ガラス瓶に手紙を入れて

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zoom RSS 一阿の 「こけし」 V

<<   作成日時 : 2014/02/26 07:00   >>

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明治19年8月 清国 北洋艦隊の丁汝昌は「定遠」に座乗し、「威遠」 「済遠」を連れて示威行動の後、長崎で長崎事件をおこす。ウラジオストクからの帰途であった。

昨今の情勢をあの日清戦争前夜になぞらえる人がゐる。私も全く同感だ。日清戦争は明治27〜28年だ。長崎事件は日清両方で81名の死傷者が出た。事件が解決したのは明治20年2月だが日・清・米・英の間で行われた交渉の中に露・独・仏が割り込んで来た。これは日清戦争後の三国干渉を予感させる。

「臥薪嘗胆」は三国干渉に対する国民の気概を言ったものだが今の国民にこの覚悟があるだらうか。長崎事件から5年後明治24年丁汝昌は更に強力な北洋艦隊 「丁遠」「鎮遠」「経遠」「来遠」(ドイツ製)「致遠」「靖遠」(イギリス製)の6隻を率いて神戸から横浜に来航し明治天皇に謁見した。西郷従道の招請に李鴻章が北洋艦隊の偉容を見せつける形で応じた。これは琉球 朝鮮で対立する日本への威圧であることは言うまでもない。

艦隊に招待された日本の議員や貴顕紳士 新聞記者達は巨艦 巨砲に圧倒される。当時日本海軍の主力は「扶桑」 3777トン。「比叡」「金剛」 共に2550トン。これに対し「丁遠」 「鎮遠」 は 7335トン。2連装の30センチ主砲4門を備えていた。正に圧倒的な戦力の差である。

ただし呉に入港した艦隊を密かに観察した中牟田倉之助中将や東郷平八郎大佐は水兵の訓練か劣っていることを見抜いてはゐた。我が国が日清戦争前夜と120年後の平成26年で 明らかに異なるのは、戦争に負けた経験を持つか持たぬかの一点だ。

我々の時代に初めて祖国は国土を蹂躙されたのだ。我々は戦争に負けたのだ。このことをかっての敵国によって良いように利用され、こちらに非があったと考えるよう教育されて来た。そして生活の面のみから物事を考えるようになってしまった。国家意識 愛国心なんて言おうものなら忽ち軍国主義者のレッテルを貼られる。

間違ったこう言う風潮を作り上げることに大いに貢献し今もその非を改めないのが、朝日でありNHKであり東大を始めとする左翼の教授連であろう。人権と平和を唱えさえすれば生活は安定する。国を如何に守るかの議論は聞いたことがない。

こけしは/なんで/かわいいか/思う/おもいを/いわぬから/ 堀口大学

昔、帝国海軍はサイレント・ネービーと言われた。サイレントとは政治に関与しないこと、己のことをいわぬ(言い訳せぬ)ことの「黙」だ。昔きゅうちゃんは「上を向いてあるこう。涙がこぼれないやうに・・」と歌った。いま真央ちゃんは天を向いて涙をこぼす。

心ある日本人はこの静かに豊かに速い日本の文化を愛してゐる。 雪はしづかにゆたかにはやし屍室(かばねしつ) 石田 波郷。


―つづく―

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