九太郎の 『憂国の詞』-第五回- 「市民と云うもの」1

私が当ブログに寄稿を始めた動機は、過去の戦乱の歴史的評価について、当時の皇国原理主義でもなく、その後の自虐主義でもない日本人としての公正な立場での歴史を残して置きたいと願ったからであります。
所がその後の鳩山政権および小沢裏方師の言動を見るに見かねてその記述に係わり少し脱線しましたが、脱線ついでに管直人が創生した「市民」と云う概念について申して置きます。

昭和21年生れの管直人が政治に志した切っ掛けは、明治26年生れで53才違いの婦人選挙権獲得運動の活動家である市川房枝との出会いにあります。
市川房枝は昭和28年に参議院議員に当選し、昭和31年に売春禁止法を策定しましたが昭和46年に落選しました。 そのご昭和49年に再び立候補して復活当選しましたが、この時に選挙事務局長を努めたのが管直人であります。

その後の昭和51年に管直人は市民の代表を掲げて参議院に立候補しましたが落選し江田三郎の社民連(社会市民連合)に加わり昭和55年の衆議院選挙で初当選を果たしました。 之が管直人の「市民」としての初登場でありましょうか。扨て前記江田三郎とは日本社会党書記長、副委員長を歴任して社民連を立ち上げた人物で、反貧困、非戦、そして共生社会を目指して「連帯」しょうと云う趣旨で立ち上げたのが社民連であります。 因に管直人はそのご平成6年に新党さきがけへと移り平成8年には橋本内閣で厚生大臣を務めました。 

そこで新たに発生した「市民」と云う概念でありますが、一口に申せば国家権力に対立し「国民」と云う概念に対立する任意流動集団であります。 そしてその戦法は、民主主義の「民」を「衆」と置き換えて衆主主義となり、その権威付けには進歩的マスコミと協働し衆を煽り之を世論と名付けて之をしも公論と称し、既存の権力に対抗し「我意」を押し通そうとする「進歩的」集団であります。
市民の事について嘗てマルクスは「市民社会の人間は自然権を基礎とする自然的人間である。 斯くて現実の市民社会の中に生じた諸矛盾は国家の手によって解決する事はできない。 それは現実の人間の手によって、即ち市民社会の人間の手によってのみ解決される」と既存国家の枠組みを否定し社会主義、共産主義社会のみが矛盾の無い社会であるとの帰結に導く思想を策定しましたが、日本の「市民思想」も之に倣ったものでありましょうか。

(続く)

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