佐藤 順 牧師の「0系新幹線誕生秘話①/2」

 東海道新幹線を最初に走ったO系と、初代ロマンスカーの小田急3OOO形電車先頭部分は、どちらもそのデザインが飛行機の機首に似ています。それは、これらの車体設計をしたのが、元海軍技術士官で、航空工学者の三木忠直さんだからです。

 東京帝国大学(現・東京大学)工学部を卒業後、海軍航空技術廠(しょう)(神奈川県横須賀市)に入った三木さんは、太平洋戦争末期、特攻機「桜花」を設計させられます。機首に1トン爆弾を搭載した「桜花」は、自力では離陸できず、大型機に吊り下げられ、敵艦隊に近づきます。そして、空中で切り離されると、操縦士はロケットに点火、時速八百キロ近い高速で敵の制空圏内を貫き、そのまま敵艦に体当たりします。車輪もなく、生還するための装備は一切ない、正に有人誘導式のミサイルでした。

「技術者としてこんな特攻機は承服できません」と、当初、三木さんは大反対しますが、海軍は強行し、従うしかありませんでした。そして、実戦に投入された桜花は、敵艦隊の遥か手前で米軍のレーダーに捕捉され、待ち受けていたグラマン戦闘機によって、その殆どが母機(一式陸上攻撃機)諸共、撃墜されてしまいます。合計10度に渡る出撃の結果、桜花パイロット55名と、母機の搭乗員365名が戦死しました。敵艦に突入した桜花は計7機だったといいます。

 「軍の命令があったとはいえ、私の設計した飛行機で、多くの若人が国のために散っていきました。そのことに深く心が痛む日々でした」とNHKに語る三木さんは、敗戦後、自己嫌悪と後悔の日々を送っていました。1945年の秋には、頭を丸めて過去と決別して、気持ちの整理をつけようとします。しかし、心の重荷は、頭を丸めるだけでは解決できませんでした。そんな三木さんを救ったのはキリストの言葉です。

ミッション系の東京女子大学で学んでクリスチャンとなった姉、その影響で信仰を持った母と、姉の学校の後輩で、同じくクリスチャンになった妻の勧めもあり、三木さんは、東京女子神学校の校長・渡辺善太の門をたたきます。悲痛な訴えに渡辺先生は「凡て労する者・重荷を負う者、われに来れ、われ汝らを休ません」(マタイ11章28節 文語訳聖書)の聖書の言葉を示しました。「その御言葉に出会い、救われました。そこから私の人生は変わったのです」と言う三木さんは、敗戦の年の1945(昭和20)年12月15日、三十七歳の誕生日に、自らの重荷をキリストに預け、洗礼を受けました。

「とにかく戦争はもうこりごりだった。自動車関係にいけば戦車になる、船舶にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」と、三木さんは、自分の技術を戦争に使わせないと誓います。そして、陸海軍の優秀な技術者たちとともに、旧国鉄の鉄道技術研究所(現・JR鉄道総合技術研究所)に勤務しました。

 軍用機で培った設計技術を、何としても鉄道のために使いたい、と祈る三木さんが出会ったのが、新幹線開発プロジェクトです。当時、東京―大阪間は、電気機関車で7時間半もかかっていました。そのため、将来、長距離移動には飛行機や自動車が使われると予測され、鉄道の斜陽化が叫ばれていたのです。1957(昭和32)年の鉄道技術研究所創立50周年記念講演会で三木さんは、「東京-大阪間三時間への可能性」と題して講演し、宣言します。「飛行機の技術を用いて車両を軽量化し、車体を流線型にして空気抵抗を減らせば、最高時速は200キロを超えます」と。


― つづく -


*☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*

続きが楽しみな方は、
人気ブログランキングFC2ブログランキング のクリックをお願い致します。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!)