「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)⑦/7

 「もし、天皇がクリスチャンとなった場合、宮内庁が天皇はクリスチャンだと発表するという可能性はあるでしょうか」という質問に対し、小林牧師はこう答える。「それはないと思います。…(しかし)昭和天皇は、全国を巡幸じゅんこうした際、修道院なども訪問されました。

このことに触れている本はあまりありませんが、昭和天皇は、通り過ぎるだけの予定であった修道院の礼拝堂に入り、会堂の中央にまで歩みよって、帽子を手に持たれ、頭を垂れ、かなりの長い時間、礼拝を捧げているのです。これは昭和天皇の沈黙の証です。昭和天皇は非常に鋭い感覚を持って、キリスト教をご理解しておられたのです。」そして、現在は、宮内庁の職員の多くがクリスチャンだと言われている、と小林牧師は言われる。


D. 結び
1. 日本仏教、神道、日本古来の伝統には、犠牲や忠誠心、忍耐、道徳といった気高い精神があるのだ。しかも、明治天皇や昭和天皇は、キリストに救いを得ていたと言えるのだ。ユダヤ人にとって「旧約」とはモーセの律法だったが、日本仏教、日本古来の伝統、神道などは、日本人にとっては一種の「旧約」なのだ。

2. 明治天皇が神道は本来ユダヤ教だ、というのであれば、神道に関してはまさに「旧約」にあたるものがあるはずだ。そして、私たちは救いを完成し、実現、成就するために新約へと進み、キリストを受け入れよう。日本的精神、言い換えれば大和魂の中に、兵学校精神にキリストの霊を迎え入れる時、日本人は本当に輝かしい神の民となる。

〔参考文献〕
星 亮一『淵田美津雄』(PHP文庫)
チャールス・R・ヘンブリー『真珠湾から説教壇まで』(レックス・ハンバード世界宣教団)
佐藤陽二『ヨハネの黙示録講解』(アンカークロス)
月刊『ハーザー』2000年8月号


―おわり -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)⑥/7

C. 兵学校精神にキリストを迎えよう
 今の軍事力にすぐ訴える米国に「反省せよ」と言える日本人がもっと増えるべきだと私は思っている。なぜならば、戦後の日本は世界史上、初めて、憲法で戦争を放棄すると宣言した国だからである。現憲法は、多くの人がマッカーサーの押し付け憲法だと思っている。しかし、この第9条は、大戦直後の首相、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)総理が粘り強くマッカーサーを説得して採用させたのだった。それは奇跡的な出来事であった。日本は、「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52)と警告されたキリストの言葉を、憲法で守ることを保証している唯一の国家なのだ。これはもっと世界に誇るべきことだ。

 この国は、その歴史や伝統を知れば知るほど、日本人として誇るべきことがたくさん出てくる。日本には伝統的に気高い精神が存在している。明治時代に西郷隆盛(さいごうたかもり)は「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり」と言っている。これは「あなた自身のようにあなたの隣人を愛せよ」と言われた主イエスの言葉に通じる。

この日本を構築して来たのは仏教と神道だと言えるかもしれない。しかし、そもそも仏教の阿弥陀仏思想とは、紀元1〜2世紀にかけて出来たもので、インドに伝道に来た使徒トマスに発するキリスト教の影響を受けていることが明らかにされている(仏教史学の権威アルティ氏)。阿弥陀仏は、キリスト教のメシヤの模倣だ。また、武士たちに忠誠心を植え付けたのは神道だったが、実は神道の本質は、キリスト教と深い関係のあるユダヤ教であるというのだ。

「神道は本来、ユダヤ教である」と発言したのは明治天皇本人である。明治天皇の孫である小林隆利(たかとし)という方がナザレン教団の牧師であり、キリスト教雑誌『ハーザー』2000年8月号でインタビューに答えている。

 小林牧師:「明治天皇は私の母に、次のことを教えられたそうです。『私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は、神道である。しかし神道は、本来は(旧約時代の)ユダヤ教である』天皇の権限で調べたのですから、これは誰も反論できません。」そして明治天皇は、キリスト教はユダヤ教を完成させるものだ、と理解していたという。「明治天皇は私の母に、『おまえが結婚して男の子が与えられたならば、キリスト教の牧師にするのだよ。きっと役に立つ時がくるぞ』と厳命しました。

明治天皇は、精神的にはクリスチャンだと言っています」と小林牧師は言われる。明治維新の時に、欧米諸国に追いつくためには、西洋の精神を学ぶべきだと、明治天皇は18歳の時に、米国人宣教師から聖書の講義を受けている。また、昭和天皇の隠れたエピソードとして小林牧師はこう述べる。太平洋戦争開戦の直前、軍部が昭和天皇に戦争の許可の判を押すようせまると、昭和天皇は『私は反対だ』と言われた。しかし、天皇といえども、内閣で決まったことは判を押すべし、と皇室典範てんぱん(規則)にあると軍人が乱暴な言葉で迫ると、昭和天皇は、はっきりと答えた。

「たとえ、皇室典範に違反しても私は判を押さない」。結局、軍人たちが昭和天皇を押さえ込んで、天皇の手に判を持たせて、無理矢理に判を押させた。昭和天皇は、あくまで戦争反対を身を挺して実践した平和主義者だったのだ。また、昭和天皇は敗戦直後、マッカーサーに「戦犯は私一人だ。私を死刑にして、国民は全員赦してほしい」と頼んだ。これは、キリストの姿に倣ったのだと言える。



― つづく -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)⑤/7

 淵田さんは戦後7年目に、今度は伝道者として米国や日本を巡回し、その半生(はんせい)を神に捧げた。淵田さんはこう言っておられる。「日本は世界で最も文盲の少ない国ですが、教育は救いをもたらしはしませんでしたよ。平和と自由、これは国家的にも個人的にも、イエス・キリストに出会うことによってのみ、やって来るものです。

 私が真珠湾でしたことを取り消せるものなら、何でもします。でもそれは不可能です。だからその代わりに私は今、人間の心をむしばんであんな悲劇を引き起こした根本的なもの、つまり人間の憎悪に死の一撃を加えるために働いているのです。その憎悪は、イエス・キリストの助けなしには、根こそぎにすることができません。

 キリストは、私の生涯を御心のままに変えるだけの力をもった、ただひとりのお方でした。キリストこそ、今日の若い人々への唯一の答えですよ」そして、25年間に及ぶ伝道活動で、多くの人々をキリストにある救いへと導いた。

 淵田さんは、確かに真珠湾攻撃でのご自分の罪を認め、米国人宣教師やそのお嬢さんらの愛に触れて悔い改めたのだった。しかし、決して日本だけが悪かった、とご自分の立場を卑下するような方ではなかった。「日本は無駄な戦争をして、多くの苦しみを国民に与えた。軍部の判断も戦争のやり方も悪かった。

だがアメリカはどうなんだ。彼らが正義で、日本は不正義だったのか。俺はすべて日本が悪いとは言わないよ。原爆を落としてもそれは正義なんですか。」と言っておられた。つまり、神の前において、どの国民も同じように不完全で、やはり神に背いているのがこの世だと言うことをよく理解しておられた。

 米国人は真珠湾攻撃はだまし討ちと覚え込んでおり、誰一人、「なぜ日本をして真珠湾を攻撃させるようなことをアメリカはしたのか」を論じる者はいなかった。「石油の対日輸出を禁じ、日本を追い込んだアメリカも反省せよ」と淵田さんは主張しておられた。



― つづく -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)④/7

 戦後、人生の本当の意味を見出そうと、真理を追及しようと、真剣に聖書を読んだのが父である。その父が知らなかったのは、兵学校の校長、井上校長が戦争中、聖書を、線を引きながら読んでおられたということだ。井上校長は、「この戦争において、あの若者たちに、死ねと言えますか」と語っておられ、人生の真理を聖書に追及されたのだ。

 そしてもう一人、聖書によって変えられた人物を御紹介したい。それは、淵田大佐(ダイサ)、真珠湾攻撃の総指揮官である。戦後、3,4年した頃、淵田さんは畑仕事をしながら、軍人として敗戦に対する責任を感じ、また、「日本はどこで間違ったのか」を考えておられた。

 ある日、淵田さんはアメリカ軍の捕虜となっていて、帰国した日本兵から一つの話しを聞く。それは、捕虜のキャンプに、20歳位の一人のアメリカ人の娘さんが現れ、日本人捕虜の病人に親身な看護をしてくれた。日々の貢献ぶりに捕虜たちは皆心を打たれ、3週間を過ぎた頃、なぜそんなに親切にしてくれるのかを尋ねた。すると娘さんは、「両親が日本軍に殺されましたから」と答えたという。

彼女の両親は戦争中、宣教師としてフィリピンにいたが、フィリピンの山中で日本軍にスパイと疑われ、斬殺(ざんさつ)された。死ぬ前に両親は30分の猶予をもらい、聖書を読み、神に祈ってから処刑された。そのことをアメリカで知った彼女は、憤りと悲しみで胸が張り裂ける思いだったが、やがて両親の、死ぬ前の30分の祈りは何であったかに思い至った時、憎悪は人類愛に変わったという。

 いったい、この宣教師が日本軍に殺される前の30分の間、どんなことを神に祈ったのだろうか。その答えは、淵田さん自らが聖書に見出すことになる。なぜ、憎しみが愛に変わるのか、それを知りたいと自ら聖書を購入して拾い読みすると、ある句が目に止まった。それは、キリストが十字架上で、自分を十字架にかけた者たちのことを「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23の34)と祈った場面である。

あの宣教師がフィリピンで殺される時、祈ったのは「何をしているのか、わからずにいる日本兵をおゆるしください」であったはずだ。そして、そのことを知った娘さんもそのことに気づいたとき、かえって日本兵を哀れみ、愛の介護をしたのだと。また淵田さんは、「このキリストの祈りは、私のための祈りでもある」と感じた。それまでは、愛国という名のものち、多くの人を殺してきた。しかし、罪のない神の子キリストが十字架にかかったのは、私のその知らずに犯していた罪を身代わりになって負われたことだったと知ったのだ。



― つづく -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)③/7

 米国では、ローリン博士という旧約の大家と出会った。博士はこう言われた。「旧約には、神の言われたことと、人間が神が言われたと考えたことを、区別しないで、ワヨメル・エロヒーム(神が言われた)と書いている。従って、旧約を読むときは、神の言葉と人間が神の言葉であると考えたことを分けて(区別して)、読まなければならない。」そこで父は、民数記などで神が「女子供とを皆ごろしにせよ」言われたという表現は、人間の思いを神の意志とを一緒にしたのだな、ということが分かった。(古代イスラエルは、長い間戦国時代にあった。戦争が当たり前という枠の中で神を考えていた。)それ以来、この問題を研究し、従って聖書は新約聖書を中心に、イエス・キリストの言葉を中心にしなければならない、と言うことが分かった。

 キリストはマタイ5:44で「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と言われた。このキリストの言葉を中心に、旧約聖書を読めば、自ずからどこが人間が自分の思いを「神は言われる」と言ってしまったか、そして本当の神の御心はどこにあるかが分かってくる。そして、この問題について、第二次世界大戦中は、どこの国でも研究した者はなかった。戦前は二、三あった。ローマとイスラエルの学者が、それぞれラテン語とヘブル語で書いていた。

 先週もブッシュ大統領(*注)は、「今、世界は米国側につくか、テロリスト側につくかのどちらかである」などと言った。思い上がりも甚だしい。神の側に着く者はいないのか。これらの誤りは、聖書を正しく読めないことにある。

 武力に訴えずに世の中を変えたのはガンジーやマルチン・ルター・キングJr.だ。武力行使して無駄だったのはベトナム戦争である。共産主義撲滅を大義名分に、米国は参戦した。しかし、ベトナム戦争終結後、20年もすれば、共産主義は勝手に滅んだ。今やベトナムとは貿易だって出来る。米国は、特に太平洋戦争以降、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、戦争をするたびに、米国内の治安は悪化している。戦後、米国が軍事力を肥大化させたことを、神が祝しておられるとは思えない。米国への復讐を誓った父に、「復讐するは我にあり」と言われた神の正しい裁きは、そんな形で米国に及んでいるようにも思える。

 戦争について正しいことが言えるのは、米国大統領でもなく、その同盟国でもない。聖書が正しく読めるように真理を追及していった75期の佐藤陽二だ。それは「心に恥ずる者は出て来い」という、キリスト教のスタートラインをはからずも江田島でたたき込まれ、戦後はその江田島精神で神に仕えて来たことが、神に祝された結果である。


(*注) 2001年当時

― つづく -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)②/7

B. 佐藤陽二と淵田大佐(ダイサ)
 この真実を愛する心が、敗戦後の父を変えた。クリスチャンの家庭に育った父は、どうせ軍人となって死ぬのなら、洗礼を受けて死のう、とクリスチャンとなって兵学校に入学した。しかし、敗戦直後、原子爆弾を落とした米国が憎くてしかたがなかった。負けた悔しさよりも、誇り高き海軍軍人(将校)として生きる道を奪った米国が憎かったのだ。そして、原子力物理学者となり、米国本土に原子爆弾を落とすのだと決意したという。とにかく米国に復讐がしたい思いで、気は狂っていたと本人は述べている。米国やソ連を憎みながらも、その一方で本当の人生の意味はなんであろうかと、真実を探求していた矛盾から、気は狂わんばかりだったのだ。

 そんな父のことを心配し、毎日祈っていたのが私の祖母である。そして、神はその祈りに応えて下さった。父は真の人生の意味を求めて、聖書を読み始めたのだった。聖書を読み進めていると、ある日、新約聖書ローマ12の19が目にとまった。そこには、「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」とあった。(更に、ローマ12:20「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」)

 これを読んだとき、父の心はやっと平安になり、救われた思いがした。この御言葉を通して神と出会ったのだ。この生ける神を信じ、従って行こうと決意し、やがて牧師となった。

 牧師となって10年した頃、父は家族を連れて米国へと渡った(2年間滞在。)それにはいくつかの理由があった。
(1)帝国海軍から自分を追い出したかつての敵国を見てみたい。
(2)米国人に牧師として説教してみたい。(愛の艦砲射撃)。
  そして、最大の理由は、
(3)旧約聖書を正しく教えてくれる先生に出会いたかった。民数記の、「女、子どもを皆殺しにせよ」という部分に疑問を感じ、その疑問に解答を与える先生は日本にはいなかったからだ。

 今、米国はテロ事件の報復として、戦争を始めようとしている。それは「無限の正義」などといって、神の名における聖戦であるという。実は、これは旧約聖書を正しく読めないことから来る大きな過ちである。なぜ、旧約聖書には、「神が『女子どもを見殺しにせよ』と言われた」などという記述があるのか。この疑問に答えられる人はまだあまり多くない。そして、聖書にそう書いてあるから、報復のために武力行使をすることは正しい、などと米国は言うのだ。父は35年前にこの問題を探求し、ついに米国へと渡った。ここでも真実を求める江田島精神が表われている。


― つづく -


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)①/7

このたび、初めて牛込キリスト教会の佐藤順牧師からお手紙を頂きました。佐藤順牧師はご尊父が海軍兵学校75期生として学ばれた方です。ご尊父もまた、牛込キリスト教会の牧師として働かれた方でした。

読者の皆様の中には、キリスト教会と愛国的な考え方は相容れないものだという先入観をお持ちの方がいらっしゃるかもしれません。しかし、このお手紙を読まれた方はおそらく、そのお考えを新たにされることと思います。

日本人の誇り、気高さ、武士道、そして何より兵学校の精神といった、国を思うお志が強く深く感じられるお手紙です。
7回に分けて連載しますので、どうぞ最後までお読みください。
よろしくお願い致します。
〔しーたろう〕


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「兵学校精神とキリスト教」(備洋会<海軍兵学校 広島県連合クラス会>2001年9月の講演より)

A. 
1. 日本人が誇るべき海軍の伝統に「真実を愛する」というのがある。父は『江田島310分隊記念誌』に以下のようなことを記している。

「入校教育三週目の夜『本日、起床動作前に、靴下をはいていた者は、自習中休みに、総員雨天体操場に集合せよ。』の達示があった。」起床動作(寝巻きから着替えて作業服に身をかため、靴を履き、帽子をかぶり、寝室を飛び出す)を2分30秒以内で終えるため、着替えの時間を短縮するために、父はその日初めて、靴下をはいてベッドに入って寝たという。いつもは「時間に遅れた者は…」であったが、その日に限って、「起床動作前に靴下をはいていた者」が呼び出された。しかも、寝る前に靴下を履いていたかどうかなどは、本人しか知らないのに、驚くほどの数の生徒が集まり、鉄拳制裁を受けたという。

 人が見ていようがいまいが、「心に恥ずる者は出て来い」ということが江田島精神であり、気高い侍の精神である。

2. なぜ人は、このような気高いものを求めるのか。それは、もともと人間には、神の子としての冠を与えられているからだ。旧約聖書(詩篇8 :6)には、「(神は) 神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ」とある。神に創造された私たちは、神と同じ性質を受け継いでいる、だから卑しいことを恥じる心がもともと備わっている。父は、「心に恥ずる者は出て来い」と言われ鍛えられた江田島で、キリスト教のスタート・ラインを学んだ、と言っている。


― つづく -


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