一阿のことば 91 「美しい日本」 2

国宝「一遍上人絵伝」にこの教信寺が描かれています。「聖絵」は一遍さんが亡くなって(1289)十年後に彼の一番弟子、聖戒によって完成しますが、その中に「いなみのの島にて臨終すべきよし思つれど・・・」とあります。つまり一遍は印南野の教信寺を終焉の地と考えていました。どうしてでしょう。「捨ててこそ。」に生涯を貫いた彼は死に際して死骸を「野にすててけだものにほどこすべし」といっています。まさに一遍の脳裏には教信の往生の様子が描かれていたのでしょう。

彼はやがて兵庫の真光寺で没しますが、その前に播州姫路の書写山円教寺へお参りします。私が登った書写山は昭和40年頃でしたが、可なり深い山でした。頼朝が鎌倉で権勢を誇っていたころですから、それこそ狼や山犬がウロウロしていた深山幽谷だったに違いありません。わざわざ一遍が円教寺へゆくということは、きっとあの教信沙弥が身体を赤犬に与えた400年前を思い出していたのでしょう。

一遍さんは河野水軍を率いる伊予の豪族、河野一族の武人です。1185年壇ノ浦の合戦で河野水軍の頭領は河野道信でしたが、その孫が一遍智信です。道信は一族の中興の祖ですが、承久の変で朝廷方に味方して破れ、奥州にに流されます。従って彼の墓は江刺にあるのです。仏門に在る一遍にもまだまだ悟りきれぬものがあります。最後に心の拠り所になったのは祖霊だといえます。この時一遍は
        身をすつるすつる心をすてつれば   
                 おもいなき世にすみぞめの袖
と歌っていますが、それは観念であってまだまだ大悟徹底というところまでにはいたっていないのです。まして今の世、俗物達が「平和」「平和」と言って平和な世の中になる筈も無いのと同じです。ところが一遍さんはそこからが違います。

栗田 勇に言わせれば、一遍は色浅黒く、背丈は百八十糎、骨太で筋肉質の偉丈夫です。大三島神社の祭司の子孫で、海上の文化に深く養われていた海の男は、「文永十一年 三十六歳 ・・それ我が国の神国なるを見るや、神に祈りて他力の深意、自他平等利益の旨をきわめんと欲す。」と心に決めるのです。

求め求めて遂に、既成宗教から脱し、我が国古来の原始的宗教体験(神道)への直接参入へと意を決するのです。「熊野行き」です。聖徳太子からの伝統を秘めた「常世」「よみ」の国の「浄土」に生きる「聖(ひじり)」の道を生きることになります。熊野で「一遍」さんは不思議な体験をします。そして本当の「覚者」となってゆきます。

「皇統の危機」で申し上げた、仏教の底に厳然と座っている神道の意味を思い出していただければ幸いです。

今日は(6/2)鳩山さんが辞めました。
ニュースでも時事解説でも、民主党がどうの社民党がどうの、小沢さんが、菅さんが、と結局は政党の人気取りか一個人の政治生命のことばかりです。本当に国家のこと国体のこと防衛のこと、皇統のこと、二千六百七十年続いた日本の国が中国や他の外国にのさばられやがては犯される事への対応対策は何も語られない。国敗れて子供手当て残るという風にはなりません。防衛こそが本当の福祉なのです。
次回は熊野の一遍さんを述べます。    


(続く)

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