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zoom RSS 一阿の  「若い友人からの手紙」U

<<   作成日時 : 2012/07/10 07:00   >>

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こんにちは。一阿さんの優しいメールを頂き有り難うございました。・・・・・・この頃は縁に生かさていることを、折に触れ思います。

この春先、地元・愛媛新聞に、100年前3千本の桜の苗木が日本から送られた返礼として、今度はアメリカ側が 3千本のアメリカはなみずきの苗木を日本に贈る計画をしている記事が載りました。シドモア女史が日米に桜花の橋渡しをした一方の橋の袂に松山があることを知る松山市民はほとんどいないという思いが私の中に急速に拡がり、同紙に“ポトマックの桜と松山”を投稿し経緯を書きました。500字程度ということで、十分意は尽くせませんでしたが、知らなかったというハガキを幾つが貰い、書いてよかったと思っています。

5年程前、終戦まで 松山22連隊本部がおかれていた松山城三の丸跡の発掘調査中、1個のロシア銀貨が出てきました。そのコインには片仮名でロシア人名と日本人女性の名前が刻まれていました。おそらく、日露戦争時の松山捕虜収容所のロシアの兵と日本人看護婦のものと推測されました。松山の郊外に「坊ちゃん劇場」という、田舎にしては立派な芸術劇団付き劇場があります。昨年、この劇場で、“誓いのコイン”という、ロシア兵と日本人看護婦の恋物語が上演されました。1年間のロングランでした。

私は、その 2年程前に坊ちゃん劇場の支配人に、日露戦争下の日本を手渡し、ぜひ舞台でも−と話した事がありました。そして、タイミングよくコインが発掘された事で、ジェ−ムス三木が脚本を書いて上演となりました。日露戦争下の−とは内容は全く違いますが、着想に活かされたと聞きました。私の父方、母方の祖父は、驚くべきことに江戸時代の生まれです。文久と慶應、幕府が外圧に揺さぶられ、旦つ、京都で龍馬が斬られた時は母方の祖父は2歳という勘定です。

この祖父は、日露戦争の絵本を沢山持っていて、私は子供の頃、 カタカナの絵本をよく見ていました。江戸や明治はそんなに昔ではない。ただ、戦後生まれの(21年生)自分達は、見ていないけれど、それまで連続する何かがあったのではないか?

文字と映像からだけでは見えない−、立ち位置を変え、身体全体で受け止めなくてはならない人の在り方が−。大震災をみるまでもなく、一瞬にして人が人として生きられない不条理。同じ災害列島という船に乗っていながら、瓦礫処理を拒否する薄情−。志操(想)なき政治家たちのうごめき−。絶対違う。

自分達はこの目で見て来なかったけれど、勝手気ままに生きられなかった時代、自分を律してこその自由というものもあったのではないか?平凡でささやかでも、一生懸命生きる無意識の日々こそ、“大事”の中心軸ではないか−。誰かが言っていた、ならぬことはなりませぬ−という常識基盤の上に全ての生活が成り立つ状況を創出することが、何より大事と思うのですが−。近隣諸国との関係も−。

一阿さんのメールが嬉しくて、またまた長々と書いてしまいました。済みません。


(続く)

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