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zoom RSS 一阿の 「戦友の思い出」

<<   作成日時 : 2011/06/06 07:16   >>

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「俺は、提督田中頼三(第二水雷戦隊)と木村昌福(第一水雷戦隊)が好きだ。」よくそう言った。ヨーソロの金森さん(上等兵曹)にバリックパパンの思い出話を聞きながら、彼とは良く飲んだ。宇部興産が未だ首相官邸のすぐ下にあった頃よく彼の会社を訪れた。仕事をした思い出は殆どない。結局二人で飲むために 五時ごろ彼の部屋を覗くのだ。部下達に「頼むぞ」とひとこと言って部屋を出る。彼は佳い飲み屋をよく知っていた。安くて美味くて女将が綺麗で店に品があるところはそうざらには無い。然し彼は知っているのだ。

「ここはナ、2000円掴んで来ると飲めるんだ。」そう言って彼は暖簾をくぐる。「大石」 と書いてある。門前仲町にそれはあった。「卯の花」の煮物が絶品であった。「昔、一流の客はこの溜池の『大石』へ連れて来たんだが、昔の店はいつの間にか 潰れこんな所で親娘でやってをるんだ。」「道場六三郎」の店も知ってるんだが、あの店は「大石」の次の客を連れて行った。この言葉は私を喜ばせた。彼はテレビの評判は度外視した。

「ポテト」へもよく行った。この店は赤坂TBSの坂下路地にあった。「田村」なる老舗料亭のすぐ隣の小さな四階建てのビルの三階 だ。オムレツが美味かった。「田村」の贅沢な客が、たまたま洋食を食いたいと言い出したときの用意に、女将がここへ料理人を呼んだのだ。その人は帝国ホテルの村上シェフの兄弟子だった。彼の料理は一流だったが、大げさな料理は作らずいつもハンバーグやオムレツを焼いていた。彼と私は料理は食わず葡萄酒を飲 んだ。ワインが美味かった。煉瓦作りの小さな部屋で二人ははネイビーブルーの思い出話に花を咲かせた。其の中でも彼の博覧強記ぶりは抜群であった。

「田中頼三の息子が俺の会社にいてナ」と彼は言ひ出した。「74期だったが、事故で工場で亡くなった。葬儀には田中頼三少将が来られ、礼を述べられた。う ちの社長の話なんかとは比べ物にならん。」彼は杯を重ねた。「宇部の専務が今日の富士通の基礎を築いたことを知っとるか。」と気を吐いた。「あの岡田完二郎だ。」と彼が言った。「わしが未だ新入社員の頃、専務の岡田さんは何を思ったか俺を二三人の社員と共に自宅に呼んでくれた。」「話は覚えとらんが、シーヴァスリーガルを振舞ってくれ、有り難く頂戴した。」彼は更に話を続ける。「岡田さんはそのころ資本論を原書で読んでいたんだ。」と。彼は珍しく感心した。

其の頃例の「大田 薫」が宇部の企画課長から総評議長にのし上って騒いでいる頃であった。彼はセメント事業本部長になったが、大田がストを打つと、自社の運送船団(13隻)は決して休ませず、「俺は大田とは関係ない。宇部の連合艦隊の司令長官だ」とほくそ笑んだ。
 
平成元年二月二十三日もポテトで飲んだが、不謹慎にも翌日は昭和天皇の御大喪の日であった。深夜を過ぎて翌日に入っても二人は中々腰を上げない。珍しく彼も歌を歌いたいと言い出した。元寶塚に居たママの店でわけの分からん歌を怒鳴ったが、帰るタクシーが無い。困り果てて結局彼の会社のハイヤーのお世話になった。愚生の乗った車はえらく綺麗だったので、聞いてみると運転手は、「この車は明日御大喪でスエーデンの大使をお乗せします。」といった。忘れ得ぬ思ひ出になった。

彼の写真は我が家に数え得ぬ程ある。そして殆どがヨーソロか「小松」でのものだ。彼の隣には「直枝女将」や友人達が写っている。彼も女将も友人達もみな逝ってしまった。世の中が急に寂しく心細くなった。自分の人生で彼が占めていた重さをつくづく思ひ知らされる毎日だ。奥様には「彼は、強情我慢で情け深い男 だった。」と弔文をお送りした。

憂国の士は沢山ゐる。しかし私にとって彼はは他にゐない。若泉 敬を教へてくれたのも彼であった。「若泉は橘曙覧が好きだ。」と言ふものだから、橘曙覧歌集を送ったりもした。左翼マスコミ(殆どそうであるが)が沖縄返還で密約密約と騒ぎたてるずーっと以前である。

彼は変節を嫌った。「俺もそうだ。」と私は答へた。彼は情緒的ではなく、論理的に時代を観ていた。蠢くリベ ラリストや市民派の無国籍人権論者どもをも彼は毛嫌いせず理解した上で、冷静に批判した。膨大な文献や書物を読破した。

最後に病床の彼に送ったのは、中村 天風先生の「神人冥合」のテープだった。メールですぐ応答があった。これは冗談だがと前置きして、「録音はレコード テープ CD DVD ブルーレイ と進んでゐる。さすがに貴様はクラシック好きなだけある。これからウォークマンを探さにゃならん。」彼は自分の生命尽きる直前までユーモアを忘れなかっ た。ガンルームに置きたい魂であった。祈冥福。

註・木村昌福 キスカ撤退作戦の司令 /田中頼三・米海軍が最も恐れた提督。軍令部に抵抗した為に重用されなかった。 註・「大石」も今はない。

(「戦友の思い出」 了)


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