一阿友人の 「エルトゥールル号遭難事件の記録」(9)(10)

◆記録(9)

 昨日、和歌山の実家でなにげなくテレビを見ていると、エルトゥールル号の遺品引き上げ調査で120年間海底に沈んでいたため、彩色がほとんど消えてしまった白い平皿が見つかりそれに関連したエピソードが紹介されていた。

 その皿の表面には絵付けの白く盛り上がった線の跡があり、絵は、鳥や木が描かれていた。

 そして、それはエルトゥールル号が、日本で一番長く停泊していた横浜で作られた、当時有名だった横浜焼きという陶器らしいということで、横浜焼きに詳しい専門の鑑定士を招いて、トルコのチームが調べてもらったところ、それはウズラと木などが描かれた当時の横浜焼きの絵柄の平皿に間違いないことが分かった。

 そして、その鑑定をした人のコメントによると、横浜焼きは明治初期に有田焼や、伊万里焼の陶工が明治の文明開化で需要が無くなり、人口が多く外国船の出入りも多い横浜で日本の陶器をつくることで、需要が伸びて相当盛んに作られたものだが、横浜焼きそのものも現在では絶えて久しく、中国や欧米では手に入れることは出来ても、現在日本国内ではほとんど手に入れることが出来ず、国内で遺品が引き上げられたことそのことに意義がある、とのことだった。

 そして、その鑑定した人が持参した、当時の彩色のままのウズラと木の絵付けがされた、今回引き上げられた色のはげた皿によく似た平皿を提供されて、トルコの遺品調査隊の女性スタッフは、「こんな綺麗な色の付いたお皿だったんですね」と感慨深げに少しなみだぐんでいた。

 ニュースをみて、日本でも忘れられていた、横浜焼きの事や、ウズラの絵の描かれた日本の陶器を家族にお土産にもちかえり楽しく食事をすることを心まちにしていた、120年前エルトゥールル号に乗っていた一人の乗員が居たのかもしれないといったことを思い、悲しい事件のことが、120年も前の遠い昔のこととは思えない気がした。


◆記録(10)

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   生存者送還

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 この事は、和歌山県知事の言上によって明治天皇のお耳にも届き、ことのほか遭難者を心配した明治天皇は、生存者を本国へ送還する為に海軍に船を出させるよう命じました。
 この時に選ばれたのが、コルベット艦の初代「金剛」と「比叡」でした。

※金剛、比叡は海軍兵学校17期の遠洋航海練習艦としてトルコへ行った。このクラスには日本海海戦の名参謀となる秋山真之がいた。
 2隻は遭難したトルコ人達を載せて10月11日に神戸港を出立、翌明治24年(1891年)にイスタンブールへと到着し、トルコ皇帝をはじめ大勢の人々の歓喜によって迎え入れられました。

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金剛( 初代)  コルヴェット。

建造所 イギリス、ハルのアールス社、
明治8年9月日24起工

 同10年4月17日進水

 同11年1月 日竣工

 明治11年3月1日 イギリス発。 

 明治11年4月26日横浜着。

 明治15年7月15日 京城の変により品海発、朝鮮水域警備、同年9月18日馬関帰着。

 同17年12月11日から同18年1月24日京城事変で朝鮮警備。

 明治16年 巡洋艦に列す。

 明治17年12月21日 朝鮮事変により横浜発、朝鮮水域警備、同18年1月24日長崎帰着。

 明治20年航海練習艦となる。

 明治22年8月14日 少尉候補生遠洋航海でハワイ方面に向け横須賀発、同23年2月22日品海帰着。

 以後、明治23、24、25、27、28、29、31、33、35年にかけて実施。

 明治23年10月11日 同年9月18日、樫野崎で遭難のトルコ修好大使乗艦エルトグルル生存者送還のため遠洋航海を兼ね訪土のため品海発、

 同24年1月2日コンスタンチノブル入港、熱誠あふれる歓迎をうけ
 同24年5月10日品海帰着。

 明治26年4月22日 ハワイ革命に際し、邦人保護のため品海発、同26年8月5日横須賀帰着。

 明治27年8月5日 日清戦争で遠航中のハワイ方面から急遽帰国、呉鎮守府の警備艦。

 明治27年8月16日 朝鮮基地から出撃、威海衛砲撃、遼東半島、威海衛攻略作戦に参加、同28年3月23日まで。(西海艦隊旗艦)

 明治31年3月21日 三等海防艦に類別。

 明治37年から同38年 日露戦争で鎮海湾警備、のち旅順港警備。

 明治38年から測量任務、近海の水路測量に従事。

 明治42年7月20日 除籍。(解体)

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比叡(初代)  コルヴェット

 建造所 イギリス、ペンブロークのミルフォード・ヘブン造船社

 明治8年9月24日起工

 同10年6月11日進水

 同11年2月25日竣工

 明治11年3月23日イギリス発。

 明治11年5月22日横浜着

 明治13年4月8日 インド、ペルシャ、東南アジア方面巡航のため横須賀発、同年9月17日兵庫帰着。

 明治15年8月8日 京城の変により横須賀発、朝鮮水域警備、同年9月18日馬関帰着。

 明治16年 巡洋艦に列す。

 明治17年12月15日 朝鮮事変により長崎発、朝鮮水域警備、同18年1月24日長崎帰着。

 明治22年8月14日 少尉候補生遠洋航海で地中海、ハワイ方面遠洋航海のため横須賀発、
 同23年2月22日品海帰着。

以後、明治23、24、30、31、32、35年実施。

 明治23年10月11日 同年9月18日、樫野崎で遭難のトルコ修好大使乗艦エルトグルル生存者送還のため遠洋航海を兼ね訪土のため品海発、
同24年1月2日コンスタンチノブル入港、熱誠あふれる歓迎をうけ同24年5月10日品海帰着。

 明治27年7月23日 日清戦争で朝鮮基地から出撃、威海衛砲撃、黄海海戦、威海衛攻略などに参加、
 同年9月27日。同年11月9日から同28年5月8日。(常備艦隊)

 明治27年9月17日 黄海海戦。(連合艦隊司令長官伊東祐亨)

 明治31年3月21日 三等海防艦に類別。

 明治36年12月28日 日露戦争で舞鶴鎮守府警備艦、のち旅順港警備。

 明治40年から41年 測量任務、近海の水路測量に従事。

 明治44年4月1日 除籍(解体)


(続く)

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