しろうの 「一阿さんの『ふとした思い出』に応えて」 2

その原爆の報告を物理学の教官に聴きながらも訓練を続けていたのですが、
8月15日終戦の詔勅とともに、
私たちは泣きながら再起を誓い生徒館生活の後始末をして、
およそ10日後に江田島を離れ故郷に帰りました。

私は街と人々にむごたらしい傷跡の残る廣島を通り、
無蓋の石炭貨車で京都に着いたのですが、
京都はまだ空襲に備えての強制疎開の真っ最中で、
沢山の家が近所の人たちによって引き倒されていました。

命を捧げて訓練に明け暮れていた私は、
暫く茫然と母とともに一家7人の食料調達に駆け回っていましたが、
10月1日京都府庁で兵学校の教官から卒業証書を手渡され、
同時に勧められた京都帝国大学農学部に入りました。

京大では一阿さんが東大で受けたようなイジメには逢いませんでした。
むしろ、軍出身者が中心になって、
音楽界やダンスパーティを開催して市民と楽しみ、
得た収益で野球道具を京大に寄付したのです。
漏れ聞くところによれば、イジメがあった旧制第4高等学校でも
一阿さんの書いたエピソードに近い事があったそうですが、
旧制高知高校では元気で成績が良かった陸海軍組は
直ちに元の主導的地位に戻ったそうです。

以上われわれ敗戦によって失業した陸海軍軍人が、
戦後いとも簡単に高等教育をうけることが出来たように書きましたが、
昭和20年秋には軍出身者は進駐軍の命令で一割以内しか入れないなど、
新聞にも出ていないことが噂されていて、
数万人と予想される軍学校出身者との争いで実際は「狭き門」そのものでした。

しかし、実のところ国は終戦後たった13日目に
「陸海軍学校出身者中希望者は全員文部省の学校に受け入れる」という
驚くべき方針を決めていたのです。     

この話は続きます。         


※明日は蒼海さまのお手紙をご紹介いたします

※しろうさまのお手紙はまだまだ続きます


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