一阿の 「つらづら草」3

蒲田は昭和8年頃、駅前にはまだ原っぱが残ってゐました。そこでよくキチキチバッタや赤トンボを追っかけたものです。池上線の駅は勿論木造の小屋で、省線蒲田までトコトコ歩きました。雨降りには傘をさして、・・・。

省線と言うのは今のJRです。鉄道省の省をとって当時の人はそう呼びました。私は小学生でしたが、一年に一度母に連れられて、蒲田の伯母の家で夏休みを過ごしました。東海道本線は神戸が終点でしたから、我々は何時もお土産に湊川神社前の菊水本店で「瓦せんべい」を買ひ神戸駅の階段を上りました。

神戸は洋風の街ですから、この「せんべい」も美味しくバターやミルクがたっぷり入ってゐましたが、表面には菊水のマーク(非理法権天の旗印上の菊水)が焼き鏝で押され、包装には正成父子の桜井の別れが描かれてゐました。湊川神社の境内には、ご存知のやうに水戸黄門の「嗚呼忠臣楠氏之墓」の石碑があります。

伯父はこの「せんべい」 が好きで喜びました。神戸にはユーハイムやフロインドリーブやコロンバンや色んなケーキ屋さんがあるのになんで菊水なんだろう?。と思ってゐましたが、伯父は楠木正成が好きだったんだと思うやうになりました。敗戦後「忠義」は鴻毛の軽きに付されますが、あの頃の日本人のこころの心棒は忠義でした。

私事ながら、伯父は浅野総一郎に重用され、日本鋼管(株)の鶴見造船所長をしてゐました。戦前の日本の経営者には国を憂ふると言った風情があります。浅野総一郎は東大に安田講堂を寄贈した安田善次郎の親しい知友です。

扨 神戸駅に夢の超特急「つばめ号」が入って来ます。機関車の真正面に「C53」の金色の数字が光り、「8時間半で東京に着くと思うと胸が躍ります。その頃、時速80㎞には超がつくのでした。東京~大阪間今は「2時間半。」・・・しかし技術とは裏腹に、皇室を尊び 国の歴史を識り 国家を憂ふる こころ は次第に遠ざかって行くやうです。昭和の初期、いや戦前は「竹の園生」の内情を新聞紙上にペラペラ掲載するなんてことはありません。

最近の新聞は事もあらうに芸能面より後に載せることさへあります。皇室に対する敬語なんて勿論知りません。産経新聞の名企画「独立不羈・河合榮次郎とその後の時代」(平成28年11月26日版)に次のやうな記事があります。「・・・・天皇を戴く自由主義・・鶴見祐輔と河合榮次郎は同じ自由主義に生きた政治家であり、国際派でかつ愛国者としての共通項があった。河合門下の関嘉彦は、その鶴見から、河合と同じ、天皇に対する強い崇敬の念のあることを感じていた。いわば[天皇を戴く自由主義]である。(一阿註:立憲民主党etcには民主の名に隠れて天皇ではなくマルクス・レーニンを戴く自由主義者が多い)

・・・・昭和16年12月8日の朝、ラジオで日本が米英を相手に戦争状態に入ったとの詔勅を聞いたときのことだ。協会職員の全員がラジオの前に集まり、宣戦の詔勅が放送される直前、関はうっかり机に腰を掛けたまま聞いていた。その瞬間に、鶴見が大声で、〔関さん!〕ととがめる声が響いた。慌てて起立すると不動の姿勢を取った。彼が鶴見から怒鳴られたのはこの時の一度だけである。・・・・・」

今は今上陛下の「お言葉」を寝そべって聞いてゐる輩(やから)さへある。・・・・・・

竹の秋/昭和は遠く/なりにけり。一阿。

・・・ 敗戦後間もなく有名な鉄鋼会社が、そろって支那大陸へ出かけ、彼等の鉄鋼生産に協力しましたが、その貴重な技術はもちろん盗まれ、彼等の国益に貢献しました。おまけにODAや色んな名目で、70兆円もの援助をしました。軍拡はしたい放題?!。また最近では醜い情緒を持つ隣国に、苺の品種丸ごと盗まれた上、その国から盗まれた正にその苺を逆輸入する始末。「・・・いい加減にしてくれ!」 と言いたくなります。

さて、東京へ着くと楽しい夏休み。 伯母はやっと開通した(昭和6年)地下鉄に乗せてくれたり、銀座資生堂の二階で好きなグラタンを食べさせてくれたり、レストランは大体おねえさんが料理を運ぶのに、ここは男の人が海軍の軍服みたいな服を着て左手を直角に曲げ白いナプキンを懸けて立っていて、胸がドキドキします。千疋屋でフルーツ、今日は歌舞伎座。明日は江の島。三越、白木屋、高島屋・・・・楽しい日々が続きます。

当時蒲田には松竹の撮影所があり、有名な俳優さんも住んでゐました。映画で一番人気があったのは「愛染かつら」でしたが、その主役は田中絹代と上原謙(加山雄三のお父さん)。主題歌は~花も嵐も乗り越えて~♪「西条八十作詞・万城目正作曲」です。 いとこが田中絹代の家へ連れてってくれたことが有ります。記憶も随分薄れましたが、とても質素な印象が残ってゐます。

格子戸を開くと薄暗い玄関の畳の間に白い花が飾ってありました。然し 色々なことの前に、先ず連れて行かれるのは、宮城前と東郷神社、そして乃木神社でした。子供心に背筋がしゃんと伸びました。それは私が中学校三年生の夏(昭和17年)まで続きました。今は東郷神社や乃木神社を知らない人もあります。「乃木坂46」の歌を聞きながら、愚老は何時も乃木さんを思い出してゐます。 日露戦争に負けてゐたら今日の日本はありません。

「旅順開城、約成りて敵の将軍ステッセル♪乃木大将と会見の、所はいづこ水師営♪」 小学生のころ、声高らかに歌ったこの唱歌を呟いてゐます。小学校からの教育が大事なんだな!と想います。

敗戦後、敵の?敵と言う文字は語弊がありますので、「戦勝国」の言いなりになって、まるでわが国が悪かったやうに、自虐史観に苛まれ(極東裁判)74年もかけて自分の潜在意識に染み込ませたこの間違った考えは、元に戻りません。潜在意識を掃除するのには時間がかかります。国際法学者は、誰もあの極東裁判を正しいとは思ってゐません。戦勝国は二年半も掛けて裁判を行ひ、日本の教育 文化まで変えて行ったのです。ニュールンベルグ裁判は10カ月。 教育や文化には一切手をつけていないのです。

― つづく -


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