仙道の 「『私は日本を守りたい』 稲田朋美衆議院議員と 渡部昇一上智大学名誉教授 講演記事」 ②/7

(渡部昇一氏 前回からの続き)
その時、もう日本は侵略国ではないと正式に決まっていた。これを聞いて喜ばない日本人は居なかった筈なのですが、非常に沢山の人は喜ばなかった。ですからこれを報道した新聞は一つもありません。マスコミは一つもありません。先程の記事を十数年前出しました時、東大の小堀先生もこれは重要なことだと言って、講談社の学術論文に、英文に翻訳文を付けて出して下さったので直ぐに誰でも読めるのです。だけど十数年来一生懸命、機会ある毎に言っているのだけれども、これを報道した新聞は未だ無いのです。これを報道したテレビも無いのです。それで先月、産経新聞の「正論」誌が、この記事を出したのがあるか、共同通信配信の地方紙で全部調べてくれたのです。二つの県では読者の投書、も一つは山形市、私の出身地です。

それしかないのです。恐れ入ったことではありませんか。例えばこれを、囲みでも良いから育鵬社に載せて欲しいと頼んだのです。勿論育鵬社は入れて呉れました。ところが、文部省はそれを取り除かなければ検定合格させないといって除かれました。何処からか圧力が掛かっているのです。それは戦後、日本が悪いことしたと言い続けて、得した奴がいるのです。占領下に於いては日本の悪口しか報道出来ませんでした。報道して7年間も経ちますと、上役は出世していく。同じようなことが続くわけです。上役と反対のこと言えませんしね。後は惰性です。

NHK以下皆そうです。これを引っ繰り返す手は無いものでしょうか。有ると思います。首相が文部省に対してあれを入れない教科書は検定を通さないと言ってくれれば入ります。私は最近、つくづく思います。首相の権力の大きいこと。あの菅さん、日本のあの災害まで菅さんの災害です。あのような首相でも、首相が言えば日本中が動かざるを得ないのです。2年後に教科書改訂があると思いますが、その時、次に首相になる人が、「国際的に、日本人が悪いことしたわけではないのだと日本人の子供に教えないのは怪しからん」とマッカーサーの言葉を入れない教科書の検定は通さないと言えば絶対出来ると思う。

今迄、10年位以上前、小堀先生達が良い教科書作っていたのですが、それが駄目になったのは、外務省からの圧力で、外務省はペコペコ外交をやっていましたから、それに合わない教科書は困るといって潰されたと言っていました。潰したのは勿論当時の首相中曽根さんです。知らされていない二つ目を申し上げます。私は腑に落ちないのは、敗戦直後の東京裁判で日本は悪人ということになって肩身の狭いような時代でしたが、当時の首相は中国や韓国にペコペコしたかと言うとしていないのです。

何時もしゃんとしていました。日韓基本条約の時、韓国は日本が侵略したと言わせようとしたけれども、断固として拒絶した。そうしたことによって賠償金は払わない。当時の韓国は朝鮮戦争の後で、国民生活のレベルはアフリカ並みでした。最貧国の部類でした。それで日本陸軍の将校でもあった朴大統領からは、世論としては、日本から賠償金を取りたいことであったが、日本政府としては、断固として払わない、日本は悪いことしたわけではない、世界中がそれを認めていたとして賠償金ではなく、復興資金として上げようと筋を通して支払った。

ところが高度成長を遂げ世界的に尊敬されるようになりましたら日本の政治家の姿勢が突如として変わった。これが不思議なのです。終戦直後さえペコペコしていなかったのに、何で今になってペコペコするのか。といって私は或る国会議員の先生にぶっつけました。昭和60年(1985)、11月8日、国会の外務?委員会で土井たか子委員、(当時の社会党)が居ました。

この人の、質問がおかしいのです。「侵略戦争をどう思うか。」という質問です。

平和条約締結から30年も経って平和条約締結以前の日本の行為を「侵略」と断じて、「侵略戦争をどう考えるか」という質問なのです。そんなもの受け付けなくたってよいのにと思うのです。これは出来レースだったと思いますが、外務省の政府委員が答弁しました。「日本は東京裁判で告発条項27条により有罪となっています。等々」と述べるのですが、結局「日本は東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と答え、これが政府見解となった。

日本はそんな馬鹿なことしませんよ。日本は、サンフランシスコ条約に調印して国際社会に復帰したのですよ。サンフランシスコ条約は「平和と信頼によって・・・・」とアメリカ政府見解はマッカーサーの意見と同じで、日本が悪いとは言わなかったのです。ただ、日本の敗戦に対する領土割譲はありましたけれども、あの戦争のあれこれは一切抜きにしての条約であったのです。しかも、サンフランシスコ条約には、蒋介石は色々事情が会って参加しませんでした。

然し、翌年に日華基本平和条約を締結、日本は完全に戦争から開放されたのです。ただ、第11条のことを言う人がいます。これは普通の平和条約には無い条項だそうですが、「日本は東京裁判及びその他の軍事裁判のjudgements を 受託しこれを実行する・・」とあって、judgementsを外務省は「東京裁判を受託し」と訳した。然し訳した外務省の人は、訳したものの、その内容は、時既に東京裁判で判決が下っている人の判決はこれを最後までやらせるということであり、それ意外には読めないのです。

しかもjudgements と複数になっていますから諸判決です。そして11条の後半にはこの判決は日本が関係諸国と話し合って、話が付けば変えることも出来る、と書いてある。それに従って日本は諸外国と交渉したわけです。国内でも、社会党まで賛成して日本には、戦争犯罪人は居ないことになりました。そしてアメリカ始め諸外国とも交渉してA級戦犯等全て無くなったのです。国際的にも国内的にも無くなったのです。A級戦犯有罪終身刑であった賀屋興のり、この方は東條内閣の大蔵大臣であったが、戦後池田内閣の法務大臣になっています。

重光 葵、東條内閣の外務大臣、この方もA級戦犯有罪、戦後、鳩山内閣の副総理、外務大臣で日本が国連に入る時は日本代表として総会に出席して講演、日本は東西の架け橋になると言って、万雷の拍手を受けたのです。これで私の日本に対する義務は終わりました、と述べました。その後亡くなったら国連は黙祷をしたというのです。A級戦犯有罪になった人ですよ。マッカーサーの言った自衛の戦争であったことは戦争した各国が認めていることです。だから、戦争犯罪人は国内的にも国際的にも無いのです。

政治家には、有ると言う人が未だ居ます。ところが、昭和60年11月8日、中曽根内閣の政府答弁者は、日本は東京裁判を受託した、因って日本は一人前の外交は出来ません。ハンディキャップ外交しか出来ませんと言ったり、本に書いたりしているのです。それがいつの間にか、外務省の見解になったのです。日本の外務省は、いつの間にか、サンフランシスコ条約は飛んでしまって、東京裁判史観になったのです。私が気付いたのが、去年か一昨年です。福田内閣の時の外務大臣麻生さんは、テレビか何かの話で、「東京裁判の「judgements」は、「判決」とも「諸判決」とも訳す人も居る。然し、日本は東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と言ったが、そこに居てこれを聞いていた学者は何も言わなかった。大問題ですよ。麻生さんのお祖父さんは、サンフランシスコ条約を結んだ方ではありませんか。その孫がサンフランシスコ条約を忘れて「東京裁判を受託して国際社会に復帰した。」と言うのですよ。

ああ、解ったと思いました。日本がペコペコし始めましたのも、考えてみれば、中曽根内閣からであった。それまでは、靖国神社に参拝して、中国がガタガタ言うからこれを止めると言う人は一人も居なかった。クリスチャンの首相だってちゃんと靖国神社に参拝しました。中曽根さんは、中国から言われると、悪かった。と。何故行かなかったと聞くと「中国の自分の友人の立場を助ける為」と、馬鹿なことを言った。何処の国に、他所の国を助ける為に、自国の為に戦い、亡くなった人達への参拝を止める人が居ますか。それだけでも、資格が無い。だから、常日頃自民党は駄目だと思う。今だって駄目でしょう。何故駄目か。中曽根内閣の時の外務委員の発言以来、自民党も社会党も区別が無くなった。

自民党と社会党の一番の区別は何処に有ったか。それはサンフランシスコ条約を認めたか、認めなかったか。サンフランシスコ条約を結んだ時の総理は吉田茂であった。東西冷戦下、この条約の締結で日本は西側に付くと考えたスターリンとその衛星国、チェコスロバキア、ブルガリア等の東欧圏はこの条約締結に反対した。ところが、スターリンの意思が其処に在ると知った共産党は反対した。このことは、理解出来ますね。ところが、当時野党第一党の社会党まで反対したのです。スターリンにオベッカ使って。その反対運動の中心が岩波書店にあり、東大総長以下全部反対、主だった学者は皆反対でした。後で判ったことですが、負けると思わなかった日本は負けたことだし、ヒョットすると、これから共産党革命が起きるかも知れない。起きたら、共産党のやり口として、大量虐殺をやるであろう。その時証拠になる様な物を残すと怖いなあというのが当時の学者達の考え方でした。こういったことを書き残した良心的な人も居ます。

慶應大学の小泉総長などは偉かったですね。世界の四十数カ国との条約で反対は数カ国のソ連の家来、絶対多数講和であると仰って反対の人達には、文芸春秋か何かで言って居られましたが、「日本は占領されたままで良いのか。」と。相手は黙ったが、社会党は野党第一党のくせにサンフランシスコ条約に賛成しなかった。日本は独立を果して高度成長を遂げました。然しその間でも、参加しなかった連中はグサグサグサ言っていて発見したのが外務省の、誤訳した部分、東京裁判を受託。最後まで読めば判決を最後までやらせることだけであり、つぎにこれを変えることが出来るまで書いてあるのに読まない、読ませなかった。況や英文です。一見すれば、東京裁判受託とあるではありませんか。これだ!と言い続けたのです。

これに、いつの間にか外務省は乗ってしまった。外務省の小和田さんです。その時の答弁者は小和田さんで、それを許したのは中曽根さんです。それ以来の自民党を見て下さいよ。ペコペコペコペコではありませんか。文句言われると直ぐ靖国神社の参拝を止めるではありませんか。それが続いているのです。教科書についても侵略を進出に変えないというインチキ報道がありました。産経新聞だけが、「あれは誤報でした」と真の報道をして中国も韓国も抗議を取り下げたのです。そしたら、宮沢官房長官が、日本のこれからの歴史教科書には、「近隣諸国の感情を害する様な事は書かせない。」所謂、近隣条項に関する規定を作ったのです。日本は[東京裁判を受託して国際社会に復帰した]ということが内閣の伝統になったのです。

政府の見解というのが、国民の知らない間に、サンフランシスコ条約は無くなってしまって東京裁判だけ残ったのです。国民の知らない間に。内閣は粛々として東京裁判だけを認めて、だから韓国や中国が文句言ったら、日本の歴史教科書も最終検閲権は、ソウルと北京に在るようなことになった。

色々な人が首相になりました。細川さんという人が居ました。あの人は私の後輩になりますが、首相としては初めて、日本は侵略戦争をしたと言った人です。マッカーサーは取り消しているのですよ。何という不勉強な人でしょう。決定的に害を与えますね。次の村山さん、社会党ですから当たり前。東南アジアに行って謝り、彼方に行って謝り、此方に行って謝り、そして自民党になっても、彼方でも此方でも謝り、極め付きが最後の自民党の首相です。中山通産大臣でしたか、日教組を批判したということで、麻生首相はいきなり中山大臣を首にしたのです。

皆、あっ!と思ったのです。自民党は日教組に反対ではなかったのかな?と。田母神さんも、日本は悪い国ではなかったと書いたら首になった。田母神さんは、「自分は何処が悪いか解らない、懲戒免職にしてくれ。」と言ったのです。懲戒免職には出来ない。それで幕僚長だけ外した。そうすると、自衛隊の定年は60歳で、幕僚長は62~3歳なので、いきなり定年になった。そういうだらしないことをした。更に麻生さんまでも靖国神社に参拝しない。何処が自民党か。社会党と同じではないか。そんなら変えて見ようか、ということで民主党にしたら、揚句ひどいことになっている。

自民党も民主党も本質的に、差は無い。個人的には稲田朋美先生のように真正保守の人も居ますが、然し、党としては今の処、差が無い。党としてもう一度復活させる為には、解りやすく国民に訴えなければならない。その為には、中曽根さんが、私の様な者が間違って酷い目に遭わせました。あの時外務委員の答弁を許したのは私の責任です。大勲位を返します。と言って大勲位を返したら良い。東京裁判で有罪とした裁判に百%の権威を持って居たマッカーサーが、正式の場所で正式に取り消している。もう一つ、日本はサンフランシスコ条約に調印して全く平等の立場に立ったのです。それを東京裁判受託としたのは、中曽根さん以降の自民党の首脳です。この二つだけは是非忘れないで欲しいと思います。


(続く)


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