一阿の 「佐久間艇長と夏目漱石」 其の六

漱石はその頃持病の胃腸疾患で吐血し長与病院に入院中でした。佐久間艇長の遺書を病床で読み深い感銘を受け、心から追悼文を送ったのです。彼は丁度朝日新聞 に「門」を連載していました。「草枕」「虞美人草」の絢爛たる文体を経て「それから」「こころ」とともに彼の深い沈潜と実りの時でありました。

「門」の主人公宗助が鎌倉に座禅に行くのは漱石が大学時代鎌倉円覚寺で参禅した経験に基ずいていることはよく知られています。前の「文芸とヒロイック」に「自然派」 という言葉が出てきますが、これは其の頃時を同じくして出てきた自然派文学者「田山花袋」「島崎藤村」「島村抱月」etcをさすのです。つまり理想やヒー ローと言うのではなく近代の合言葉「認識する我(デカルト)」の下に現実を見つめなおす目から作品を書いてゆくのです。

それはやがて矮小化された「私小説」と「プロレタリア文学」の二つの道に分かれてゆきますが、漱石は是に反対しました。漱石にとって「文学とはなにか」と言う問題は「人生如何に生きるべきか」と同じでした。物事を本当に良くわかろうとすると情緒的な自分は切り捨てなければならないし、逆に情緒に沈潜して物事を捕まえようとすると 認識者である自分と言う存在を捨てなければならない。この絶対的な矛盾に漱石は苦しんでいました。

このときに「佐久間艇長」に出会うのです。彼の心の感動は如何ばかりであったでしょう。生命をかけて物事にあたる人同士は良く理解しあえるのかもしれません。夏目漱石は佐久間勉の良き理解者でもあったのです。

幾千幾万と林立する作家の中にあって、現代も猶我々の懐かしい故郷のごとき風や土のにおいを放っているのは故なしとしません。漱石は「私は多年の間懊悩した結果、ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に堀り当てた気がする」と云っています。「およそ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。Fは認識的要素をさしfは情緒的要素を示す。」と云っています。

やがて彼の優れた文学論に結実します。私の独断ですが、佐久間艇長の遺書は夏目漱石にとって最後の文学開眼の「手鏡」でありました。夏目金之助もまた本当の日本人であったのです。             


与謝野晶子の佐久間艇長にささげた挽歌を載せます。



ひんがしの国のならひに死ぬことを誉むるは悲し誉めざれば悪し

勇ましき佐久間大尉とその部下は  海国の子にたがはずて死ぬ

瓦斯に酔い息ぐるしと も記しておく 沈みし艇(ふね)の司令塔にて

大君の潜航艇を悲しみぬ 十ひろのそこの臨終(いまは)にも猶

武士(もののふ)のこころ放たず海底の 船にありても筆とりて死ぬ

海底の水の明かりにしたためし 永き別れのますら男の文


(続く)

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