九太郎の 『憂国の詞』-第八回- 「北方四島問題」1

第八回は第七回の続きとして満州事変から満州国建国、そして之に続く諸課題を説明す可く準備中の所、突然に北方四島問題が噴き出て参りましたので、その前に緊急事項として当問題を取り上げます。 

終戦間際の8月8日にソヴィエット連邦(ソ連)は日本に対して一方的に宣戦布告をし日本領土に攻め入りましたが、当時の日本としてはソ連とは日ソ不可侵条約を締結中であり、更にお人好しの極みとしてソ連を通じて連合国に対し講和の打診をしていました。

日本はポツダム宣言を受け入れる形で降伏しましたが、ポツダム宣言にはソ連は名を連ねておらず、従って日本としてソ連の行動は終戦のドサクサに紛れた火事場泥棒とでも云う可きものであります。 そこで日本としては理非を質してロシア(ソ連)に対し火事場で盗んだ北方四島を返せ返さないと押問答中の所、ロシアは先日に突然に対日戦勝記念日なるものを定めて戦勝パレ-ドまで行い、その上で北方四島はそれまでに自分等が占領した「戦利品」であるとして理屈抜きに開き直った形と云う事であり、云わば盗人が日本の弱腰を見て強盗に開き直ったと云う事であります。

そこで以上の事について我国の筋を通し下記に検証します。 先ず日本が降伏した基本となるポツダム宣言について検証します。 

ポツダム宣言とは1945年(昭和20年)7月26日、米国、英国および中華民国(中国)の各元首がポツダムに会合し、日本に対し降伏勧告について発した最後通告であります。 之には当然にソ連は参加しておりませんが、戦争の終結の近い事を覚ったソ連は、8月8日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告をしポツダム宣言に加わったと称す者でありますが、勿論日本としては関知する所ではありません。 

因に中華民国と日本はお互いに宣戦布告はしない儘に、従って日本としても戦争ではなく支那事変と呼称していたものですが、戦争終結の間近い事を覚った中国は慌てて宣戦布告をしたと云う事であります。 
その後の1951年(昭和26年)に日本は各国との間でサンフランシスコ講和条約を締結しましたが、此の条約にもソ連は参加しておりません。 


(続く)

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