ガラス瓶に手紙を入れて

アクセスカウンタ

zoom RSS 一阿の 「神代曙」 5

<<   作成日時 : 2012/04/27 07:00   >>

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

 この理性の野のもう一方の旗頭が、小林秀雄です。彼はウァレリーがヨーロッパの魂を愛したように、日本の魂をこころから愛しました。そして日本の土壌と歴史に誇と共感を以て透徹してゆきました。本居宣長のやうにです。しかし多勢に無勢。悪貨は良貨を駆逐するで、結局、底の浅い理性模倣派に今の日本は牛耳られて、まるで社会主義国のやうになってしまいました。

かって荘子を懐に抱いた支那とは無縁の共産主義国家 中国に色目を使う醜い国になり果てました。このことはマルキシズムがわが国に流れ込んだ大正時代に既に始まっていました。国家の為に共産主義を徹底的に阻止しやうとしたのが、陸軍であり海軍だったのです。

かっての敵は日本に上陸するや忽ち日本の軍隊を抹殺し二度と再軍備をさせない策略の毒を飲ませました。普通の国民なら、かってフランス国民がレジスタンス運動を行ったやうに祖国を元の姿に戻す熱誠を示すでせう。

ところがさにあらず、我が国は、敗戦の時を境目に、悪い国から一瞬に平和を愛し人権を守る理想的な国になった錯覚に落ち込んだのでせうか、嫌軍、反軍国家になってゆきました。その基盤は底の浅い教養人の、偽理性主義に温床があったと思うほかありません。都知事が尖閣列島購入の意志を示すや、快哉を叫ぶのではなく、「中国はどう言うか」「中国での商売が心配」 と識者と言われる人間どもがNHKや朝日、共同通信と言った左翼マスコミを通じて掣肘にかかります。

まさに、偽理性の臭気と醜さが目立ちます。そこには国家観もなく、国家の誇りもありません。荘子は或いはこう言うかも知れません。「一番大切な事に、古代 中世 近代と言う区別がどれくらい本質的な意味があるのだろう。近代社会の自由だけが本質的で、その他はみな非本質的だと言うのは近代人の勝手な自惚れに過ぎない。古代 中世 近代と言う区分そのものが、近代人の一人よがりの創作ではないのか。

それぞれの時代の人間は、それぞれの時代を精一杯生きてきた。それぞれの時代を精一杯生きる人間にとっては、古代も中世も近代も問題はないのだ。」 と。荘子はまた言うでせう。
「日本の皆さん、戦争に負けて67年精一杯努力して造った皆さんの国が、戦前より、或いはそれ以前の時代より正しいなんて思ってはいけませんよ。それこそ傲慢で、思考停止状態と言わなければなりません。」と。



*☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*

次の記事が楽しみな方は
人気ブログランキングFC2ブログランキング のクリックをお願い致します。

※姉妹サイト【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】では、様々な活動を行っております。

何卒皆さまの温かいご協力をよろしくお願い申し上げます。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
ナイス ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
一阿の 「神代曙」 5 ガラス瓶に手紙を入れて/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる