一阿の 「友人の死」Ⅲ

80有余年 共に語り合った莫逆(ばくげき)の友が逝ってしまふと周りが急にガランとなる。しかしそれは仕方がない。ただ寂しいのは、友を一人失ふ度に戦前の本当の日本が少しづつ欠けてゆくやうに思へてならなんことだ。

彼は昔、私に言った。
「政治と言うのはナ」「理解ではない。納得なんや」
上手いこと言ふなと思った。彼は実業家だったが、トンガの国王とは仲が良かった。老後はトンガに来て国政を助けて欲しいと言はれた。事実昭和天皇の御大葬時には外務省に頼まれてトンガ国王に対する日本の代表をやったりした。彼の会社は後発だったので国内で伸びるには限度があった。

その代わりトンガ王国の工事は殆どとった。港湾、文化施設、官庁等々。若い頃。「お前、トンガへ行ったらモテるぞ。」と冷やかしたものだ。トンガでは日本人の子供だ。と言へば自慢出来たのだ。昭和50年代 台湾海軍の旗艦が「雪風」だったことを教へてくれたのも彼だった。「雪風」はその速力(43ノット=時速86キロ)と豪胆な艦長(寺内大佐)の操艦によって唯一生き残った帝国海軍の駆逐艦だ。

当時台湾の要人は彼を尊敬し何でも打ち明けた。彼には日本人の「誇」と「胆」があった。中村天風先生は人間に必要なものを大切な順に並べ「胆力」「体力」「判断力」「断行力」「精力」「能力」と言はれた。今の実業家や政府の要人には頭の先の打算と美辞麗句は上手いが人様を納得させることは苦手だ。国民が納得して初めて国は動くのだ。左翼マスコミや民主党が「理屈」で無理やり国を動かした結果がこの始末だ。さて年寄りの「冷や水」はこの辺にして、話を「日清戦争」に戻そう。

清(中国)は琉球琉球列島侵略を試み、自国の北洋艦隊を補強する為、ドイツに「定遠」「鎮遠」 の二隻を注文した。この二隻は何れも二連装の30センチ主砲四門を艦首に近い両舷の砲塔内に備へた7335トンの巨大戦艦だ。ドイツで竣工の後、清仏戦争の為留め置かれたが、明治18年に回航北洋艦隊に配備された。当時日本海軍の中核となる軍艦は、イギリスで建造された「扶桑」(3777トン)コルベット艦「比叡」「金剛」(2250トン)で清(中国)の方が断然優勢であった。

海軍建設の中心人物は李鴻章で彼は更に旅順に軍港と要塞を整備したのである。明治19年8月北洋艦隊の提督 丁汝昌(ていじょしょう)は「定遠」に座乗し「鎮遠」 及び「威遠」「済遠」を引き連れてウラジオストックからの帰途、長崎に入港した。仁川への途中で修理の為と言はれたが、優勢な海軍力を誇示する為であったことは言うまでもない。この艦隊が長崎に入港中に例の長崎事件で有名な騒動が起ったのである。


(つづく)


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