九太郎の「憂国の詞」-第九回- 「終戦と云う敗戦-後編-」 10/11

③.満州国建国

関東軍は国際世論を避け、陸軍中央からの支持を得る為に早くから満州全土の領土化ではなく親日政権の樹立を考えていました。そこで満州事変勃発4日目の9月22日に、予て天津の日本租界に匿っていた清国最後の皇帝の溥儀に決起を促した所、早速に翌23日に使者の羅振玉が奉天の日本軍司令部を訪れ板垣大佐に面会し、宣統帝溥儀の復辟を嘆願すると共に吉林、洮南、蒙古の諸王を決起させる事を約し、更に嘗ての清朝宗社党の決起を促して回りました。

斯くて清朝最後の皇帝の愛新覚羅溥儀は満州民族の新国家の皇帝となる事に同意し、11月10日に天津の自宅を出て同13日に旅順の日本軍の許に止まっていました。

そして昭和7年初頭に関東軍が満州全土の主要部を略々平定したを見て、同3月1日に満州国の建国が宣言され、国家元首には愛新覚羅溥儀が、国務総理には鄭孝胥が就き、首都は新京(長春)、元号は大同、国旗は新五色旗とされました。

之等の発表は東北行政委員会委員長の張景恵の公館で行われ、同9日には溥儀の執政就任式が新京で行われました。 そして国務総理の下に民生部総長として蔵式毅、外交部総長として謝介石、軍政部総長として馬占山、財政部総長として熈治、参議府議長として張景恵、そして最後に総務長官として関東軍の駒井徳三が就任して「民族共和」を掲げて発足しました。 

又それまでは各省毎の金融機関が夫々に銀行券を発行していましたが昭和7年には満州中央銀行が設立され統一した銀行券が発行されました。一方で関東軍の独断行動に引き連られ乍らも満州国の承認に慎重であった時の総理大臣の犬飼毅は昭和7年5月に起きた五・一五事件により暗殺され、玆に長年続いた政党政治は終焉し海軍大将の斉藤実を首班とする挙国一致内閣となり、同6月14日の衆議院本会議に於いて満州国承認決議案は満場一致で可決され、同9月には満州国との間で日満議定書が締結されて在満日本人(主として朝鮮族日本人-日本の眷属)の安全確保を主とした条約上の権益の承認と関東軍の駐留が認められました。 


(続く)

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