一阿の 「善魔」  1/2

岸田今日子の親父さんは有名な劇作家岸田国士(くにお)だと言うことはよく知られている。彼の作品に「善魔」があります。悪魔があるように善にも魔物が住んでいて善魔と言うらしい。

人はよく是非善悪をあげつらうが、善悪の位は同じだ。日本人の好きなトルストイにも「戦争と平和」がある。「平和と平和」とは言わない。戦争と平和は常に一対である。神世の昔から変わらない。戦いから逃げ廻っていて平和をかち取れる分けがない。あのマルクスが最も嫌ったのは「空想的社会主義」だ。

観念で平和な桃源郷・平等社会を描き、頭の先で反戦平和を叫ぶ口さき人間を彼は軽蔑した。新興宗教と変わりがない。出来ないことを知っていて「最小不幸社会」なんて愚にもつかんことを言う。国を率いる者の口にする言葉ではない。国家と国民に指し示す積極的で崇高な目標を掲げるべきであろう。

積極的と言うのは肩をいからせて、から元気を振りまくことではない。「晴れてよし曇りてもよし富士の山」のあの気持ちだ。昔の俳人は「春の海ひねもすのたりのたりかな」と詠んだ。これが積極的精神だ。

近代社会は批判精神から始まった。人間復興は神にたいする批判を内蔵し、マルキシズムは資本主義社会の精緻な批判から始まった。だからどうしても怒り 恐れ 悩み 悲しみといった消極的な観念を抱えている。積極的な気持ちと言うのはこれと反対側の精神です。

来年は「法然」の八百年忌です。彼の有名な言葉に「一枚起請文」があります。「唐土(もろこし)我朝に、もろもろの智者達の沙汰し申さるる、観念の念にもあらず。また学問をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず、・・・」という確信の吐露です。この世の中で一番差し障りになるのは「観念」だ。頭の先で考えた「念」だと言っているのです。腹の坐っていない、信念のない単なる「理屈」「知識」が人を不幸にすると言っています。

私の恩師は昭和43年に92才でなくなりましたが90才の時神戸で話をされました。「お前達はくだらんことを、よく知ってますぜ。びっくらこいてしまう。だが、いざと言う時、ちっとも役に立ちゃあしない。」と「観念」のくだらなさを笑いながら揶揄されたものです。

法然さんは800年前に現代の世の中にも当てはまる真理を喝破された。NHKや左翼放送とくに朝日あたりの、したり顔のニュースキャスターや無国籍学者さん達の解説を聞いていると、正に我が国の為にちっとも役に立ちゃあしない頭の先の観念であることが分かる。大切なのは、理屈ではなくて「信念」(潜在意識)なのです。ではどうしたら潜在意識を綺麗に掃除して積極的なそして故郷や故国を自然に愛してしまう正しい心が創れるか。ほって置いては、駄目なのです。


(続く)


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