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zoom RSS 一阿の 「澎湃寄する海原の」 4

<<   作成日時 : 2017/01/06 07:00   >>

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。・・・さて、プーチンがやってきて、したい放題をし、言いたい放題を言って、帰って行った。安倍ちゃんも善くやったが、随分とやりにくかったろう。自国に軍隊がないんだもん。昔から樽俎折衝と言う。外交のことだ。相手の戦車の尖った角(つの)をへし折り、それから酒を酌み交わして交渉する。これが外交だ。軍国主義でも何でもない。今も昔も変らない。

さて、母校(神戸二中)に早川(仮称)という優秀な先輩がいた。その頃、勿論塾はなく学校以外で勉強するなんて、思いもよらない時代だ。ただ学費のない若者は師範学校(先生になる学校)や兵学校や高等商船を受ける手が有った。授業料が要らなかった。「英国人の見た海軍兵学校(セシル・ブロック著)」は、次のやうに言ってゐます。

「・・・兵学校の新入生は、真に日本国民のあらゆる階級層を代表する青年の集まりと言ってよい。私が最後に見た新入生の中には、お二人の、皇族宮殿下がゐらせられたと同時に、漁夫の息子もゐた。・・・・」

彼は大変羨ましがって、「我々イギリス国民は、民主主義的な制度を有することを誇りとして来たが、ダートマスの海軍兵学校へは、特権階級と富裕層しか入れなかったことは否定出来ない。・・・日本の兵学校へ入るのは、大変な競争が行われる。今年(昭和9年)の入校者240名。これに対し受験生は7,138名。30人に1人の割である。」と言っています。

さて、中学の四年・ 五年の期末試験成績はズラリと廊下に張り出され、何時も真っ先に早川先輩(仮称)の名前がありました。それに、先輩は人望があり、何か近寄りがたい優しさと言ったものを持ってゐました。大正天皇が崩御遊ばされたのは、12月25日ですから。昭和元年はわずか6日間。私が小学1年生になったのは、昭和7年。早川先輩はすでに5年生でした。旧制中学は5年制ですから、新入生にとって、上級生は兄貴と言うよりはオヤジに見えました。

彼は兵学校に入校します。中学三年の頃、神戸「烏山の水源池」の小高い丘に登ると、兵庫の海岸線が一望でき、川崎造船所のドッグに何やらどでかい艦が繋がれてゐました。船尾がはみ出し、太い棕櫚縄を無数に垂らして、視界を遮ってゐました。スパイ防止です。子供心に胸を踊らせ、「あれは、戦艦かな航空母艦かな。?」と想像したものです。航空母艦 「瑞鶴」 でした。

そして奇しくも、早川少尉は「瑞鶴」に配属されるのです。「瑞鶴」は昭和19年 第二艦隊の栗田機動部隊が捷一号作戦で出撃したとき、囮艦隊(敵ハルゼー艦隊を栗田艦隊に近寄せないため)として出撃した小沢治三郎長官の第三艦隊の旗艦として、最後まで、奮戦しました。

真珠湾攻撃に参加した 赤城 加賀 蒼龍 飛龍 翔鶴 瑞鶴 の内 最後まで戦ったのは、この瑞鶴 だけです。ハルゼー(敵機動部隊の司令官)は小沢中将の見事な陽動作戦に引っ掛かって、囮艦隊を、最強の艦隊と間違へ、総攻撃をかけます。瑞鶴艦上の小沢長官は。囮艦隊の役を見事に果たすのです。

然し 瑞鶴は三次にわたる敵の波状攻撃(130機を越える雷爆撃を三回受ける)により、この歴戦の空母の武運も遂に尽きます。昭和19年10月25日 13時55分 軍艦旗降下 総員退艦。貝塚艦長は静かに艦長室に入り、中から鍵を閉められます。艦と運命を共にした士官49名 下士官・兵は794名。

早川先輩(海軍大尉)は瑞鶴艦上で飛行甲板直撃弾により戦死されます。20度の傾斜、館内の爆発、火災、折り重なる戦死者、負傷者、 その中で、沈着に軍艦旗を下ろし、「総員退去」 を命ぜられる貝塚艦長の心中は、如何ばかりであったでせう。

「玲瓏聳ゆる東海の/芙蓉の嶺を仰いでは/神州男子の熱血の/我が胸更に燃ゆるかな/ああ光栄の国柱/鎮らで止まじ身を捨てて」 あの江田島の大芝生で高らかに謳った「江田島健児の歌」の第二節です。

ああ 光栄の国柱、護らで止まじ身を捨てて。・・・ 生命を捨てて祖国を護られた父や兄や先輩のお陰で、こうして有り難いお正月が迎えられる。関ヶ原で島津義弘が家康本陣の中央突破をしたやうに、山本五十六長官がハワイ真珠湾を急襲していなければ、どこかの国のやうに。今頃日本列島は分断されていたかも知れないのだ。敢えて彼等にそれが出来なかったのは、このハワイ真珠湾攻撃によるのです。

ハワイを攻めていなくても、コミンテルンの二重スパイがバレたあの米国国務長官ハル(戦後の米国の赤狩りの原因)があらゆる手段を捻出して日本を立ち上がらせただろう。ハワイ真珠湾攻撃により、彼等は真底わが国のこわさが骨身に応えた。喧嘩は最初の一撃が大事。常識だ。とは言っても、山本長官はこれで勝てると思われたのではない。敗戦直後のあらゆる文献をみても分かる。

長官ほどわが国の実力を識り、戦争反対を力説された方はない。米内光政海軍大臣は、山本次官が右翼や陸軍の一部やこれにかぶれた政治家どもに生命を狙われるのを防ぐため、海上の聨合艦隊司令長官への転出を考えられた。これは人口に膾炙している。

評論家さんや学識経験者さんが、ハワイ真珠湾攻撃はは間違いで、山本長官の独断専行だ。と異を唱へるが。 軍事に詳しくないこれらの人々の推論は間違いで、軍令部でも、南方決戦について、三回も図上演習を行ってゐるのです。何れも利あらず、長期的には押されるとでます。山本長官の頭には、圧倒的な国力の差をもつ米艦隊に対し短期的な戦い以外に、祖国を有利に導く戦術はなかったのです。(彼の頭の中にあったのは祖国を有利に導く講和でした。) 勝てないことを承知で鬼神の戦いを挑んだのです。

あの頃どこのどいつが勇ましい記事を書きまくったのか。朝日じゃないか。NHKじゃないか。サイレント ネービーとよく言われる。これは政治に対してサイレントと言うことです。勿論言い訳しないと言うこともありますが、戦前の帝国海軍ほど政治嫌いな軍隊はなかった。然し帝国海軍はマスコミではない。国家が戦うと決めたら、戦う。「2・3年は大いに戦ってみせませう。・・・なんて言わずに戦えない。と言えというが、長官は軍人だ。評論家ではない。それを察知せにゃならんのは政治家じゃないか。」

そう言ったのは。年末に乗ったタクシーの運転手くんだった。彼は長岡出身で、山本元帥と同郷だったのだ。私は嬉しくなって、「釣りは要らねぇ?!」と森の石松を決め込んだ。ところがどうだろう。またぞろ、蓮舫が、日本の歴史をご存知なのかご存知ないのか、山本五十六が祀られている靖国神社へ詣るのはどうとかこうとかおっしゃる。もういい加減にせい、と言いたい。米国や中国の心証ばかりをチラチラ伺うのはよしにしようよ。瑞鶴の祖霊が泣いてをられる。「ああ光栄の国柱/護らで止まじ身を捨てて。」


― つづく −


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