ガラス瓶に手紙を入れて

アクセスカウンタ

zoom RSS 一阿の 「神代曙」 4

<<   作成日時 : 2012/04/26 07:00   >>

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

 「用の無き貌曝しおり小春の日」・・・ は、まさに「荘子」の思想「無用の用」 を心に筑紫男さんが残した辞世の句です。

荘子は紀元前四世紀、孔子より一世紀遅れて生まれ、宗の国に住んでゐました。あの北宗南宗時代の宗ではなくて、春秋戦国時代の宗です。とても乱れた世の中です。荘子については、福永光司著 「荘子」(中公新書)を読まれることをお薦めします。 人間は自分の知らないうちに訳も知らされずにこの世に投げ出されます。そして必ず死ななければなりません。拒否することも反抗することも出来ません。荘子の哲学は如何にこの不自由な自分を囚われることのない自由な自分にして行くかを明らかするためのものです。

昔 西欧の人達にはキリストがゐて救って呉れました。しかし近代ニーチェが「神々は死んだ。」と叫んで以来、現代ヨーロッパ精神の苦悶が始まりました。「・・・to be or not to be ・・・」 です。

しかし、荘子はきっとこういふでせう。 「君たちは、神は死んだと騒ぎ立てるけれども、我々は初めから神をもたなかった。もし人間の孤独が神の死を意味するならば、われわれは初めから孤独であった。」 と。神は死んだのか、見失われたままなのかは断定は出来ません。現代でも失われた神を求めて苦悶してゐる実存主義の哲学者が居り、大多数の人は神は死んだとは信じてゐないからです。

私は昨年「ガラス瓶」のなかで網代 毅著「旧制一高と雑誌世代の青春」を取り上げ、「敗戦の瞬間、私は(ヘーゲルの現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である)。といふ言葉を思い出した。」と語らせました。

理性的であり合理的であることは何よりも望ましいが、現実の人間生活はあまりにも非合理であり反理性的すぎる。この現実に目を瞑って、人間を無理やり神の座に押し上げやうとすると、いよいよ非合理的になります。理性的なものは現実的なものではなく、現実的なものはむしろ非合理的なものでさへあります。ヘーゲルのあの雄大な理性の神学を「書斎の哲学の観念性」と切り捨てる人もゐまま。

しかし昭和17年旧制一高へ入学した人達を始めとする旧制高校のエリート達、彼等が敗戦以降トップ官僚として、或いは行政 司法 立法各界のトップとしてわが国を操縦してきたことは否定のしようがありません。明治以降ヨーロッパから文化を吸収し始めてから、その底には理性そしてヘーゲルが厳然と控えてゐました。大正以来進歩的知識人や教養人がマルキシズムに惹かれいったのも故なしとしません。それはヘーゲルを純粋培養していったものがマルキシズムだからです。或いは毒キノコと言った方が良いかもしれません。
 

*☆*゚ ゜゚*☆*☆*゚゜゚*☆*

次の記事が楽しみな方は
人気ブログランキングFC2ブログランキング のクリックをお願い致します。

※姉妹サイト【日本を】『日本解体法案』反対請願.com【守ろう】では、様々な活動を行っております。

何卒皆さまの温かいご協力をよろしくお願い申し上げます。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 8
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
面白い 面白い
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
一阿の 「神代曙」 4 ガラス瓶に手紙を入れて/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる