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zoom RSS 一阿の 「神代曙」 2

<<   作成日時 : 2012/04/24 07:00   >>

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  龍太の俳文に面白いものがある。「詩人は、詩の眼を持った人でないと理解出来るわけがないが、特別大きなスケールの詩人ともなると、詩の眼だけでは、本当の正体をあらわしてくれないのではないか。・・芭蕉と蕪村は非常に対照的のようだ。蕪村の場合は、萩原朔太郎から三好達治などの労作が、それを証しするように、独自な解明は全て詩人によってなされている。

―「凧(いかのぼり)きのうの空のありどころ(蕪村)に朔太郎が現代詩のこころを見るやうに」―

しかし小説家は、蕪村に対してあまり関心を示していない。これに反して、芭蕉の場合は、龍之介や犀星の例を出すまでもなく、きわめて多くの小説家が深い関心を寄せる。私が芭蕉の深い人生は「荘子」の思想を汲みながら流れる大河だといふ思い至ったのは先に述べた宗匠石橋筑紫男さんの労作によるところが大きい。

「汗牛充棟」といふが、芭蕉については古来から正に運ぶのに牛が汗をかき棟に充ちる程の文献著書がある。愚老に芭蕉を語る智恵がないので、芭蕉に生涯をかけた石橋筑紫男さんの前掲の「芭蕉の中の荘子」の一節をかりることにする。「・・・どのやうな魅力があるのであらうか、それは時流に染まらず、あたかも求道者のやうにただ一筋の道を追求した芭蕉の人間性、思想、処世に共感する人が多いためであらう。

彼は俳諧の道の至人であったと同時に、市井の思想家でもあった。彼の俳文 紀行文に「荘子」を出典とする文章が数多くあり、荘子の思想に深く関わってゐることが伺える。・・・芭蕉は貞徳流の惰性を打ち破り新しい境地を開拓した宗因を高く評価し、俳諧中興の祖とまで誉めてゐる。

それは宗因の主唱した荘子的俳諧に共感したからではないかと思はれる。しかも談林派の皮相的な捉え方と違い、「荘子」の思想にまで参入し、実践しやうとしたところに芭蕉の非凡さがある。」「芭蕉が荘子の中で最も関心を持った篇は斉物論篇 逍遙遊篇 大宗師篇 人間世篇である。」とある。「荘子」(そうじ)は33篇から成ってゐる。


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