権は東南アジアを重視、最初の訪問地としました。ビルマも含みます。これらの国は親日国であります。これにインド、オーストラリアを加え静に中国に対する、安全保障も兼ねて、経済発展で手をつないだのです。

戦後体制を強いたアメリカも反対できません。中国も反論しませんでした。世界には反日を公然と叫ぶ国は殆ど有りません。御存じ北東アジアの3国だけです。安倍総理は広い視野と真の歴史事実、に基ずいて、行動していると思います。

 オバマ、アメリカ大統領との会談が待たれます。波風は立てず、シレッと国益を守ることでしょう。タイミングは絶好と思います。「好事魔多し」と云います、先は長いのです。願わくば、此のスタートで、党内の団結が強化され一体となって、安倍カラーの推進に邁進すれば、国内の(戦後体制)の脱却も国民の理解を得ながら一つ一つ可能になるでしょう。

 以上期待を込めながら、愚論を述べました。


 追伸:アルジェリア事件の為、幻となった、安倍総理のインドネシヤでの演説原稿について、朝日社説で評価したとのこと、主幹が変わると社説も変わるのか、(脇阪紀行委員)  確かに原稿は立派なものでした。朝日の今後に注目ですね。トントン拍子はむしろ警戒すべき時でしょう。
                  
(終わり)


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一阿の 「知友からのメール」Ⅱ

 貴兄の「謹賀新年3」及び「知友からのメール」、拝見いたしました。
 「観念が一人歩き」しだすと、正に「水戸黄門の印籠」です。「人権」、「人命」、「平和」、「話合い」・・・。
 これらの「観念」を前に突き出し、「この観念が目に入らぬか!!」
 我が国では、みんな、ひれ伏してしまい、「恐れ入りました」  一言の反論も許されません。

 また、勝手なことを申し述べますが、アルジェリアにおける武装勢力の襲撃への対処について、
 人命尊重を絶対視して、話合い、武装勢力の要求を容れて、「武装勢力に身代金は払います、自由に退去することを認めます。」
 なんていうことをやっていたら、武装勢力は、ますます勢力を拡大し、武装を強化し、更に更に無法な行動を拡大していくでありましょう。

 犠牲をはらってでも、武装勢力を一人でも多く殺し、資金を枯渇させる方途を講じなければならない。
 そう決断したアルジェリア政府の武力行使に対し、我が国では、これを非難するのが大勢のようです。

 しかし、アルジェリア政府としては、我が国からどんなに非難されても、それしか武装勢力を弾圧し、国家を維持していく道はないのではありますまいか。
 英国、フランスなどは、ようやくアルジェリア政府の「犠牲もやむなし」として選択した武力行使に理解を示しはじめました。

 さて、我が国は、今後どういう態度をとるでありましょうか。
 
以上

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寝言の 「年頭に当たって」 その1

 今年の正月は例年になく爽やかで、明るい気持ちで迎えることが出来ました。昔は1月1日になると「年が明ける」と云い、全国民が等しく加齢しました。所謂数え年です。子供心に「年の始めのためしとて、終りなき世の目出度さを---」と唱歌したものでした。正月は子供心にも、爽やかで、明るい気持ちになったものです。

 さて小生が、例年になく何故こんな気持ちになったのか?と云いますと、民主党が選挙に大敗、退陣したことも一因ですが、何より安倍自民党が大勝したことが、主因なのです。

 昨年9月に行われた自民党の総裁選に、立候補が遅れた安倍氏が、決選投票に持ち込み総裁に選出されました。此の事も「神懸かり」的雰囲気でしたが、その後、あらゆることが、事前に予想されないうちに、トントンと進行しました。当ブログでは政局に一喜一憂する感想は述べるべきでない、と思っていましたが、安倍総理の登場は「戦後体制からの脱却」と云う志を持つ「気宇壮大」な政治目標を掲げて、再度の挑戦をしたのですから、単に民主から自民へと云う政局の変化とは基本的に同列に見ることは出来ないと思います。

 「気宇壮大」とは国内問題にとどまらず、世界的な問題を含むからです。当然政権は、広い視野、と長期時間的視野を持って、戦略を立てる必要がありますが、総理は発足後、1ヶ月にしてその片鱗を見せています。アメリカ、ロシヤ、イリギス、中国、等も揃って反応を示しています。これも稀有なことです。政局ではありますが、安倍総理の成功を祈って、気持ちは参加したつもりで愚論を投稿することにいたします。

 次に 安倍氏の決意と心境 について述べます。

 安倍氏は、一次内閣失却後、「例え正しいと思うことも“政治環境”が整わないと実現出来ない」と語っていました。自ら至らぬ点を反省し、多くのことを学んだのでしょう。

 5年間に、インターネットの急速な世界的発達が有り、苦い経験をしたマスコミ対策も十分意識されていると思います。安倍氏は、国民(特に若者)の閉塞感を打破し高揚感を高めることが、「総ての基本になる」と考えたと思います。政権のスタートにあたり重点政策の中心を「経済の発展」にしました。評価はともかく、アべノミクスと呼ばれています。デフレからの脱却に、強い意志を明確にしたのです。
 
 戦後体制に慣れ切った、日銀・財務官僚・マスコミ、にパンチを浴びせました。
 
 急速に円安・株価上昇、が起こり、市場の先行期待感ですが、現実的事実と云えます。危惧、反論、も盛んですが、経済界は歓迎一色、に湧いています。円安には、海外も注目していますね。

 さて安倍政権のスタートは、日本海海戦で大戦果を揚げた、「トーゴーターン」を思わせます。バルチック艦隊をウラジオストックに入れない、と云う国の浮沈を賭けた目標を達成させる為、意表を突いた作戦でした。秋山参謀は一撃の後、七段階の作戦を用意しています。夜の水雷艇による攻撃、最後はウラジオ港外に敷設した機雷原に誘い込むと云う「大胆にして細心」なものでした。作戦を裁可した東郷司令長官の激戦の中微動だにしなかった胆力こそ、総理も学んで戴きたい、と思います。

 然し安倍氏もやるべきことは着実に進めています。最初の外遊は東南アジアでした。経済的目的もあり、中国の覇権主義に対する、外交戦略の一端を静に布石したのです。 安倍氏は無私無欲、そして一貫した目標を持っています。此の本質を知った、国民の美意識が「神懸かり的」支持となったのでしよう。

 小生も目の黒いうちに、戦後体制打破が一歩一歩行き足(海軍用語)がつくことを
祈って終わります。


(寝言の 「年頭に当たって」 その1 了)

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一阿の 「知友からのメール」

愚老の「謹賀新年」 を読んだ知友からのメールです。

*****

 貴見を拝見いたしました。以下は、拝見しながら、想い付いたことのメモです。

 ① 何故、連中は、「国防軍」という言葉を嫌うのであろうか。
 「軍」という言葉を嫌う。それは戦後教育で、「軍」を備えるから、戦争を招く、と教えたからである。
 「軍」があるからこそ、他国からの侵攻を抑止できるということは、絶対に教えない。
 
 もう一つ、「防衛」という言葉は、通用しているのに、何故、「国防」という言葉は嫌われるのか。おそらく連中は、「国」という言葉が嫌いなのである。
 要するに、連中は、国家意識を排するのである。住民ではあっても、国民であることを嫌うのである。

 ② 熾烈な訓練によって、「なにくそ」という精神が生じる。
 この精神なくしては、競争には勝てない。耐える精神があってこそ、競争に勝つことができるのである。
 
 しかし、戦後の我が国の教育は、「勝敗」を嫌う。競争するのではなく、みんな仲良く、平等であるべきだとする教育である。
 そんな生易しいことを言っていたら、経済でも、外交でも、負けてしまうことは、目に見えている。何故気が付かないのか。
 
 やや飛躍するかも知れないが、いじめの問題だって、もう一度考えてみなければならない。
 「いじめを受け、体罰を受けて、自殺」ーー「悲惨なことであり、絶対にあってはならないこと」 そのように言うことは易い。
 しかし、もっともっと大事なことは、「いじめ」にあっても、「なにくそ」と耐える強靭な精神を養い、植え付けることである、と私は考える。
 国際関係だって、強国が弱国に、外交的、軍事的、経済的に圧迫を加えることは、古今東西を通じて行われている。
 
 いくら美名の下に行われるとしても、いずれも自国の利益を図って行なっているのである。
 中国が、周辺の諸国に対して行なっている圧迫も、それであり、いわば「いじめ」である。
 「いじめ」に耐えられる強靭な精神を持った国民が、国を背負っていかなければ、その国は属国になってしまい、滅亡させられてしまうのである。
 明治以来の富国強兵策は、日本を背負っていた人々に、また国民の多くに、強靭な精神があったればこそ、成り立った。
 その結果、日清、日露の戦役に勝利し、列強からの圧迫に耐え、独立を保持することができたのである。


以上

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一阿の 「謹賀新年」3

松の内は初雪で終りました。今年は白雪のやうに新鮮な一年でありますやうに。年の初めですから、最後に「観念」と言ふ言葉について考へました。「観念」(例へば平和と言ふ観念)の落とし穴は「時間」の軸を消し去ってゐるところにあります。宇宙を考へるのに、よく時間空間と言ひます。

「空間」は「たて」 「よこ」 「高さ」で手に触れ目に見へますからよく分かります。しかし時間は目にも見へす゛手に触れることも出来ません。だから「時間とはなんですか」と改まって聞かれると分からなくなります。そこで手元の国語大辞典(全十巻小学館)でひいてみました。次のやうな説明です。

「時間は・・・最近ではセシウム233の同位元素の発光する特殊なスペクトル線の振動周期を基準とする。理論的に古典物理学では、空間から独立した変数、いわゆる絶対時間として扱ったが、相対的理論では、空間とともに四次元の世界を形成するものとして扱っている。・・・」

浅学な愚老にはこれを読んでも全く分かりません。ただはっきりしたことは、我々が時間 時間と言っているのは、空間とそれほど違うものではないと言うことです。ビッグバンと同時に時間も空間と一緒に生まれた兄弟です。生命と言う本来無くてもよかったものがビッグバンのとき生まれました。

ノーベル賞を貰った南部陽一郎博士の理論はこうです。
「ビッグバンと呼ばれる大爆発によって宇宙が誕生したのは137億年前のことだ。宇宙が出来た時に生まれた「粒子」と質量(重さ)が同じで、電気の正負が異なる「反粒子」の性質に対象でない何か異なる要素があった。

その結果、粒子をもとにした物質が、反粒子からなる反物質に対して勝ち残り、現在の物質で構成される宇宙があるわけだ。宇宙が誕生した時、粒子と反粒子は同じ数だけ生まれてゐた。

粒子と反粒子が出会うと光を放ってどちらも消滅してしまふと言ふ性質がある。だからその時粒子と反粒子が全く対称であれば、宇宙は消滅してゐたかも知れない。しかし吾々がここにこうして存在してゐる。それは粒子と反粒子の間に対称でない「破れ」があったからだ。」

これは素人向けに書かれた新聞の記事です。素人は素人なりに独断で考へると物質はやがて生命を誕生させたやうに、もし時間もビッグバンと同時に生まれたとしたら時間にも生命があることになる。人間には分からない関わりで、空間の中に時間があり、時間の中に空間があるのかもしれない。新しい物理学では時間は空間から独立した変数ではないのですから、ビッグバンの前から時間だけがずーっと流れてゐたのではない事になります。

愚老は何故訳の分からんことをクドクド言ってゐるかの理由は、「観念」なるものの愚かさを確認したいからです。「観念」が宇宙と言うとあっという間に宇宙の果てまで飛んで行きます。「平和」と言へば平和がくるやうな、「極楽」と言へば極楽が現前するやうなそんな愚かな錯覚にだけは陥ってはならないのです。そこには「時間」が欠け落ちてしまってゐるのです。

「月」へ行くにはどれほど長い時間と努力がいるか。人類が求め続ける絶対者或いは平和なんて言うものは本来ないのかも知れない。分かった瞬間その人は神であり宇宙はその人を中心に廻らねばならぬ。その人がビッグバンの元になる。そんな馬鹿なことはない。先に「粒子」と「反粒子」が全く対称であればビッグバンのとき両者が出会った瞬間に光を発して消滅してしまうと言った。この光が「神」であり「平和」なのかも知れない。そういふことは有り得ない。

つまり求め続けているものは求め得ないと言うことだ。しかも求め続ける、続けざるを得ない。人間以外の生命、例えば「動物」も「植物」もそんな面倒くさいことはしない。「何故」を捨ててひたすら生きる。そして死ぬ時がきたら死ぬ。人間のみが何故か何故かを問い続ける。だから人は醜い。自然は美しい。そしてこの醜い人間だけが「美しい」と言う「ことば」を持ってゐる。「観念」を持ってゐる。そして観念が「時間」の軸を忘れるとき「愚(おろか)」は極まる。時間の軸を捨て去った時「観念」はとても大きな間違いをします。

例えば昨年のお正月の「一阿年始のことば」は詩人那珂太郎さんの「鎮魂歌」を書きました。その中に

「・・・戦後の高みから、平和時の正論をもって、自らの心の痛みなしに批判し断罪するも者が、/あの時のあなたの立場に置かれたとして、たなた以上に冷静な行動をとり得たかどうか、/ ・・・」

これは極東裁判で死刑判決を受けた若い医学生 鳥栖太郎さんをテーマにした叙事詩の一説です。戦後もっともらしい顔をして戦前を批判する全ての知識人や市民はこの大切な「時間」の軸を捨ててしまってゐるのです。

わが国に「職人」がゐる限り日本は大丈夫だと言う人がゐます。宮大工さん 植木屋さん 陶工 鍛冶屋さん 箒を作る職人さん お寿司屋さん・・等々みんな良い顔をしてゐますね。この人達は観念ではなく手で物を作るからです。時間をかけて自分の「手」で「物」を作ってゆかなければならない。

ところが指導者面をしてテレビの前で喋ってゐる評論家や司会者先生方の顔を見てご覧なさい。良いとはとても言へません。むしろ醜くさえあります。それは大切な「時間」の軸を捨ててしまって「観念」と言ういい加減で未成熟な道具にのみとらわれてゐるからです。ヒト属が145万年前アフリカに生まれたとします。爾来、「空間」(質量)についての研究は随分進みましたが「時間」については殆ど進んでゐません。

法然上人は「唐土(もろこし)わが朝に諸々の智者達の沙汰し申さるる『観念』の念にもあらず、また学問をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。・・・」 と釘をさし、道元禅師は只管打坐と下らん「観念」から離れることを勧められるのです。ところが愚老も含めて日本人の多くが敗戦のショックでまるで「時間」を喪失したやうに、「観念」の大病にかかりました。これを人は「平和の毒」と言ひます。平和なる浅はかな「観念」がどれほどわが国の国力を阻害したことか。

自民党の鳩派の連中(左翼は言うに及ばす) 進歩的知識人 反軍 人権論者 世界みんなお友達の無国籍者・・・考えの僅かの差が67年も経つとこれほど国を痛め尽くすのです。我々の父祖は「時」を必至に歩いてこられました。それを今この「時」に立って「時」を固定し「時」をむしろ捨ててしまって、楽 で 粗雑な「観念」平和なることばでお茶を濁すことだけはしてはならんのです。

それに 隣国の民族、コンプレックスからか敵意からか浅はかな「観念」を振り回して、「歴史認識」と叫びます。それは「確信的利益」なのでせう、自分には何の損害も無く、上手く行くと馬鹿な日本人が同調して「そのとーり」と言い出しかねない。そうすりゃ金になるかもしれん。こう考えると本当に「民主党」は「国益」を損じたなァと身震いが出ます。

話が変わりますが、フランスにアンドレ・マルローと言う作家がゐました。彼は文化相でもありました。仕事で日本にやって来た時、国宝「那智の滝図」 を見て感激し実物の那智の滝をみに熊野へ行きます。そして痛く感動し、ますます日本が好きになって行きます。そしてこう言うのです。

「我々は「水平」の文化だ。煉瓦を水平に積み上げ家を造ってきた。しかしあなた方日本人はこの那智の滝を神と崇めてゐる。伊勢の皇大神宮の鳥居も参道の松も本宮も下宮もすべて「垂直」から構成されてゐる。私は西洋の文化を至高だと思ってきたが、日本人の美意識の素晴らしさを初めて識った。那智の滝の飛沫は単なる水滴に過ぎませんが、歴史の底を流れ続けて今もあります。これが時間と空間の実態です。「観念」ではありません。

「正法眼蔵」「山水経」の「川流れず・・山流る」は物事の本質をついて有名な言葉ですが、戦後横行する「時間」軸を忘れた軽薄な「観念」、平和 人権 反軍思想・・に惑わされることなく、秋津島根の自然な道を歩きたいものです。もうすぐ、お伊勢さんの遷宮も始まります。20年に一度のこの神事も悠久の歴史の中ては、あの那智の滝の流れに似てゐます。どこかの国の薄汚い観念「歴史認識」に煩わされること無くちゃんと自分の国を護る『国防軍』を立派に創りませう。これを言ひたい為に長々と書きました。今年も元気一杯がんばりませう。


― 終り ―

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一阿の 「謹賀新年」2

深大寺へ初詣に行きました。寺域にある「波郷」の墓も綺麗に掃き清められてゐます。「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ。波郷」あの名句を憶ひながら武蔵野の小径を歩く。

秋風は今回の選挙、鶴は真正保守の心だナ等と考えながら。ここには昔ながらの道がある。椎や櫟の落ち葉の下に、ほこほことした土がある。いつもながらホッとする。年齢(トシ)のせいか舗装路は脚に響く。昔は良かったなあ。歩きながらふと考へる。

わが国に中国が侵入して来たらどうするのだらう。やはり国防軍が要る。先日も安倍さんが復興と景気浮揚・憲法改正・国防軍の創設と 言った途端、メディアは一斉に「国防軍は戦前の暗黒時代の悪い軍隊を思い出すからイカン。」とかまびすしい。

だが待てよ。みんなは戦前を知ってゐるのかな。軍隊にゐたことがあるのかな。そんなことはない。皆、かっての敵国にそう教へられ、学校の先生にそう教育されただけではないのかな。これは観念と言うものだ。愚老は山本五十六元帥が戦死されてから兵学校へ入ったのだから聞いた風なことは言えんが、それでも一年八ヶ月誠に厳しい訓練を受けた。

江田内の岸壁に繋留されていた練習艦「浅間」(吃水8メートル)に2メートルの櫓を組んでみんなそこから飛び込みの練習をした。私は神戸育ちで小学校の頃から須磨の海岸で泳いだから良いが、すぐ後ろの生徒は厄除大師で有名な佐野の生まれだ。海は初めてだ。だが飛び込む。10メートルの上に立つと流石に脚が震える。海面は眼に入らない。対岸の山脈みだけがやたらと目に入る。下から教官が「前方の山頂に向かって跳ォぶー。」と大音響で伝える。身体がフワフワして足が地に付かない。

だが言はれた通り山頂に向かって足を蹴った。オッ!成功したらしい。上手い具合に弧を描いて海に近ずいてゐる。55㌔の物体が10メートルを落下する時間は1.8秒だ。モノを考える時間がある。昨日の物理の時間に習った。しかし全ての者が上手くゆくとは限らない。顔を打って鼻血で海面を染める者、背中を打ってバタバタする者、腹を強打して呻く者、・・・それは仕方がない赤帽から有段者まで全て一律に飛び込むのだ。

これは遊泳練習の一環だ。訓練は熾烈をきわめる。17才の少年達にとって自分の故郷や家族や国家を守るのは俺だと言う信念がある。敵はもうそこまで来てゐる。当時の兵学校の校長は1月6日の夜テレビで放映された「連合艦隊司令長官山本五十六」に出てきた井上成美(しげよし)提督だ。かれの信念は「紳士」こそが「最強の軍人」になる、であった。

例のノーブレスオブリッヂ=ロータリークラブの精神に通ずるものがあった。恰もイートンやオックスフォードの教育に似ている。我々にはCOD(コンサイス オック スフォード ディクショナリィ)が与えられ、英文和訳ではなく、英文英訳の方法で英語を学んだ。それは敗戦の前日迄続いた。海軍が武士道の上にアングロサクソンの文化を加えたものと言われる所以だ。

「敵国の文化を知らずに敵国に勝てるか」。井上成美中将の考へであった。海軍省から「早く生徒を前線に出せ」と矢の催促であったが、校長は頑として受け入れなかった。「生徒は未完成で、ものの役にたたぬ、前線に出すと邪魔になる」そう言って中央からの要求をはねつけた。彼は敗戦を予期していたのだ。戦後の復興の為出来るだけ若者は温存したい。

井上さんはやがて海軍次官になり米内さん(海軍大臣)と共に筆舌に尽くしがたい苦労の末わが国を終戦に持ち込む。戦後75期からはノーベル賞候補になった岡田善雄教授(阪大・細胞融合=今回の山中伸弥教授の先達)やソニー・録音テープの技術・ 垂直磁気記録方式を発明した岩崎俊一教授がゐる。75期で戦後、影になり日向になって日本を支えてきた人達は皆井上校長のお陰で生きることが出来たのだ。

いま思うと吾が人生87年の中でこの1年8ヶ月の軍隊の生活ほど清冽で透明な 瞬間はない。戦後うけたどのやうな感激より江田島の時間が与えた感銘は吾々には重い。三分の二以上は逝って仕舞ったが75期の人生を支えたものは江田島の精神だらう。愚老は毎朝クラス会でもらった古い湯飲み茶碗で一杯の茶を飲む。

茶碗には井上成美校長の小さな字で次のやうな言葉が印されてゐる。「第七十五期の諸君へ 吾が教え子よ 春秋に富む諸君よ 今後も健康で 現在の堂々 たる態度で 社会に貢献して 世の後進を導き 海軍精神を後世に残し給え。」

昭和47年だった。三年後昭和50年校長は86才で逝かれる。俗世との縁を一切断ち極貧のうちに旅立たれた。みなさん、これが大日本帝国の軍隊の本然の姿なのですよ。戦前の暗黒時代と誰が言うのですか。かっての敵国(連合国)と共産党ぢゃないですか。悪い軍隊と誰が言うのですか。朝鮮や支那やアメリカぢゃないですか。

では中国や韓国や米国やロシアは軍隊を持たないのですか。自分の国は自分で守るあたりまえの所作に戻りたいものです。安倍政権が出来た途端、中国や韓国や一部米国でも、ヒステリックに叫びます。「右傾化だ。軍国主義化だ。」 これに呼応したように朝日 NHK 左傾化したマスコミ 市民 進歩的知識人達が叫びます。「右傾化が危ない。」「軍国主義化を阻止すべし」と。

それは恥ずかしいことです。「ほこほこと落ち葉が土になりしかな。」 としをとると頭ではなく、腹にしみる温かい自然な 小径をどうしても通りたくなる。

(つづく)

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一阿の 「謹賀新年」1

皇紀2673年 明けましておめでとうございます。

やっと日本の夜が明けました。本来の日本に向かっての第一歩です。ホッと肩の力を抜き、お互い日本のお正月が迎へられます。心の底からお祝ひの言葉が口をつきます。おめでとうございます。

他民族に支配されて来たやうな三年半と表現した人がゐます、全くその通り、知らぬ間にこの大和島根が隣国に売り飛ばされないかとヒヤヒヤしたものです。本当に良かった。

然し例によって産経を除く殆どのマスコミが口を揃へて「自民党の大勝は民意ではない。」と絶叫する。死票が多い。投票率が少ない。「小党派」が乱立し過ぎた、らしい。

では「民主党の支持率が10%を切った」のは民意ではないのですか。『これこそが民意なんですよ。』左派マスコミ、市民団体、進歩的知識層の無念さは分かるけど、余り見え透いた理屈づけは醜い。

「稲妻や浪もてゆへる秋つしま 蕪村」 日本の国は美しい。だから我々は日本の国が好きだし、力を合わせて祖国を護って来た。北はキスカから南はラバウルまで300万柱の神となって我らの父祖は母国を護ってこられた。シーレーンを断とうとした悪意と戦はれた。

教育勅語にも「・・よく忠によく孝に億兆心を一にして世世その美をなせるはこれ吾が国体の精華にして教育の淵源また実に此処に存す。・・」とあります。「その義」でも「その理」でもありません。「その美」なのです。お正月はえらい人の「独断」が横行しますから、尻馬に乗って言ふならば、我々の先祖は天照大神以来「和」という美意識でずーっと過ごしてきました。

「祓ひ給へ清め給へ」で面倒な「理」や「義」はありません。掃き清められた結界のなかで静かに和やかに暮らして来ました。日本人の美意識の中には見事に「人」と「国」が一つに調和します。珍しい国です。十戒なんて面倒くさいものはありません。仁義礼智信はそりゃー必要ですが二義的なものです。「自然」が一番佳いのです。

左派の人達は「人権」「人権」と騒ぎますが、それは「民主主義」を売ってるコンビニで安易に買ってきたインスタント観念で、日本は本来「人権」と「国家」は一つなのです。心ならずも国の権力によって命を落としたと言ひますが我々の父祖は国を護る為に潔く生命を捧げました。与謝野晶子は「・・・君死にたまふことなかれ・・・」 と詠ひましたが、第六潜水艇の遭難(明治43年4月15日 佐久間艇長の沈勇無類の行動)に対しては涙ながらに次のやうな和歌を捧げてゐます。

「大君(おおきみ)の潜航艇をかなしみぬ 十ひろのそこの臨終(いまは)にも猶」 現代の日本文学(詩と小説)の源流である与謝野晶子の美意識の中でも国家(公)と人間は見事に調和してゐました。晶子 鉄幹 の愛弟子が佐藤春夫と堀口大学であることはよく知られてゐます。

マックスウェーバーはアメリカを資本主義の純粋培養地と言いましたが、今や彼等でさへ資本主義の行方に不安を感じてゐます。ましてマルキシズムは言語に絶する悲劇と殺戮と損失の末に間違だつたと証明されました。誰だって何も分かってゐないのです。

しかしこの小さな秋津島根に根付いた日本文化の中に人類が求めてゐる何かあるものが燻し銀のやうに光ってゐるかも知れないのです。観念でないない何かあるもの。思想でない何かあるもの。この日本の土の上に自分の足でしっかりと立ちませう。


(つづく)

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明けましておめでとうございます

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   「巳年」 by〔しーたろう〕


明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの皆さまに当ブログをご閲覧を頂き、誠に有難うございました。

新しい年を迎え、本年も執筆者がガラス瓶に入れて下さったお手紙を、
心して皆さまへと届けて参ります。

本年もこのブログをご訪問下さるすべての方にとりまして、
素晴らしい一年となりますよう、
一層のご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


平成二十五年元旦


   ブログ「ガラス瓶に手紙を入れて」
     執筆者一同
     ブログ管理人〔しーたろう〕

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一阿の 「友人の死」 Ⅶ

バブルの最盛期、自民党には、例の金の延べ棒が自宅で見つかっで塀の中へ送り込まれた金丸 信がゐた。そして彼の威を借り調子に乗って総裁選びの面接までしていた若者小沢一郎がゐた。

ゼネコンは工事を貰ふため裏金を時の権力者に贈ると言はれる。政官財の癒着が常識とされたこの時代に友人は敢然と小沢への理由なき献金を拒んだのだ。勿論小沢は直接には手を下さない。暴力団まがいの総会屋と北海道の銀行を使ひ会社を乗っ取りにかかる。

追い出された友人は後に自ら500頁になんなんとする「社史」を書くことになる。忠実な秘書が追い出された社長のために段ボール数箱分の資料を整理してゐてくれたのだ。彼は社史完成までに三年を要した。大体、社史は会社が「社史編纂室」なるものを設けて作るのが常識だ。然し彼にはもう会社はない。「俺が会社を潰したといふ奴がをるから、ちゃんと書いとかんと誤解される。」 読んでみるか、と送ってくれたのは 数年後だった。500頁あった。

社長自ら書いた「社史」を見るのは初めてだった。やがてガラス瓶にも「社史」 の一部を掲載したいと思ってゐるが、それには徳川時代からの「談合」の歴史と実用性、「コンクリートから人へ」のバカ騒ぎの愚劣さ、そして彼が如何に官僚や政治家に胡麻を摺らずに売上を上げたかが分かりやすく解説されてゐた。会社を一つ潰すと自由に使へる裏金の20億や30億は優に出てくる。「あの金で竹下への褒め殺しを処理(暴力団)しやがった。」と彼は残念がった。

友人は亡くなる直前まで、「社長は正しくなければならん。」と淡々と呟いてゐたが、美意識が小沢一郎を許せなかったのだろう。「あいつはどこを取っても汚物まみれだ。」と噛んで吐き出すやうに言った。彼がもう一人嫌ったのは、「少年H」なるゲテモノを出版して時代の寵児になった妹尾河童と言ふ男だ。

我々神戸二中の四年後輩だ。友人と一緒になって「あいつを同窓会から放り出そう」と息巻いたものだ。四年後輩の親しい知友にきくと河童は彼らの同窓会には一度も顔を出してゐない。借り物の民主主義で厚化粧した左翼リベラルの市民派連中の何処を押せばどんな音色がでるかを計算しつくして市民に迎合した男で、自らは舞台装置芸術家と称してゐたが卑しい根性の持ち主だ。

母校を売り物にし実名で配属将校をこき下ろし、凡そ神戸二中とは異なる架空の中学校を作り上げ、戦時中いかにも反戦少年であったがごときおのれのさり気ない自慢話は売れに売れた。大して親しくもない小磯良平の愛弟子面をしてゐたが、もしそうなら母校の新築時に小磯(神戸二中)の絵の一枚位は寄贈してもらへばどうだと言ひたい。。ただの一枚も無いのだ。友人はその人柄から大先輩の東山魁偉(神戸二中)と意気投合し、三枚もの寄贈を受けてゐる。今も母校の美術室には展示されてゐる筈だ。美意識が一致したのであろう。

友人は愚生にその時の手紙を見せてくれたものだ。神戸二中は紀元2600に新築されたが、50年経ったので建て替へられた。この建築の仕事は友人の会社が請け負った。母校の再建だ。大赤字だったとは言ってゐたが。特に妹尾河童が許せんのは、生命をかけて沖縄県民を守り国を守られたあの嶋田 叡知事を己の出汁(だし)に使ったことだ。昔、本土から数人の識者が沖縄へ渡り講演をする企画があった。当時も沖縄は本土に反感を持ってをり、危険な雰囲気であった。

これを察知した河童は「自分は神戸二中出身の嶋田叡知事の後輩である。」 と喋りまくり、他の同行者とは違う格別の待遇をうけた。己と 全く異なる尊い志の持ち主嶋田 知事をである。「少年 H」によれば配属将校や嶋田知事は軍国主義もいいところではないか。戦後こう言ふ手合いが増えた。

嶋田叡知事は敗戦間近(昭和20年1月)、敵が沖縄へ上陸する直前逃げるやうに香川県知事に転出した(政府に掛け合い)前任者の代わりに白羽の矢がたつと、「俺が断れば誰かがゆかなければならんやないか」と直ぐに受諾し日本刀と青酸カリを懐に沖縄に飛んだのでした。台湾へ行って県民の米を確保しあらゆる手段を尽くして県民の生命を守り最後は壕で自決するのです。(嶋田叡沖縄県知事は是非ネットでひいて見て下さい。)

この話は友人が亡くなる前に言った「一番大切なのは美意識ぢゃないかな。」で始まった。世の中には気の利いた格好の良い言葉が氾濫してゐる。特に選挙の前だけあって、枯葉のやうに舞ひ落ちる言葉の嵐て自分の道が歩けないほどだ。然し考へてみると判断はそんなに難しくはない。この日本の国が無くなっては元も子もないことにすぐ気付くからだ。「木を見て森を見ず。」とよく言はれる。

わが国の森(国土)はいま何処かの国の資本に買ひ漁られてゐる。この時に森の木の一本一本の虫食ひの状態(政策)を論ってゐてどうなるのだ。政策 政策と言ふから迷ってしまふ。まず森を守ること、それから木を育てることだ。共産党が正倉院を守ってきたかな?、その国の歴史を創ったのはその国の美意識だ。

沖縄を守るには「さわわ~さわわ~」と反戦歌を歌ってゐるだけでは守れない。嶋田 叡 沖縄知事のやうな尊い一つの生命が要るのだ。在日や親中やマルクス主義者やアナーキストまで全て憲法で保証されてをればこそ、国民の美意識が一致することが望ましい。美しい国を創らうとしてゐる党は迷ふ程はない。価値観の同じ夫婦は国家と同じやうに豊で楽しい家庭を作る。しかし今、価値観も美意識も同じであった親しい友はもうゐない。


(おわり)


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一阿の 「友人の死」 Ⅵ

「美意識」とはなんだ?。人に聞かれても分からない。昔、若者に 「美しい」 とはどういふことですか、と問はれ、爾来、ずーっと考へ続けても一向に分からない。最近では悔し紛れに、これは分かってはいかんのだと思ふやうになった。ただ、その国の美意識がその国の文化だとは言えやう。英国の美意識は英国の文化。フランスの美意識はフランスの文化。独国の美意識は独国の文化。お互いに文化は尊重し守るものだ。

だが、奴(やっこ)さん達は違う。尖閣列島を伺う。確信的利益だと言ふ。領土と言ふのは無機質の土や石の広がりではない。その国の文化がチャンと乗ってゐる基盤だ。尖閣には日本人が呼吸し鰹節を作ってゐた固有の美意識があった。この島は現在の全ての国力を挙げて守らねばならない。

先日テレビを見てゐたら、石原慎太郎がA党とは一緒になるがB党とは一緒にならない。それは美意識が違ふからだと言った、と騒ぐ連中がゐた。憲法改正反対論者や原発廃止論者、所謂国民よりも市民と言はれると喜ぶ連中が「美意識とは何だ」と昔大臣をやった関西在住の物書きに聞いてゐた。すると彼は暫く考へて、侮蔑の口調でこう答へた 。「好き嫌いの問題と言ふことなんだらう。」 一同は一斉に我が意を得たやうに軽薄な笑ひ声を立てた。答へた男には多少自嘲の響きも混じってはゐたが、話題はもう次ぎに移った。

しかし考へてみると、この答へはあながち間違ってはゐない。昭和27年、初めて就職した播州の会社で、その人がゐるから銀行は金を貸すんだと言はれた偉い専務が私に「一番重要なことは、大体好き嫌いで決まるもんだよ。」と教へてくれた。「そんな馬鹿な」 と思ったがあれから60年、大先輩の言葉が少し分かるやうになった。

左翼マスコミの大合唱はあったにしても、三年前の民主党へのあの傾斜は決して理性的なものではない。 しかし 美意識と好き嫌いは違ふ。友人は真面目な顔をして当たり前のことを言ふ人間を嫌った。彼の話には、いつもユーモアが匂った。彼が珍しく尊敬してゐると真顔でいった人が二人ゐる。キユーピーマヨネーズの創始者中島董一郎、と沖縄戦で県民を守り抜いて自決した沖縄県知事 島田 叡の両氏だ。嶋田知事は友人の母校神戸二中の先輩だ。友人の最初の仕事はキューピーマヨネーズ仙川工場の設計だった。

昭和26年、この縁で当時の中島社長と知り合い薫陶を受けることになる。「社是に親を大切にすること。と書いてあるんや。」 と感じいったやうに言った。終生 彼は中島董一郎を敬愛し薫陶を生かした。「社長は正しくなければならん。」 冗談ばかり言ってゐた彼はそう言って決然と小沢一郎に立ち向かって行った。彼の美意識がそうさせたのだろう。結果は惨敗で彼は会社を潰されることなる。


(つづく)


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一阿の 「友人の死」Ⅴ

日清戦争の時代と平成の御代で国を守る覚悟に何故これほどの差があるのだらう。

その答へは簡単だ。「わが国が外敵に負けたからです。」 「歴史上初めて負けたのです。」 かっての敵(マッカーサー)はわが国に進駐するや直ちに陸海軍の武装を解除し宮城前の第一生命ビルに陣取りました。愚老はその入り口に二人の米衛兵が傲慢な面(つら)で通行人を見下ろしてゐたのを昨日のやうに思ひ出します。19才でした。

と同時に彼等は東大にも「進駐」したのです。保守の総長や教授を放逐し教授陣を共産主義者、社会主義者、キリスト者の亡国観念論者一色に染めあげました。南原 山田 大内 有沢 矢内原 宮澤 大河内 美濃部 横田 etcetc・・ 。横田喜三郎の如きは極東裁判の法的根拠を捏造し、宮澤俊義は敗戦による国体の変質を朗々と歌ひ上げ、美濃部亮吉は教授(社会学)を辞めた後、人気を良いことに、財政無視のばらまき素人政治を東京都に展開しました。

お陰でその後の知事達が何代もに亘って如何に財政赤字払拭に苦労したことか。山田盛太郎(講座派=共産党)は二重構造なる言葉を発明し大企業による搾取論を展開し定着させました。これは今の民主党政府の政策論に酷似してゐます。

当時 増山元三郎と言ふ優れた数学者がゐました。医学部に在籍した推計学の創始者です。日本は彼のお陰で原爆犠牲者の数字が判明したのです。役人の数も質も行政の組織も不足し、計算力(コンピューター)もないあの昭和20年代、推計学か無ければとても犠牲者の数値は掴めなかったでせう。知力人格共に優れたこのやうな学者でさへ「推計学が本当に正しく使へるのは社会主義国です。

資本主義国家では利益が主体ですから、表面に現れた数字は正確とは言へません。」 (今では最も不正確な数字を発表するのは、お隣の共産国ですが。)と教へたものです。 ことごと左様に東大は赤一色に染まりました。この学校の経済学部の講義がマル経(マルクス経済学)と呼ばれたことは皆熟知してゐます。やがて大学を出た人達が総理になり外務省 大蔵省 日銀、文部省 法務省 ・・のトップに君臨し教授達は各大学に散ってゆきます。こんなことをしてゐたら日本は社会主義国になって仕舞うじゃないか。

ぼんやり考へてゐましたが、67年経った今ふと振り返へると本当にそうならうとしてゐる国の姿を見て慄然とします。これらは全て戦勝国(米国を主体とする連合国)の緻密な悪巧みでありました。勿論今の日本は歴(れっき)とした資本主義国です。しかし 自由 人権 平和 生活 エネルギー 原発-オスプレイ-反戦と声高に叫んでゐるマスコミの腹の奥の方を覗いてみるとマッカーサーが連れてきた民政局の赤の連中の策略にまんまと引っ掛かった悲しい姿があるやうに思へてなりません。

日教組の教育を受け、東大はじめ最高学府で立派な進歩的知識人?として最後の仕上げを受けた姿がそこにはあります。しかし民主主義だけでは日本を改造できない。天皇制を廃止するには共産主義に限る。日本を二度と立ち上がらせないために、かっての敵(連合国)は民主主義の衣の裾に共産主義を潜ませました。だから日本の復活を願ひ教育の改善を説く政党の党首に対しては、マスコミ その他進歩的と称する知識人達が総掛かりで潰しにかかります。当然です。彼等の足元が崩されるからです。

民主党 社会党 共産党 も聞くに耐へぬマッチポンプ式の罵詈雑言を当時の安倍晋三総理に浴びせかけ潰しました。朝日 NHKは特にひどかった。今回も同じやうな渦を巻き起こそうと必死です。戦勝国(連合国)は敗戦国(日本)の教育 宗教(神道)にまで手を付けました。一方、独 伊 に対してはその国の文化 教育には一切手を付けませんでした。何故でせう。彼等の顔の色が白いからです。白人同士の通念があるのです。嘘のやうな話ですが、我々日本人を黄色人種故に見下げてゐたのです。キル ジャップと叫んで

落とさなくても済んだ原爆を実験代わりに投下したのと同様、2600年静かにたゆとうやうに温かく自然に受け継いできた日本人の文化と歴史そして教育を切り刻んでいったのです。昭和20年8月29日(マッカーサーの厚木飛来)から昭和27年4月2日(サンフランシスコ講和条約発効の日)まで 約七年間はマッカーサーが陛下の上にゐたのです。英文和訳の憲法を押し付け国体を削り国民の誇りを毟り取ってゆきました。何でも出来た訳です。

戦後に生まれた人はこれが日本だと思って当然です。しかし大正の末に生まれ戦前と戦後の両方を体感した愚老は口で言へない何か本物と違う違和感をかんじるのです。母親が逝った夜のあの寂しさを感じるのです。友人と昼食を取ったある倶楽部のロビーで、(これが最後の昼食になったのだが)彼が珍しく真顔で「人が最後に辿り着くのは美意識だ。」 と言ひました。「そうかも知れんな。」私も答へました。 人権と国家を結ぶものは「その国民の美意識=文化」だ、と思うやうになってゐたからです。

日清戦争の時代には、わが国は未だ一度も外敵に犯されたことは無かった。国民の美意識はしっかりしてゐたのです。


(つづく)


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一阿の 「友人の死」Ⅳ

前回は「清」(中国)の水兵の乱暴狼藉から始まった「長崎事件」に話が及んだが、もう少し続けてみよう。これは勿論明治時代の日本人と今の日本人の覚悟の差を分かり易くするためでもあるが。

さて、「定遠」を主力とする「清」の北洋艦隊が示威行動のため長崎に入港するが、「定遠」から上陸した水兵は料亭で乱暴し取り沈めやうとした日本警察官に斬りつけたのだ。(明治19年8月13日)。

当時の日清修交条規では相互に治外法権制度があり、領事裁判権の時代だった。長崎には鎖国時代から支那人街があり、開国後お互いに相手を軽蔑の眼で見る傾向があった。やがて艦隊の四艦から上陸した水兵四百数十人と、警戒の日本警察官が乱闘に陥った。

清国側に死亡・5 負傷・45 日本側に死亡・2 負傷・29 計81名死傷と言う大事件になった。(8月15日)。事件解決は困難を極めた。長崎では事件調査の為英・米人の顧問を含む日清両国の委員会が作られた。東京 北京で政府上層部の外交交渉があり、日清戦争直後の例の三国干渉を思わせる露・独・仏の介入企図も露わであった。

事件がようやく解決したのは翌明治20年2月で、議定書がかわされてゐる。両国が相互に自国の法律により自国民の加害者を処分すること。相手国の死傷者に「見舞金」をだすことで解決に達した。

この事件は腰に二本、頭に丁髷を結ってゐたあの江戸時代から20年も経ってゐない長崎で起こった。未だ国を護る海軍力さへ十分でなく、保有戦艦の如きは清国の半分の排水量にも満たない。首長は代われど何時の世もあのどす黒く薄汚い野望を腹に李鴻章は琉球列島を狙ってゐたのだ。

阿片戦争で西欧諸国(英・仏・独・露・西)に国土を犯されながら、紛争が終わるや懲りることなく浅はかな自惚れ(中華思想)から隣国のわが日本を狙ったのだ。

明治維新の元勲達は隣国清が如何に先進西欧諸国に赤子の手を捻るやうに毟り取られてゆくかを凝視してゐた。父祖の国を如何に護るかに精魂を傾けてゐた。国民は西洋文化に目を見張りハイカラさんを追っかけるだけでなく、チャンと日本文化の誇りと万世一系の国体は腹に据へてゐたのだ。

国民の一人一人が必死に自分の国を護らうとした。今は違う。異民族に支配されて来たやうなこの三年はやっと終わろうとしてゐるが、元官房長官だった男は彼の現役時代「中国の当局がどうお考へになるか心配で」、折角捉えた犯罪者をあっさり送り返してしまったし、党を作っては壊し壊しては作って来た汚物まみれの男は当時未だトップでもない中国人を強引に、こともあらうに陛下にお会わせしたのだ。

中国に媚びたのであらう。この両名を含むおよそ進歩的知識人と称し、リベラル市民と言はれ鳩派と総括された連中は国体を胆に据えてゐないと言へやう。つまり万世一系の天皇陛下に対する真の尊敬と感謝を持たぬ人間なのかもしれない。日本文化を軽く考える人間達だらう。

明治18年~20年我々の父祖は国民の意志を代表して必死に狼藉者を放逐した警察官の行動を引き継いで、国家は並み居る西欧列強と清を相手にチャンと外交(樽俎折衝)を行ひ見事な結末をつけたのだ。ずるずると国民に言い訳をしながら「竹島」を犯され、ガス田の利権も放棄し、尖閣の危機にも、未だに経済優先論に目力を失いつつある今の政府と政党とは雲泥の差だ。なぜそうなってしまったのだらう。


(つづく)


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一阿の 「友人の死」Ⅲ

80有余年 共に語り合った莫逆(ばくげき)の友が逝ってしまふと周りが急にガランとなる。しかしそれは仕方がない。ただ寂しいのは、友を一人失ふ度に戦前の本当の日本が少しづつ欠けてゆくやうに思へてならなんことだ。

彼は昔、私に言った。
「政治と言うのはナ」「理解ではない。納得なんや」
上手いこと言ふなと思った。彼は実業家だったが、トンガの国王とは仲が良かった。老後はトンガに来て国政を助けて欲しいと言はれた。事実昭和天皇の御大葬時には外務省に頼まれてトンガ国王に対する日本の代表をやったりした。彼の会社は後発だったので国内で伸びるには限度があった。

その代わりトンガ王国の工事は殆どとった。港湾、文化施設、官庁等々。若い頃。「お前、トンガへ行ったらモテるぞ。」と冷やかしたものだ。トンガでは日本人の子供だ。と言へば自慢出来たのだ。昭和50年代 台湾海軍の旗艦が「雪風」だったことを教へてくれたのも彼だった。「雪風」はその速力(43ノット=時速86キロ)と豪胆な艦長(寺内大佐)の操艦によって唯一生き残った帝国海軍の駆逐艦だ。

当時台湾の要人は彼を尊敬し何でも打ち明けた。彼には日本人の「誇」と「胆」があった。中村天風先生は人間に必要なものを大切な順に並べ「胆力」「体力」「判断力」「断行力」「精力」「能力」と言はれた。今の実業家や政府の要人には頭の先の打算と美辞麗句は上手いが人様を納得させることは苦手だ。国民が納得して初めて国は動くのだ。左翼マスコミや民主党が「理屈」で無理やり国を動かした結果がこの始末だ。さて年寄りの「冷や水」はこの辺にして、話を「日清戦争」に戻そう。

清(中国)は琉球琉球列島侵略を試み、自国の北洋艦隊を補強する為、ドイツに「定遠」「鎮遠」 の二隻を注文した。この二隻は何れも二連装の30センチ主砲四門を艦首に近い両舷の砲塔内に備へた7335トンの巨大戦艦だ。ドイツで竣工の後、清仏戦争の為留め置かれたが、明治18年に回航北洋艦隊に配備された。当時日本海軍の中核となる軍艦は、イギリスで建造された「扶桑」(3777トン)コルベット艦「比叡」「金剛」(2250トン)で清(中国)の方が断然優勢であった。

海軍建設の中心人物は李鴻章で彼は更に旅順に軍港と要塞を整備したのである。明治19年8月北洋艦隊の提督 丁汝昌(ていじょしょう)は「定遠」に座乗し「鎮遠」 及び「威遠」「済遠」を引き連れてウラジオストックからの帰途、長崎に入港した。仁川への途中で修理の為と言はれたが、優勢な海軍力を誇示する為であったことは言うまでもない。この艦隊が長崎に入港中に例の長崎事件で有名な騒動が起ったのである。


(つづく)


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一阿の 「友人の死」Ⅱ

友人と私は少年時代神戸二中(旧制)で学んだ。神戸二中はラグビーが強かった。同志社から神戸製鋼のラグビー部へ、が彼等の道だ。港の近くの東遊園地で一中と戦って何時も勝った。勝つ度に校歌を高らかに歌った。

神戸二中のことは芥川賞作家庄野潤三の「早春」に委しい。小磯良平や東山魁偉も二中の卒業生だ。校歌は「名も千歳にかんばしき 湊川原の片ほとり・・・」ではじまり、「質素の風を帆に孕み、勤倹の海漕ぎ行かむ」と続く。嗚呼忠臣楠子の墓(水戸光圀直筆=湊川神社)で有名な楠木正成の故事になぞらへた校歌である。

メロディーは「勇敢なる水兵」のそれをそのまま使ってゐる。昭和10年代若者達は好んでこの歌を歌った。今で言へばスマップやエグザイルの歌を歌ふやうにである。日清戦争の黄海海戦を叙述した佐々木信綱の詩のこころををしばし味はって頂きたい。

「勇敢なる水兵。一、煙も見えず雲もなく/風も起こらず波立たず/鏡の如き黄海は曇り初めたり時の間に/
二、空に知られぬいかずちか/波にきらめくいなずまか/煙は空を立ちこめて/天津(あまつ)日影も色くらし/
三、戦ひ今かたけなわに/勤め尽せる丈夫(ますらを)の/尊き血もて甲板はから紅(くれない)に飾られつ/
四、弾丸(たま)の破片(くだけ)の飛び散りて/数多(あまた)の傷を身に負えど/その玉の緒を勇気もて/つなぎ止めたる水兵は/
五、間近く立てる副長を/痛む眼(まなこ)に見とめけん/彼は叫びぬ声高(こえだか)に/「まだ沈まずや定遠は」/
六、副長の目はうるおえり/されど声は勇ましく/「心安かれ定遠は戦ひ難くなしはてき」/
七、聞きえし彼は嬉しげに/最後の微笑(えみ)をもらしつつ「いかで仇を討ちてよ」と/いうほどもなく息絶えぬ
八、「まだ沈まずや定遠は」/此の言(こと)の葉(は)は短きも/皇国(みくに)を思ふ国民(くにたみ)の/胸にぞ長くしるされむ。」

これは明治27~28年清(中国)と必死の思ひで戦った日本人全ての血の出るやうな願ひであったのです。「定遠」は清(中国)の巨大戦艦(ドイツ製・7335トン)の名前。わが国には当時「扶桑」(3777㌧)が最大であったのです。では何故清(中国)の李鴻章は慌ててこんな巨大戦艦を二隻もかれらの北洋艦隊に配備したのでせうか。それは今の日中関係と酷似してゐるのです。

つまり彼らは琉球列島を狙ったのです。今は尖閣列島です。ただ、違うのは、国民の意気込みです。今の政府も財界もマスコミも先ず口にする言葉は「中国」がどう考えるか? です。委しいことは Ⅲ で述べませう。


 注; 佐々木信綱の孫が佐々木幸綱、で例の俵 万智(『サラダ記念日』)の先生。
    

(つづく)


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一阿の 「友人の死」Ⅰ

木犀の香が懐かしい今朝、珍しく友人の奥様から電話があった。
友の急死の知らせであった。小学校以来、淡交80年お互い86才になってゐた。最後のメールは9月18日。これが彼の地上に残した最後の言葉となった。

「本日は柳条湖事件の記念日とかで中国は国辱の日として騒ぎ、日本は一言も云う事なく過ぎました。満州事変の本質は日本が日露戦争の結果、清国の承認の許に取得した遼東半島の租借権、及び南満州鉄道と周辺の鉱山の正当な利権を、清国に代わる中国、実際には張学良が認めず勝手な振舞いをした事、併せて満州地区の治安が危殆に瀕した為に、止むなく執った正当な行動である事を一言も言わない日本人の意気地無さを憂う者であります。」 私はすぐに返信した。

「 お説の通りです。黙々と国力を蓄え憲法を改正し再軍備をするより外ありません。国を護るにたる軍隊と国力なくしてなんの外交だ。左傾化した政府 マスコミ 学会そして祖国再建の為の 三権を放棄したままでは、樽俎折衝さへできません。

赤化された青二才が外交と称して国辱を晒すだけで恥ずかしき限りです。敵の衝を折らず酒樽と生贄を貢ぐだけの国に成り下がった現状は我々の生きてゐる時間内に保守のベクトルを上向きにすることは不可能です。三百万柱の英霊に申し訳なし。メールを感謝します」。

彼は軍人ではない。旧制高校の理甲を出て大学の航空科に席を置いた。ゼロ戦より更に強い戦闘機を設計したかったからだ。心ならずも敗戦になり、建築科に変わった。かれの御父君は神戸製鋼所時代「九三魚雷発射装置」の特許を取られた。昔話になるが当時帝国海軍の魚雷は世界で最も優れてゐた。世界中のどの国の海軍もその魚雷は水泡の航跡をひいた。

しかし九三魚雷だけは航跡がつかなかった。だが潜水艦からの魚雷発射時に水泡が出ては仕方がない。これを見事に消したのが彼のお父さんだったのだ。話がそれたがこんなことを話す時も彼は決して「ドヤ顔」をしなかった。30年も昔、ある夜銀座ヨーソロで飲んでゐた時「わしの親父も多少は海軍と関係があるんだ」 と言って語り出したのが前述の物語だった。

            

(つづく)


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寝言の 「雑感」2

現在の国民に欠けるもの

――はじめに――

雑感(1)で日本人の「民族性」の特性と世界の状況を分析すると、「これを正しく世界に発信すれば必ず世界に貢献出来る日本になる」と希望を持ってお伝えしました。

しかしながら、世界は日本の台頭を喜ばない国も多いのです。寧ろ妨害する国が多いと思います。特に覇権を望む大国はその先頭に立つでしょう。日本は王道を毅然と歩むのみですが、それを通すためには絶対に克服し越えなければならない峠があるのです。それについて、この雑感(2)では期待を持ってお伝えします。


――「パワー無きルール」と「ルール無きパワー」―― 

此の標題は西部すすむさんの論評から借用しました。
又内容については(ねごと)が同評論に触発されて述べていますが、責任は当然(ねごと)にあります。

確かに「国際法」や「憲法」は世界や我が国にとってのルールであることは確かですが、此のルールを盾にしても外的圧力に対抗することは困難です。現に中国の不法な要求、圧力、に対して国連は殆ど問題視しておりません。

我が国も領海侵犯に対して、警告や放水で抵抗するだけ、挙句の果て上陸させ、即、送還しました。主権を犯された、意識が薄いのです。つまりパワーを持たないルールの、現実を国民にさらし更に話し合いで、解決を図るというのです。 此の反対が「ルール無きパワー」です。これは大変危険な状況であることは、常識と思います。然し覇権を目指す大国は、ルールをパワーで押し切るのが、世界の現状です。

例えば「拒否権」行使、無視、新ルールの設定、等です。
 
多国間、二国間でも最近は情報操作も複雑化して、大国の総合パワーがルール作りを主導しているようです。特に経済問題が深刻となって、今後の動きに、注意が必要となります。

一方国内政治についても、多数決のルールがあります。ルールそのものは是としますが、選挙に関しては、国民の判断に強大な影響を与える、テレビ、新聞等マスコミの立場が公正か否か、の問題です。現在我が国のマスコミの立場は多彩ではなく、一方的に偏っています。前述の情報操作が深く進行していると考えます。あるパワーが「公正に行うべき」ルールを阻害しているのです。かつて、野球の二出川延明審判が微妙な判定に対する激しい抗議にあった時「俺がルールだ!」と一喝したことが話題になりました。ルールを守り責任を果たすにはパワーが必要である見本?です。

雑感(1)で紹介した日下公人さんは伊藤貫との共著「自主防衛を急げ」の中で東アジアのバランスオブパワーが急速に失われている、ことを危惧して居られます。

あらゆる面から考察して、日本の軍事力の強化が求められています。越えるべき峠は明確です。


――峠は間近――

日本の社会では「大東亜戦争」および戦後の歴史についての研究、解明が進み、戦勝国の本性と政策が明らかなってきました。日本は簡単に表現すると、彼らのスケープゴートになっていたのです。彼らの歴史と戦後の行動を見ても、日本は邪悪な国。戦勝国は正義の国、はプロパガンダでしかないのです。戦後、我が国民の歴史観をただし、劣等感をなくせば、先ず愚劣民主政権の退陣は確実です。

一昨日(9月26日)自民党総裁に安倍晋三氏が選出されました。此の事は氏の政策を知るだけに、健康に留意すれば、3年で、流れは確実に戦後体制から新しい日本体制へとなっているでしよう。当面先ず党内結束。党勢拡大。ですが「戦後保守」は党内結束の段階で、問題点をすり合わせ総裁の理想に賛同する闘士にすることです。党勢拡大は数合わせでなく、党の綱領理解者に限るのは当然、と思います。

なんだか嬉しくて、つい老婆心でくだらぬ言を述べました。

結局「日本人に欠けるものは」一旦緩急あれば義勇公に報じの精神です。これだけです。教育勅語の一節。笑ってはいけません。大震災で身を顧みず「避難を呼びかけた」女性の方、原発で決死隊を志願した年配の作業員の方々。
潜在的に日本人の義務感は素晴らしいのです。

訂正します。有事には日本人は皆、峠を越えるのです。
              

(了)


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寝言の 「雑感」1

――初めに――

現在の国内および世界の状況は誠に混乱の最中にあると思います。

その原因は、大雑把にいえば、近代主義、合理主義、発展主義、の破たんにあると思います。アメリカ、中国、の二大国家も、ヨーロッパ連合も特に先進国と自負している国に、その兆候が表れて、その余波が世界に及んでいるのです。

国内の政局、主要国の指導者の交代、が目先でマスコミをにぎわしていますが、(ねごと)は釈然としない点を雑感と題し、愚論を承知の上、申し上げたいと思います。


――覇権主義について――

 「王道」  王の仁徳によって国を治めること。
 「覇道」  武力や権力で国を治めること。

これは紀元前300年、政治とはかくあるべし、孟子が教えた言葉です。
そして現在「尖閣問題」で我が国は皮肉にも孟子を生んだ、中国と、その帰属をめぐって争っています。御承知のごとく、我が国は二千の歴史を皇室を戴いて、平穏に刻んで来ております。世界で類稀な歴史の中で日本人の伝統、文化、民族性、を含む文明を築き上げてまいりました。

此の事を確りと誇りを持って確認することが大切です。

尖閣問題に関しては「歴史的にも国際的にも」我が国の主張は正しいのです。信念を持って、彼の「恫喝」に屈すること無く、実行支配を行い、覇道に対し、決然とした、軍事的対応もすることです (有事は望みませんが隙を見せないことです) 。

孟子の教えは、むしろ彼の国民の為、彼の政府にお返ししたいと思います。

「覇道」を現在国際問題を論ずる際、「覇権主義」と云う言葉であらわされています。 今日世界の中で、意識的に「リーダーシップ」を採ろうとしている国は「アメリカ」と「中国」です、そして此の二国は必然的に軍事、経済、政治体制、等対立し、最近「インテリジェンス」の面でも争いが激しくなっています。

此の二国こそ「覇権主義」国家といえます。「アメリカ」は世界基準は自国としたく、「中国」は古来中華思想があり世界の中心と自負の強い国なのです。然し何れにしても、王道を理解しない国では、平和で、人人が幸福な、共生世界、は不可能と断言せざるを得ないと思います。

日下公人さんは「世界が日本を必要とする時が必ず来る」といつて居られます。(ねごと)も論点は違いますが此の言葉を信じます。
そして一昨年の震災に、被災地の方々の秩序正しく、他人を思いやって行動した姿を見て世界から賞賛されたことを思いだしました。 
 
此の事は、確かにうれしいことです。然しここで一寸考えてください。

我が国ではあたり前のことが、異常に評価されたことに疑問を持って下さい。世界の常識では、こんな時、救援物資争奪。商店からの略奪、等当り前に起こります。「他人を思いやる」民族性は誇りうる特性なのです。

自己の利を追い求める風潮は我が国でも、広まって残念ですが、「絆」と云う言葉が膾炙され反省の機会が与えられ、若い世代も心或る人が増えることを望みます。

(ねごと)が此のブログに最初に投稿したのは「民族性」でした(二年半前)。今でも、自己的、物資的、価値に支配される世界の風潮に日本的価値観が救いの手となると信じています。目先の事象、政局、等に一喜一憂しないで下さい。
            

(「雑感」1 了)

※寝言(ねごと)さまのお手紙はまだまだ続きます。

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九太郎の「憂国の詞」 -番外編-

本日は柳条湖事件の記念日とかで中国は国辱の日として騒ぎ、日本は一言も云う事なく過ぎました。

満州事変の本質は日本が日露戦争の結果、清国の承認の許に取得した遼東半島の租借権、及び南満州鉄道と周辺の鉱山の正当な利権を、清国に代わる中国、実際には張学良が認めず勝手な振舞いをした事、

併せて満州地区の治安が危殆に瀕した為に、止むなく執った正当な行動である事を一言も言わない日本人の意気地無さを憂う者であります。

平成24年9月18日



*****

(10月30日追記)

九太郎さまは、〔しーたろう〕に宛てて上記のご連絡を下さったのを最期に、逝去されました。

謹んで哀悼の意を表します。

合掌

九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 11/11

④.中国(張学良)の国際連盟への提訴

満州国の建国を受けて中華民国(張学良)は昭和7年3月に国際連盟に提訴し、之を受けた国際連盟は英国の第2代リットン伯爵を団長とする調査団が現地に派遣されて約6ケ月の後に所謂リットン報告書が作製されました事は後述します。

中国の張学良の主張は、「日本は満州は中国の一部ではないと主張しているが、満州は本来は中国の一部であり現在の3000万人口の99%は中国人である。

現在日本は暴力により全満州を占領し多くの財産と民が犠牲となっており、国際条約が破壊されています。 そこで国際連盟は之等の独断専行を止めさせる事を心から望みます。」と云うものでありました。 

此の主張の欺瞞は満州は中国の一部である、即ち満州人も蒙古人も凡て中国人と決め付けている事でありますが、現実には嘗ての馬賊の末裔である張学良が私兵により占拠する満州について、日本は「満州は満州人の国であり此処に満州族の国を作り五族(満州族、漢族、蒙古族、白系ロシア、日本)共和の理想郷を作り併せて日本の北辺の生命線を護ると云うものでした。

そして更には嘗て中華民国総統の蒋介石は満州には手を出さないと云う約束もありました。更に不可解な事には国際連盟は中国の提訴を受けるや常任理事国の日本の反対を押し切って非加盟の米国をオブザ-バ-として招請を決定した事は、満州についての米国の異常な関心を証するものであります。

清朝の末期に山東省より満州に渡来した漢族の貧民の子息の張作霖は、馬賊の頭領となり遂には満州王として君臨した後に中原に打って出ましたが、形勢不利と見るや早々に満州に引き揚げる所を爆殺され、之を見たその子息の張学良は早速に蒋介石総統の軍門に下って誼を通じ其処で力を蓄えていましたが、満州国の建国を見るや早速に中華民国として国際連盟に提訴して米国の支援を宛てにし乍ら、更にその後には後述の如く盟主の蒋介石総統を裏切って西安事件を起し、蒋介石より50年の禁固刑を受ける等々、満州は掛かる不節操者の策動により乱れに乱れていましたが、日本は之を排除して満州国と云う王道楽土を建設し、併せて日本の生命線を安泰にしたと云う次第であります。

因に張学良は禁固刑の儘で台湾に連行されて軟禁を続けられましたが、釈放後は共産党政権の中国に戻る事なく宋美齢の庇護を受けながらホノルルに亡命し、女色と麻薬に耽った放蕩息子張学良は此処で100才の生涯を終えました。


皆さん! 以上満州について述べましたが、満州についての関係者として
1.満州族による満州国を建国し五族共和を唱え、併せてソ連の南下に備え日本の権益と生命線を安泰にした日本 

2.中国の名に於いて国連に提訴し、米国の支援を期待しながら嘗ての馬賊、満州王の復活を狙う、漢族末裔の張学良

3.全満州の赤化を狙うソ連邦

以上の三者について何れに「義」の軍配を挙げられますか。

以上で満州建国については一応の区切りと致しますが、次回からは日本の国連脱退による孤立化について記述します。



(九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 了)

※九太郎さまのお話はまだまだ続きます

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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 10/11

③.満州国建国

関東軍は国際世論を避け、陸軍中央からの支持を得る為に早くから満州全土の領土化ではなく親日政権の樹立を考えていました。そこで満州事変勃発4日目の9月22日に、予て天津の日本租界に匿っていた清国最後の皇帝の溥儀に決起を促した所、早速に翌23日に使者の羅振玉が奉天の日本軍司令部を訪れ板垣大佐に面会し、宣統帝溥儀の復辟を嘆願すると共に吉林、洮南、蒙古の諸王を決起させる事を約し、更に嘗ての清朝宗社党の決起を促して回りました。

斯くて清朝最後の皇帝の愛新覚羅溥儀は満州民族の新国家の皇帝となる事に同意し、11月10日に天津の自宅を出て同13日に旅順の日本軍の許に止まっていました。

そして昭和7年初頭に関東軍が満州全土の主要部を略々平定したを見て、同3月1日に満州国の建国が宣言され、国家元首には愛新覚羅溥儀が、国務総理には鄭孝胥が就き、首都は新京(長春)、元号は大同、国旗は新五色旗とされました。

之等の発表は東北行政委員会委員長の張景恵の公館で行われ、同9日には溥儀の執政就任式が新京で行われました。 そして国務総理の下に民生部総長として蔵式毅、外交部総長として謝介石、軍政部総長として馬占山、財政部総長として熈治、参議府議長として張景恵、そして最後に総務長官として関東軍の駒井徳三が就任して「民族共和」を掲げて発足しました。 

又それまでは各省毎の金融機関が夫々に銀行券を発行していましたが昭和7年には満州中央銀行が設立され統一した銀行券が発行されました。一方で関東軍の独断行動に引き連られ乍らも満州国の承認に慎重であった時の総理大臣の犬飼毅は昭和7年5月に起きた五・一五事件により暗殺され、玆に長年続いた政党政治は終焉し海軍大将の斉藤実を首班とする挙国一致内閣となり、同6月14日の衆議院本会議に於いて満州国承認決議案は満場一致で可決され、同9月には満州国との間で日満議定書が締結されて在満日本人(主として朝鮮族日本人-日本の眷属)の安全確保を主とした条約上の権益の承認と関東軍の駐留が認められました。 


(続く)

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九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 9/11

②.満州事変

昭和6年9月18日午後10時20分頃、奉天北方約7.5㎞の柳条湖で当方の南満州鉄道の線路が破壊されました。 

実は此の工作は前記関東軍参謀の板垣征四郎大佐と同石原莞爾中佐が首謀して行われたもので、関東軍は直ちに近くの張学良の宿営の北大栄を占拠し翌日までに奉天、長春、栄口の各都市を占領しました。 

此の時に一人北京に在って実権を握っていた張学良は之を日本軍の挑発と受け止めて国際世論を背景に平和解決を望んだと云う事は、折から勃興して来た中国共産党等への対策に余念が無く、更には戦闘に自信がなく、寧ろ米国の支援に確信を持っていたのでしょうか3日後の21日に国連に提訴しました。

一方の日本軍部は19日午前7時に陸軍省、参謀本部の首脳会議を開き、小磯軍務局長の「関東軍今回の行動は至当の事なり」との発言に一同異議無く兵力増派を提議し之の閣議提出案を決めましたが、同日10時よりの閣議で時の陸軍大臣の南は関東軍増援を提議できず反対に事態不拡大の方針が決定されました。 

そこで陸軍の作戦課では「事態不拡大の閣議決定には反対しないが、関東軍の機宜の措置は拘束しない」と云う「時局対策」を策定し南陸相や金谷参謀長の承認を得ました。

関東軍兵力の総数は前記の通り非常に劣勢であったので林銑十郎朝鮮軍司令官は19日、取り敢えず飛行隊2個中隊を派遣し引続き混成旅団の派遣を計画し軍部は天皇の奉勅命令を受けようとしましたが之が若槻首相に遮られ、結局は21日に林朝鮮軍司令官の独断の形で混成第9旅団に満州への進撃が開始され、翌22日の閣議では出動したからには致し方ないと事後の形で承認され、更に之に関する経費の支出が議されて正式の派兵となりました。

此の派兵を受けて関東軍は北部満州へも進出し翌昭和7年の2月にはハルピンを占領しました。斯くて軍部の独断専行により始まった満州事変は、前述の陸軍による陸軍大臣の撤収権、即ち内閣崩壊権をちらつかせ乍ら軍の先行を以て満州の略々全域を制圧しました。即ち政府では21日の閣議により之を事変と見做し、24日の閣議で「不拡大」の方針を決めていました。

その間にはアメリカのスティムソン国防長官は日本に対し戦線不拡大を要求しましたが、之を受けた日本の金谷陸軍総長の命令が届く前日の6年10月8日、石原の率先指揮の下に爆撃機12機を以て錦州攻撃を始めスティムソンの激怒を買い幣原の国際協調主義外交は一頓挫しました。 因に錦州は満州の支那との境界の万里の長城に近く、奉天を撤収した張学良は此処に拠点を移していました。

因に日本軍は陸戦規定を守り略奪を働く事なく張学良の個人資産には手を付けず、予て学良と親交のあった関東軍の本庄繁は事変後に奉天に残された学良の財産を貨車2両に積み、北京に逃れていた張学良の許に届けましたが学良には受け取りを断ったもののその荷物の行方は分からなくなりました。


(続く)

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