ガラス瓶に手紙を入れて

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zoom RSS 一阿の 「年始の言葉」 1

<<   作成日時 : 2012/01/07 08:00   >>

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明けましておめでとうございます。若水を汲んで、神棚に供え、口を漱ぎ、日の丸の国旗を高々と掲げました。気持ちのよい元旦です。

三日の高層雲は特に美しいものでした。
/三の朝 雲とりどりに 淑気かな/

玄関の盆栽の梅も綻びかけました。
/梅一輪 この世を のぞき見るごとく/
青星。

六年前の友人の賀状です。芭蕉と言わず今時の若い女性でも深い静かなこころをもっています。日本人とは本来そうしたものです。

ところがどうでせう。 敗戦直後、GIと腕を組んでカタコトの米語を喋ってゐた街娼よろしく今頃の若い芸人が朝鮮語を喋る世の中になりました。私鉄の放送も、スーパーの商品宣伝までも朝鮮語や支那語を付け足すやうになりました。諸外国で私鉄の放送に日本語を流しているのですか。

大したことではないやうてすが、国語はその国の文化です。こんなことをしていると、知らず知らずのうちに日本人の魂まで乱れてしまいます。慎みを持ちたいものです。大晦日の晩、零度から2度と言う寒空に友人は老躯(85才)をおしてNHKの「紅白歌合戦」の歌目反対そして反日態度抗議の街宣に行きました。日本の一年の総決算しかも今年は東北大震災の年ではないか、何故朝鮮の芸人を呼ばねばならんのだ。彼は怒り心頭に発しました。

話が反れました。海軍兵学校の国語の教官に那珂太郎と言う人がゐます。本名福田正次郎。芸術家の大半は反軍リベラルの思想に居を構えていますが、彼は決して自分が海軍兵学校の国語の教官であったことを隠しません。むしろ誇りにさえしている風情に見えます。昔、浜田山の文化会館で幸田弘子(樋口一葉作品の随一の語部)と対談したとき「自分は昭和18年江田島の海軍兵学 校で国語を教へていました。

翌年春前線に出て行く73期生徒を表桟橋で見送りました。その時の校庭の桜が生徒と重なって忘れられす、戦後私が詠んだ詩の さくら はその時の思ひなのです。」大勢の聴衆の前で詩人が自ら軍籍を堂々と語るのは希有に属します。我々75期のものでも実業の損得を考えて兵学校卒業を言わぬ者を多々見てきました。那珂教官は兵学校では当時万葉集流行の時黙々と古今、新古今を教へてゐたのです。それは実際彼に教わった者から聞 いたこですから間違ひありません。

そして平成6年、芸術院賞 恩賜賞が贈られ、芸術院会員になります。彼が詠んだ「鎮魂歌」によって平成7年歴程賞を受けます。このことは後程書きますが、いまは長編の僅か数行に留めます。

「・・・戦争がすんで五年も終らうとする今頃に/若い人たちが次々に犠牲になって行くのを目のあたりにしては、「あんまりだ」とも言ひたくなって思はず涙が出る/と獄中てあなたは軍事裁判への疑問をおぼえ/戦勝国側の報復的処刑にもまして/同じ日本人の世間一般が/「奴らか悪いのだ、よい見せしめ だ」/と処刑に同調する冷淡な態度に、割り切れぬ思ひ、やる方ない憤りを書き記してゐます。」


(続く)


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