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zoom RSS 一阿の 「問わず語り」4

<<   作成日時 : 2015/08/12 07:00   >>

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蛸壺や/はかなき夢を/夏の月
「笈の小文」にある芭蕉の句であることはご存知の通り。明石の人丸神社の石碑に記されている。

私は若い頃明石の隣の人丸にいたので、此の石碑を毎朝見て会社へ通った。夏になるとこの句を思い出す。明日の生命も知らない蛸の夢が哀れを誘う。日本人は皆まで言わない。問わず語りに相手に伝へる。俳句は特にそうである。支那大陸や朝鮮半島の人達は無関心だが、西欧の優れた文化人達が異質のこの

俳句に心酔したことはかってブログで述べた。リルケ や シュペルビエルを中心とする人達だ。リルケと言へば久保田万太郎の最後の句に、 「こでまりの/花に風いで来たりけり。」 がある。
久保田万太郎が急逝する直前、安住 敦は万太郎と一緒に車で青山墓地の近くを通った。ある屋敷の庭に「こでまり」の花が垂れ下がっていた。そこで 万太郎は こでまりの花に/風いで来たりけり と呟いたと言う。

万太郎は知性に優れた国際人ではない。寧ろ江戸下町情緒にどっぷりつかった人だ。この彼があのリルケの「風立ちぬ/いさ生きめやも」 のこころを呟く。日本人の所作だろう。敗戦後われわれが源氏物語いらいの温かい土の道を歩くことを許されず、理屈と観念で舗装されたコンクリート平和道路を歩かされ、今も歩いている。見るテレビと言へば、殆ど安保法案反対、平和大行進だ。昭和20年8月15日で日本の文化や歴史は強制的に中断されたと考える多くの人がいる。

しかし国家と言うものは、長い歴史と文化の上に立たなければならない。民主主義と言うなら平和と戦争のそれぞれの立場で、想いを述べ道を決めれば良い。ところが、日本の尊さ美しさ正しさを伝える貴重な書籍は7100冊も進駐軍に焼き払われたのだ。人呼んで「焚書の刑」と言う。勿論国際法では禁止された行為だ。学校では日教組の先生が自虐史観を教へマスコミは侫造に近い偏った情報を撒きちらす。大抵の人は、比較対照すべき資料が無いのだから洗脳されない方が不思議だ。

戦艦大和は八月七日沈みました。「大和」は此の目で見えます。我々は敗戦と同時に、目に見えない心のなかの「大和」も撃沈されたのではないでせうか。今、国会議事堂前で戦争法案反対と叫び首相官邸前で集団的自衛権反対を絶叫している集団を見ると55年前の安保闘争を思い出します。規模こそ違え、マスコミに踊らされ、感情的である点全く変わりはない。55年前安保反対を叫んだ人達がその後どうなったかを考へるとすぐ分かります。

戦後、労働運動華やかなりしころ、「むかし陸軍、いま総評。」 と言う言葉が流行りました。 わが国の海軍や陸軍が誕生したのは、慶應四年一月、京都で総裁・議定・参与の下に分課制が採用され、海陸軍務課が設置された1868年と考へるのが常識的ですから、日本の軍隊は僅か77年で消滅したことになります。日本の軍隊はそんなに悪かったのでせうか。それに比べ、共産党や総評や日教組や国民ではなく市民だと自称する反日の人達が猛威を奮っている時間は充分に長いのです。軍隊に在籍した経験のある愚老は確かに軍隊を全て良いとは言いません。しかしそれは改善すれば良いことです。

私の90年の人生は、僅か一年八ヶ月のこの軍隊の経験と記憶で支えられて来たやうに想います。戦後のどんな経験よりも純度が高いのだ。一度も軍隊の経験のない人が何を根拠に軍隊は悪で軍隊は残虐で軍隊は半人道的だ と決めつけるのですか。「軍」と言うものは如何に戦いに反対であっても(米内光政・山本五十六・井上成美各提督のやうに)国家が戦えと決めたら命の限り戦ふものです。 三百万人もの尊い人命の犠牲と祖先伝来の多くの財産を消尽して得た、この今の日本の国を2675年続いた本来の「心と姿」のまま後世に伝へなければならないのは当然です。

至る所、関東大震災の惨状を呈していた敗戦の国土の上に、自信を喪失し食べるものも無い国民に全く文化の異なる戦勝国の偉い人間が来て、これが自由主義だこれが民主主義だと強制的にコンクリートの高速平和道路を造り、従順な行儀のよい国民を走らせ続けました。そして70年。 軍隊は悪で。家族は酷い目にあわされた。あんなに愛された芸能人やスポーツ選手を殺してしまうとマスコミは毎日のやうに放送し、戦争反対 軍隊反対と叫ぶ。 特に朝日 毎日 は無道だ。そしてNHKは巧妙だ。

テレビでは不思議に祖国の為、母や父や弟や妹の為、喜んで命を捧げた人のことは一切出て来ない。90を過ぎた老人で当時不平不満を胸に一兵卒として戦っていたごく一部の声のみ取り上げ、あたかも此が軍隊であったかのやうに放映する。知らない人は本当かと思う。自分のことを言うのは恥ずかしいが、私の父は27才で他界、私は2歳、 母は24才だった。一生家を守り女手一つで私を育て上げた。いよいよ国が危なくなると私を国に捧げた。死んでこいと軍隊の学校へやった。私は運悪く死ななかった。
敗戦で神戸の神有電車は動かず、原爆惨下の広島から貨車で神戸に辿り着いたそのまま徹夜で有馬まで歩いた。母は有馬に疎開していた。「お母さん。申し訳ありません。」 と私は手をついた。

70年前の出来事です。それから40年ほどして、ある商社の友人に言った。「私は2ヶ月戦争が長引いていたら、死んでいたかも知れない。偶然生き残ってしまった。」すると彼は「あなたは生き残ったのではなく、死にそこなったのだ。」と言った。「その通りだ。」 と私は答えた。 やがてその友人の会社の社長が民主党全盛時代、中国大使になると言う。「国の代表として、彼はちゃんと国体を識っているのかな。」と言ったら 「国体って何ですか。」 と友人は聞いた。私は唖然とした。しかし笑っていた。

この男も商社では可なりの地位を占めていた。私はあの芭蕉の句を思い出していた。「蛸壺や/はかなき夢を/夏の月」 戦争反対! 人権人権! 平和 平和! 蛸壺で夢を見ているおめでたい人達。なんの備えも無しに・・・。 私の母校、旧制神戸二中はあの最後の沖縄県知事 島田 叡 さんを出したが、校歌は「名も千載にかんばしき/湊川原の片ほとり/黎明(あさけ)の光身に浴びて/希望に生ける健児あり。」で始まる。湊川原で散った楠木正成を偲ぶもので、そのメロディーは軍歌の「勇敢なる水兵」(日清戦争)そのままだった。戦前はごく自然に歌い何の違和感もなかった。

自慢めくが、同じ先輩 「小磯良平」や「東山魁夷」もこの校歌を高らかに歌ったのだ。この神戸二中が戦後間もない頃、一度だけ夏の高校野球の県代表に選ばれたことがある。優勝したのて選手も応援団も父兄も声を揃えて校歌を歌った。ところがどうだろう?!。 甲子園のスタンドを埋める観客のあちこちから失笑が起こり、やがてゲラゲラ笑い出したのだ。楠木正成はアナクロで「勇敢なる水兵」は軍国主義だと言うのだ。校長はすぐに校歌を変へた。だから我々32回生は自分の母校の校歌を知らないし、歌う気にもならない。今でも同窓会では「勇敢なる水兵」のメロディーに乗って声を張り上げる。卒業から72年、母校は104才になる。

我が国は、変な国になりつつあるのじゃないかな。戦前を充分に知っている私は、どうもこのままお迎えの車に乗る気がしない。戦後70年と言うが、戦前70年はいつだろうとふと考える。

― つづく―

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