一阿友人の 「エルトゥールル号遭難事件の記録」(11)(12)

◆記録(11)

昭和天皇土國軍艦遭難記念碑御臨幸

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 光栄の第三日はいや朗らかに明け渡れば、東天瑞雲たなびきて、海面を渡る朝風いとも心地よく、今日を御名残と海岸さして集いよる民草は底ひも知れぬ皇恩に讃仰の涙を覚ゆるのみであった。

 この日午前八時といふに、陛下には早くも供奉員を従へさせられて御召艦上に出御、供奉、御警衛の各艦から選抜せられた海兵、及び大井乗組の海軍兵学校生徒等のカッターレースを、御興深く天覧あり、特別の御思召を以て乗組員全部と祈念御撮影の後、午前十時御召艦に御移乗、二隻の供奉艇を従へさせ給い樫野崎を発御あらせられた。

 御召艦は小波を蹴って午前十時十五分、樫野中之浦桟橋に着御、侍従長、海相、侍従武官長以下諸員を従へさせられて御上陸、桟橋南方に諸列奉迎せる、野手知事以下縣係員並びに新聞記者等六十余名及び、稍〃進ませられては樫野浦海岸に跪座奉拜せる、約貳千の村民に御曾釋を賜いつヽ、勾配急なる山峡の坂道を畏くも御徒歩にて進ませ給ひ、午前十時三十分日土貿易協會理事長山田寅次郎以下役員四名奉迎裡にトルコ軍艦遭難記念碑前に御着き遊ばされた。

 樫野崎の東岸脚下百数十尺の断崖に、激しては雪と碎くる狂瀾千古の恨を傅へ、點々たる野花一片の哀愁をそヽる處約五十坪の芝生に立てられた碑に向はせられて、御擧手の御曾釋を賜ひ、異郷の藻屑と消えたる土國使節オスマンパシャ以下五百八十一名の英霊を弔はせ給ひ、今日は海波も静かなる大洋を御眺望、御感慨深き御気色に拜せられた。

 昭和天皇の慰霊碑への参拝の報がトルコに伝わると、トルコ共和国の建国者で初代大統領であったムスタファ・ケマル(アタチュルク)はエルトゥールル号殉難将士の墓域の大改修と新しい弔魂碑の建立を決定しました。

 委託を受けた和歌山県が設計、施工、監理にあたり、この慰霊碑は昭和12年6月3日に除幕され、50周年追悼祭もあわせて行われました。

※明治天皇、昭和天皇、そして今上天皇、などを見ていると、過去にも未来にも、隅々まで目が届いて、しかも的確な行動をされていることを痛感する。

 それにしても今どきの総理大臣はペケですね。


◆記録(12)

1985のイラクで

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 1985年3月17日の事です。

 当時の中東はイラン=イラク戦争の真っ直中で、イラクのサダム・フセインが、膠着状態を脱する為に「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ全ての飛行機を撃ち落とす」と……何と無差別攻撃を世界へ向けて宣言をしたのです。

 やる事も無茶苦茶ですが、48時間というリミットに世界の各国は大わらわ。
 当然、イランにも派遣されている日本の企業人やその家族達が在しており、彼等は慌ててテヘラン空港へと向かいました。

 しかし、どの飛行機も満席である事は言うまでもなく、定期便にあぶれた人々は空港へ取り残されてしまいます。

 世界の各国は自国の救援機を出してそれぞれの自国民を救出しましたが、当然ながら自国民優先であるが為に乗せて貰える日本人は少なく、約200人がイランを脱出する事が出来なくなってしまいました。

 そんな事態にも日本政府の対応は遅れ、自衛隊機の海外派遣は許される事なく、外務省が依頼した日本航空は「(時間的に)帰る際の安全が保障されない」として派遣を断念してしまいます。

 タイムリミットは迫り、もしも脱出できなければ戦争が終わるまで彼等の帰国は絶望――最悪、戦闘に巻き込まれて死亡するかもしれません。

 そんな危機的状況の中、テヘラン空港に2機のトルコ航空機が颯爽と降り立ち、取り残されていた日本人215名全員を乗せて脱出する事に成功しました。

 その時、タイムリミットの僅か1時間15分前。(イラン領空から出るまでの時間を考慮すれば本当にギリギリと言えるでしょう)

 何故、政府による打診も要請も無かったにも関わらず、危険を省みずにトルコ航空機が助けに来てくれたのか?

 即座にその理由に思い当たる者は、マスコミはおろか日本政府にも居ませんでした。

 朝日新聞などは「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化しているからでは?」といった、まるで金目当ての恩売り行為の様な書き方をしましたが、その理由こそが、前述したエルトグルル号遭難事故だったのです。
 前駐日トルコ大使、ネジアテイ・ウトカン氏は次のように語られた。

 「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。

 私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。

 トルコでは子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」

***

※知らなかったのは日本人だけ。

 しかもその行為に対する日本政府のお礼はどうしたのか?

 こういうときこそ総理大臣が行って頭を下げるべきでしょうか。それが礼儀というもので、ゼニカネの問題ではない。誠にお寒い限りです。

 また国民の自国の歴史に対する無知がどれ程恥ずべき事か、痛切に思い知らされます。

 この時の総理大臣は中曽根康弘であった。

 後に小泉純一郎がトルコ訪問の際にこの老機長をわざわざ招いて感謝の意を直接伝え、この模様はトルコで放送された。

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(「エルトゥールル号遭難事件の記録」 了)

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