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zoom RSS 一阿の 「九太郎の遺言」 1

<<   作成日時 : 2014/07/08 07:00   >>

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「談合」 とか 「箱物」と言う言葉が氾濫し始めたのはいつの頃だったろうか?言葉は重いやうでもあるし軽いやうでもある。なんとか言う女子の大臣が「二位ではいかんのか」 とふんぞり返っていた鳩山や菅の時代がその絶頂期だったやうな気もする。

集団的自衛権が云々され日朝の拉致被害者会談が最も重要な課題になっている昨今、十年前の物語は古いかも知れないが、マスコミの煽動の意のままに動くのではなく、自分の意見を持つことはとても大切なことだと思う。・・・もう鬼籍に入った九太郎(ガラス瓶投稿者)が私にくれた「遺言」を開陳する。

彼の最初の仕事は仙川のキューピイマヨネーズ工場と研究所の設計だった。昭和26年武蔵野の片田舎に頑丈な工場を創った。仙川は桐朋学園や白百合大学を抱え洒落た街だがその頃は武蔵野の片田舎だった。彼は茫洋として不思議な魅力を持ち多くの人から愛された。

その中にキユーピーの中島董一郎(創業者)がいた。「あの会社の社是は親を大切にすること、やで。」と九太郎は嬉しそうに言った。サントリーの佐治社長からは「楽しい会社を創ったらいいよ」と言われた。社長就任時に贈られた言葉だ。

しかし彼の会社は「わるい奴ら」に潰された。会社を一つ潰すと裏金の10億や20億はすぐ出てくる。わるい奴らはこれで暴力団に手を打った。「褒め殺し」は直ぐに消えた。会社を去ってから彼は役員や社員のいない中でコツコツと社史を書いた。「読むか?」と言うので頷くと。コピーした原稿を送って来た。五百頁あった。

装丁されない原稿の山だが、今まで見たこともないやうな見事な社史であった。三年を要した。これは頭の先でひねり出した無責任な観念ではない。彼が自分で歩いた足跡だ。全部は書けないしまた差し障りもあるので、序文とか各章の初めにのせてある時代背景の一部を紹介する。

「―序文―・・・我が社は昭和21年に設立され全国に十万社と言われる建設請負会社のなかで22〜23番目の順位を保持し、驚異的な発展を遂げて参りました。しかし51年を経た平成9年忽然と姿を消すの止むなきに至りました。その余りにも突然のことに、それまで会社を信じ 全力を傾注してこられた役職員、協力業者の方々、お得意の各位そして大勢の株主の皆様に対して、この突然の出来事を釈明しまた衷心よりお詫び申し上げる義務があるとぞんじます。

そしてその真相を記録しておくことは後世の社会に対する義務と思うので筆を執りました。・・ 私はこう考えます。物の形を表す方法として平面図、立面図、断面図がありますが誠に無味乾燥で一見してその物の概要を把握することは出来ません。

ではどうするか。それは自分が見た通り透視法で表現することです。それに陰影をつけるともっと生き生きしてきます。したがって、我が社の歴史を書くに当たって先ず我が社への視点を決めること、次に陰影を決める光源が要りますが、これは私の倫理観や社会観としました。

だから本書は私の公的面での履歴書であると同時に後世諸賢への遺言でもあります。更に私は本書により、戦後 日本復興にとって救世主のやうに扱われれてきたわが建設業界がその後諸諸の過程で昨今では世の誹りの対象となるに至った原因を詳らかなし、それと共に日本の国富の蓄積を造って参ったのはわれわれ建設業界であると誇りをもって申し上げておきたい所存であります。」

― つづく―


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