一阿の 「海ゆかば」

愚老の前に一冊の古ぼけた小誌があります。ネイビーブルーの表紙に金文字で「海ゆかば」と書かれています。海軍兵学校第七十三期生徒の追悼 文集です。愚老より二才年上、つまり一号生徒の文集です。

前にも書きましたが、大学から海軍の短期現役や予備学生として国防の任に当たった人達には「雲流るる果てに」を始め沢山の遺稿集があります。然し七十三期生徒には一冊の遺稿集もありません。ただこの追悼文集があるのみです。己(おのれ)のことは一切 書かず護国の鬼と化したクラスメート290余名の思い出が淡々と述べられてゐます。

七十三期生徒の総数は900名です。1/3が戦死されたのです。戦後左 翼化したマスコミは数字の魔術とかを駆使してこの300の数字をあげつらい、予科練や予備学生を前線に出し兵学校出身者を温存したと騒いだのでした。絶対数を比べたのです。

七十三期は昭和19年3月22日卒業、9月1日 海軍少尉に任官しています。20才前後です。そして敗戦の色濃いマリヤナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄作戦、本土防衛で散華してゆかれます。勿論天一号作戦 菊水一号作戦(20/4/6)にも参加されました。

20・4/7 大和沈没・矢矧沈没 以下
5/21 米軍那覇、首里突入
5/24 B29 250機東京空襲
7/26 ポツダム宣言発表
8/8 ソ連対日宣戦
8/10 天皇陛下ポ宣言受諾を決定
8/15 終戦の詔勅放送。

海ゆかば水漬く屍山ゆかば草むす屍大君の辺にこそ死なめ返り見はせじ。

この清々しい歌は戦前日本国中に満ち溢れてゐました。当時の若者は「昴」や「千の風 になって」を歌うように歌いました。 戦友追悼集「海ゆかば」(昭和45年6月20日刊)の一節を載せます。「・・・今は、日本は国民総生産世界第二位を誇るところまで回復した。

しかしこの GNP世界第二位を築き上げたのは、一体誰であろう。われわれは死者には何もしてやれなかった。いや何も出来なかった。だが彼等が生きていたら必ずそうしたであろうこと、それをわれわれはやって来たのです。

生まれて以来、日本の非常時を救う途は、文字通りわれわれが身命をなげうってやる以外にないと、教えられ、信じ、実行したことを、戦後も引き続いてやったに過ぎないのです。

戦後「雲流るる果てに」を筆頭に予備学生の遺稿集が数多く出版されました。われわれはそれを読み、そしてこう思いました。われわれクラスは何故「遺書」を書かなかったのだろうか。なぜ黙って死んで行ったのだろうと。

私は思う。彼らはアマチュアであり、われわれはプロであったからだ。プロであるわれわれの日常のなかには、当然のごとく死があったに過ぎない。しかし思う。われわれの青春は非情だった。「ガラス瓶に手紙を入れて」の第一回はこの「海ゆかば」の愚老の対番生徒阿部啓一少尉のミンドロ島勇戦の模様でした。二年近くなります。

あれからわが祖国は愛国心を持たぬ極左集団に牛耳られ極めて危険な状態にあります。改めて、祖国の安泰を念願して散華された310万柱の英霊に心からなるご冥福を祈りま す。また、東北大震災で亡くなられた御霊に安らかならむことを祈ります。
                                                     

(「海ゆかば」 了)


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